yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2022.4桜を歩く3 熊谷桜堤 妻沼聖天山歓喜院 

2022年06月24日 | 旅行

埼玉を歩く  2022.4 桜を歩く3 美の山 熊谷桜堤 国宝妻沼聖天山歓喜院

 2022年4月、寄居の宿を出て国道140号線=彩甲斐街道を西に走る。長瀞・宝登山大鳥居を過ぎて間もなく、蓑山の斜面にピンクが見え始める。左に折れ急坂を上り、寄居の宿から40分ほどで埼玉桜名所の一つ美の山公園第1駐車場に着く(図)。第1駐車場はほぼ満車だった。
 蓑山は秩父山系から少し離れた独立峰で、標高は581.5mだが秩父盆地や秩父山系の大パノラマを眺めることができ、ハイキングコースも整備されていて人気が高いそうだ。
 急坂の途中、駐車場近辺、山の斜面にソメイヨシノが満開を待ちかねている。標高が高いためか、長瀞の桜より少し遅くなるようだ。美の山公園情報によれば、早咲き~遅咲きの桜8000本が4月中旬~5月下旬にかけて花を咲かせていくようだ。

 入口展望台、東展望台、山頂展望台に上り広々とした風景を遠望する。桜は下に見えるため花の勢いが小さく感じる。なだらかな斜面の山頂を散策しながらソメイヨシノ越しに秩父盆地+秩父山系の大パノラマを遠望する(写真)。
 「美の山山頂標高586.9m」の標識が立っていた。蓑山=みのやま=美の山のはずだが、地図などの蓑山は581.5m、美の山山頂の標識は586.9mである。大パノラマを楽しめたのだから5mの差は些細なことなのであろう。

 美の山をあとにして国道140号線=彩甲斐街道を東に下る。次は埼玉桜名所の一つ熊谷市・荒川公園あたりの熊谷桜堤である。美の山公園から70分ほどで荒川公園に着いた(図)。荒川土手の桜並木は壮観で、圧倒される。駐車場は荒川河川敷で、かなりの人出だったが河川敷が広いため駐車場には余裕がある。
 熊谷桜堤には2kmほどにおよそ500本のソメイヨシノが複列に植えられている(写真)。単純計算で2000m÷500本≒4mごとに1本になり、密度は高い。4mごとに満開のソメイヨシノが枝を伸ばしているのだから壮観である。
 そのうえ、土手一面の菜の花も見事に花を咲かせていて、ソメイヨシノ+菜の花の絶景を作りだしている(写真)。菜の花のあいだには迷路のように小径が延びている。よちよち歩きの子どもが見えなくなりママが追いかけていった。ほほえましい光景である。
 桜トンネルを歩いて桜を楽しみ、菜の花の小径を歩いて菜の花を楽しみ、菜の花小径から桜を眺めて桜+菜の花を楽しむ。贅沢な花見になった。
 あちらこちらの桜名所を訪ねたが、熊谷桜堤のソメイヨシノ+菜の花に匹敵する絶景はほかに記憶がない。多くの人も同じ意見のようで、「日本さくら名所100選」に選定されている。

 事前に熊谷桜堤を調べていて、熊谷市に国宝妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)歓喜院があるのを知った。埼玉県内唯一の国宝建造物ならば必見であろう。荒川公園から国道407号線を北に12kmほどで、利根川に近い。ソメイヨシノ+菜の花のあと、妻沼まで足を延ばした。13:00ごろ、妻沼聖天山歓喜院駐車場に着く(図)。
 妻沼聖天山では大きな稲荷寿司が名物で昼過ぎに売り切れる、と紹介されていた。聖天山歓喜院近くの食事処(写真)でおすすめのうどんを食べながら稲荷寿司屋を聞き、食後に見に行ったが売り切れで店は閉まっていた。どんな稲荷寿司だろうか、次の機会の楽しみにする。

 妻沼聖天山歓喜院の参道は西やや北-東やや南向きで、参道、社殿をぐるりと社林が包んでいて、あいまに満開のソメイヨシノが咲き誇っている。参道の始まりは東の県道341号線で、武蔵妻沼郷、歓喜天霊場と刻まれた石柱が立っている。石柱から一直線に参道が延びるが、本殿は200mほど向こうで、あいだに貴惣門、中門、仁王門が建っているので本殿はうかがえない。
 石柱から50mほどに国の重要文化財に指定されている貴惣門が建つ。1874~1851年に造られた間口3間の八脚門である。正面からは2層の切妻屋根を乗せた楼門に見えたが、横から見ると破風が3つ重ねられていた(写真)。3つの破風は全国に4例あるそうだが、実際に見るのは初めてである。
 本殿造営の棟梁林正清が、錦帯橋の作事棟梁を務め利根川の普請で訪れていた岩国藩士と親交したことで、岩国藩士が林正清に貴惣門の図面を送り、本殿完成からおよそ100年後に棟梁の子孫林正道が貴惣門を完成させた、といったことが説明板に記されていた。人が動くと文化、技術が伝播する好例である。
 貴惣門の三重破風は雄大さを感じさせるが、邪鬼を踏みつけている右の毘沙門天像、左の持国天像も迫力がある。

 貴惣門で一礼し、参道を進み、中門で一礼する(左写真)。江戸時代初期の大火に焼け残った聖天山最古の建物で、室町時代と推定されている。間口1間、入母屋屋根を乗せた四脚門である。
 仁王門で一礼する(右写真)。1894年に再建された間口5間、入母屋屋根の十二脚門で、左右に大きな阿吽の仁王像が憤怒の形相でにらんでいた。
 仁王門の先の境内中央に庭儀(ていぎ)法会を行うための石舞台が復元されている(写真)。本堂前で行われていた庭儀を偶然拝観したことはあるが、石舞台を見た記憶はない。古式なのだろうか。

 国宝妻沼聖天山歓喜院拝殿で合掌する。
 越前出身で平安時代末の武将斉藤別当実盛(1111-1183)が武蔵国長井の庄司となり、歓喜天を祭って聖天宮を開いたのが聖天山歓喜院の始まりだそうだ。
 1192年に源頼朝が参詣したときに聖天宮の修復を願い出た、1552年に忍城主が聖天堂を再建した、1604年に徳川家康が聖天堂再建を命じ50石の朱印を付した、などが縁起に記されている。修復再建が繰り返されたようだ。
 その後も災禍に遭い、前出棟梁林正清、彫刻棟梁石原吟八郎により奥殿(34㎡)が1735年着工、1741年に完成、拝殿(127㎡)、合の間(27㎡)は1755年に着工、1779年に末社を含むすべてが完成した。本殿は拝殿の奥に合の間、奥殿が続く権現造である。
 拝殿は入母屋屋根に千鳥破風と唐破風を重ねていて、金箔を用いた飾り、立体的な彫刻で格調高い(写真)。 

 拝殿左に本殿彫刻参観口があった。彫刻参観入場券700円で見学でき、ボランティアが30分説明してくれるとのことなので、入場券を購入しガイドを頼んだ。
 ボランティアガイドに案内され、合の間、奥殿の彫刻を見てその絢爛さに驚かされた(写真、右が合の間南面、左が奥殿南面)。ガイドは日光東照宮に並ぶ技法と話していたが、聖天山歓喜院本殿は規模が小さい分、絢爛さが凝縮されているように感じる。
 合の間(前掲写真右)に設けられた花頭窓は金箔の龍で縁取られ、軒下、蛙股、壁には金箔をふんだんに用い、彩色豊かな彫刻が施されている。合の間をこれほど飾る例は珍しい。
 奥殿(写真、奥殿西面~北面、前掲写真、奥殿南面)にいたっては、土台から軒先まで金箔で飾り立てた漆塗りと彩色された躍動的な彫刻で埋め尽くされている。彫刻は中国の故事を題材にしているようだ。ところどころにひょうきんな顔をした猿の彫刻が置かれている。息を呑むような絢爛さの息抜きかも知れない。
 ガイドも指摘していたが、土台を斗栱の組み物で支える技法は東照宮を初めとして数少ない。その斗栱を軒下、壁面、回廊欄干と同じように金箔で縁取りした漆塗り、彩色豊かな彫刻で埋めている。これは東照宮の土台に共通する技法である。
 東照宮建立で腕を振るった棟梁、職人たちの子孫、弟子が妻沼聖天山に再結集したのだろうか。とすると、妻沼聖天山はそれほど由緒あるということなのであろう。
 30分のガイドが終わったあと、天満社、五社大明神社、三宝荒神社の末社にそれぞれ一礼する。本殿の絢爛さに満開のソメイヨシノも影を潜めているようだ。

 熊谷市妻沼は利根川に近い。関越道に戻ると遠回りになるので、国道17号線を走り家路についた。1泊2日だったが満開のソメイヨシノ、熊谷桜堤、宝登山神社、仕上げに国宝妻沼聖天山歓喜院、盛りだくさんの花見になった。  (2022.6)

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2020.3桜を歩く 鉢形城・氏邦桜

2022年06月20日 | 旅行

埼玉を歩く>   2020.3 桜を歩く 円良田湖 少林寺 鉢形城・氏邦桜

 2022年4月の花見のときも2020年3月の花見でもかんぽの宿 寄居に泊まった。長瀞から荒川、秩父鉄道と並行する国道140号線=彩甲斐街道を下ればおよそ10km、15~16分と立地がいい。宿は高台に建ち、部屋からも温泉からも眼下に秩父鉄道、国道140号線、荒川、その向こうに丘陵が遠望できる。風景が広々していて、ゆったりできる。
 2020年3月は駐車場のソメイヨシノが6~7分だったが、2022年4月は満開だった。翌朝、車を走らせるとボンネットの花がひらひらと舞い飛び、春を感じる。・・2022年は宿から美の山の向かったが別記する・・。

 2020年3月は宿に近い円良田湖、少林寺、鉢形城公園の氏邦桜を訪ねた(図)。
 円良田湖(つぶらだこ)は、1954年に農業用ため池として造られた周囲4kmの人造湖で、65万トンの水を貯め230haの水田に供給、と紹介されている。ワカサギ、ヘラブナの釣り場としても人気があるそうだ。
 湖沿いにソメイヨシノが植えられていて、満開を待っている(写真)。花びらを受けながらワカサギやヘラブナを釣り上げるのはさぞかし気分がいいのではないだろうか。
 
 円良田湖から、かつて花園城が築かれた小山を南に回ると少林寺がある(次頁上写真)。
 花園城は、室町時代に初代関東管領になった上杉憲顕に始まる山内上杉家の重臣藤田家の居城で、後述の鉢形城の支城だったそうだが、いまは石積みの一部が残るだけらしい・・歩いていない・・。
 少林寺は、山内上杉家に代わり関東を支配した後北条家の2代当主北条氏綱(1487-1541)に仕えた藤田国村が1511年に開基した曹洞宗の寺と伝えられている・・後北条家を起こしたのは伊勢盛時=伊勢宗瑞=北条早雲(1456-1519)である。関東各地では豪族が虎視眈々、しのぎを削っていて、やがて戦国時代の歴史が展開する・・。
 少林寺境内は静かである。桜は見当たらないが、ヤマツツジだろうか、赤紫の花が咲き誇っていた。うっそうとした山道に五百羅漢像千体荒神石碑が並べられている(中写真)。羅漢、荒神を見ながら20分ほど上る。
 標高247mの羅漢山頂には釈迦牟尼仏、脇侍の普賢菩薩文殊菩薩の坐像が安置されている(下写真)。合掌。

 少林寺をあとにし、県道349号線を南に走り、荒川を渡り、県道294号線を左に折れて八高線の踏切を渡り、鉢形城公園駐車場に車を止める。見どころは、埼玉桜名所に紹介されている氏邦桜である。駐車場の隣に鉢形城歴史館が建っていて、史跡鉢形城跡・曲輪配置図の説明板があった(次頁写真、右が北)。
 武蔵国・鉢形城についてはまったく知識がなかった。曲輪配置図によれば、城跡北側の西から東に荒川が流れ、城内の南から北に流れる深沢川が荒川に合流する。駐車場、歴史館を含む深沢川の東側が外曲輪、荒川と深沢川に挟まれた北側が本曲輪=本丸、続く中ほどが二の曲輪=二の丸、南側が三の曲輪=三の丸である。
 鉢形は、荒川と支流の深沢川に挟まれた断崖絶壁(中写真、城跡から見た荒川の断崖、下写真、深沢川の断崖)の上に築かれた自然の要害で、上州、信州を望む交通の要衝だった。関東管領山内上杉家の家臣長尾景春(1413-1514)はこの立地を生かし1476年に鉢形城を築いたと伝えられている。
 1478年、長尾景春に代わり山内上杉家11代山内顕定(1454-1510)が入城する・・長尾景春と山内顕定とのあいだに確執があったらしい・・。その後、山内上杉、扇谷上杉、相模の後北条、甲斐の武田とのあいだで抗争が続き、1546年に後北条3代北条氏康(1515-1571)が武蔵国の覇権を握る。
 1564年、氏康4男北条氏邦が鉢形城に入り、大改修を行う。その後、鉢形城は後北条氏の北関東支配の拠点となるが、戦略上の重要性から武田信玄や上杉謙信らの攻撃を受ける。1590年、豊臣秀吉による小田原攻めと同時に豊臣方連合軍が鉢形城を攻め、氏邦軍は降伏して開城する。のちに廃城になる。

 駐車場から氏邦桜を目指して歩くと、深沢川の断崖に行き当たる(前掲下写真)。攻めてきた敵軍は防衛戦を破って外曲輪に進入できてもこの断崖で足止めになる。荒川の断崖と深沢川の断崖に挟まれた本曲輪=本丸はまさに自然の要害である。
 いまは公園に整備されているので、上り下りしながら歩くと二の曲輪あたりに氏邦桜が大きく枝を広げ満開の偉容を誇っていた(写真)。桜はエドヒガンでソメイヨシノより開花が早く、一足早い花見を楽しむ人で賑わっている。
 推定樹齢約150年、樹高18m、枝張りは22~24mもある。愛称を募集したところ、時代はまったく異なるが鉢形城主北条氏邦にちなんだ氏邦桜が選ばれたそうだ。

 鉢形城公園内を通り抜ける道路の向こうに城山稲荷神社の一之鳥居が立ち、参道に桜並木が続いている(写真)。
 鳥居で一礼し、6~7分咲きのソメイヨシノの並木を歩く。氏邦桜は人出が多かったが、こちらの桜並木はほかに一組だけで静かに花見を楽しむ。二之鳥居で一礼、稲荷神社で一礼する。
 そのまま公園を歩く。鉢形城址の発掘調査が行われていて、虎口、積土塁、馬出などの説明板が立てられ、四脚門と土塀が復元されていた(写真)が、花見ついでの散策では鉢形城全容は想像しにくい。
 帰りしなに城址北東偶に展示されている地形模型を見た。地形に加え、本丸や曲輪、櫓、城門、城壁などを図解してくれると自然の要害が理解しやすいのではないだろうか。
 鉢形城公園をあとにして、家路につく。  (2022.6)

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2022.4桜を歩く2 こだま・長瀞・宝登山

2022年06月12日 | 旅行

埼玉を歩く>  2022.4 桜を歩く2 こだま千本桜 長瀞・宝登山神社+北桜通り 

 2022年4月、近所の桜が散り始めたので少し遠出の花見に出かけた。最初に埼玉桜名所の一つ、埼玉県児玉町のこだま千本桜を目指す(図)。
 桶川北本ICから圏央道に入り、鶴ヶ島JCTで関越道に入り寄居スマートICで下りる。寄居ICから10分ほどで小山川を彩る千本桜に着く。土手沿いの駐車場に車を止めると満開の桜のトンネルが目に入る(写真)。
 こだま千本桜はの利根川水系小山川の河畔両側におよそ1100本の桜が5kmに渡って植えられている。対岸にはピンクの帯が川の蛇行に沿って彼方まで伸びていて、春を運んでいるようにも見える(写真)。惜しむらくは、河川敷が広すぎて対岸の桜並木が遠すぎる。
 身近に感じられる桜がいい。ひらひらと花が舞う桜トンネルを歩く。近所の人たちだろうか、シートを敷き、食べ物、飲み物を並べ談笑している。よちよち歩きの子どもが風に舞った花びらを追いかけている。のどかである。
 駐車場の橋から次の橋まで往復15~16分歩き、駐車場に戻る。

 次は埼玉県長瀞町の桜を目指す。小山川から県道287号線を経由し、彩甲斐街道と呼ばれる国道140号線を右に折れて間もなく、秩父鉄道長瀞駅交差点の右に石造の大鳥居が現れる(次頁図・上写真)。
 交差点を左に曲がり、秩父鉄道を渡った先の北桜通りが桜名所で、2020年3月末に花見で来たがそのときは開花が遅く5~6分咲きだった。今回は満開の時期の再来であるが、先に宝登山神社を参拝する。
 大鳥居の先の宝登山参道のソメイヨシノも満開で、ときおり花が舞い散る参道を上り、宝登山神社売店手前の駐車場に車を止める。

 宝登山神社は、宝登山(標高497m)の東下がりの斜面に立地し、神社あたりの標高は180mぐらいになる。緩い坂の先に先心の扁額を下げた手水舎があり、右に石造の二之鳥居が南向きに立っている(中写真)。
 鳥居で一礼する。その奥の石段を上りきると、南正面の拝殿が出迎える(下写真)。
 説明板、webによると、宝登山神社の創建は12代景行天皇の代110年と伝えられ、祭神は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)で、日本武尊が東征の帰途、山の姿に惹かれて山頂を目指していたとき山火事に遭い、山犬が火を消し止めて山頂に登ることができ、神霊を祀ったのが始まりとされる。火を止めた山=火止山=ほどさん=宝登山と呼ばれたようだ。
 1113年、神社境内に空圓が玉泉寺を開基し、玉泉寺住職は別当として宝登山神社に仕えていて、江戸末~明治初めに玉泉寺住職栄乗が社殿改築を進め、1869年に本殿、1874年に拝殿、弊殿が権現造で建て替えられた。社殿を飾る彫刻は武州熊谷在の彫刻師飯田岩次郎である。
 拝殿は鮮やかな彩色に金箔を惜しみなく用い、唐破風の内には2羽の鶴が舞い、虹梁には2匹の龍が体をくねらせている(写真)。二礼二拍手一礼する。
 拝殿を左に回ると中国の故事である二十四孝や三国志の武将趙雲を題材とした彫刻が飾られている。
 本殿も彩色鮮やかな彫刻で飾られていて、北面の切妻破風内には右に逆巻く波を泳ぐ鯉、左に姿を変えて激流を泳ぐ龍が彫刻されている(写真)。鯉から龍に姿を変えるのは登龍の意味だそうだ。
 本殿の北に日本武尊社が建つ。一礼し、本殿を東に回り、階上の渡り廊下をくぐると左に玉泉寺が建つ。玉泉寺を南に下り、山門で一礼して、二之鳥居の立つ広場に戻る。

 広場中央に昭和天皇ご成婚を祝って黒松と赤松が植えられていて、相生の松と呼ばれている。
  相生の松あたりの南斜面に宝登山ロープウェイへの案内板があった。樹林のあいだの道はかなり急坂で、根っこがむき出しになる山道を息を切らし上りきる(前頁写真)。宝登山ロープウェイ山麓駅あたりの標高は210mぐらい、わずか標高差30mしか上っていないのに息切れとは年を感じる。
 宝登山山頂駅あたりの標高は450mぐらい、山麓駅-山頂駅の標高差は240mになるから体力温存で往復830円のチケットを購入する(左写真は山麓駅、右写真は山頂駅)。
 ロープウェイからも山の緑のあちこちにピンク色が見える。赤みの濃い桜は山桜だろうか、6~7分咲きである。
 山頂駅から山頂の奥宮に向かうには、右の宝登山小動物公園を経て斜面を上るコース、中ほどの石段を上るコース、左のつつじ園、四季の丘、ロウバイ園などの斜面を上るコースがある。眺めの良さそうな左のコースを選んだ(写真)。
 ロウバイの時期は過ぎ、つつじは早すぎる。左の開けた山並み風景を眺めながら上ると、こんもりした林の右に奥宮が見えてくる。
 奥宮の右手に石の鳥居が立っている(写真)。奥宮の参道である石段を上ってくるとこの鳥居に着くので、石段を少し下り、上り直して鳥居で一礼する。
 石の鳥居正面に木の鳥居が立ち、奥に宝登山神社奥宮が祀られている(写真)。木の鳥居の左右の狛犬は、日本武尊を助けた古事に習い山犬である。奥宮で二礼二拍手一礼する。
 
 奥宮から山道に戻り少し上ると、宝登山497.1mの標識が立っている。山際から眺めると眼下に長瀞の町並み、くねりながら流れる荒川、その先の秩父の町並み、遠くに武甲山(1304m)などの山並み、武甲山手前左に蓑山=美の山(583m)が遠望できる(写真)。
 伝説通りならば日本武尊はここから秩父の雄大な風景を眺め、この地を鎮めようと火止山=宝登山に神社を祀ったことになる。
 樹園を眺めながら山道を下り、山頂駅から山麓駅に戻る。

 宝登山駐車所に車を置いて、宝登山参道を下る。長瀞駅までおよそ700mの参道両側に植えられたソメイヨシノは満開で、花びらが歩く人を喜ばせる。神社あたりの標高は180mぐらい、駅前の標高は140mぐらいの東下がりで、40m÷700m<6/100勾配だから下りは楽である。
 右手の林の奥に重要文化財旧新井家住宅、長瀞町郷土資料館、藤崎摠塀兵衛商店の蔵造り2棟が建っている。左手は蜂蜜店?、押し花店?、喫茶店、工房が並んでいるが、目が桜に向いたまま通り過ぎる。石の大鳥居、長瀞駅前交差点を過ぎると、店が目白押しに並ぶ。駅前は広場が大きく取られていて、花見客で賑わっていた。
 駅右手の踏切を渡ると左に満開の桜が現れ、東に歩くと南北の北桜通りに出る。長瀞の桜は「日本さくら名所100選」に選ばれていて、「北桜通り」は全長2.5kmに約400本のソメイヨシノが植えられ、桜のトンネルとして人気がある(写真)。
 2020年3月のときは5~6分だったが今回は満開で、花びらが舞い気分は上々だが、車の往来があり、歩道には花を楽しむための休み所もカフェなどの店もない。花を見ながらブラブラと4~500m歩き、駅前に戻った。
 駅前広場のソメイヨシノも満開で、ベンチに腰掛け、花を見上げながらスタンドカフェのコーヒーを飲み、一息する。

 大鳥居で一礼し、花を見上げながら休み休みして6/100勾配の宝登山参道を戻り、車に乗る。パンフレットを見ながら、駐車場を出て南回りの道を上り「通り抜けの桜」の名所に向かう。不動寺の裏山に30種500本の八重桜が植えられていて、20分ほどで1周できるそうだが、八重桜は5分ぐらいで花見客も少ない。遠目で眺めて参道に戻る。
 参道の途中の藤崎摠塀兵衛商店・長瀞蔵は、奥の蔵が醸造所で階上から見学できる。手前の蔵が酒の販売所なので(写真)、長瀞純米吟醸酒を購入した。
 長瀞蔵の南奥の斜面を満開のソメイヨシノが彩っていた(写真)。数百本の桜が植えられていて「桜の里」と呼ばれ長瀞の桜名所の一つだそうだ。奥まっているためか花見客は少ない。青空に桜も勢いづいているように見え、桜を満喫する。 (2022.6)

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2022桜を歩く 

2022年06月06日 | 旅行

埼玉を歩く>  2022 桜を歩く  上尾・丸山公園 大宮花の丘農林公苑 さいたま市思い出の里市営霊園 見沼自然公園 大和田緑地公園

 3月に入り桜開花が報道され始めたので、日課にしているウオーキングでは桜を植えてある通りを選び、桜の変化を見ながら歩いた。
 固く閉じたつぼみがふくらみ始め、やがて2輪3輪、ほどなく2房、3房、そして5分、6分咲きになり、待ちかねた春の到来となる(写真、JR宇都宮線盆栽踏切あたり)。
 今年のさいたまは6分、7分ぐらいのときに雨になり冷え込んだので、少し花びらが散ったが長く桜を楽しめた。

 近所の桜は見慣れたので、3月末、車で上尾・東蔵に出かけた。「東蔵」は銘酒「文楽」で知られる北西酒造の一角にあり、石臼でひいた手打ち蕎麦が人気である。手打ち蕎麦も文楽も私好みで、ときどき出かける。店内は広々とし、天井も高く、開放的である。テラス席もあり、テラスの先には満開の桜が日射しを浴びて枝を広げている。東蔵で、桜を愛でながら天麩羅蕎麦と冷酒を楽しんだ。

 食後、かみさんの運転で上尾・丸山公園に向かう。丸山公園にはソメイヨシノ250本を始め、河津桜、エドヒガンザクラ、シダレザクラなどあわせ400本ほどが公園西縁の用水沿いに植えられている(写真)。
 木には寄贈者の名前が付けられている。自分にゆかりのある桜の成長を楽しむことができるいいアイデアと思う。
 園内はおよそ15haと広い。南から北に大池が延びていて、大池を巡る散策路が整備されている。運動広場、林間広場で走り回る子どもたち、三々五々にくつろぎ、談笑する家族やグループを見ながら散策路を一回りする。

 帰宅する途中に大宮花の丘農林公苑があるので立ち寄った。花の丘道路を挟んで北側と南側に公苑が整備されている。のべ11haほどの広さで、北側の南北に長い園地の西縁におよそ400本のソメイヨシノが植えられている。
 園内は花ごとのゾーンに分かれていて、チューリップが出番を待っていた(写真、手前にチューリップ、奥に桜並木)。
 写真中央の跳ね橋はゴッホの描いたアルルの跳ね橋を連想させる(2001年10月訪問、HP a170 南フランス6日目 アヴィニョンからアルルへ アルルの跳ね橋)。
 跳ね橋からのぞくと鴨が鳴き声を上げながら陸に上ってきた。そんな光景が気分をのんびりさせる。

 4月早々、さいたま市思い出の里市営霊園に出かけた。だいぶ前から春の彼岸に代わって桜の時期に墓参りをしている。
 霊園は27haの広さがあり、北側の斜面や遊歩道に桜が植えられている(写真、桜並木の遊歩道)。亡き家族の目になったつもりで桜並木をゆっくりと一回りすると、故人と花見をしている気分になる。
 霊園の近くに石臼曳き手打ち蕎麦で人気の「吉草」東大宮店があり、昼ごろの墓参りのときはここで手打ち蕎麦を食べることが多い。今回も昼時なので、吉草で手打ち蕎麦を食べた。

 さいたま市では総延長20kmの「見沼田んぼの桜回廊」を整備している。市営霊園の桜並木も「見沼田んぼの桜回廊」に含まれていて、市営霊園から桜並木が東に延び、途中途切れるところもあるが見沼代用水西縁沿いの桜並木につながり、用水に沿って桜並木が上流、下流に延びている。
 昨年は見沼自然公園の駐車場に車を止め、見沼代用水西縁に沿って下流の桜並木を歩いたので、今年は駐車場から上流の桜並木を歩いた(写真)。
 見沼自然公園には江戸時代1727年、新田開発のため見沼代用水東縁、西縁を開削して利根川から水を引いた井澤弥惣兵衛の銅像が建てられている(写真)。弥惣兵衛は1731年に西縁、芝川、東縁を結ぶ閘門式運河も完成させている。
 江戸の台所を支え、埼玉の発展に寄与した弥惣兵衛に感謝すべきだが、公園に集う人々は花より団子ならぬ弥惣兵衛より花見を楽しんでいる。
 見沼代用水は田んぼに水を落としやすいように田んぼより小高い土地を流れていて、桜並木から見沼田んぼの広々とした風景を眺めることができる。桜も見沼田んぼの風景を楽しむかのように田んぼ側に枝を大きく伸びだしている。ときどき花びらが舞い落ちる。のどかな風景である。

 見沼代用水西縁の花見の帰り道に、大和田にある大宮体育館駐車場に車を止め大和田緑地公園に寄った。大和田緑地公園は芝川の東側に位置し、芝川沿いに植えられた桜並木が見沼田んぼの桜回廊に含まれていて何度か花見で来ている(写真)。
 今年も大勢がひらひら舞い落ちる花びらの下で花見を楽しんでいる。芝川に大きく伸びだした花を背景に、新しいランドセルを背負って記念写真を撮っている家族が何組もいた。
 芝川の対岸=西側は大宮第2公園で、こちらも見沼田んぼの桜回廊に含まれ、何度か花見や梅見で歩いている。
 大宮第2公園から西に歩くと見沼代用水西縁が流れていて、用水に沿って下流=南に歩けば先ほど花見をした見沼自然公園を過ぎ、JR武蔵野線東浦和駅の先まで桜回廊が延びているそうだ。
 用水を上流=北に歩くと、ウオーキングコースの一つである市民の森を過ぎ、JR宇都宮線東大宮駅あたりまで桜回廊が延びているらしい。
 ほかの桜回廊は次の機会にお預けにし、大和田緑地公園の桜並木を散策して帰宅した。  (2022.6)

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