2018.11 目黒を歩く 旧朝香宮邸=東京都庭園美術館 <日本の旅・東京を歩く>
目黒線不動前駅から目黒駅に戻る。昼時である。
落語の目黒のサンマが広まり、目黒商店街では毎年9月早々の日曜に目黒のさんま祭りを開催する。数万人の人出になり、テレビでも報道される。我が家では隣のYスーパーで買ったサンマもよく食べるが、目黒のサンマも気になる。
庭園美術館に向かいながらサンマの看板を探したが、見つからなかった。サンマだけでは商売にならないようだ。カレー店、ラーメン店、洋食レストラン、カフェ、居酒屋・・、・・寿司屋があった。食べ終わった客が出てきた。にこにこおしゃべりしているから、味も期待できそうだ。席に着き、握りを頼む。次々と客が入れ替わる。値段も手ごろで、評判がいいようだ。目黒の寿司もお勧めである。 1906年、久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦親王が朝香宮家を創設する。鳩彦親王が留学中、フランスで交通事故に遭い、看病のため渡仏した允子妃と2年余りパリにいた。1925年にパリで開催された「アール・デコ博覧会」を見た夫妻は感銘を受け、帰国後、アール・デコ様式を採り入れた邸宅を建てた。それが朝香宮邸で、1933年に竣工する(写真)。
アール・デコart decoを復習する。ヨーロッパの建築はロマネスク様式、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式、ロココ様式、新古典様式と変遷してきた。様式には技術の発展を背景に、社会の主導者の思惑が大きく影響していた。主権者のもとで発生した様式は文化交流によって広まるから時間的にズレながら、地方の独自性が加味されていく。
新古典様式は18世紀中ごろから19世紀初頭、主に公共建築で採用されたが、個人的な建物では新しい技術である鉄とガラスを用いた自由なデザインが好まれた。
その代表がアール・ヌーヴォーart nouveauであり、1890年ごろから1910年ごろに、植物模様、自由な曲線を装飾に用いたデザインで人々を魅了した・・2019年1月、新宿・小田急百貨店で開催されたミュシャ展を見た(写真)、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は現チェコ=当時のオーストリア帝国生まれのデザイナーで、アール・ヌーヴォーを代表する一人である・・。
アール・ヌーヴォーは華やかだが、曲線が複雑である。時代は工業化、大量生産化に向かっていて、単純化されたデザインが指向された。
1925年、パリで開かれた「現代装飾・工業美術国際展=略称してLes Arts Décos=アール・デコ」では、アール・ヌーヴォーに比べ直線的、機能的、シンプルなデザインが追求された。
デザインには古代エジプト、アステカ、日本や中国などの東洋美術のモチーフの影響も見られる。朝香宮夫妻は、アール・デコ展でヨーロッパ最先端のデザインのとりこになったようだ。
ミュシャとルネ・ラリックは同い年で、女優サラ・ベルナールの冠をミュシャがデザインしルネ・ラリックが作製するなど、親交が深かった。アール・デコはアール・ヌーヴォーを引き継ぎながら、時代に応じて発展した、ととらえればいいようだ。
朝香宮家が皇籍離脱後、旧朝香宮邸は吉田茂外相・首相公邸となり、国賓・公賓の迎賓館を経て、1983年、東京都庭園美術館として一般公開された。私が訪ねたのは、この一般公開後間もなくであるが、記憶が怪しいので、初めての訪問に等しい。
特別展を兼ねた入場料・シルバー割引600円を購入し、入場する。
朝香宮邸の全体設計は宮内省内匠寮で、内装設計にフランス人装飾美術家アンリ・ラバン(1873-1939)が起用され、ガラス工芸家ルネ・ラリック(1860-1945)が玄関扉のガラスレリーフやシャンデリアをデザインした(写真)。くじゃくのような翼を広げた女性のガラスレリーフは訪れた人の目を奪う。
いまでも人の目を釘付けにする魅力的なアール・デコのデザインは、1933年の竣工当時、日本人に衝撃を与えたのではないだろうか。
ほかにも、フランス人彫刻家・画家レオン・ブランショ(1868-1947)、フランス人鉄工芸
家レイモン・シュブ(1893-1970)、フランス人画家・ガラス工芸家マックス・アングラン(1908-1969)が室内装飾、レリーフ、タンパンなどのデザインを手がけている。
外観は四角いシンプルな表現である(前掲写真)。明治~大正の建築デザインでは、ヨーロッパのゴシック様式、バロック様式、新古典様式などを手本にし、彫刻を多用した重厚、荘重な表現が主流だった。
大正~昭和初期、新たなデザインである近代建築が建ち始めた。朝香宮邸のシンプルな外観は近代建築のいぶきを感じさせる。
ところが中に入ると近代建築のシンプルなデザインが一転して、華やかで柔らかなデザインに変わる。外観がシンプルだからこそ、華麗さが際立っている。宮内省内匠寮とアンリ・ラバンを始めとするアール・デコ派のコラボレーションの成功例といえよう。
ルネ・ラリックデザインのガラスレリーフ(前掲写真、玄関から撮っている)は、玄関と大広間のしきりに使われていて、車寄せ・玄関ポーチから玄関に入ると真っ正面に見える。
大広間からガラスレリーフを見ると、玄関からの明かりが長身の女性を優雅に浮かび上がらせる。ルネ・ラリックは玄関からの明かりでレリーフが神秘的に浮かび上がることをもくろんだに違いない。
大広間の壁面はウォールナット材で仕上げ、天井は格天井を連想させながら円形の照明を整然と並べ、落ちついた雰囲気で、気品を感じさせる(写真)。
中央階段右横はレオン・ブランショ作の大理石レリーフである。階段のジグザグはアール・デコで多用されるデザイン、手すりにはめ込まれたブロンズ、手すりのブロンズの意匠もアール・デコの特徴である(写真)。
この日は「アール・デコと異境への眼差し展」が開かれていて、室内各所に展示品が置かれていた。アール・デコの意匠を丹念に眺め室内写真、階段意匠を撮り、続いて壁上部の意匠を撮ろうとしたら、飛んできたスタッフから展示中はすべて撮影禁止と強い口調で注意された。
旧朝香宮邸のアール・デコを撮りたいときは、展示会のない時がお勧めである。
ユニークな香水塔が置かれた次室、幾何学的にデザインされた花をモチーフにした大客室、果物をモチーフにしたルネ・ラリックの照明、ガラス扉の大食堂を眺め、2階に上がる。
左官職人が腕を振るった2階広間、ヴォールト天井の殿下居間、妃殿下居間、白黒の大理石が市松模様に敷かれた南側ベランダなどを見る(写真、中央2階が南側ベランダ、1階中央列柱は大客間ポーチ、1階左円形部分は大食堂)。
各部屋にはラジエータ暖房が設置されていて、鋳物のカバーがつけられている。カバーデザインは各部屋で異なり、2階広間は青海波、殿下の部屋は噴水、妃殿下の部屋は百合の花をモチーフにしたアール・デコデザインである。室内の構成・素材・意匠・配色、照明器具、さらにはラジエータカバーなど、細部までアール・デコでデザインされていた。
アール・デコは1930年ごろに新しいデザイン思潮に変わっていく。日本でも事務所建築などは、より機能的なデザインが主流になっていった。
旧朝香宮邸=庭園美術館は、貴重なアール・デコデザインをいまに残している。当時の皇族の煌びやかな暮らしはそのころの社会情勢から見て不問にし、貴重なほかでは見られないアール・デコデザインに絞って庭園美術館を訪れてはどうだろうか。
本館に続く新館にカフェ庭園が設けられていて、庭を眺めながらアール・デコの余韻に浸ることもできそうだが、私たちは日本庭園と茶室に足を向けた(写真)。
茶室「光華」は1936年に建てられた。朝香宮鳩彦親王の希望で、日本の伝統建築を基調にしながら、アール・デコの本館の優美で明るい雰囲気に調子を合わせて、天井の高い、開放的な意匠にしたそうだ(写真)。
いまは重要文化財の指定を受けている。茶席がないときの見学は自由である。
茶室を出て、日本庭園を巡り、広々として手入れの行き届いた芝庭、西洋庭園を歩く。緑の庭園にクリーム色の旧朝香宮邸が映える。目にも心地いい。
庭園のみの入場料は200円である。乳児を連れたママが散策していた。安心して子どもを遊ばせることができそうだ。
正門横に近年建てられたレストラン・デュパルクがある。道路から直接入ることができ、本格的なフレンチ料理を楽しめるそうだ。
目黒の寿司も良かったが、本格フレンチもよさそうだ。都心の喧騒を忘れさせてくれるほど静かな雰囲気で珈琲をいただき、帰路についた。
帰宅後の歩数計は12800歩、健康に良し、新しい発見、記憶の復習にもなった。(2018.9)