book480 武士の家計簿 磯田道史 新潮新書 2003 (斜読・日本の作家一覧)2018年5月に金沢・旧武家屋敷街を歩いているとき、大野庄用水に面した四季のテーブルというレストランのガラス窓越しに、映画「武士の献立」というポスターを見つけた。タイトルは聞いたことがある。出演者も見覚えがある。テレビでの放映を見たのかも知れない。その少し前に「武士の家計簿」という映画もつくられたらしい。ポスターにつられてここでランチを取った。スタッフにたずねたところ、映画の料理監修をしたのが青木悦子さんでレストランの上階でクッキングスクールを開いていて、四季のテーブルでも郷土料理をアレンジした料理を創作しているそうだ(http://www12.plala.or.jp/yoosan/traveljapan/ishikawa.htm)。
実質120万石ともいわれる加賀100万石の武士の家計簿が気になり、原作を読むことにした。本の副題は「『加賀藩御算用者』の幕末維新」で、著者がP3はしがきで「金沢藩士猪山家文書」の発見と述べるように、P15・・1842~1879年まで37年間の猪山家家計簿を見つけ、歴史研究者として古文書を解読し、P218・・激動の幕末~維新を生きた加賀藩御算用者家族の物語としてまとめたそうだ。黒船来航1853年、大政奉還1867年、戊辰戦争1868年だから、副題にあるように幕末~維新の激動期の家計簿である。
猪山家はP18・・菊池家に仕える陪臣の身分でP20・・身分制、世襲制が厳しかったが、御算用者は算術に優れた者が選ばれ、P19・・猪山5代市進は算盤をはじき帳簿をつける技能があったことから、御算用者に採用された。それでも俸禄は少なく、子どもに早くから算盤を教え込み、P24・・長男、次男ともに御算用者に採用されて暮らしに余裕が出たそうだ。
市進の次男で家計簿を残した6代綏之は御算用者から、隠居した前田藩主の御次執筆=書記官に抜擢されたほどで、俸禄も加増された。綏之に男子がいなかったので婿養子が7代信之となる。P30・・実子が家を継ぐのは57%強、弟・甥など7%、養子・婿養子は35%だそうだ。養子・婿養子は家存続のためでもあろうが、技能伝承のためもあったように思う。信之は優秀だったようで、藩主前田斉泰と徳川家斉の娘溶姫との婚儀のための住居・調度品の係を命じられた。江戸詰で、いまに残る赤門を始めとした前田家上屋敷と調度品を準備する激務である。凶作もあり財政が逼迫していたが、直之の努力が報われ婚儀は滞りなく終わり、小判7両、70石の領地を与えられた。信之の4男が8代直之として猪山家を継ぐが直之も優秀だったようで、藩主前田斉泰の御次執筆役に抜擢される。
ここまでが「第1章 加賀百万石の算盤係」で、「わかっていない武士の暮らし/会計のプロ猪山家/加賀藩御算用者の系譜/算術からくずれた身分制度/御算用者としての猪山家/六代猪山左内綏之/七代猪山金蔵信之/赤門を建てて領地を賜る/江戸時代の武士にとって領地とは何か/なぜ明治維新は武士の領地権を廃止できたか/姫君様のソロバン役」、として語られていく。
第2章 猪山家の経済状態 では、「江戸時代の武士の給禄制度/猪山家の年収/現在の価値になおすと/借金暮らし/借金整理の開始/評価された不退転の決意/百姓の年貢はどこに消えたか/衣服に金が使えない/武士の身分費用/親戚づきあいに金がかかるわけ/寺へのお布施は18万円/家来と下女の人件費/直之の小遣いは/給料日の女たち/家計の構造/収入・支出の季節性/絵にかいた鯛」、が語られる。
信之が藩主前田斉泰と溶姫との婚儀の住居・調度品係の大役を成功させ、直之が藩主斉泰の御執筆役を果たしたにもかかわらず、家計は火の車だった。P55・・猪山家の年収は現在に直すと、信之530万円、直之700万円の二人で計1230万円ほどである。P57によれば負債が年収の2倍に上っている。P61から借金返済のため所持品を売り出し、難を乗りきろうとした様子が描かれ、支出が年収を上回る理由が明かされていく。家計を切り詰めるために、長女の髪置祝いにはなんと絵に描いた鯛で済まそうとしている。
第3章 武士の子ども時代 では「猪山成之の誕生/武家の嫁は嫁ぎ先で子を産むのか/武家の出産/生育儀礼の連続/百姓は袴を着用できなかった/満七歳で手習い/満八歳で天然痘に感染/武士は何歳から刀をさしたのか」と、武士のしきたりが語られる。
第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ では信之の葬儀費用から始まり、成之が江戸で溶姫の付き人たちの秘書官として活躍し、京に派遣されて兵站事務の激務をこなし、大村益次郎のもとで軍務官を務める様子が、「莫大な葬儀費用/いとこ結婚/出世する猪山家/姫君のソロバン役から兵站事務へ/徹夜の炊き出し/大村益次郎と事務官出仕」として語られる。
第5章 文明開化のなかの「士族」 時代は動き、「家族書簡が語る維新の荒波/ドジョウを焼く士族/廻船問屋に嫁ぐ武家娘/士族のその後/興隆する者、没落する者」と展開する。
第6章 猪山家の経済的選択 維新後の武士の暮らしと猪山家のその後が、「なぜ士族は地主化しなかったか/官僚軍人という選択/鉄道開業と家禄の廃止/孫の教育に生きる武士/太陽暦の混乱/天皇・旧藩主への意識/家禄奉還の論理/子供を教育して海軍へ/その後の猪山家」として語られる。
家計簿を残した猪山家の面々は几帳面だったようで、収入、支出、負債などの一つ一つに費目、内訳が記され、手紙や証文も残っているうえ、著者は膨大な文献を参考にしていて、これまで理解していた武士像が一面では事実でもかなり脚色され、誇大化されていたことがよく分かった。幕末~維新の激動期も猪山家の生き方と著者による参考文献で、武士が翻弄されている様子、猪山家のように先行きを読み激動を乗りきった様子など、新たな知見も得られた。古文書を解読した学術研究でありながら、武士の暮らし方が分かりやすく描かれていて、とても読みやすかった。(2019.2)