yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

「ルネサンスとは何であったのか」斜め読み

2014年12月05日 | 斜読

  387 ルネサンスとは何であったのか 塩野七生 新潮文庫 2008  斜読index

 2014年11月のイタリアツアーは「中部イタリアの美都とルネサンス芸術」がテーマであった。学校教育では必ずルネサンスを学ぶし、ルネサンスを代表するボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロについては絵画展などで何度も鑑賞している。
 フィレンツェのコジモ・デ・メディチを始めメディチ家がルネサンスに大きな働きをしたことも知っている。
 しかし、ルネサンスがどのような力で生まれたのか、文芸復興と訳されるなどルネサンスがギリシャ、ローマの復興を目指したのはなぜか、いまでも私たちを魅了し続ける秘密は何かなど、改めてルネサンスとは何かを考えると、意外と曖昧だったことに気づいた。
 ルネサンスの本はかなりあるが、塩野氏のこの本を持参し、旅の折々に読んだ。そして、「ローマ人の物語」「ローマ亡き後の地中海世界」「海の都の物語」「わが友マキャヴェッリ」などの造詣の深さを下敷きにしたルネサンス論の斬新な視点、鋭い切り口に衝撃を受けた。


 カラー口絵には、ルネサンスを極めたルネサンス人一欄が時代の流れと合わせ一覧になっている。これはとても理解しやすい。p244から主役たちの略歴が代表的な作品とともに紹介されていて、カラー口絵のルネサンス人一覧とあわせると、どのような人々がルネサンスを担ったかが大づかみで理解できる。

 本文は、
第1部 フィレンツェで考える
第2部 ローマで考える
第3部 キアンティ地方のグレーヴェにて
第4部 ヴェネツィアで考える
で構成され、巻末に三浦雅士氏との対談で締められている。

 私はカラー口絵から目次通りに読んでいった。フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアの順はルネサンスの波及に応じていて、もちろんこの順で読んだ方がいいが、旅の流れが例えば、ローマ→フィレンツェ→ヴェネツィアの場合は、旅の流れに合わせた方が臨場感が出て、より理解しやすいと思う。
 また、三浦氏との対談には、塩野氏のルネサンス論が要約されているので、対談を先に読むと、全体像を把握してから各論に入るといった読み方になる。これも理解しやすい読み方であろう。三者三様の読み方が出来そうなので、読者の状況で読み方を選択されればいい。


 塩野氏の斬新さ、鋭さは、いきなり「フィレンツェで考える」の冒頭に現れる。p14・・見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が後世の人々によってルネサンスと名づけられた!、は実に明快であった。これは塩野氏がこれまでの取材、分析考察、論述の蓄積から導いた結果であるから、見たい・知りたい・分かりたい=ルネサンスでは表面的な理解に留まってしまう。
 この結果に至る論点は、例えば、すぐ続くレオナルド(1452-1519)には未完が多いという論述に展開される。すなわち、レオナルドは制作途中でわかってしまうため、作品を完成させる必要がなくなってしまうというのである。
 我々凡人は技量不足で途中で投げ出さざるを得なくなるが、プロの画家たちは自分の技量で作品を完成させることが出来る。ところが、天才レオナルドは制作半ばで完成した姿が見えてしまうため、そこで制作を止めてしまうというのだ。

 こうした、見たい・知りたい・分かりたい=ルネサンスの論点のユニークさは、p28~フランチェスカ、p36~フリードリッヒ2世をルネサンスの始まりとしていることにも現れている。フランチェスコ修道会創始者の聖フランチェスカ(1181-1228)、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世(1194-1250)らの理念がルネサンス開花の下地をつくり出したというのだ。読んでみると、なるほどとうならせられる。ユニークな視点である。

 フィレンツェでルネサンスを身につけたレオナルド(1452-1519)、ミケランジェロ(1475-1564)、ラファエロ(1483-1520)らがローマで活躍する。ローマはカトリックの総本山であり、法王たちがフィレンツェの画家を呼び寄せた結果、ルネサンスがローマに移っていくのである。気むずかしいレオナルドは敬遠されたが、法王ユリウス2世、レオ10世にかわいがられたラファエロはヴァチカン宮殿のラファエロの間を仕上げる。しかし、残念ながら37才で病死してしまう。
 このころの法王はメディチ家出身のクレメンテ7世であったが、スペイン王カルロス1世=神聖ローマ皇帝カール5世との対立によりローマの略奪(1527年)を招いてしまう。焦土と化したローマの復興は新たな様式であるバロック様式で進められたが、60代でも意気盛んなミケランジェロは30代の「天地創造」に続きシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」を完成させる。こうしてローマにルネサンスが息づいていく。

 このあと塩野氏はキアンティ地方に話を変えるが、ここで大航海時代(まさに、見たい・知りたい・分かりたいである)を取り上げている。ルネサンスを大航海時代に重ねた論述があっただろうか。そして、海の都のヴェネツィアに話が移る。こうした論述の流れは巧みだ。


 今回のイタリアツアーはヴェネツィアを訪ねていない。p230大運河カナル・グランデから船で見るとヴェネツィア建築に圧倒され言葉も出ないぐらいだが、落ち着いて眺めるとヴェネツィア様式の変化が手に取るように分かるそうだ。いよいよヴェネツィアが楽しみになってきた。
(2014.11読) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする