<斜読・日本の作家一覧> book546 陰陽師 夢枕獏 文春文庫 1991
だいぶ前、テレビで野村萬斎主演の「陰陽師」を見た。平安時代の陰陽師・安倍清明が怪奇なできごとを陰陽道で解決していく展開だった。現実離れし過ぎていたので、見流した。
科学が発達していない社会では、陰陽五行思想に基づいて吉凶を占ったり、天文、地相の知識を用いて吉凶を推測したり、印を結んで呪文を唱え悪霊を退散させたり、などがよりどころになったのであろう。
2023年1月、コロナ渦の行動制限が解かれたので京都に出かけ、初日に晴明神社を訪ねた(写真)。行きの新幹線で予習に夢枕獏著「陰陽師」を読み始めた。怪奇な話が6編収められていて、読み終わらないうちに京都に着いた。訪ねた晴明神社に怪奇さは感じられなかった。「陰陽師」は伝承に基づいた虚構の世界のようだ。
玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること
夢枕氏は、平安時代、闇が闇として残り、人も鬼ももののけも同じ都に一緒に棲んでいた時代の話、と書き始める。
今昔物語に記された阿部清明の逸話を紹介し、陰陽師は方位も観れば占いもし、呪詛によって人を呪い殺すこともでき、幻術も使う、運命とか霊魂とか鬼とかに深く通じ、そのあやしさを支配する技術を持っている、と続ける。
収録されている怪奇な6話は清明の逸話を下敷きにした虚構であり、科学的な合理性を求める読み手は置いていくということらしい。
(晴明神社あたりに実在した)阿部清明の屋敷に、朝廷の武士である源博雅が訪ねてくる。清明は博雅に一番短い「呪」は名前だと言い、庭の花が残っている藤に「密虫」と名づけ、呪をかけたと話すが、博雅は理解しきれない。
博雅は清明に、歌あわせで壬生忠見の歌「恋すてふ我が名はまだき立ちにけりひと知れずこそ想いそめしか」が平兼盛の歌「忍ぶれど色に出でにけり我が恋はものやと想うとひとの問ふまで」に負けたことで、忠見は食欲を失い、床に伏せ、ついに餓死同然に死んで、その後、忠見の怨霊が清涼殿に出ると話す。
忠見の歌も兼盛の歌も百人一首に選ばれていて、記憶にある。この二首は本題とは関係ない。夢枕氏は、怪奇な話の前触れで忠見の怨霊を挿入したようだ。
博雅は清明に、帝(62代村上天皇926-967)愛用の琵琶・玄象が盗まれ、一昨日、宿直をしているとき玄象の音を耳にした、と話し始める。
博雅は管弦の道を極めていて、聞き間違えるはずはない。童子を一人連れ、音の鳴る方向に歩く。清涼殿を出て、朱雀門、朱雀大路、物見櫓を過ぎ、羅城門まで来た。琵琶の音は羅城門の上から聴こえてくるが、真っ暗である。
嫋、嫋、嫋と哀しくも美しい音色である。博雅は、盲目の老法師蝉丸が奏でる琵琶の秘曲の流泉、啄木を聴いたことがあるが、羅城門の上から聴こえてくる音色は流泉、啄木に勝ると感じた・・流泉も啄木も初めて知った。夢枕氏は琵琶に詳しいようだ・・。
博雅が、その琵琶は宮中より盗まれた玄象だと声をかけると、琵琶が止み、童子のもつ灯りが消えて闇になる。童子が泣き震えるのでその日は帰った。
昨日も琵琶が聴こえたので、博雅は一人で羅城門に行った。声をかけると琵琶の音が止んだので、羅城門を登り始めると、上から人の腐った眼だまが落ちてきたので、登るのを止め、帰ったと話し、清明に今夜つきあえという。
その晩、戦に出るような姿の博雅、琵琶法師蝉丸と清明が集まる。清明がぽんと手を打つと、藤色一色の唐衣装=十二単衣に身を包んだ美しい女=密虫が現れ、3人を先導する。
羅城門の上から嫋、嫋と哀しい音色が聞こえる。蝉丸は、異国の旋律と言い、その音に合わせて自分の琵琶を弾き始めた。嫋。嫋。二つの音色がからみ始める。やがて絶妙の音色になる。
羅城門の上にいる者が、琵琶を弾きながら哭き、声を出す。清明は天竺=インドの言葉で語りかけ、自分の名は正成だという。
その男は漢多太と言い、旅の楽師で、戦に敗れて国を後にし、唐にたどり着いてそのとき玄象を造り、空海和尚の船に乗ってこの国に着き、128年前、平城京で楽器を造っているとき賊に入られ、首を切り落とされてしまった。死ぬまでに故郷を見たいと思っていて、成仏できなかった。宮中に私の妻スーリヤとそっくりの女官がいる。その女官と一晩契りを交わさせてくれれば、女官も玄象も返し、立ち去る、と話す。
漢多太は約束を違えぬよう力を見せると言ったとたん、羅城門の上からみどり色の光が密虫の上に落ちてきて、一瞬のうちに光も密虫も消えてしまう。あとに藤の花が舞い落ち、闇に包まれる。
翌日の晩、清明、博雅、女官、女官の兄の武士が羅城門に向かう。漢多太は女官を紐で吊り上げ、代わりに玄象を降ろす。
女官は用意していた小刀で妖物の首を取ろうとしたが失敗し、妖物に喰い殺されてしまう。武士が放った矢が漢多太の額に命中し、全裸の鬼が落ちてくる。次の矢も命中するが、鬼は武士に跳びかかり喉を食いちぎってしまう。
鬼が「動くな、博雅」と言うと、博雅は動けなくなってしまう。清明にも「動くな、正成」と言うが、自分の名ではないので呪はかからない。清明は「動くな、漢多太」と言うと鬼は動けなくなった。清明は博雅の太刀で漢多太の腹を突きさし、えぐると腹から犬の首が出てきた。
漢多太の「鬼」が犬に憑いたと見極めた清明は、犬の首に呪をかけて「鬼」を琵琶に憑かせ、この奇怪な話が落着する。
今昔物語巻第24と付記されているから、夢枕氏は今昔物語から怪奇な構想を発展させたようだ。
続く2~6話には今昔物語の付記はない。夢枕氏は清明、博雅を主役に着想を自由に飛ばしたようだ。
梔子(くちなし)の女
清明の屋敷の庭は野山のくさむらのようだが、四季折々の花が咲いている。2話目は庭に梔子が咲いている梅雨時であるが、梔子は枕詞らしく本題との関係はない。
右大臣の小野宮実次が、大宮大路で油壺の跳ねるのを目撃、油壺はある屋敷の中に跳ねながら入って間もなく若い女が病死する話が挿入されるが、これも本題ではない。
本題は、元図書寮の役人が寿水という坊主になり、中御門大路にある妙安寺で修行しているとき、ある晩、目が覚めると廊下に口のない女がいて、訴えるような眼をし、消えた話である。
毎晩口なしの女が現れて消えたが、ある晩、寿水は古今集を読みながら寝ると口なしの女が現れ、古今集の「みみなしの山のくちなしえてし哉おもひのいろのしたぞめにせん」を指さして消える。
清明と博雅は寿水の僧坊で待ち、夜半、女が現れると清明は「如」と書いた紙を見せる。女は喜びながら消える。
清明によれば、寿水が般若経を写経しているとき「受想行識亦復如是」の「如」に墨をこぼして「口」の部分が隠れてしまったため「如」が「口なしの女」に化けて出たきたそうだ。清明が「女」の横に「口」を書き加えて「如」に直したあと、女は二度と出てこなくなり、落着する。
奇想な創作だが奇怪さはない。
黒川主
鴨川沿いに屋敷を構える鵜匠が鴨川から引いた堀に捕らえた鮎、鮒、鯉などを飼っていたが、獺が堀の魚を荒らすので巣を見つけ、雄は逃げたが雌の獺と子どもの獺を殺す。
鵜匠は孫娘と二人暮らしだったが、間もなく黒川主と名乗る男が夜な夜な現れ、孫娘に催眠術?をかけて犯し、堀の魚を生のまま食べるようになった。孫娘は朝になると何も覚えていない。
清明は結界を張り黒川主と名乗る雄の獺を捕まえる。眠ったままの孫娘は獺の子どもを産み、黒川主は子どもを連れて去る。清明はカジカの肝を孫娘に食べさせて目覚めさせ、落着する。
獺が妖力を持ち、獺の妻子を殺した鵜匠の孫娘を犯して子どもを産ませ、その子を連れて去るというのは奇怪すぎる。
蟇
応天門が雨漏りするので工が弟子と屋根裏に登り、誤って真言を書いた孔雀明王の呪を破いてしまう。その後、蟇蛙の顔をした子どもが出るようになり、ほどなく工は眠ったまま目を覚まさなくなり、弟子は熱を出して死んでしまう。
清明は博雅と方違えをしながら牛車で応天門に向かう。牛車の外は闇で百鬼が夜行していた。牛車が動き出し、六条大路西外れの荒れ果てた屋敷に着く。
暗がりに、自分の首を手に抱えた夫婦がいた。100年ほど前、夫婦の子どもが竹の棒で一匹の蟇蛙を刺し、蟇蛙が苦しみ哭くたびに青い炎が立ち、間もなく応天門が焼けて夫婦は犯人にされ、子どもは熱にうなされ死んでしまった、と話す。
夫婦は首をはねられる前に、応天門を祟ってやろうと蟇蛙を焼き殺し、死んだ息子の灰といっしょに壺に入れ、応天門の下に埋めたそうだ。
清明と博雅が応天門の下を掘ると壺があり、中から人の眼をした蟇蛙が飛び出してきて、落着となる。
平安時代は鬼、もののけがうごめき、妖しげな出来事が日常だったようだ。
鬼のみちゆき
15年前、帝が鹿狩りで供とはぐれ、かつて宮中に仕えた女の家に泊まる。そのとき女の娘と契りを結び、翌日、必ず迎えに来ると言い残し、白と黒の2匹の犬を置いていった。
娘はそれから毎日いつ帝が来るか待ち続け、母も死に、食べ物も喉を通らず、命の尽きるのを覚悟し、死して帝に会おうと鏡魔法を用い、心を通じた2頭の犬を小刀で突き殺し、自らは鬼になる。
・・鏡魔法の詳しい説明はないが、鏡を宮中に向け、鬼になった娘が鏡の道を辿って宮中の帝に会いに行く妖術のようだ・・。
鬼になった娘は十二単を着て牛車に乗り、黒装束の男と白装束の女を供に、初日の夜は八条大路まで行く。牛車には牛がおらず、軛には黒髪が下げられていた。
2日目の夜、公家の藤原成平が七条大路近くで、黒装束男と白装束の女を供にした牛車に出会う。成平の供が斬りかかると男は黒犬、女は白犬になり、供に跳びかかり、食べ尽くしてしまう。
5日目に博雅が帝の写経した般若経を納めようと出かけたとき、女童から「かけたるはうしとこそ思へ たまさかに何の心をかやる」の歌を受け取る。・・これは帝の写経をもっていたため勘違いされたためで、鬼になった娘の歌である。真意は清明が解説している・・。
6日目の夜、三条大路の手前で成平と供が鬼の乗った牛車を襲うが、成平は鬼に喰われてしまい、怪奇な出来事を帝が知る。
7日目の夜、清明は帝から一房の髪を預かり、現れた鬼の牛車の軛の黒髪に帝の黒髪を結ぶと、牛車も供の男も女も消えてしまう。清明は博雅と鏡の霊気の道をたどり、娘の死んだ場所を見つける。娘は帝の髪をいただき恨みは晴れたと言って骸に変わり、落着する。
女の恋い焦がれた思いが鬼を生み出したようだ。源氏物語にも似たような話がある。男よ約束は守れ、鬼が来るぞ、ということか。
白比丘尼
猫が清明の声で、博雅に5~6人斬り殺した太刀を持って屋敷まで来いと話す。博雅が太刀を持って屋敷に行くと、白い尼僧姿の女が現れ、30年ぶりと清明に挨拶する。
清明は博雅に、女は300年前に人魚の肉を食べて不死になったが、歳をとらない分が体に溜まり男の精と結びついて禍蛇になり、放っておくと女も鬼になってしまうので、30年ごとに禍蛇を落とさなければならないと話す。
女は全裸で結跏趺坐になり、清明が女の後頭部と腰に細い針を刺すと、女の股間から蛇が姿を現す。その蛇を博雅が斬ると蛇が消えた。清明が針を抜くと女は起き上がり僧衣をまとい、礼を言って立ち去り、落着する。
陰陽師は続編もあり、映画化もされたから人気が高かったようだが、奇怪すぎて私の好みとは遠く感じた。 (2023.1)
だいぶ前、テレビで野村萬斎主演の「陰陽師」を見た。平安時代の陰陽師・安倍清明が怪奇なできごとを陰陽道で解決していく展開だった。現実離れし過ぎていたので、見流した。
科学が発達していない社会では、陰陽五行思想に基づいて吉凶を占ったり、天文、地相の知識を用いて吉凶を推測したり、印を結んで呪文を唱え悪霊を退散させたり、などがよりどころになったのであろう。
2023年1月、コロナ渦の行動制限が解かれたので京都に出かけ、初日に晴明神社を訪ねた(写真)。行きの新幹線で予習に夢枕獏著「陰陽師」を読み始めた。怪奇な話が6編収められていて、読み終わらないうちに京都に着いた。訪ねた晴明神社に怪奇さは感じられなかった。「陰陽師」は伝承に基づいた虚構の世界のようだ。
玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること
夢枕氏は、平安時代、闇が闇として残り、人も鬼ももののけも同じ都に一緒に棲んでいた時代の話、と書き始める。
今昔物語に記された阿部清明の逸話を紹介し、陰陽師は方位も観れば占いもし、呪詛によって人を呪い殺すこともでき、幻術も使う、運命とか霊魂とか鬼とかに深く通じ、そのあやしさを支配する技術を持っている、と続ける。
収録されている怪奇な6話は清明の逸話を下敷きにした虚構であり、科学的な合理性を求める読み手は置いていくということらしい。
(晴明神社あたりに実在した)阿部清明の屋敷に、朝廷の武士である源博雅が訪ねてくる。清明は博雅に一番短い「呪」は名前だと言い、庭の花が残っている藤に「密虫」と名づけ、呪をかけたと話すが、博雅は理解しきれない。
博雅は清明に、歌あわせで壬生忠見の歌「恋すてふ我が名はまだき立ちにけりひと知れずこそ想いそめしか」が平兼盛の歌「忍ぶれど色に出でにけり我が恋はものやと想うとひとの問ふまで」に負けたことで、忠見は食欲を失い、床に伏せ、ついに餓死同然に死んで、その後、忠見の怨霊が清涼殿に出ると話す。
忠見の歌も兼盛の歌も百人一首に選ばれていて、記憶にある。この二首は本題とは関係ない。夢枕氏は、怪奇な話の前触れで忠見の怨霊を挿入したようだ。
博雅は清明に、帝(62代村上天皇926-967)愛用の琵琶・玄象が盗まれ、一昨日、宿直をしているとき玄象の音を耳にした、と話し始める。
博雅は管弦の道を極めていて、聞き間違えるはずはない。童子を一人連れ、音の鳴る方向に歩く。清涼殿を出て、朱雀門、朱雀大路、物見櫓を過ぎ、羅城門まで来た。琵琶の音は羅城門の上から聴こえてくるが、真っ暗である。
嫋、嫋、嫋と哀しくも美しい音色である。博雅は、盲目の老法師蝉丸が奏でる琵琶の秘曲の流泉、啄木を聴いたことがあるが、羅城門の上から聴こえてくる音色は流泉、啄木に勝ると感じた・・流泉も啄木も初めて知った。夢枕氏は琵琶に詳しいようだ・・。
博雅が、その琵琶は宮中より盗まれた玄象だと声をかけると、琵琶が止み、童子のもつ灯りが消えて闇になる。童子が泣き震えるのでその日は帰った。
昨日も琵琶が聴こえたので、博雅は一人で羅城門に行った。声をかけると琵琶の音が止んだので、羅城門を登り始めると、上から人の腐った眼だまが落ちてきたので、登るのを止め、帰ったと話し、清明に今夜つきあえという。
その晩、戦に出るような姿の博雅、琵琶法師蝉丸と清明が集まる。清明がぽんと手を打つと、藤色一色の唐衣装=十二単衣に身を包んだ美しい女=密虫が現れ、3人を先導する。
羅城門の上から嫋、嫋と哀しい音色が聞こえる。蝉丸は、異国の旋律と言い、その音に合わせて自分の琵琶を弾き始めた。嫋。嫋。二つの音色がからみ始める。やがて絶妙の音色になる。
羅城門の上にいる者が、琵琶を弾きながら哭き、声を出す。清明は天竺=インドの言葉で語りかけ、自分の名は正成だという。
その男は漢多太と言い、旅の楽師で、戦に敗れて国を後にし、唐にたどり着いてそのとき玄象を造り、空海和尚の船に乗ってこの国に着き、128年前、平城京で楽器を造っているとき賊に入られ、首を切り落とされてしまった。死ぬまでに故郷を見たいと思っていて、成仏できなかった。宮中に私の妻スーリヤとそっくりの女官がいる。その女官と一晩契りを交わさせてくれれば、女官も玄象も返し、立ち去る、と話す。
漢多太は約束を違えぬよう力を見せると言ったとたん、羅城門の上からみどり色の光が密虫の上に落ちてきて、一瞬のうちに光も密虫も消えてしまう。あとに藤の花が舞い落ち、闇に包まれる。
翌日の晩、清明、博雅、女官、女官の兄の武士が羅城門に向かう。漢多太は女官を紐で吊り上げ、代わりに玄象を降ろす。
女官は用意していた小刀で妖物の首を取ろうとしたが失敗し、妖物に喰い殺されてしまう。武士が放った矢が漢多太の額に命中し、全裸の鬼が落ちてくる。次の矢も命中するが、鬼は武士に跳びかかり喉を食いちぎってしまう。
鬼が「動くな、博雅」と言うと、博雅は動けなくなってしまう。清明にも「動くな、正成」と言うが、自分の名ではないので呪はかからない。清明は「動くな、漢多太」と言うと鬼は動けなくなった。清明は博雅の太刀で漢多太の腹を突きさし、えぐると腹から犬の首が出てきた。
漢多太の「鬼」が犬に憑いたと見極めた清明は、犬の首に呪をかけて「鬼」を琵琶に憑かせ、この奇怪な話が落着する。
今昔物語巻第24と付記されているから、夢枕氏は今昔物語から怪奇な構想を発展させたようだ。
続く2~6話には今昔物語の付記はない。夢枕氏は清明、博雅を主役に着想を自由に飛ばしたようだ。
梔子(くちなし)の女
清明の屋敷の庭は野山のくさむらのようだが、四季折々の花が咲いている。2話目は庭に梔子が咲いている梅雨時であるが、梔子は枕詞らしく本題との関係はない。
右大臣の小野宮実次が、大宮大路で油壺の跳ねるのを目撃、油壺はある屋敷の中に跳ねながら入って間もなく若い女が病死する話が挿入されるが、これも本題ではない。
本題は、元図書寮の役人が寿水という坊主になり、中御門大路にある妙安寺で修行しているとき、ある晩、目が覚めると廊下に口のない女がいて、訴えるような眼をし、消えた話である。
毎晩口なしの女が現れて消えたが、ある晩、寿水は古今集を読みながら寝ると口なしの女が現れ、古今集の「みみなしの山のくちなしえてし哉おもひのいろのしたぞめにせん」を指さして消える。
清明と博雅は寿水の僧坊で待ち、夜半、女が現れると清明は「如」と書いた紙を見せる。女は喜びながら消える。
清明によれば、寿水が般若経を写経しているとき「受想行識亦復如是」の「如」に墨をこぼして「口」の部分が隠れてしまったため「如」が「口なしの女」に化けて出たきたそうだ。清明が「女」の横に「口」を書き加えて「如」に直したあと、女は二度と出てこなくなり、落着する。
奇想な創作だが奇怪さはない。
黒川主
鴨川沿いに屋敷を構える鵜匠が鴨川から引いた堀に捕らえた鮎、鮒、鯉などを飼っていたが、獺が堀の魚を荒らすので巣を見つけ、雄は逃げたが雌の獺と子どもの獺を殺す。
鵜匠は孫娘と二人暮らしだったが、間もなく黒川主と名乗る男が夜な夜な現れ、孫娘に催眠術?をかけて犯し、堀の魚を生のまま食べるようになった。孫娘は朝になると何も覚えていない。
清明は結界を張り黒川主と名乗る雄の獺を捕まえる。眠ったままの孫娘は獺の子どもを産み、黒川主は子どもを連れて去る。清明はカジカの肝を孫娘に食べさせて目覚めさせ、落着する。
獺が妖力を持ち、獺の妻子を殺した鵜匠の孫娘を犯して子どもを産ませ、その子を連れて去るというのは奇怪すぎる。
蟇
応天門が雨漏りするので工が弟子と屋根裏に登り、誤って真言を書いた孔雀明王の呪を破いてしまう。その後、蟇蛙の顔をした子どもが出るようになり、ほどなく工は眠ったまま目を覚まさなくなり、弟子は熱を出して死んでしまう。
清明は博雅と方違えをしながら牛車で応天門に向かう。牛車の外は闇で百鬼が夜行していた。牛車が動き出し、六条大路西外れの荒れ果てた屋敷に着く。
暗がりに、自分の首を手に抱えた夫婦がいた。100年ほど前、夫婦の子どもが竹の棒で一匹の蟇蛙を刺し、蟇蛙が苦しみ哭くたびに青い炎が立ち、間もなく応天門が焼けて夫婦は犯人にされ、子どもは熱にうなされ死んでしまった、と話す。
夫婦は首をはねられる前に、応天門を祟ってやろうと蟇蛙を焼き殺し、死んだ息子の灰といっしょに壺に入れ、応天門の下に埋めたそうだ。
清明と博雅が応天門の下を掘ると壺があり、中から人の眼をした蟇蛙が飛び出してきて、落着となる。
平安時代は鬼、もののけがうごめき、妖しげな出来事が日常だったようだ。
鬼のみちゆき
15年前、帝が鹿狩りで供とはぐれ、かつて宮中に仕えた女の家に泊まる。そのとき女の娘と契りを結び、翌日、必ず迎えに来ると言い残し、白と黒の2匹の犬を置いていった。
娘はそれから毎日いつ帝が来るか待ち続け、母も死に、食べ物も喉を通らず、命の尽きるのを覚悟し、死して帝に会おうと鏡魔法を用い、心を通じた2頭の犬を小刀で突き殺し、自らは鬼になる。
・・鏡魔法の詳しい説明はないが、鏡を宮中に向け、鬼になった娘が鏡の道を辿って宮中の帝に会いに行く妖術のようだ・・。
鬼になった娘は十二単を着て牛車に乗り、黒装束の男と白装束の女を供に、初日の夜は八条大路まで行く。牛車には牛がおらず、軛には黒髪が下げられていた。
2日目の夜、公家の藤原成平が七条大路近くで、黒装束男と白装束の女を供にした牛車に出会う。成平の供が斬りかかると男は黒犬、女は白犬になり、供に跳びかかり、食べ尽くしてしまう。
5日目に博雅が帝の写経した般若経を納めようと出かけたとき、女童から「かけたるはうしとこそ思へ たまさかに何の心をかやる」の歌を受け取る。・・これは帝の写経をもっていたため勘違いされたためで、鬼になった娘の歌である。真意は清明が解説している・・。
6日目の夜、三条大路の手前で成平と供が鬼の乗った牛車を襲うが、成平は鬼に喰われてしまい、怪奇な出来事を帝が知る。
7日目の夜、清明は帝から一房の髪を預かり、現れた鬼の牛車の軛の黒髪に帝の黒髪を結ぶと、牛車も供の男も女も消えてしまう。清明は博雅と鏡の霊気の道をたどり、娘の死んだ場所を見つける。娘は帝の髪をいただき恨みは晴れたと言って骸に変わり、落着する。
女の恋い焦がれた思いが鬼を生み出したようだ。源氏物語にも似たような話がある。男よ約束は守れ、鬼が来るぞ、ということか。
白比丘尼
猫が清明の声で、博雅に5~6人斬り殺した太刀を持って屋敷まで来いと話す。博雅が太刀を持って屋敷に行くと、白い尼僧姿の女が現れ、30年ぶりと清明に挨拶する。
清明は博雅に、女は300年前に人魚の肉を食べて不死になったが、歳をとらない分が体に溜まり男の精と結びついて禍蛇になり、放っておくと女も鬼になってしまうので、30年ごとに禍蛇を落とさなければならないと話す。
女は全裸で結跏趺坐になり、清明が女の後頭部と腰に細い針を刺すと、女の股間から蛇が姿を現す。その蛇を博雅が斬ると蛇が消えた。清明が針を抜くと女は起き上がり僧衣をまとい、礼を言って立ち去り、落着する。
陰陽師は続編もあり、映画化もされたから人気が高かったようだが、奇怪すぎて私の好みとは遠く感じた。 (2023.1)