book531 天切り松闇がたり 第一巻闇の花道 浅田次郎 集英社 1999
新型コロナワクチン接種が始まったが、依然、収束のめどが立たず、緊急事態宣言、蔓延防止措置が続く。自分の住んでいる国に不満は言いたくないが、二進も三進もいかず気分が滅入る。
不愉快さを吹き飛ばすには、破茶滅茶、しっちゃかめっちゃか、奇想天外、痛快、人情、任侠道の浅田次郎(1951-)氏の本がいい。「プリズンホテル」(1993出版、book528)、「一路」(2013出版、book529)に続き、「天切り松闇語り」に手が伸びた。
「天切り松・・」は5巻シリーズである。演劇化、テレビドラマ化、漫画化もされたそうだから人気のほどがうかがえる。
闇語りとは、p14・・6尺四方の先には届かない夜盗の声音で語ることで、語り手は、刺子を打った藍木綿の単衣に黒の股引の小柄な老人である天切り松こと村田松蔵である。語る場所がなんと雑居房、聞き手は留置人にとどまらず看守に加え署長という設定である。
・・子どものころ、駄菓子を買って夢中になって、いま思えば荒唐無稽、奇想天外の紙芝居にかぶりついた。浅田氏の奇想も子どものころの紙芝居が始まりかも知れない・・。
第一夜 闇の花道 大正6年1917年、博打で謝金まみれの父に連れられた数えで9の松蔵は、いまの東京新宿・抜弁天に屋敷を構える目細の安と呼ばれた杉本安吉親分に目を瞠る。
父は、p27・・つれあいは医者にも診せず死なす、娘は女郎屋に売り飛ばす、倅を安吉に預け盗人にしようとしていた。
安吉は松蔵にいい手をしていると言い、父に松蔵を貰い受けた、今生の別れと言って娘を身請けできるほどの金子を渡す。
安吉は、2000人の手下を束ねる大頭目仕立屋の銀次に12歳から教えを受けた子分である。銀次が検挙され、網走に送られたあとを安吉が跡目を預かっていたが、裏で働きかけ銀次を釈放させる段取りを付ける。
帝大法科を主席で出たあとドイツ留学をした辣腕検事白井は、銀次を引退させ、安吉に跡目を継がそうと画策する。
・・検事が盗賊の跡目を画策するなど、物語は奇想の連続で展開する。奇想だからこそ、日ごろたまったうっぷんが溶けるのではないだろうか・・。
安吉は、自分は銀次親分の子分であると義理を通し、跡目継ぎを断る。白井検事は2000人を束ねられる器量は安吉しかいないと、銀次の手下の湯島の清六、深川の辰、駒形の天狗屋、溜池の次郎吉に話を付け、巧妙な罠を仕掛けて釈放された銀次を再逮捕する。安吉は生涯自分は銀次の子分と白井の計略に背を向ける。
その日のうちに、安吉は子分の栄治兄ィ、坊主の寅弥、書生常、振袖おこんの4人に松蔵の全員が盗人装束に改め、抜弁天の屋敷を出て、次々と貧乏長屋に銭を投げ込みながら、夜が明ける壕っ端まで走る。警視庁を見ながら安吉は、金輪際、桜田門と縁を切る、盗られて困らぬお宝を一切合切ちょうだいしようと、見栄を切るところで第一夜の闇語りが終わる。
第二夜 槍の小輔 闇語り第二夜は松蔵数えで13のときの話で、主役は振袖おこんである。
おこんは、帯にはさんだ紙入れを真正面から抜き取るゲンノマエ(玄人でも気づかないから玄の前)がピカイチで、4年前山県有朋元帥から明治天皇御賜の金時計をすり取った。金時計は裏取引で警察に返納したが、検事白井はその金時計を銀次逮捕に悪用した。
おこんは面子を通そうと、元帥に戻された金時計を狙う。場所は隅田川開きの吾妻橋に設営された露台で、周りは警護の憲兵で固められている。松蔵が止めようとするうち驟雨になる。気づくとおこんは、戻ろうとする元帥の前をすり抜け・・このとき金時計をすり抜き・・、髪の手拭いを振った・・松蔵への合図・・。
元帥は「女」と声をかけ、軍刀の鯉口を切り、「二度までも・・何のためか」と詰問する。おこんは「無益なもんの有難味が分かるか」と応え、金時計を川面に投げ込んでしまう。
闇語りの舞台は、相模湾を一望する山県有朋の別邸古稀庵に移る。元帥は槍をしごき「女を手にかけるほど無粋な男ではない」と言い、おこんも「命乞いするほど無粋な女じゃあござんせん」と返す。二人は息が合い、おこんは元帥の身の回りの世話をする。二人は惚れあい、幸福を感じたおこんは有朋の命より大事な小輔の槍をもらう。
第二夜では山県有朋の生い立ちや有朋に対する世間の不評が語られるが、有朋の国葬におこんが駆けつけ、松方正義侯爵、西園寺公望公爵に小輔の槍をお棺に収めるよう願い出て、幕が下りる。
第三夜 百万石の甍 冒頭で、天切り松が署長室で上野池之端・伊豆栄の特上鰻を食べる話が出る。・・囚人が署長室で極上の鰻を食べるという奇想はまだ序の口、第三夜では、加賀百万石の末裔前田侯爵が栄治兄ィにきりきり舞いさせられる奇想天外の展開である。
数えで14の松蔵がおのぼりのふところを狙って捕まり、背中に橙色の不動明王が彫られていることから黄不動が通り名の栄治が貰い下げに来るところから始まる。栄治は、夜に紛れて屋敷の屋根を抜く素早さが神業ともいわれていた。
栄治は松蔵を三越に連れて行って身なりを整えさせ、千疋屋で子どもの頭ほどの林檎を買う。栄治は気前も気っぷもいい。面倒見もいい。栄治は、浅草の凌雲閣の上り、遠めがねで様子のいい屋敷や金蔵を物色するこつを松蔵に見せる。
話は上野精養軒のテラスに移る。安吉親分が栄治に、花井清右衛門の大旦那がひとり息子の栄治に戻って欲しいと貴族院前田侯爵を仲立ちに頼んできたことを伝える。
清右衛門は日本、支那朝鮮にビルヂングを建てる花井組を仕切っているが、昔ながらの職人気質のため帝大出の入婿とそりが合わない。かつて女中に生ませた栄治を出入りの大工根岸に母子ともども押しつけていたが、実子として戻って欲しいとの頼みである。
根岸の普請は地震でもビクともしない、と評判である。根岸は義理堅く情にもろい性格で、栄治を実の子以上に可愛がった。
栄治は、根岸こそが父と筋を通す。返事の代わりに、前田家伝来の家宝である野々村仁清の雉子香炉を狙う・・前田家ゆかりの国宝色絵雉香炉は実在し、石川県立美術館に展示されているが、この物語当時は前田家所蔵ではない。奇想の展開にフィクションが挿入されると話に深みがましてくる。浅田流である・・。
松蔵は栄治に言われ終電に乗って前田邸を見上げると、大甍の上に三日月を背にしてすっくと立つ黄不動が見え、一瞬にして消えた。
蟻のはい出るスキのない前田家の蔵の、二重三重の錠を下ろしたつづらの中には雉子香炉に代わって目黒不動の札が置かれ、桐箱には黄不動見参と書かれていた。
元旦、前田邸と花井邸に、酒十斗、餅十斗を長屋まで持参のうえ雉子を引き取るようにと、御家流の能筆で書かれた年賀状が届く。
長屋では安吉と子分が前田と花井を出迎える。大勢の病人が横たわる座敷は年末に根岸の頭領が槙で普請を済ませていて、白木の神棚に雉子香炉が人々を慈しむように羽を休めていた。安吉は清右衛門に「血よりも濃い水てえのもある」と話す。
最後に、栄治が根岸の頭領におとっつぁんと声をかけて第三夜が終わる。
第四夜 白縫花魁は、松蔵が吉原を舞台に姉捜しをする展開で、姉が白縫花魁として現れるまで、第五夜 衣紋坂からでは売れっ子の白縫花魁の身請け話が進むが、姉はスペイン風邪に冒されてしまう。
松蔵は鳥毛のように軽くなった姉を背負い、吉原の大門を抜け、おはぐろどぶを渡る。衣紋坂を登るうち、姉がずっしりと重くなる。永井荷風が現れ、浄閑寺でねんごろに供養してくれると話し、松蔵に歌を唄うよう勧める。カチューシャかわいや わかれのつらさ・・・・で幕が下りる。
この結末は予想できなくはなかったが、第四夜、第五夜を読み切ると姉が気の毒で気の毒で、悲しい気分になる。松蔵にかける言葉も浮かばない。松蔵と姉のため、永井荷風と一緒にカチューシャかわいや わかれのつらさ・・・・を唄う。浅田氏の術にはまってしまったようだ。 (2021.5)