yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

「地中の星」斜め読み2/2

2024年07月10日 | 斜読

斜読・日本の作家一覧>  book563 地中の星 門井慶喜 新潮社 2021

第4章 浅草 開業そして延伸
 1927年12月、東京地下鉄道開通披露式が行われる(1925年着工から2年、日本初の地下鉄道だから予想外の早さというべきか)。開通披露式の3時間前に、朝香宮鳩彦王、竹田宮恒德王による台臨があった。日本初の地下鉄道への関心の高さの表れである。
 徳次は、招待者に「午後1時から3時まで、ご都合のよろしい時間にお越し下さい」と案内した。招待者は、地下鉄道の入口から階段を下り、自動改札機を通り、プラットホームからレモンイエロー色の電車に乗る。電車が走り出すと歓声が上がる。闇の中にテールランプの赤い点が遠ざかる・・門井氏はここに本のタイトルである地中の星を挿入していた・・。

 招待者への挨拶が一区切りした早川徳次に、五島慶太が話しかける。五島は、目黒蒲田電鉄(=目蒲線)の役員であり、関東大震災後に沿線に移り住む人が増えて売り上げを伸ばし、1926年に丸子多摩川-神奈川間、1927年に渋谷-丸子多摩川間に鉄道を敷いた(1928年には横浜まで延伸させた=東横線)。
 巷では、地下の早川、地上の五島と呼んでいた。その徳次に五島は延伸計画を問うと、徳次は新橋と答える。

 このあと豪雨が原因で延伸工事に崩落事故が起き、奈良山勝治のミスではないが人心が離れた勝治は大倉土木を辞めて港湾労働者になり、生活が苦しいので妻のすみ子が芸者見習いになり、軻母子が誘ってすみ子と地下鉄に乗った話などが挿入されるが、割愛する。

第5章 神田 川の下のトンネル 
 2年後の1929年、松浦半助監督のコンクリート施工が始まる。掘削の終わった坑道の地面にコンクリート流し、固まったら防水のアスファルトに浸したジュート(黄麻)を乗せ、もう一度コンクリート流す。地面が終われば両側の壁、天井に骨材の比を変えてコンクリートを施工し、コンクリート造の石筒ができあがる。
 コンクリート施工が終われば電気設備工事が進められる。上野-万世橋間の電気設備が終わり、1930年1月、上野広小路、末広町、万世橋の3駅が開業した。上野広小路駅から階段一つで松坂屋上野店に入れのが評判になった。

 その一方で、大倉土木会長・門野が設立した東京高速鉄道株式会社の渋谷駅-東京駅間に東京市から免許がおりる。対する徳次には資金が無い。浅草-万世橋7駅では乗客は増えないので運賃収入は減っていて、市バスが運賃を下げ、苦境に立たされる。
 神田川の川底工事が終わっても日本橋川、京橋川、汐留川が続き、新橋到達の目処が立たない。新橋が先か、破産が先かの状況で、1931年11月、神田川をくぐり抜け、神田駅が開業する。
 電気設備担当の与原吉太郎から、地下鉄道は猪苗代水力発電所と山梨県の谷村発電所の2系統を自動切替で運用している、などをの話が挿入されるが割愛する。
 
 1931年12月、徳次の案の地上9階地下2階建てターミナルストア「地下鉄ストア」が上野に開店した。いくらか利が出るが副業の域を出ない。12月、年の瀬、徳次は金策に走り、何とか支払いを済ませ、倒産を免れる。神田駅開業の効果で運賃収入が少し好転し、日本橋三越本店直結の三越前駅を目指して工事が進む。

第6章 新橋 コンクリートの壁
 1932年4月、神田-三越前開業、同12月、三越前-京橋開業、1934年3月、京橋-銀座開業、同6月、銀座-新橋開業、1925年着工から足かけ9年、浅草~新橋のあいだを地下鉄が走る。徳次は新橋開通祝賀・地下鉄祭を開催した。徳次は大いに喜びたいところだが、当初の計画は浅草-品川間だからまだ道半ばであり、実は、大規模融資をしてくれた日本興業銀行から借り尽くしていて、資金難のため新たな事業展開ができないでいた。
 地下の早川、地上の五島といわれたが、地下鉄道は1キロあたり500万円とすると、地上は50万円ほど、運賃はさほど差をつけられないから地上の鉄道の利益率はよく、さらに路線を延ばすことができ、沿線人口が増え、利益を上げることができる。五島は順調に地上の線路を延ばしていた
 
 徳次に、東京高速鉄道社長・門野から、小田原急行鉄道社長、京王電気軌道社長を取締役にし、五島慶太を常務取締役にした地下鉄道免許の挨拶状が届いた。門野の地下鉄道は渋谷-霞町-溜池-虎ノ門-有楽町-東京駅である。
 五島は門野に、路線を少し変更して徳次の地下鉄道との乗り入れを説く。徳次が同意するか?、五島は徳次が反対ならば徳次の会社を買収すると話す。五島の動きは早い。新橋-虎ノ門-赤坂見附-青山1丁目-青山4丁目-青山6丁目-渋谷の路線変更の免許を受け、1939年全線開業を目指し、1935年10月に着工する。
 徳次の地下鉄工事に比べて短期間なのは、五島の資金力、五島に対する銀行の信頼度の高さ、渋谷-新橋間の工事のしやすさが背景にある。
 
 五島の地下鉄道工事は順調に進み、1939年1月に渋谷-新橋間が全通する。五島は新橋で徳次の地下鉄と乗り入れを進めたいが、徳次と連絡が取れない。新橋駅はコンクリート壁1枚をへだてて、徳次の新橋駅の隣に五島の新橋駅が設置された。電車はそれぞれ新橋から浅草、渋谷へと折り返した。
 9ヶ月後、乗客の利便を考え徳次が折れ、壁が取り払われ、駅は一つになり、線路がつながって浅草発-渋谷行き、渋谷発-浅草行きが走った。壁撤去、線路接続の工事に、大倉土木からの指示で道賀竹五郎、坪谷栄、木本胴八、西中常吉、松浦半助が立ち会った。奈良山勝治夫婦はその後行方知れず、与原吉太郎は病死で立ち会っていない。門井氏は工事を実際に担当した監督、職人に光を与えようと筆をさ捌く。

 話が前後するが、五島は徳次と関係の深い京浜電気鉄道の過半数の株を買い、1939年に京浜電気鉄道の専務取締役に就いていた。続いて徳次の会社である東京地下鉄道の株を買い占め、筆頭株主になる。徳次は五島を裏切り者と激怒するが後の祭りである。
 徳次、五島の対決が膠着したため、鉄道省監督局鉄道課長・佐藤栄作(のちの総理大臣)が調停に乗り出し、両者ともに身を引けと勧告する。徳次はあっさり承諾し、社長を辞任し、その後の相談役も辞して、本社を後にした。
 国は、新たに営団という企業体をつくり、徳次、五島の地下鉄道は営団地下鉄に集約される。五島は出資者の端に名を連ねた。

 1941年6月の早朝、早川徳次がまだ寝ている時間に五島慶太が訪ねてくる。五島は営団の理事就任が内定していて、営団総裁、副総裁が懇親会を開き、徳次と五島を仲直りさせようとしていると打ち明ける。五島は徳次に、徳次の地下鉄への熱意を学んだから自分も地下鉄を作ろうとした、あなたは「地下鉄の父」と呼ばれると話し、軻母子に「早川さんをいつも尊敬していた」と語る。徳次と五島は懇親会で固い握手を交わす。
 ほどなく、日本は太平洋戦争に突入、そのさなかの1942年11月、徳次は急性肺炎で逝去する。
 2004年、営団地下鉄は民営化し、東京メトロと呼ばれる。銀座駅に「地下鉄の父」と題した朝倉文夫作の早川徳次の胸像が置かれている。などが紹介されて幕が下りる。

 銀座線は何度も利用している。その先駆者である「地下鉄の父」については知らなかった。門井氏の本で新たな知見を得た。早川徳次像を眺め、先駆者たちの思いを夢想したいね。  (2024.4)

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「地中の星」斜め読み1/2

2024年07月09日 | 斜読

斜読・日本の作家一覧>  book563 地中の星 門井慶喜 新潮社 2021

 門井慶喜氏の本は、日本を改革し、あるいは革新に導き、歴史に名を残す人が取り上げられていて学ぶことが多い。
 「地中の星」の表紙には、フロックコートらしい男性、和装の女性が列をなし電車に乗り込もうとしている。地下鉄のようだ。中島みゆきの「地上の星」から発想を飛ばせば、「名だたるもの、輝くものを造った地中の星は人々から忘れ去られた」ということだろうか。忘れ去られたかも知れない地中の星を、門井氏がつばめになって脚光を浴びせたのであろうか。
 物語は、第1章 銀座 東京といえば満員電車、第2章 上野 かたむく杭打ち機、第3章 日本橋 百貨店直結、第4章 浅草 開業そして延伸、第5章 神田 川の下のトンネル、第6章 新橋 コンクリートの壁、と展開する。銀座、上野、日本橋、浅草、神田を結ぶのは日本初の地下鉄銀座線である。門井氏は、銀座線を掘った?人々に光を当てたようだ。期待して読み始める。

第1章 銀座 東京といえば満員電車 
 早川徳次は、早稲田大学法学科卒後、南満州鉄道株式会社、鉄道院を経て佐野鉄道、高野登山鉄道を再建し、その間に3歳年下の軻母子(かもこ)と結婚するが、「この世で最初の、死後も残る仕事」をしたいと職を辞し、早稲田大学の創立者であり内閣総理大臣の大隈重信にロンドン行きの助成を頼む。大隈は、鉄道院嘱託として德次をロンドンに派遣させる。ロンドンで地下鉄を見て、これが自分の追っていた仕事と閃くが、資金なし、技術なし、どこから手をつければいいか悩んでいるところから物語が始まる。
 

 德次36歳、軻母子33歳、ごはんに味噌汁、ひじきの煮物の朝めしを食べているとき、德次は煮豆を口に入れようとして「ここに自分の将来がある、日本の鉄道の将来がある、自分はこの豆に今後の全人生をつぎこむ」と確信し、軻母子に黒豆10粒、白豆30粒を用意させ、銀座尾張町(現在の銀座四丁目)の交差点に行き、銀座通りで10人が通り過ぎたら黒豆1粒、10粒になったら白豆1粒、を繰り返し、交通量調査を始める。毎日朝から夕方まで、場所を変えて調査を続けた。夕方になると、小料理屋、バーなので酔客を相手に地下鉄を話題にするが、庶民は地震、地盤を理由に地下鉄に懐疑的だった。

 資金集めで仲人の衆議院議員望月小太郎を訪ねるが、庶民と同じく地震、地盤を理由に地下鉄に否定的だった。落ち込んでいた德次に軻母子が大隈公に会うよう勧める。79歳になった大隈重信に会うと、地盤調査はやったのか、法的根拠はどうする、会社は作ったのか、どうせ金が無いのだろうと図星され、頭を使えと諭され、実業界に君臨する渋沢栄一男爵に頼めといい、大隈の一番弟子で德次の恩師である高田早苗に連絡してくれた。

 德次は国府津の別荘にいる高田早苗を訪ね、渋沢栄一宛の書状を受け取り、王子・飛鳥山の渋沢邸を訪ねる。德次は、役に立てませんという渋沢に、歩行者、電車、人力車、馬車、自動車などの交通量を記した東京の道路地図を広げ、東京一の繁華街である浅草を起点に上野、新橋、品川へと結ぶ路線を示し、徒歩で3時間、市電で1時間かかるが、地下鉄道ならたった25分と力説する。

 渋沢が成功すれば他社が参入して経営が厳しくなると言うと、德次は他社は大歓迎、浅草-品川を幹線にして他社を支線で結べば利用客は増加すると答える。

 渋沢が地盤の弱さを問うと、德次は、聞き取り調査のとき人力車夫が日本橋は平らなのでありがてえという言葉をヒントに、東京市役所橋梁課を訪ねて技師から聞いた地盤の支持力は1尺平方あたり3~10㌧とかなり高い、と答える。
 渋沢はしばらく黙してから、自分には金が無いが面白い話なので友達ふたりに伝えると言う。友達ふたりとは、鉄道院総裁・後藤新平、東京市長・奥田義人だった。渋沢は德次に、奥田市長は忙しいから市議会の根回しはひとりひとり当たれ、後藤総裁は事務仕事に疎いから腹心の五島慶太に話をつけるといい、などの知恵を授けた。
 德次は、王子駅に向かって駆け下りながら、軻母子にやっと楽をさせられると嬉し涙を流す。
 ・・門井氏の筆裁きは手堅い。ハラハラさせながらも、德次の閃き、熱意、努力で政界の重鎮である大隈重信が動き、経済界の重鎮である渋沢栄一が動いた様子が生き生きと描かれている・・。

第2章 上野 かたむく杭打ち機 
 1925年、上野山東側の山下で地下鉄道工事の起工式が行われる。当初、浅草、上野、銀座、新橋、品川の経路で認可を受けたが、1923年に関東大震災が起き、東京で死者約10万人の被害になった。徳治は株主総会で浅草-上野間に縮小した計画を了承してもらい、東京市から縮小計画で工事実施の認可を受け、起工式にこぎ着けた。
 工事は大倉土木が請け負い、現場総監督に道賀竹五郎が選ばれた(大倉土木は大倉喜八郎を創始者とする大倉財閥に属す)。その起工式で德次は感激のあまり涙を流す。後ろに控えていた竹五郎が女々しいともらしたとき、のちに東横線を走らせる東京横浜電鉄・五島慶太が徳次の苦労に思いを馳せ感激で涙を流しながら、竹五郎を叱責する話が挿入される(五島慶太は徳次を師と思いつつ、徳次の会社を吸収する。徳次は激怒するが終盤で仲直りする。門井氏の筆裁きは軽快である)。
 
 竹五郎総監督は、土留め・杭打ち監督の坪谷栄、覆工監督の木本胴八、掘削監督の奈良山勝治、コンクリート施工の松浦半助、電気設備の与原吉太郎を前に、完成まで2年、切開覆工式で工事を進めると訓示する。
 切開覆工式とは、上野から浅草までの浅草通りを掘り下げて空濠にし、コンクリート製の四角い筒を並べて土を埋め戻す工法で、コンクリート製筒に線路を敷けば地下鉄道が完成する。
 坪谷栄のもと、上野から浅草まで道の左右に数百本の鉄杭が打たれていく。杭打ち機はベルリン製である。杭が並び、道の左右に土留め壁ができると、土留めのあいだの路面を30cmほど掘り、掘り終わったところから道路を横断して長いI形鋼を1.5m間隔でさし渡す。そのI形鋼の上に60cmおきに角材を並べ、その上に厚さ10cmの板を敷いてかりの道路にする。

 説明は簡単だが、浅草通りには市電が走っている。覆工は終電から初電のあいだの短い時間にまず市電の線路を外し、正確に30cm堀り下げ、横にI形鋼を並べ、縦に角材を並べ、厚板=覆工板を敷き、線路を戻さねばならない。

 覆工監督の木本胴八は新発田出身、20歳で兵隊に取られ、砲兵のときの野戦砲の爆発で視力を損なった。新発田出身の大倉喜八郎の縁で大倉土木のトンネル工事で働くことになり、視力は劣るが、触覚、嗅覚、聴覚に加え感が優れ、頭角を現す。
 終電から初電のあいだは夜、視力の劣る胴八には夜の方が本領発揮でき、職人に的確な指示を出し、覆工は順調に進む。

 早川徳次に与えられた1919年の地下鉄道工事の免許状には原敬内閣総理大臣名で「第2条・隧道の拱頂は地下50尺とす」と記されていた。50尺≒15mで、早川は東京帝国大学地質学者の調査結果をもとに鉄道省を説き、政府の認可の但し書きを適用して5尺≒1.5mの認可を受けて工事が進められた、などが挿入される・・初めての地下鉄道には難題が多かったようだ・・。

第3章 日本橋 百貨店直結 
 土留め・杭打ち工事、覆工工事が進み、23歳の奈良山勝治監督の下で本掘削が始まる。掘削は、掘り=掘削、出し=搬出、支え=支保に分かれる。まず地上から坑内の底板まで竪穴を掘る。掘った土砂はスキップホイスト=土揚げ機と呼ばれるゴンドラ状の箱を上下させて地表の溜枡に落とす。掘り終わった坑道に土留めのための支えを入れる。
 掘削*搬出*支保の連携だが、坑道が長くなると搬出の手間が増える。搬出用の線路を敷けば、次のコンクリート施工、電気設備の職人と入り乱れ混乱する。竹五郎が手詰まりで頭を抱えていたら、勝治が名案を披露する。
 坑道の中ほどに列柱の仕切りを作り、左に線路を敷いて掘削を進め、掘削が終了したら線路を外してコンクリート施工、電気設備に移り、線路を仕切りの右に敷いて右側の掘削を進める。これを交互に進めるのである。勝治は頭の回転が早く、人望もある。

 勝治の提案が採用され工事が順調に進み、1926年3月、早川徳次の案内で銀行団の視察を迎えた。視察後、三井銀行筆頭常務は同じ三井財閥に属する日本橋三越専務を訪ね、地下鉄道の開通は確実だ、浅草通りを掘り進めば間もなく三越前に達する、停車場からじかに店に出入りできるよう三越前に駅を置くように交渉したまえ、と告げる。さっそく三越専務は徳次を訪ね、費用は三越が負担するからと、三越前の駅を要望する。

 スキップホイストが2機増設され、掘削は順調に進んだ。そんなときに坑道の左側の土留めが崩れる大事故が発生する。土留めのI形鋼がぐにゃりと曲がり、覆工板が落ち、市電の線路まで垂れ下がってきた。不幸中の幸い、死傷者は出なかった。原因は、工事排水を流し込んでいた下水道の溜枡から漏水が始まり、大量の水を含んでついに土留め壁を崩した、とされる。

 しかし、事故以前から横木の点検などを省略して掘削を優先させてきた勝治への不信が事故によって表面化し、勝治は人望を失う。
 掘削工事に続いて、コンクリート施工、電気設備施工が進み、線路が敷かれ、駅が作られる。  続く

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「バルト海の復讐」斜め読み2/2

2024年06月12日 | 斜読

斜読・日本の作家一覧>   book566 バルト海の復讐 田中芳樹 光文社 2004

 
第6章 主人公、謎の解明に挑むこと」 エリック、ザンナ、ギュンターはホゲ婆さんの家に着き、ホゲ婆さんに顛末を伝える。ホゲ婆さんはザンナに助手が欲しいと話し、エリック、ギュンターにグスマンの傭兵に備えるよう指示する。
 この時代、リトアニア産の琥珀は貴重で高価で、すべての琥珀の運搬をハンザ商人が担っていた。
 グスマンは9600マルクの金貨をエリックに見せ、エリックはその金貨の入った木箱を一本柱帆船の船長としてリトアニアに運び、金貨を渡して木箱に入った琥珀を受け取って戻ってくる途中で海に投げ込まれ、琥珀横領の罪を着せられたことになる。金貨も琥珀もエリックの目を盗んでブルーノたちが石ころにすり替えたようだ。
 ハンザは現物・現金決済だったが、イタリアでは保険が広まっていた。ホゲ婆さんは保険金狙いの仕業、金貨と琥珀と船に保険をかければ2万マルクになると試算する。エリックは2万マルクのための捨て石にされかけたようだ。
 グスマンの悪辣な仕業が分かったところへ甲冑を着込んだ10人の武装集団が近づいてくる。

第7章 主人公、斬り合いを経験すること」 舞台はアウグスブルクに総本店を置き、ローマ、ヴェネツィア、ニュルンベルク、ブレスラウ、インスブルック、アンヴェルスに大支店を置く財閥の会議室に変わり、総支配人が伯母上であるホゲ婆さんの急報で、グスマンのかけた保険金19500マルクは詐欺の疑いがあるので調べが終わるまで支払いを止めるよう話題にする。
 グスマンの館では、リューベックの豪商で参事会の同僚ボンゼルスがエリックは琥珀強奪を犯しながらもリューベックに現れたのは無実を証明したいからではないかとグスマンに問いただすと、グスマンはうろたえる。館を出たボンゼルスはリューネブルクの製塩工場主ベンツと情報交換する。2人ともホゲ婆さんに恩義があり、グスマンの最新情報をホゲ婆さんに連絡する。
 保険金19500マルクの支払いが保留され苛立っていたグスマンは、(エリックが裁判にかけられると保険金詐欺がバレてしまうので)ブルーノにエリックとメテラーの相討ち、共倒れをすぐに実行するよう伝える。一方、メテラーは、自分をばかにしているブルーノたちに思い知らせてやるとの思いが強まっていた。

 ホゲ婆さんの家ではエリックが武装集団に備えて扉口に構える。ギュンターは敵の1人の左膝に長剣を突き刺し、身を翻して次の敵を誘い、体を回転させて敵の左腿を突き刺す。3人目の敵が鎖の先に鉄球の付いた鎚矛で襲いかかると、ギュンターは前方に体を回転させて鉄球をかわし、敵の左の腿を突き刺し、剣を戻して4人目の喉を刺す。
 扉口を守るエリックに前、右、左から敵が剣を突き出そうとしたとき、敵のリーダーであるゲオルグ・フォン・ビューレンが剣を引け、ギュンターはムルテンの会戦でともに戦った仲間だと言ってギュンターとの再会を喜び、エリックの身代わりに死んだ傭兵の耳を切り取って引き上げていった。

第8章 主人公、行方が知れぬこと」 グスマンは、リューネブルクの製塩工場主ベンツの仲介で、ドイツ騎士団の依頼であるゴトランド島に埋められている5万マルク相当の海賊の財宝を掘り出し競売する計画に、手数料15000マルクで参加する、とブルーノに話す。ブルーノは話がうますぎると思うが、グスマンに逆らわない。
 グスマンとブルーノは、別室で待つドイツ騎士団長次席補佐フォン・ヴファッフェンホフェン伯爵の代理人で黒い十字をあしらった白衣のフォン・ヴァイセンホルンと会う。ヴァイセンホルンが船を見たいというので外に出ると、外で待っていたビロードの布で顔を隠した騎士が加わる。
 覆面の騎士がヴァイセンホルンに船の説明する声を聞いたブルーノは、聴き覚えがあることに気づくが、グスマンは気にかけず、持ち船のうちで最大の一本柱帆船を選び、ブルーノ、マグヌス、メテラーともども、自らも乗り込むと告げる。

 みんなを乗せた船はリューベックを出港し、ロストクを目指してバルト海を北上する。ブルーノはマグヌスに、グスマンは脚が治っていないマグヌスと役立たずのメテラーを始末するつもりらしい、覆面の騎士はエリックに違いない、と話す。エリックに恨みを持つマグヌスが騎士の覆面を取ると、グスマンに雇われエリックたちを襲った騎士ゲオルグだった。驚くグスマン、ブルーノ、マグヌスの前に隠れていたエリックも現れる。ギュンター、エリック、ゲオルグが芝居を打ったようだ。
 ギュンターは船乗りが見守るなかで、グスマンの企みである、金貨と琥珀の代わりに石ころを運ばせ、ブルーノ、マグヌス、メテラーにエリックを殺させて琥珀横領犯に仕立てようとした保険金詐欺を暴く。

第9章 主人公、再出発すること」  30人に近い船乗りたちはギュンターの証言を聞いてエリックを信用し、甲板に座り、静観する。
 追い詰められたグスマン、ブルーノ、マグヌス、まず脚の不自由なマグヌスがエリックに襲いかかろうとするがよろけ、エリックに目をつかれて狭い階段を転げ落ち、そこにメテラーが現れるが、マグヌスの侮蔑の目を見ると包丁でマグヌスの喉を切る。
 メテラーがエリックに味方だ、感謝してくれと言うのを聞いたグスマンが、お前のせいで保険金詐欺が失敗したと帆綱でメテラーの顔を叩き、倒れたメテラーの喉にさらに綱で一撃し、メテラーは息を絶つ。

 次にグスマンがエリックを帆綱で叩こうとすると、ギュンターが長剣で帆綱を切り、エリックにブルーノを追えと声をかける。後部甲板で待ち構えていたブルーノは、隠し持っていた両棘矛をエリックめがけて右、左、右、左、左とエリックに突き出す。エリックは左腕、次に顎、さらに右頬を刺されて血を流しながら、たった一つの武器である棒をブルーノに投げ、舷側に跳ぶ。武器を無くしエリックに、勝ち誇ったブルーノが両棘矛を突き出した瞬間、エリックは身をひるがえして両棘矛を脇の下に抱え込みながら舷側の網をブルーノに被せて体当たりする。ブルーノは甲板から海に転げ落ち、網で頸が絞まり息絶える。
 騎士ギュンターに見張られていたグスマンは、戻ってきたエリックに殴りかかる。身を沈めてかわしたエリックにグスマンが覆い被さり、首を絞める。エリックは舷側によろめきかかりながらグスマンの身体を持ち上げ、海に落とす。

 場面は変わって、ホゲ婆さんの家でエリック、ギュンターにホゲ婆さんが200年生きてきたけど今回は手際が悪かったとこぼし、ザンナにアウグスブルクでの慈善院の手伝いを頼み、エリックにはロンドンの港での働き口を紹介しようなどと話し、和気あいあいに幕となる。

 濡れ衣を着せられたエリックが、謎のホゲ婆さん、騎士ギュンターの助けを借りて、琥珀横領の濡れ衣を着せエリックをバルト海に落として殺そうとした雇い主の豪商、同僚の船乗りを倒し、無実を晴らすといった分かりやすい展開の物語で、私には謎解きの複雑さやスリルのある緊張感に物足りなさを感じたが、バルト海で活躍したハンザ商人や現地取材をもとにした当時のヨーロッパについての知見が豊富に織り込まれていたし、かつて訪ねたリューベック、リューネブルク、バルト3国を思い出しながら気楽に読み通した。  (2024.5)

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「バルト海の復讐」斜め読み1/2

2024年06月11日 | 斜読

斜読・日本の作家一覧>   book566 バルト海の復讐 田中芳樹 光文社 2004

 2009年9月にリトアニアの首都ビリニュス、ラトビアの首都リガ、エストニアの首都タリンを旅し、リガでハンザ同盟の隆盛をいまに伝えるブラックヘッド会館を見た。ハンザ同盟は教科書で習うが、背景や実態は学んでいなかったか、記憶に残らなかった。
 バルト3国の旅を終えたあとドイツのハンザ都市が気になり、2015年5月にドイツ北東部ツアーに参加し、リューベック、リューネブルク、ロストク、ハンブルグ、ブレーメンなどのハンザ都市を見て歩き、ハンザ同盟がヨーロッパ交易の大動脈だったことを実感し
た。 

図書館で手ごろな本を探していて、「バルト海の復讐」が目についた。目次のうしろに「ハンザ都市関係要図」が挿入されている。著者田中芳樹氏の「ラインの虜囚」を読んだことがある(HP「b359ラインの虜囚」参照)。主人公が苦難に打ち勝ち悪を倒すといった冒険心、探検心を満たしてくれる展開だった。「バルト海の復讐」となれば、ハンザ都市を舞台にした主人公が悪を倒して復讐を果たす展開で、「ラインの虜囚」のように痛快な筆裁きだろうと予想して読み出した。

 予想通り、第1章 主人公、海に放り込まれこと、第2章 主人公、ホゲ婆さんに借金すること、第3章 主人公、故郷へ帰ること、第4章 主人公、旧友たちと再会すること、第5章 主人公、故郷から逃げ出すこと、第6章 主人公、謎の解明に挑むこと、第7章 主人公、斬り合いを経験すること、第8章 主人公、行方が知れぬこと、そして第9章 主人公、再出発すること、と主人公が復讐を果たし幕となった。

第1章 主人公、海に放り込まれこと」 舞台は、1492年11月の夜、凍り付くような寒さのバルト海で、全長23.2m、幅7.3m、約200トンのコツゲ=一本柱帆船の船長である22歳のエリックが、初航海でリトアニアの琥珀を買い集めての帰路、間もなく生まれ育ったリューベックに着くころ、航海士ブルーノがオークの棍棒でエリックの後頭部を一撃し、巨漢の船員マグヌスと肥満した船員メテラーがエリックを縛り上げ、バルト海に投げ落とすところから物語が始まる。

 海に投げ落とす瞬間、メテラーが密かにエリックの手を縛った綱を切り、エリックは凍えながら岸まで泳ぎ、高さ18mのブローテンの断崖をよじ登り、気を失う。  ブローテンの断崖の森に1人で暮らす、魔女と噂される謎めいたホゲ婆さんは、漆黒だが白と呼ばれる猫と暮らしていて、白が瀕死のエリックを見つける。  ホゲ婆さんは、3度は溺死し4度は凍死していいくらいなのに助かるのはよほど運のいい若者とエリックに興味を持ち、介抱する。

第2章 主人公、ホゲ婆さんに借金すること」 元気を取り戻したエリックは、未経験のエリックを船長に抜擢したリューベックの豪商で参事会会員のグスマンに事態を知らせるためリューベックに戻ろうとすると、ホゲ婆さんはエリックを殺そうとした陰謀の理由を考えるように諭す。人生経験の浅いエリックだが、ブルーノたちがエリックをグスマンの持ち船と積み荷の琥珀を横領した犯人に仕立てようとしているらしいことに気づく。リューベックに戻って見つかれば横領犯として絞首台である。

 エリックはホゲ婆さんの助言で変装したうえ当座の活動資金を借金し、ホゲ婆さんの手紙を持ち、黒猫の白を連れて、塩の都リューネブルクの製塩工場主ユルゲン・ベンツに会いに行く。
 エリックが去ってから5日後、ホゲ婆さんを訪ねて騎士ギュンター・フォン・ノルトが現れ、グスマンの素行を報告する。騎士はホゲ婆さんに返せないほどの恩義があるようだ。

第3章 主人公、故郷へ帰ること 」 リューネブルクに着いたエリックは製塩工場主ベンツにホゲ婆さんの手紙を渡す。ベンツはホゲ婆さんには逆らえないといい、塩の取引で50人ほどを連れてリューベックに向かう一行にエリックを甥ということにして加えてくれた。
 ベンツの一行とともにリューベックに着いたエリックは、ホルステン門(写真右上がホルステン門、左下が塩の倉庫、2015.5撮影)やトラーヴェ河、市庁舎を懐かしく感じるが、正体がばれないように行動しなければならない。

 日没後、白とグスマンの館の裏口で使用人で信頼できるザンナが出てくるのを待ち、ザンナにバルト海で殺されそうになったこと、無実であること、ホゲ婆さんに助けられたことを話す。  ザンナの手引きでグスマンに会うことができたエリックは、船荷の横領はブルーノ、マグヌス、メテラーの仕業であること、海に放り込まれたがメテラーが綱を切ってくれて何とか生き延びたことなどをグスマンに伝え、いったん引き上げる。
 エリックが出て行った後、隣室で話を聞いていたブルーノは、エリックとメテラーを相討ちさせれば、足手まといのメテラーも片付けられる、とグスマンに提案する。さらにブルーノはマグヌスに会い、メテラーを片付け分け前を2人で分けようと持ちかける。

第4章 主人公、旧友たちと再会すること」 グスマンの館を出たエリックは、メテラーに尾行されていることに気づき、身を隠してメテラーをやり過ごす。エリックは、尾行を失敗しうろたえているメテラーに声をかけ、驚いているメテラーに海に投げ込む前に綱を切ってくれたので命拾いした、真実を明かし法の手でブルーノとマグヌスを縛り首にするが、メテラーは助かるようにすると持ちかける。エリックは、メテラーの恩着せがましい反応にメテラーも怪しいと思うが確証がない。

 エリックと別れメテラーはグスマンの館に戻ってくると、エリックの綱を切ったメテラーの裏切りに激怒したブルーノがメテラーを殴り倒し、マグヌスが首を絞めようとする。グスマンが(エリックとメテラーの相討ちで片をつけさせるため)首締めを止めさせる。  翌朝、エリックはベンツに別れを告げリューベックの町を歩いていると、グスマンがメテラーを供に待ち構えていて、エリックに裁判を開くよう市長に話すからホルステン門が見える塩の倉庫(前掲写真左下)の裏で待つように言う。メテラーの顔の青黒いあざを見て、エリックはグスマン、ブルーノ、マグヌス、メテラーがぐるだったことに気づく。
 エリックが塩の倉庫の裏に隠れ対策を考えていると、ザンナがグスマンの指示で食事を持ってくる。空腹を満たしたエリックに、ザンナはエリックは人を見る目がないから油断するな、と忠告する。

第5章 主人公、故郷から逃げ出すこと」 エリックとザンナの前にメテラーとマグヌスが棍棒を持って現れる。ザンナはメテラーを突き飛ばし逃げる。エリックはマグヌスの一撃をかわし、メテラーが落とした棍棒を取り、ザンナが持ってきたが飲まなかったヴィスマル産ビールを手に倉庫の壁際に逃げる。追い詰めたと思ったマグヌスが棍棒を振り下ろした瞬間、エリックは身を沈める。マグヌスは石壁を強打して手がしびれ、棍棒を落とす。
 エリックはメテラーから奪った棍棒でマグヌスの顔を殴り、血だらけのマグヌスの顔にヴィスマル産ビールをあびせる。マグヌスはヴィスマル産の強烈なビールで目が焼けて動けなくなる。エリックはマグヌスの左すねに棍棒を何度も振り下ろし、巨漢マグヌスは崩れ落ちる。

 そこへグスマンに金で雇われた無頼漢6人が棍棒を持って現れる。6対1ではかなわない。エリックは逃げ出し、追いつかれそうになったとき、騎士ギュンターが助けに入り(ホゲ婆さんからエリックを助けするよう頼まれていたようだ)3人を倒すと、無頼漢は逃げ出す。
 ザンナがグスマンにエリックが襲われていると助けを求めていたところに、6人の無頼漢が逃げてきてエリックを殺し損ねたと報告する。事態を飲み込んだザンナは近くの荷馬車に積まれた干し鱈でグスマンをひっぱたき、荷馬車に飛び乗って逃げる。
 エリックたちに追いついたザンナの荷馬車の手綱をエリックが替わり、ギュンターは自分の馬に乗り、閉まりかけたホルステン門を駆け抜ける。
 鼻血を出しながらグスマンはブルーノと足が動かないマグヌスの失態をなじり、新手の無頼漢を雇う。 
 続く

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「麒麟の翼」斜め読み2/2

2024年05月10日 | 斜読

斜読・日本の作家一覧>  book564 麒麟の翼 東野圭吾 講談社文庫 2014

 (1/2の続き)  香織は八島冬樹が最後に電話をかけてきた現場が気になり、人形町の浜町緑道に出かけ、捜査に行き詰まって事件の原点である浜町緑道に来ていた加賀と出会う。2人で事件現場を歩いていて、加賀は香織から映画の試写会の抽選をあてて2人でよく映画を見た、八島はコーヒーは飲まずココアが大好きだったことなどを聞く。
 八島の死体検案書の未消化物にココアはなかった。青柳と会っていたのは八島ではなさそうだ・・八柳犯行説がまたも崩れていく・・。
 八島が面接を受けようとしたのは京橋の家具・雑貨を販売しているストックハウスで、求人内容が違っていたので断られ、八島はストックハウスを出たことが分かる。
 ストックハウスは1階が土足禁止で、八島が穴の空いていない靴下を探していたわけが分かり、加賀は八島のその後の足取りを探す。

 悠人は高校の担任と進路について話し合ったあと、杉野に黒沢と「あのこと」を話したいと言う・・あのこと?。事件の核心が匂う・・。
 杉野と別れた悠人が家に帰るとき小竹に会う。悠人は父青柳武明をすべての黒幕にして片をつけようとする小竹に怒り、顔面を殴る話しが挿入される・・悠人が父を信頼し始めていた表れのようだ・・。

 加賀は、八島がストックハウスを出たあと近くの本屋に寄ったのではないかと考え、日本橋中央通りの本屋の防犯カメラを調べ、八島らしい後ろ姿を見つける。香織に確認してもらうと冬樹に間違いないと言う。時間は19:45だが、防犯カメラの後ろ姿だけでは八島の無実を証明しにくい。
 八島が本を手に取る映像もあったので、加賀は八島が手に取った本を探し、鑑識に指紋を調べてもらう。

 加賀は松宮と修文館中学を訪ね、水泳部顧問の糸川に3年前の夏休みに起きた事故について聞く・・青柳が胸を刺されて殺される直前に誰かとコーヒーを飲んでいる、八島はココア派である、事件の3日前に青柳は修文館中学の糸川と電話で話している、といったことがシャッフルされたのだろうか。まだ水泳部顧問糸川と事件とのつながりが見えない・・。
 加賀は水天宮の御利益に水難除けがあることに気づき、インターネット検索で3年前の夜7時ごろ、修文館中学のプールで2年生が溺れた事故を見つける。加賀と松宮は、第1発見者だった糸川に会って生徒の名は吉永友之で、その日の大会で成績が悪く友之は1人で練習していて溺れたことを聞く。学校を出た加賀と松宮は糸川が何か隠していると直感する。
 松宮は、修文館中学校水泳部創設60周年記念誌から吉永友之の軽井沢の住所を見つける。

 加賀は、水天宮などの願掛けは悠人のためで、麒麟像は武明から悠人へのメッセージだったと推論し、それを確かめようと悠人に話を聞くが、悠人はプールで吉永が溺れた事故のことについて何も知らないと答える・・どうやらプールでの事故が重要な鍵のようだが、青柳が刺された事件とどこでつながるのか?・・。

 本に残っていた指紋は八島冬樹と判明した。19:45ごろ八島は本屋にいたことになる。被害者青柳といっしょにいたのは誰か・・いよいよ核心に向かう・・。
 悠人は黒沢翔太を訪ね、3人で話をしようと持ちかけ、明日の5時に中目黒駅前と約束する。

 加賀と松宮は軽井沢の吉永友之を訪ねる。母美重子が出迎え、友之はプールで溺れた事故以来眠ったままと話す。加賀が水天宮のことを知っているかと聞くと、美重子は友之の看病日記のつもりで「キリンノツバサ」というタイトルのブログを開いたところ、「東京のハナコさん」から折り鶴を100羽ずつ毎月供えているメールが来た、と話す。
 東京に戻った加賀と松宮は修文館中学で糸川に事故当日の大会の結果を聞く。200mリレーは第1泳者 青柳悠人(3年)、第2泳者 杉野達也(3年)、第3泳者 吉永友之(2年)、第4泳者 黒沢翔太(3年)だった。

 松宮は中目黒駅の黒沢翔太を訪ねるが、青柳と会うと出かけていた。加賀は杉野達也を訪ねたが帰宅していなかった。加賀と松宮は中目黒駅前で落ち合い、青柳悠人と黒沢翔太を見つけるが杉野達也はいない。
 加賀は杉野を探すよう緊急手配し、悠人と翔太を日本橋署に連れて行き、悠人に君は後悔しているから折り鶴を折って水天宮に供え、七福神めぐりをし、「東京のハナコ」と名乗って「キリンノツバサ」にメールした、と話しかける。
 悠人は隠しおおせないと観念し、「水泳部の先輩が部員の泳ぎを見て2年の吉永友之は理想的な泳ぎだ、みんな杉野を見習ったほうがいいと話し、それを聞いた3年の青柳、杉野、黒沢は吉永を生意気と感じるようになり、大会のリレーでタイムが出なかったことから、その日の6時過ぎ、修文館中学校の塀を乗り越えて入り込み、プールで吉永の足を持って泳ぎの特訓をしていたとき吉永が沈んでしまった、3人で吉永をプールサイドに運んだとき異変に気づいた糸川が現れ、3人を帰し、吉永に心臓マッサージをしたが意識は戻らず眠ったままになった。
 その後、悠人は杉野から「キリンノツバサ-いつか羽ばたく日を夢見て」のブログを聞き、母親が息子の回復を祈っているのを知って愕然となり、和紙の専門店で折り紙を購入し、一番上のピンク色で百羽の折り鶴を折って水天宮に供え、写真を「キリンノツバサ」に送った。翌月は赤色で百羽を折り、七福神の別の神社に供えて写真を送り、翌月は茶色と折り鶴を折って別の七福神に供えたメールを送っていたが、あるとき、父に「東京のハナコ」でメールを送っていたこと知られてしまったので、アドレスを消し、折り紙と折り鶴を処分し、そのまま記憶も薄れていった。
 悠人は父が死んだあと、松宮から父が胸を刺されながらも日本橋の麒麟像まで歩いていったことを聞き、吉永友之の母のブログの「キリンノツバサ」は日本橋の羽を広げた麒麟像のことだったことに気づき、久しぶりにブログ「キリンノツバサ」を開くと、悠人がメール送信を止めたあとも「東京のハナコ」から日本橋の七福神に百羽の鶴を供え新しいたデジカメで撮影した写真が定期的に届いているのが分かった。
 悠人は、父が息子の気持ちを引き継ぎ、吉永友之の回復を祈って千羽鶴を完成させ、瀕死の状態で麒麟像を目指し、息子に「勇気を出せ、真実から逃げるな、自分の信じたことをやれ」と伝えたかったに違いない、と思った」ことを打ち明ける・・疑問=麒麟像と七福神巡りの謎は解けたが、青柳殺害は誰か・・。
 加賀は悠人に、「人は誰でも過ちを犯す。大事なことはそのこととどう向き合うか」と話す。そこへ杉野達也の自殺未遂と青柳殺害自白の報が入る。

 杉野達也の自供で、「青柳殺害の当日、学校から帰るとき吉永友之の父と名乗る人から電話があり、プール事故のことで話をしたいというので、護身用にナイフを忍ばせ、約束の午後7時に日本橋の改札で待っていると、吉永を名乗った青柳の父が現れ、コーヒーショップでカフェオーレを2つ買って本当のことを話してくれと言うのですべてを告白して心が軽くなったが、将来、大学進学がふいになると思った途端に歯止めが効かなくなり、夢中で青柳を刺してしまった、気づいたら地下道で、全力で逃げた」ことが明らかになる・・東野氏の、あちらこちらに伏線を張り巡らせ、読み手に推理を楽しませる筆裁きで事件が解決した・・。

 加賀は糸川に、青柳武明は過ちを犯してもごまかせばなんとかなるといった間違った教育を受けた息子に、命を賭して正しいことを教えようとした、それが分からないあなたは教育者失格、と諭す。
 香織は加賀と松宮に、「東京に来たことを後悔していない、冬樹君と楽しい思い出を作れたし、それは絶対壊れないし、失われない」と話し、福島に帰る。
 悠人は黒沢と千羽鶴を持ち軽井沢の吉永友之を訪ねる。悠人は、友之がいつか目を覚ますことを心から祈ろうと思う。

 杉野達也が、吉永友之がプールで溺れた事故の真相が明らかになるのを恐れ青柳武明をナイフで刺す、のは短絡過ぎる。いまはそうした短絡的な犯罪が多いということか。
 カネセキ金属が危険な作業を派遣社員にさせて起きた労災事故の隠蔽を、死人に口なし、青柳武明に押しつけたのも気になる。これもいまの社会を象徴しているということであろうか。
 悠人が吉永友之が眠ったっまま快復が難しいのを知り、罪の重さを感じて七福神を参拝するというのも想像しにくい。そもそも加賀が七福神巡りに気づくのも唐突に感じる。など、気になることもあるが、東野氏の筆裁きで事件を粘り強く調べ解決する展開を楽しんだ。  (2024.4)

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