yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2018.1 メキシコの旅も終盤、聖なる泉セノーテ、カリブ海の崖上に立地するトゥルム遺跡を見学

2018年01月31日 | 旅行

2018.1.30 メキシコの旅6日目
 カンクンユカタン半島の先端に位置したリゾート地で、宿のクリスタル・グランド・プンタはリゾート地の最先端に建っていて、海風が強い。
 29日夜半はず~と海風が鳴り響いていた。波も荒いが、マリンブルーが鮮やかで、見飽きない。
 午前はグランド・セノーテに向かう。セノーテは聖なる泉の意味で、このあたりはセノーテがいくつもあるそうだ。セノーテの透明度は高く、グランド・セノーテは観光用に公開されている。グループの何人かが泳いだり、潜ったりした。シュノーケルも貸し出していて、本格的に楽しんでいる外国人も大勢いた。

 
グランド・セノーテの近くにトゥルム遺跡がある。カリブ海の崖地に立地していて、かつて交易で栄えた。珊瑚礁が広がっていて、大型船が近寄れない=防御に適った要塞都市である。
 12世紀に築造され、大いに栄えたが16世紀、スペインによって滅びた。
 要塞内にはセノーテがいくつかあり水に困らなかったため、雨神チャックは見られない。代わりに風の神の宮殿があった。カリブ海の風が強いから、船の安全を祈願したのかも知れない。
 フレスコ画が描かれていた宮殿は、太陽の動きの観測に使われた。マヤ文明では天体観測の技術はかなりハイレベルだったようだ。
 マヤ文明はすべてスペインによって滅ぼされ、紙に書かれた記録はスペイン宣教師によってすべて焼かれてしまい、マヤ文明の詳細は謎に包まれている。考古学者の成果を期待したい。

 夕食は自由行動だったので近くのシーフード店へ。なんとロブスターは3万円!!びっくり。代わりにロブスターステーキとシュリンプ。私はメキシコワイン、女性群はテキーラベースのマルガリータを楽しむ。
 隣り合った日本人と意気投合、楽しくディナーを終える。

2018.1.31 メキシコの旅7日目
 午前中はカリブ海を眺めながらの自由時間。いま、カリブ海の白い波を見ながらこれを書いている。
 いまは、日本時間1月31日の夜24時に近いがこちらは1月31日の午前10時近く。12時にホテルをチェックアウトし、カンクンから空路でメキシコシティへ。31日夜10時に着く予定。
 2月1日夜中の1時にメキシコシティ発、フライトは14時間半だが、日付変更線を越えるので、成田着は日本時間2日の朝6時半ごろ。いずれ土産話を。

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2018.1 マヤ文明の遺構、ウシュマル遺跡、カバー遺跡、チチェン・イッツア遺跡で、雨神チャック、ククルカンを学ぶ 

2018年01月31日 | 旅行

2018.1.28 メキシコの旅4日目
 1.27、メキシコ3日目の夜22時過ぎにメキシコシティを飛び立つ。雨が降り出していて、けっこう揺れた。機内飲み物サービスで、テキーラをもらう。香りがいいが、40度ぐらいだから、喉が焼ける感じ。二口ほどで止めた。テキーラのままでは飲みにくそうなので、土産はテキーラ入りチョコがよさそうだ。

 メリダに23:40着、ホテルは24:30。メキシコではコンビニなどでの夜間のアルコール販売は禁止である。ホテルのバーは夜半1時まで、なんとか缶ビールを買い、部屋で一息する。

 1.28、メキシコ4日目の観光は、世界遺産ウシュマル遺跡、世界遺産カバー遺跡、マヤ人の民家訪問、メリダ中心街散策である。
 ウシュマル遺跡は、7~9世紀に栄えたマヤ文明の遺構である。ウシュマルは3回建てられたという意味で、いまの魔法使いのピラミッドと呼ばれるピラミッドの内部に2層のピラミッドが発見されている。
 ティオティワカン遺跡でも古い遺構の上に次の時代のピラミッドが作られ、その後新しいピラミッドが上層に作られている。マヤの特徴らしい。
 雨神チャックが神体で、いたるところにチャック象徴する造形が施されている。
 尼僧院には蛇を象徴する造形である。蛇は水を象徴するらしい。雨神、蛇ともに水への強い願いがうかがえる。
 
 カバー遺跡は7~11世紀に栄えたマヤ文明の遺構で、ウシュマルとは友好関係にあり、密林のなかに二つの都市をつなぐ道がつくられていた。
 雨神チャックが造形されているが、加えてハンドパワーを誇張した王、女王の像が特徴になっている。

 夕食のメインはビーフステーキ、ボヘミアビールでおいしくいただいた。

1.29、メキシコ5日目は、チチェン・イッツアー遺跡が目玉である。
 往路はバスで2時間、見学後はカンクンまで3時間のバス、移動時間が長い。
 7世紀ごろに栄えた旧チチェン・イッツアーと10世紀ごろに栄えた新チチェン・イッツアで構成される。
 旧チチェン・イッツアは雨神チャックが造形されているが、新チチェン・イッツアは戦闘部隊トルテカが強調されている。
 新チチェン・イッツアの高さ24mのピラミッドには東西南北四方に階段が設けられている。春分、秋分にはピラミッドの隅の段々の影が西の階段に投影され蛇の形が現れる。これがククルカンで、春分に地上に降りてきて、秋分に天に帰ると信じられてきた。
 農業の始まりと終わりを意味する暦でもあった。

 カンクンはカリブ海のリゾート地で、巨大ホテルが建ち並ぶ。夕食は日本食だったので、久しぶりに日本酒を楽しんだ。

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2018.1 メキシコ・テオティワカン遺跡、高さ47mの月のピラミッド、高さ65mの太陽のピラミッドを上る

2018年01月29日 | 旅行

2018.1.27 メキシコの旅3日目 
 まだ夜中何度か目が覚める。部屋は暖房していても肌寒く、鼻水ときどき出るほど。
 メキシコシティ  ソカロ広場・大聖堂
 8時半過ぎ、大渋滞を走り、まずソカロ広場へ。中央広場といった意味で、メキシコシティの中心になる。広場に君臨するような国立宮殿は、アステカ帝国を征服したコルテスが自身の宮殿として作らせた壮大な建物である。
 一方に建つのがメトロポリタン大聖堂で、コルテスの命令で作られた壮麗な建物である。内部には金箔がふんだんに使われている。中央に聖歌隊・高位僧職者の席コロがあり、スペインに共通する。ミサ中で祭壇の拝観はできなかった。
 このあたりはアメリカまで通じた銀の道の始まりになる。始点は、ドミニコ会が創設したサントドミンゴ教会である。教義に即し、質素なつくりだった。

 およそ80km、1時間半走り、パドレ・テンブレケ水道へ
 スペインのテンブレケ神父がメキシコに布教で来た。メキシコ中央部の高原地帯は雨季乾季がはっきりし、先住民が乾期に水不足で困っていたので、豊富な水源を探し、全長48kmの地下水道をつくった。高原の起伏のため、一部に最高高さ40mのアーチ水道橋がつくられた。全体の水道が世界遺産だが、水道橋は地上に出ていてアーチ構造が見事なため、観光のスポットになった。「ローマ帝国時代の水道橋→それをスペインで見ていた神父→メキシコで水不足に困っている農民のために地下水道+水道橋」、こうして文化や技術が伝搬していく。
 メキシコではサボテンが有名だが、水道橋の近くもサボテン農園?が広がっている。一面に大きなウチワサビテンが育っていた。

 およそ1時間でテオオティワカン遺跡に着く。近くのレストランでビュフェスタイルのランチ、5人グループの演奏があり、終わるとテーブルを回って投げ銭を求めに来る。メキシコ地震の寄付と思って1USドルをあげる、.次に母娘らしい二人が現地の衣装?で歌い踊る。母親が回ってきたので1USドルをあげる。
 
 テオティワカンは起源前2世紀~起源前6世紀に栄えた文明である。現在公開されているのは太陽のピラミッド、月のピラミッド、死者の道、神殿、宮殿跡である。
 月のピラミッドは高さ47m、中段まで上れるのでは~は~息を切らして上った。すばらしい眺め。蹴上げが高く踏面に小さい急勾配、ゆっくりゆっくり下る。
 死者の道の先に太陽のピラミッドがある。高さ65m、急勾配の石段を上る。回りはジャングル、そのなかに、死者の道を空間軸にして月のピラミッド、太陽のピラミッド、13のピラミッドなどが整然と配置されているのがよく分かる。
 テオティワカン遺跡の謎は解明中である。

 遺跡見学後、メキシコシティ空港へ、22時過ぎの飛行機でメリダへ。24時少し前にメリダ着、ホテルは翌0時半、夜中2時過ぎ、テオティワカンの謎を考えながら、いつの間にか寝る。

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2018.1 モザイク壁画で知られるメキシコ国立自治大学→世界遺産の街プエブラ→世界無形遺産マリアッチショー

2018年01月27日 | 旅行

2018.1.26 メキシコの旅 2日目 
 
 メキシコの夜が日本の昼間になるから、25日の夜10時ごろに寝たが、夜中≒日本の昼に何度か目が覚めた。
 メキシコ時間5時過ぎに起きる。外はまだ暗い。夜中に雨が降ったようで、屋根が湿っている。・・あとでガイドに聞いたら、いまは乾期なのに異常なほど雨が降るそうだ・・。
 朝食はビュッフェ、野菜を始めとした食材が豊富、味付けも口に合う。食事中に明るくなってきた。
 8時半ごろ、最初の訪問地は、メキシコ国立自治大学、学生数は30万人!!。授業料は原則無料で、生活に苦しいい人には奨学金などの手当があるそうだ。
 見どころは、外壁のモザイク壁画。シケイロス、ディエゴ・リベラ?などの優れた画家の手による。独立戦争、メキシコ革命などの混乱を経て、立ち上がれ学生といった主張が込められている。当時は農民、庶民は読み書きできなかったので、壁画には厳しい歴史が象徴的に描かれている。
 図書館壁画の中央上段はスペイン王・ハプスブルク家を表し、双頭の鷲、ヘラクレスの門が描かれ、右は剣による制服、左はキリスト教による征服を表現している、等々である。
 これらの壁画が世界遺産に登録されている。
 岡本太郎はシケイロスの壁画に圧倒され、影響を受けたらしい。
 メキシコで発見された岡本太郎の壁画「明日の神話」は、メキシコのホテルのための壁画で、長く行方不明になっていて、近年、修復し展示した壁画である・・つい、先日、渋谷でこの壁画を見たばかり・・縁とは不思議だ。

 およそ2時間走り、メキシコシティを囲む山を越えて、プエブラに向かった。
フランスが攻めてきたときの前線基地になったところである。
 ここの旧市街も世界遺産である。まだ地震の損傷、修復が見られる。
 ドミニコ会が立ち上げたサント・ドミンゴ教会は金で装飾されたバロック彫刻で飾られている。床は地産の大理石であるオニキスの市松模様、腰壁はスペインのタイルを原型とするタラベラ焼きで仕上げられていて、全体に豪華絢爛な印象がある。その後、ドミニコ会の宗旨と異なるということで、簡素化された。

 大聖堂、ソカロ広場などを見学したあと、ランチ。カカオを原料とするモレソースを用いたチキンをいただいた。

 世界遺産の修道院を見学後、3000m級の山越えをし、激しい渋滞も経験し、ホテルに戻ったあと、世界無形遺産のマリアッチショーを見ながらディナーをとった。

 明日は夕方までメキシコシティを見学、夜の便でメリダに向かう。

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2018.1 12時間のフライトでメキシコシティへ、さっそく独立記念塔へ

2018年01月26日 | 旅行

2018.1 メキシコの旅 1日目 

 成田を25日16時40分に離陸、およそ12時間のフライトだから、ヨーロッパとあまり変わらないが、日付変更線を越えるため1日戻ることになる。
 メキシコシティに着いたのは日本時間26日朝の5時半ごろだが、メキシコ時間は25日午後の1時半ごろ。
 機内では数時間寝たつもりだが、身体が重く、頭がすっきりしない。
 メキシコシティは予想外に涼しい。昨日は大雨だったそうで、ガイドは異常気象だと言っていた。街を見ると、半袖シャツの人もいるがダウンや長いコートを着ている人も居る。明日は最低7℃~最高20℃の予報で、寒暖差も大きいようだ。

 ホテルの近くに独立記念塔が建っているので、夕食までの時間を利用して見学してきた。高さ36m、コリント様式で建造され、頂上の金色の天使像は空に伸び上がっている。台座に刻まれた1810-1821は独立戦争を指す。
 
 メキシコシティは大都市で、交通量も多い。交通マナーは良くないそうで、ガイドがさんざん注意してくれた。独立記念塔は交叉点の中央に建っていて、道路を2回渡らないとたどりつけない。メキシコ人を見ると、信号ではなく、車が途切れたときに渡っている。メキシコ人をまねて、車が途切れた隙に小走りに横断した。
 郷に入っては郷に従うのが旅のこつ。

 夕食は、野菜の前菜、タラの本菜、デザートはアップルパイ、コロナビールと白ワインをいただいた。
 今日はメキシコ時間ならば早く?、日本時間なら昼寝の時間に?寝ることにした。

 

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