yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

映画もつくられた「武士の家計簿」は幕末~維新に生きた加賀百万石・猪山家の物語

2019年02月26日 | 斜読

book480 武士の家計簿 磯田道史 新潮新書 2003  (斜読・日本の作家一覧)
2018年5月に金沢・旧武家屋敷街を歩いているとき、大野庄用水に面した四季のテーブルというレストランのガラス窓越しに、映画「武士の献立」というポスターを見つけた。タイトルは聞いたことがある。出演者も見覚えがある。テレビでの放映を見たのかも知れない。その少し前に「武士の家計簿」という映画もつくられたらしい。ポスターにつられてここでランチを取った。スタッフにたずねたところ、映画の料理監修をしたのが青木悦子さんでレストランの上階でクッキングスクールを開いていて、四季のテーブルでも郷土料理をアレンジした料理を創作しているそうだ(http://www12.plala.or.jp/yoosan/traveljapan/ishikawa.htm)。

 実質120万石ともいわれる加賀100万石の武士の家計簿が気になり、原作を読むことにした。本の副題は「『加賀藩御算用者』の幕末維新」で、著者がP3はしがきで「金沢藩士猪山家文書」の発見と述べるように、P15・・1842~1879年まで37年間の猪山家家計簿を見つけ、歴史研究者として古文書を解読し、P218・・激動の幕末~維新を生きた加賀藩御算用者家族の物語としてまとめたそうだ。黒船来航1853年、大政奉還1867年、戊辰戦争1868年だから、副題にあるように幕末~維新の激動期の家計簿である。

 猪山家はP18・・菊池家に仕える陪臣の身分でP20・・身分制、世襲制が厳しかったが、御算用者は算術に優れた者が選ばれ、P19・・猪山5代市進は算盤をはじき帳簿をつける技能があったことから、御算用者に採用された。それでも俸禄は少なく、子どもに早くから算盤を教え込み、P24・・長男、次男ともに御算用者に採用されて暮らしに余裕が出たそうだ。
 市進の次男で家計簿を残した6代綏之は御算用者から、隠居した前田藩主の御次執筆=書記官に抜擢されたほどで、俸禄も加増された。綏之に男子がいなかったので婿養子が7代信之となる。P30・・実子が家を継ぐのは57%強、弟・甥など7%、養子・婿養子は35%だそうだ。養子・婿養子は家存続のためでもあろうが、技能伝承のためもあったように思う。信之は優秀だったようで、藩主前田斉泰と徳川家斉の娘溶姫との婚儀のための住居・調度品の係を命じられた。江戸詰で、いまに残る赤門を始めとした前田家上屋敷と調度品を準備する激務である。凶作もあり財政が逼迫していたが、直之の努力が報われ婚儀は滞りなく終わり、小判7両、70石の領地を与えられた。信之の4男が8代直之として猪山家を継ぐが直之も優秀だったようで、藩主前田斉泰の御次執筆役に抜擢される。
 ここまでが「第1章 加賀百万石の算盤係」で、「わかっていない武士の暮らし/会計のプロ猪山家/加賀藩御算用者の系譜/算術からくずれた身分制度/御算用者としての猪山家/六代猪山左内綏之/七代猪山金蔵信之/赤門を建てて領地を賜る/江戸時代の武士にとって領地とは何か/なぜ明治維新は武士の領地権を廃止できたか/姫君様のソロバン役」、として語られていく。

第2章 猪山家の経済状態  では、「江戸時代の武士の給禄制度/猪山家の年収/現在の価値になおすと/借金暮らし/借金整理の開始/評価された不退転の決意/百姓の年貢はどこに消えたか/衣服に金が使えない/武士の身分費用/親戚づきあいに金がかかるわけ/寺へのお布施は18万円/家来と下女の人件費/直之の小遣いは/給料日の女たち/家計の構造/収入・支出の季節性/絵にかいた鯛」、が語られる。
 信之が藩主前田斉泰と溶姫との婚儀の住居・調度品係の大役を成功させ、直之が藩主斉泰の御執筆役を果たしたにもかかわらず、家計は火の車だった。P55・・猪山家の年収は現在に直すと、信之530万円、直之700万円の二人で計1230万円ほどである。P57によれば負債が年収の2倍に上っている。P61から借金返済のため所持品を売り出し、難を乗りきろうとした様子が描かれ、支出が年収を上回る理由が明かされていく。家計を切り詰めるために、長女の髪置祝いにはなんと絵に描いた鯛で済まそうとしている。

第3章 武士の子ども時代  では「猪山成之の誕生/武家の嫁は嫁ぎ先で子を産むのか/武家の出産/生育儀礼の連続/百姓は袴を着用できなかった/満七歳で手習い/満八歳で天然痘に感染/武士は何歳から刀をさしたのか」と、武士のしきたりが語られる。

第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ  では信之の葬儀費用から始まり、成之が江戸で溶姫の付き人たちの秘書官として活躍し、京に派遣されて兵站事務の激務をこなし、大村益次郎のもとで軍務官を務める様子が、「莫大な葬儀費用/いとこ結婚/出世する猪山家/姫君のソロバン役から兵站事務へ/徹夜の炊き出し/大村益次郎と事務官出仕」として語られる。

第5章 文明開化のなかの「士族」  時代は動き、「家族書簡が語る維新の荒波/ドジョウを焼く士族/廻船問屋に嫁ぐ武家娘/士族のその後/興隆する者、没落する者」と展開する。

第6章 猪山家の経済的選択  維新後の武士の暮らしと猪山家のその後が、「なぜ士族は地主化しなかったか/官僚軍人という選択/鉄道開業と家禄の廃止/孫の教育に生きる武士/太陽暦の混乱/天皇・旧藩主への意識/家禄奉還の論理/子供を教育して海軍へ/その後の猪山家」として語られる。

 家計簿を残した猪山家の面々は几帳面だったようで、収入、支出、負債などの一つ一つに費目、内訳が記され、手紙や証文も残っているうえ、著者は膨大な文献を参考にしていて、これまで理解していた武士像が一面では事実でもかなり脚色され、誇大化されていたことがよく分かった。幕末~維新の激動期も猪山家の生き方と著者による参考文献で、武士が翻弄されている様子、猪山家のように先行きを読み激動を乗りきった様子など、新たな知見も得られた。古文書を解読した学術研究でありながら、武士の暮らし方が分かりやすく描かれていて、とても読みやすかった。(2019.2)

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2019.2 源泉徴収票、保険料控除証明書、医療領収書などを準備、2時間ほどでe-Tax送信完了

2019年02月23日 | よしなしごと

確定申告の時期が来た。
e-Tax =国税申告・納税システムを始めてから7~8年になる。
最初は、①パソコンの環境状態、利用者識別番号・暗証番号の取得やweb上の文言に振り回されたり
②行政から「署名用電子証明書」の発行を受けたり・・有効5年、要手数料・・
③e-Taxを送受信するためのICカードリーダー・ライターを用意したり・・当初は無償貸与、マイナンバー移行後は新型購入・・
④e-Tax 画面で作成を開始してからエラーが発生し、エラーの原因が分からず、四苦八苦したり・・多くの場合、webを開き直して最初から作成し直した・・
⑤結局、e-Tax 第1回目は二日がかりになった。

 その後は、有効期間が5年の「署名用電子証明書」を再発行受け、マイナンバー移行に伴い旧ICカードリーダー・ライターが対応しなくなったので、新ICカードリーダー・ライターを購入したり、などがあったが、毎年e-Taxで国税を申告している。
 利点は、①家で作業できる・・納税事務所などに行かなくていい・・
②手の空いた時間に作業できる・・納税事務所などで待たなくていい+空いた時間にあわせ細切れに作業できる・・
③作成した申告書類をハードディスクなどに保存し、次の年に保存データを呼び出して作業できる・・所得先や保険会社、医療機関などがそのまま利用でき、数値を入れ直すだけなので作業が早く、申告漏れがなくなる・・
④作業終了と同時に、納税額または還付額が分かり、銀行を指定して納税・還付の処理が行える、と国民の義務である国税の処理がスムーズに出来る。

今年も①1月に、国税庁からemailでe-Taxの案内が来る。
②2月に入って空いた時間に確定申告用の源泉徴収票や保険料控除証明書、医療の領収書などを整理する
③半日ほどの時間を空けて作業開始、まずe-Tax 画面を開く
④ウインドーズの場合、マイクロソフトエッジを開いてからインターネットエクスプローラ画面に移る・・e-Taxはマイクロソフトエッジに対応していない、画面上に遷移の仕方が表示される
⑤利用環境の確認チェック・・ウインドーズ10であれば問題なし
⑥電子証明書チェック・・マイナンバーカード・ICカードリーダー・ライター、問題なし
⑦個人で申告を選び、次の画面で保存データ利用を選び、次に昨年の保存データを呼び出し
⑧給与、保険料控除などを順次記入する
⑨医療費も集計フォームを呼び出し、昨年利用した医療機関は医療費を記入、新規の医療機関は病院名と医療費を記入する
⑩記入が終わると同時に納税額・還付額が明示される
⑪いったんこのデータをハードディスクに保存し、控えをプリントして休憩、コーヒーを飲みながらプリントした内容を確認する
⑫ICカードリーダー・ライターを挿入、マイナンバーカードをセットし、送信に進む
⑬電子証明書暗証番号、利用者識別番号+暗証番号を順次入れ、送信、終了となる。

 昨年の確定申告ごろ、国税庁トップに昇格した人物が国会であくまでも「記憶にない」といいきった。今年も、統計問題で紛糾し、国会議員の不祥事も続いている。
 官僚も国会議員も国民のために働いていると思えばこそ納税を履行している、この大原則を踏みにじってはいけない、と強く言いたい。
 が、官僚や国会議員の不祥事がストレスになっては元も子もない。さっさとe-Taxを送った。

 駄句「イータックス義務果たしたり空に春」

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2018.8松本を歩く1 国宝松本城へ・大手門井戸・信州そば

2019年02月21日 | 旅行

長野を歩く>  2018.8 松本を歩く1 国宝松本城へ 女鳥羽川・千歳橋 大手門井戸 おひさまセット

 戦国時代の歴史をいまに伝える現存の天守は12あり、うち5天守が国宝、7天守が重要文化財に指定されている。築城後も補強、増築、改修が繰り返されているため築城年が不確かなこともあるが、wikipediaを参考に12天守を築城年順に列挙する。
重文 宇和島城天守 築城941 天守1666 3重3階
重文 備中松江城天守 築城1240 天守1681 2重2階
国宝 姫路城天守 築城1346 天守1601 5重階
国宝 犬山城天守 築城1469 天守1601 3重4階
重文 丸岡城天守 築城1576 天守?  2重3階
重文 丸亀城天守 築城1597 天守1660 3重3階
国宝 松本城天守 築城1594 天守1615 5重6階
重文 松山城天守 築城1602 天守1852 3重3階
重文 高知城天守 築城1603 天守1747 4重6階
国宝 松江城天守 築城1611 天守1607 5重6階
重文 弘前城天守 築城1611 天守1810 3重3階
国宝 彦根城天守 築城1622 天守1606 3重3階

 現役のころは民家、町並みに重心を置いていたので、城郭、天守の見方は淡白だった。しかし、2016年に熊本城、原城跡、続いて姫路城、赤穂城跡を訪ねて、改めて、城郭、天守の優美な姿に魅了され、攻城・防備の技術力の高さに驚かされ、さらに歴史が大きく動く舞台だったことに気づかされた。
 2016年にはさらに会津若松城、松江城、2017年に長浜城跡、彦根城、2018年には名古屋城、岐阜城跡、犬山城、続いて金沢城跡を訪ねた。あわせて戦国時代を背景にした歴史小説も読んでいる。城巡りが旅のテーマになってきた。
 松本城は子どもが小さいころ家族で訪ねた記憶がある。その後も国際交流会で留学生を案内したことがある。そのころは城に淡白だったので記憶が浅い。新たな視点で松本城を見学することにした。
 
 初日、新宿駅からスーパーあずさに乗る。松本駅まで2時間半である。新幹線ならもっと短時間になろうが、特急は車窓を眺められるスピードで、風景の変化を楽しめる。
 途中、上諏訪駅に停車した。1998年、諏訪の御柱や藤森照信氏設計の神庁官守谷史料館を訪ねた。そのころ上諏訪駅プラットホームには上諏訪温泉から引いた露天風呂があり、帰りにわざわざ時間調整して一風呂浴びた。狭いながらも露天で気分は良いが、発着ベルが聞こえ、落ち着かなかった。それでも温泉で身体がほぐれ、列車でビールを飲み、気分よく帰宅した。いまは足湯に改造されたらしいが、外観は当時の露天風呂の雰囲気を残していて昔の記憶がよみがえった。特急は忘れかけた記憶をも呼び戻してくれる。

 12:30過ぎに松本駅に着いた。まぶしいほどの晴天である。観光案内所で地図やパンフレットをもらい、松本城と食事処を聞いた。松本城にはバスでも行けるが、徒歩15~20分であり、途中に信州そばなどの郷土料理店もあるそうだ。
 歩くのは苦にならないし、町の雰囲気も楽しめる。歩道に埋め込まれた標識でだいたいの見当をつけ(写真)、北に向かって歩き始めた。
 左右にはビルが建て込んでいる。1階や2階は全国チェーンの食事処や居酒屋風の食事処が入っている。夜は賑わいそうだ。
 伊勢町通りで東に折れる。伊勢町通りは歩道が広々とし、無電柱化されていて、視界が開ける。高いビルが多くなり、事務所、銀行、ファッション、レストランなどが並ぶ。
 本町通りで北に折れる。伊勢町通りに似た景観が続く。ほどなく女鳥羽川に架かる千歳橋に出た(写真)。右向こうに四柱神社の森が伸び、風景が柔らかくなった。水と緑のあるまちづくりは暮らす人、働く人を和やかにすると確信する。
 千歳橋を渡ると、本町通りはクランク形に曲がって大名通りと名を変える。たぶん女鳥羽川は松本城下の防衛線であり、水運としても機能したのではないだろうか。

 千歳橋から50mほど先に三角形を組み合わせた石組みから水が流れ落ちている井戸がある。松本平は地下水が豊富だそうで、環境省の名水百選に「まつもと城下町湧水群」として選ばれているそうだ。松本市は地下水の豊かな地域特性を活かし、中心市街地で「水めぐり井戸整備事業」を進め、その第1号として「大名町大手門井戸」が整備された(写真)。自動車が途切れたときは、水の流れる音は耳に心地よい。災害時の用水としても有効である。湧水の町、井戸めぐりの進化を期待したい。

 北に歩き、松本城交叉点まで来る。ビルが建て込んでいて松本城は姿を見せない。交叉点の先に信州そばの店があった。客が出たり入ったり、はやっていそうだ。ここで腹ごしらえすることにした。
 案内されたテーブルのおすすめメニューに、「おひさまセット」がのっていた(写真)。説明書きによると、私は見ていないが、NHK連続テレビ小説「おひさま」は信州安曇野と松本が舞台だったらしい。
 放映されているときに東日本大震災が発生したので、「雲間からおひさまが明るい未来へ導いてくれる」ようにと、信州の長芋で背景の雲、信州サーモンの中落ちでおひさまをイメージした料理を創作したそうだ。店主の気概に賛同して、「おひさまセット」をいただいた。サーモンと長芋のコラボレーションは初めてだが、胡麻醤油のタレでなかなかのおいしさ、安曇野産ニジマスのつぶら揚げ、もちろん信州そばもおいしかった。店主の気概が行き渡り、店の繁盛に繋がったのであろう。

 13:30近く、店を出る。右には外堀が右手=東に延びている(写真)。ところが左=西はそば屋などの建物が建て込んでいる。どうやら左の外堀は埋め立てられ、開発されてしまったようだ。埋め立てられた外堀を北に歩くと、左に松本城の勇姿が姿を見せた。  (2019.2)

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2018.4 桶川市では中高層建築物に係る紛争の防止、調整に関する条例が功を奏している

2019年02月17日 | studywork

2018 桶川のまちづくり=建築紛争調停委員会

 埼玉県桶川市では、1997年に「桶川市中高層建築物の建築に係る紛争の防止及び調整に関する条例」、翌1998年に「同施行規則」を定め、その後改正が加えられ、現在に至っている。
 条例の目的は第1条、「中高層建築物の建築に関し、関係法令等に定めがあるもののほか、建築計画の事前公開及び事前説明並びに紛争のあっせん及び調停について必要な事項を定めることにより、良好な近隣関係を保持し、もって地域における健全な生活環境の維持及び向上に資すること」である。
 
 対象となる中高層建築物については、本条例第2条2(1)で
①第1種低層住居専用地域・第2種低層住居専用地域では
 (1)軒高さ7mを超える建築物
 (2)地階を除く3階以上の建築物
②第1種中高層住居専用地域・第2種中高層住居専用地域・第1種住居地域・第2種住居地域・準住居地域・近隣商業地域・準工業地域では
 高さが10mを超える建築物
③商業地域・工業地域では
 (1)高さ15mを超える建築物
 (2)高さが10mを超え、上記の①②の地域に冬至日の午前8時から午後4時までに日影を生じさせる建築物 と規定している。

 中高層建築物の建築による紛争については、本条第2条2(2)で
 日照、通風及び採光の阻害、風害、周辺の交通安全の阻害、電波障害等 並びに工事中の騒音、振動等とし、
 周辺住民と中高層建築物の建築主又は工事施工者とのあいだでのトラブルを紛争と定義している。

 周辺住民については、近隣住民と周辺住民に区分し、本条第2条2(3)で近隣住民を、
 ア)中高層建築物の敷地境界線からの水平距離が15m以内の範囲で、かつ、中高層建築物の外壁またはこれに代わる柱の面からの水平距離が50m以内の範囲における建築物であって居住の用に供するものの所有者、管理者又は居住者

 イ)中高層建築物の敷地境界線からの水平距離が当該中高層建築物の高さの2倍を超えない範囲内であり、かつ、当該中高層建築物により冬至日の真太陽時による午前8時から午後4時までの間に日影となる部分を有する建築物であって居住の用に供するものの所有者、管理者または居住者と定め、
 本条第2条2(4)では、周辺住民を、
 ア)中高層建築物の敷地境界線からの水平距離が15m以内の範囲における土地の所有者又は建築物の所有者

 イ)中高層建築物により冬至日の真太陽時による午前8時から午後4時までの間に日影となる部分を有する土地の所有者または建築物の所有者、管理者もしくは居住者
 ウ)中高層建築物による電波障害の影響を著しく受けると認められる者と定めている。

 日影については本条第2条2(5)で、建築物の平均地盤面からの高さが、第1種低層住居専用地域又は第2種低層住居専用地においては1.5m、その他の地域又は区域においては4mの水平面に生じる日影と定めている。

 本条が規定した中高層建築物の建築にあたって、市長は、
 本条第3条1で、紛争を未然に防止するとともに、紛争が生じたときは、迅速かつ適正に解決を図るよう努めなければならない、
 本条第3条2では、中高層建築物に類する建築物の建築に際し、争いが生じたときは、迅速かつ適正に解決を図るよう努めなければならない、と定め

 本条第4条1で、当事者は中高層建築物の計画または建築に当たっては、周辺の生活環境に及ぼす影響に十分配慮するとともに、良好な近隣関係の形成及び保持に努めなければならない、
 さらに本条第4条2で、中高層建築物の建築に際して紛争が生じたときは、その紛争の当事者である事業者、工事施工者及び周辺住民は相互の立場を尊重し、自主的に解決するよう努めなければならない、としている。

 本条第5条1で、事業者は、中高層建築物を建築する場合は、周辺住民にその建築計画の周知を図るため、当該建築敷地の見やすい場所に、規則で定めるところにより、当該中高層建築物の建築計画の概要を表示した標識を設置するよう求めている。
 
 さらに本条第6条1で、事業者は、前条第1項の標識を設置した後、速やかに、近隣住民に対し、当該中高層建築物の建築計画の概要その他の規則で定める事項を説明し、
 本条第6条2で、事業者は、当該中高層建築物の建築計画について、近隣住民以外の周辺住民から説明を求められたときは、前項の規則で定める事項を説明するよう求めている。

 万一、紛争当事者の双方から紛争の調整の申出があったときは本条第8条1で、市長はあっせんを行い、紛争当事者の一方から紛争の調整の申出があった場合において相当な理由があると認めるときは第8条2で、市長はあっせんを行うことができるとしている。

 そして、本条第11条1で、市長の付託に応じ紛争の調停を行うとともに、市長の諮問に応じ紛争の防止及び調整に関する重要事項について調査審議するため、桶川市建築紛争調停委員会置き、
 本条第11条2で、調停委員会は、前項の諮問に関連する事項その他紛争の防止及び調整に関する事項について、市長に意見を述べることができる、としている。

 2012年4月に、桶川市紛争調停委員の委嘱を受け、2018年4月から5期目に入った。
 2012年4月~2018年3月までのあいだに建築された本条の定める中高層建築物については、事前説明の結果、当事者のあいだで計画が了解され、紛争・調停に発展することはなかった。
 そのため2018年4月第1回建築紛争調停員会は委員委嘱後、中高層建築物の状況について意見交換し終了となった。中高層建築において良好な近隣関係が築かれているということであろう。
 これからも本条の趣旨を踏まえ、中高層建築計画においては良好な近隣関係を保持し、地域における健全な生活環境の維持および向上に寄与を目指していただきたい。(
2019.2)

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2018.7富士を歩く4 青木ヶ原樹海・西湖コウモリ穴・野鳥の森公園

2019年02月15日 | 旅行

静岡を歩く>   2018.7 富士を歩く4 青木ヶ原樹海・西湖コウモリ穴・野鳥の森公園

 3日目、晴、雲は無く、富士は赤茶けた山肌を見せている。この天気ならば五合目まで車で行き、1時間ぐらいハイキングできるかな、と思ったが、あとで考えの甘さに気づかされた。
 食後、フロントに聞いたところ、7月1日が吉田口開山、10日が須走口、富士宮口、御殿場口の開山で、ともなってマイカーが規制され、たとえば富士スバルライン五合目に行くには富士北麓駐車場にマイカーを駐め、富士スバルライン五合目行きシャトルバスを利用しなければならないそうだ。シャトルバスは登り45分、下り35分なので、バスだけで1時間半はかかる。五合目から御中道と呼ばれるコースを往復するとおよそ2時間ぐらい、眺めをゆっくり楽しんでも駐車場に4時間ていどで戻れる。
 スニーカーもトレッキング対応だし、トレーナー・ウインドブレーカーも持ってきている。その気になりかけたが、フロントの「天候が不順なので準備は万全に」の言葉で、一昨日のゲリラ豪雨、昨日の中腹の雲を思い出した。五合目あたりに雲がかかって眺めが楽しめなければ、元も子もない。五合目挑戦は次の機会にした。

 観光パンフレットを見ていて、青木ヶ原樹海ネイチャーガイドツアーを見つけた。樹海は映画や小説によく登場するし、昨日、樹海を抜ける道路を走った。迷い込んだら出られない、自殺の名所といった風説もよく聞く。ガイドツアーの話を聞きながら歩けば安心だし、樹海の特性も理解できる。青木ヶ原樹海ネイチャーガイドツアーは、西湖コウモリ穴案内所で申し込むそうだ。
 9:30過ぎにホテルをチェックアウトし、西湖コウモリ穴案内所に向かった。一昨日ゲリラ豪雨のなか見学した鳴沢氷穴、富岳風穴の先なので、国道138号線、国道139号線を西に走る。
 富岳風穴の交叉点を北に折れ、県道を走り、西湖コウモリ穴の標識を見つけた。西湖周遊バスのバス停もあり、バス待ちの観光客がいた(写真)。駐車場に戻る観光客もいる。ほどほど賑わっているようだ。
 ガイドツアーを申し込んだら、ちょうどガイドのMさんが先客のガイドを終えて戻ってきたところだった。Mさんは立て続けだけど1時間コースでよければさっそく出かけましょうと、歩き始めた。私たちと同じ年代のようだが、元気である。樹海ネイチャーに親しんでいるためであろう。

 青木ヶ原樹海は864年の富士山噴火で流れ出した溶岩流の上に形成された溶岩状原生林で、標高920~1300mに、樹齢330~360年のツガ、ヒノキ、ハリモミ、ヒメコマツ、アカマツ、ブナ、ミズナラなどの針葉樹、広葉樹が育ち、たくさんの溶岩洞穴が点在していて、国の天然記念物に指定されている。
 Mさんは、樹林を指さしながら、アカマツが最初に育ち、続いてツガ、モミ、ヒノキ、ブナなどが育つと説明してくれる(写真)。樹木はほぼ同じ高さでそろっていて、上からは緑の波のように見えることから樹海と呼ばれた、下草は生えにくい、富士山の山梨側は水が浸透して湖に流れていくが、静岡側は川が多いなどと歩きながら話す。
 マツボックリ・ヒノキボックリ・ツガボックリを順に拾い、リス、テンなどの小動物の食べた痕跡を見せたり、ムササビが巣作りで剥いだヒノキの皮の痕、シカが食べた木の皮の痕などを次々と教えてくれた。
 どこが道かは判然としないが、Mさんは慣れた調子で進む。溶岩流の上なので凸凹しているが、枝葉の堆積で柔らかい。ほとんどの溶岩が苔むしていて、もこもこに見える(写真)。
 あっという間に1時間ほどのガイドツアーが終わった。盛りだくさんの知識を教えてもらい、たっぷりと森林浴もできた。すがすがしい気分である。

 コウモリ穴案内所でMさんと別れる。目の前のコウモリ穴受付からに入場し、樹海を少し歩く(写真)。鉄製のゲートを下り、コウモリ穴に入洞した。
 富士山麓の最大規模の溶岩洞穴で、総延長は350m以上だそうだ。広々とし、十分な高さもある。夏でも冷気が少なく、冬は暖かいことからコウモリの冬眠場所になり、かつてはたくさんのコウモリが生息したらしい。ところが周辺の開発と洞穴内への過度の侵入で絶滅寸前になってしまった。そこで洞穴の奥をコウモリ保護区とし、入口に鉄製ゲートを設け有料化し、コウモリの保護を図っているそうだ。
 名前はコウモリ穴だが、見学はコウモリ保護区の手前までである。鳴沢氷穴、富岳風穴はヘルメットを何度もぶつけるほど狭く、氷ができるほど冷えていたが、コウモリ穴の溶岩洞穴は十分な広さ、高さがあり、さほど寒くないのでじっくりと溶岩鍾乳石、溶岩棚、縄状溶岩を見学できる(写真)。

 洞穴を出て、クニマス展示館も見学した。かつて秋田県田沢湖だけにクニマスが生息していた。クニマスを人工ふ化しようと、本栖湖、西湖、琵琶湖などに発眼卵が送られた。田沢湖では水力発電が始まり水量確保のため川の水が引き込まれたが、強酸性だったためクニマスが全滅してしまった。
 ところが、2010年に西湖でクニマスが発見されたのである。1935年に田沢湖のクニマスの発眼卵が西湖で放流された記録があり、田沢湖のクニマスの卵がふ化し、繁殖したと考えられている。
 西湖ではクニマスの保護を進めるとともに、田沢湖に戻す構想もあるそうだ。それにしても川の水を引き込むとき、酸性度を調べるなど入念な調査をしておけばクニマスは絶滅を免れたはずである。

 少し先に西湖野鳥の森公園があるので立ち寄った。樹海の中をめぐる散策路があり(写真)、シジュウカラ、ヒガラ。オオルリなど20種類以上の野鳥を観察できるそうだ(写真)。
 樹海を散策したが、野鳥が人間を嫌っているのか、あるいは観察力が鈍く野鳥に気づかなかったのか、開発が進み野鳥の生息圏が樹海の奥に移ったのか、野鳥には出会わなかった。
 樹海、コウモリ、クニマス、野鳥が生き生きできるために、もっと人間は自然との共生に注意深くなければならないと思った。

 西湖は始めである。観光地図に「富士山の眺望がすばらしい」と記されている根羽浜に向かった。マイクロバスで眺望を見に来ていた団体もいた。駐車場も混み合っていた。
 西湖沿いにはキャンプ場がいくつも整備されていて、家族連れ、グループが楽しんでいた。ところが富士は中腹に雲がかかっていた(写真)。天候の動きはめまぐるしいのを実感し、もし五合目を目指していたら雲の中だったかも知れないと思いながら帰路についた。 (2019.2)

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