yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

スペインツアー15 セゴビアに残る古代ローマ時代の水道橋は巨大、ガリヴァー旅行記の気分

2016年02月29日 | 旅行

スペインを行く15 2015年ツアー4日目 アビラ名物卵菓子 中庭式邸宅 サンタ・テレサ修道院 セゴビア 水道橋=悪魔の橋 コチニージャ・アサード /2016.2記

 2015年10月23日、スペインツアー4日目の午前はアビラを見学、町の中心になるメルカド・チコ広場で、yemas de Avilaというアビラ名物の卵菓子を食べた。卵黄で作った菓子で、ぱさぱさして甘い。
 
このあと、サンタ・テレサ修道院を見学する。聖テレサは16世紀にアビラで生まれ、修道院に入った女性である。
 そのころ修道院の規律が乱れていて、テレサは厳しい修行に努め、修道院改革を進めた。サラマンカで亡くなり、その後、列聖された。
 生まれ故郷のアビラにテレサを偲ぶ修道院が建てられたとき、サラマンカの聖体から右薬指を分けてもらったそうで、修道院の博物館に聖テレサの薬指が安置されていた。
 信仰の厚い参拝者が十字を切っていた。

 アビラを出てセゴビアに向かった。見どころの一つは古代ローマ時代の水道橋である。
 高さは28.5m、長さ730mの巨大な水道橋が旧市街に立ち上がっている。水道橋に比べると人間が小さく見え、ガリヴァー旅行記の気分になる。
 最近まで利用されたほど、原形をいまに留めている。セゴビアの紋章にも水道橋がデザインされていて、市民の誇りであることがうかがえる。

 ここで遅めのランチ、子豚の丸焼きコチニージャ・アサードを味わった。生後間もない子豚の丸焼きは皮がパリパリとし、肉はさっぱりとして柔らかかった。赤ワインがぴったりである。

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1986年、三重県国府でどんぼりを見つける、集落を共同で守る知恵の結果だった

2016年02月28日 | 旅行

村を歩く「三重県・阿児町のどんぼり・阿児町の民家」 建築とまちづくり誌1994年3-4月

 1986年の夏、H君の故郷に近い三重県阿児町国府で調査を実施した。
 国府は東を太平洋とした、南北に長い集落である。
 そのころ、柳田国男の「隠居慣行」に関心があったので、住み方調査も行った。これについては建築学会、民俗建築学会などに報告した。
 H君からは世古と呼ばれる身近な道を介した近隣のコミュティの結びつきを聞いていたので、集落空間の実測も実施した。

 住み方調査を進めているとき、屋敷地の隅にどんぼりと呼ばれる池に気づいた。水を抜いたどんぼりもあったのでのぞいたらけっこう深い。そもそも屋敷地が世古よりも低い。
 集落空間の実測をしているとき、海側の堤防の高さに気づいた。国府は、年間を通して風が強い。台風のときは津波が襲い、再三、家が流されたり、鴨居まで浸水したり、大きな被害を受けてきたそうだ。単純に、高い堤防は津波を防ぐためだと思ったが、聞き取りをしているうち、屋敷地を掘り下げ、その土を堤防に集め、高い堤防を築いてきたことが分かってきた。

 個々の屋敷で考えれば、津波を防げるほどに盛り土をし、その上に住まいを建てればいいことになる。しかし、国府ではみんなが屋敷の土を提供し、高い堤防を築いて、みんなを守る方針を採用したのである。
 屋敷地を掘り下げるから世古より土地が低くなり、生活排水、雨水の排水が困難になる。深いどんぼりは、屋敷地の排水のためだったのである。

 見過ごしそうなどんぼりだが、一歩踏み込むと、集落のすぐれた知恵を発見することができる。
 世古によるコミュニティの強い結びつき、住まいの大勢の人寄せに対応できるつくり、などなどに共同体的社会の仕組みをうかがうことができた。
 調査から20年も経つが、近隣コミュニティの結びつきが健在であると確信している。

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バルセロナ生まれのダニエルはカラックス著「風の影」に心を動かされ、カラックス探しを始める

2016年02月26日 | 斜読

斜読 b409「風の影」 上・下 カルロス・ルイス・サファン 集英社文庫 2006 /2016.1読スペインを舞台にした本を探して見つけた。著者はスペイン人で、この本は5作目だが、刊行後大変な評判となり、次々に受賞するとともに、世界40カ国で翻訳されたそうだ。
 舞台はバルセロナのカタルーニャ広場近くで、2015年に訪ねたばかりだから、舞台背景が鮮明にイメージできた。
 物語は二重構成になっている。1945年~の主人公は11才になったダニエルで、ダニエルが父に連れて行かれた「忘れられた本の墓場」でフリアン・カラックス著の「風の影」に出会うところから物語が展開する。
 ダニエルは「風の影」に心を動かされ、フリアン・カラックスをもっと知りたいと思うが正体がつかめず、フリアン・カラックス探しを始める。やがて、フリアン・カラックスの痕跡が少しずつ見つかり始める。フリアン・カラックスの追憶から、1900年代初頭から王制~第1次世界大戦~第2共和制~内戦~の混乱期が語られる。
 つまり、ダニエルのカラックス探しと、カラックスの生きた時代の追憶との二重の構成になっていて、この本をダイナミックに、ミステリアスにしている。
 カラックスは激動の時代を生き抜いている。この時代は、社会構造と価値観が変動していた。カラックスの周りに、権威に目がくらみ貧者を蔑視する人物、権力の手先となり悪事を重ねる人間、社会の底辺から抜け出せず人生をあきらめる人間、その一方で愛と友情と真実に生きようとする人間を登場させ、ダニエルが悩みながらも愛と友情と真実に確信を持ち始める様子を描き出しているのも、この本の魅力である。

 著者は、さらに・・読書は・・鏡を見るのとおなじで・・本のなかに見つけるのはすでにぼくらの内部にあるものでしかない・・本を読むとき、人は自己の精神と魂を全開にする・・と主張し、本を読み、作者の精神と出会い、自らの精神を育め、と諭している。

 久しぶりに読み応えのある本に出会った。もちろん、訳者の力量もほめたい。 
 ・・斜読indexには、読み終えた 海外の作家 と、日本の作家 が網羅されている

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津軽で地吹雪から集落社会全体を守るカッチョを見つけた、共同性の原点といえる

2016年02月24日 | 旅行

 1993 村を歩く「津軽のカッチョ・津軽の民家」 /建築とまちづくり誌1993年11月号-12月号

 1986年の夏、青森県中里町の集落調査を実施した。当初は、集落に伝承される虫送り行事に関心があった。ところが集落空間の実測や虫送りについての聞き取りをしながら集落を何度も歩いているうち、集落の西側に残されている丸太などの骨組みが気になりだした。
 改めて聞き取りをすると、真冬の地吹雪を防ぐための仕掛け・・カッチョと呼ぶ・・の一部だということが分かった。
 集落は真ん中の川を挟み両側に家並みが続く構造だが、カッチョは西側の家並みの西側につくられている。東側の家並みはどうやって地吹雪を防ぐのだろうか?。その疑問を解こうと、集落空間の実測調査にカッチョの分布を加えた。
 その結果、カッチョは集落の西側の家並みを隙間なく覆うように構築されることが分かった。
 対して、東側住居の西側にはカッチョを設けないことも明らかになった。
 聞き取りや、青森出身のO君にお願いした冬の吹雪とカッチョの調査から推論を導いた。
 つまり、集落西側のカッチョの連続が集落社会全体を地吹雪から守る働きをしていて、人々の暮らしが成り立っているのである。
 一軒一軒が別々に地吹雪対策をすれば、自分の家を守ることはできても外には出るに出られないことになり、暮らしが不自由になる。
 集落全体を覆うカッチョによって、多少の吹雪でも外に出ることができ、暮らしが維持できるのである。
 共同性の原点を見た感激であった。その結果は建築学会にも報告したが、1993年に建築とまちづくり誌に「村を歩く 津軽のカッチョ・津軽の民家」として紹介した。
 その後、個人が重視される社会に移行したし、建築技術も格段に発展したから、カッチョがいまも残っているかは分からないが、みんなでみんなを助け合う共同性がいまも脈々と続いていると思う。 

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スペインを行く14 アビラは大聖堂のアプスを堅固な石積みにし、城壁としていた

2016年02月23日 | 旅行

スペインを行く14 2015年ツアー4日目 スペインの電力事情 アビラ クアトロ・ポステス 城壁 聖テレサ サン・ヴィセンテ教会 アビラ大聖堂 メルカド・チコ広場 /2016.1記
 2015年10月23日・金曜、朝の7時~8時に停電との予告があった。
 スペインの首都マドリッドで停電?、よほど電力事情が悪いのか?。あとで電力事情を調べたら、1970年代の石油危機以降、スペインでも原子力発電に力を入れたそうだ。
 ところが、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故で原子力発電の危険を知り、再生可能エネルギーに方針を転換し始めた。その結果、風力発電が21%、水力発電が17%になり、原子力発電19%、火力発電13%になった。まだ原子力発電の比率が高いが、徐々に再生可能エネルギーに移行している。
 比べて、日本は石炭+石油+LNGの火力発電が88%を占める。原子力発電は1%と低いが、風力+太陽光発電もわずか2%である。もっと再生可能エネルギーの比率を高めないと、地球温暖化の抑制にはならない。
 実際には停電はしなかったが、朝食は懐中電灯持参でとった。日本の電力事情に比べて、スペインの再生可能エネルギーに対する取り組みを考えると、少々の停電ぐらいは我慢しなければならない、と思った。

 朝食後、マドリッドの西北のアビラに向かった。アビラは標高1100mに立地する旧都である。ローマ帝国時代の植民都市として発展、イスラムの支配下に入ったが、レコンキスタで奪回したあと、市街の周囲をぐるりと囲む城壁が築かれた。この城壁が見どころの一つである。
 アビラの手前にクアトロ・ポリスと呼ばれる展望台があり、ここから斜面に立地する旧都と市街を囲む城壁が一望できる。写真タイム。

 旧都の東端にアビラ大聖堂が建つ。城壁は、大聖堂の東側の後陣アプスの壁面を取り込んで築造されていて、アプスが城壁から半円形につきだしている。多くの大聖堂の後陣アプスはステンドグラスなどをつくり明かり取りにしているが、アビラでは城壁を兼ねるので堅固な石壁になっている。
 アビラの紋章には大聖堂のアプスがデザインされていて、セゴビアにとって、堅固なアプスが誇りだったことをうかがわせる。
 城内に入る。大聖堂の北入口は五重のアーチで構成されていた。アーチの重なりをスペインではアーチヴォルタ、英語ではアーチヴォルト、日本では飾り迫り縁と呼ぶが、ここには聖人?や動物?などがびっしりと彫刻され、半円形の小壁=ティンパノ=タンパンには最後の審判、天国、地獄の彫刻で飾られていた。この彫刻は見応えがある。
 大聖堂の一部はロマネスク様式を残しているが、大部分はゴシック様式で、建設に時間がかかったことをうかがわせる。
 
 

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