yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

「王妃の離婚」はルイ12世と王妃ジャンヌの離婚という史実に基づきながら、夫婦とは何かを問いかけてくる

2016年04月29日 | 斜読

book417 王妃の離婚 佐藤賢一 集英社 1999 /2016.4読  (斜読・日本の作家一覧)
book417 王妃の離婚 佐藤賢一 集英社 1999
 佐藤賢一氏の「オクシタニア」は内容が濃かったし、タイトルの王妃と離婚しようとするのはフランス王ルイ12世であり、王妃と離婚後ブルターニュ女公と結婚し、やがてブルターニュ公国を併合してしまう展開だから、興味をそそって読み始めた。
 佐藤氏の文は、「オクシタニア」でも感じたが、よく練られた滑らかな語り口とは違い、ぶっきらぼうというか、展開が早いというか、唐突なところが多いというか、散文的である。
  それが佐藤氏の魅力にもなっていて、舞台なら身を乗り出して観劇するように、テンポの速い展開に飲み込まれてしまう。A5版381ページを一気に読んだ。

 物語は、エピローグで主人公フランソワと恋人ベリンダを紹介し、
第1章 フランソワは離婚裁判を傍聴する
 田舎弁護士/被告/旧友/クエスチオ/証人喚問/仇敵/求め/新弁護士
第2章 フランソワは離婚裁判を戦う
 宣戦布告/作戦会議/再喚問/冒険/旅路/パリ/界隈/賭け/朝の光/決定打
第3章 フランソワは離婚裁判を終わらせる
 展開/優男/引き抜き/大雨/狼狽/再生
エピローグの後日談でまとめている。

 最終的には離婚に同意する王妃とは、フランス王ルイ11世(1423-1483)の次女ジャンヌ・ドゥ・フランス(1464-4505)である。この本では足の悪い不美人の設定である。
 ルイ11世も暴君として描かれ、ルイ11世の厳命でジャンヌが12才のとき、オルレアン公ルイ・ドゥ・ヴァロア(1465-1498)と結婚することになる。
 オルレアンはパリの南西130kmほどのロワール川流域に位置し、ジャンヌ・ダルク(1412-1431)のオルレアン解放に登場するように要衝の地であった・・ルイ11世はオルレアンを抑えておきたいという思惑があったのかも知れない。ルイ11世のてこ入れでオルレアンは栄え始めるが、この本では触れていない・・。

 結婚したときオルレアン公ルイはまだ11才だった。ルイは、フランス王ルイ11世に逆らえず結婚は仕方がなかった=形だけだったし、ジャンヌとは交わりがなかった、と主張する。二人には結婚が完成したかどうかが、裁判の争点である。

 ルイ11世にはジャンヌのほかに姉と弟シャルル(1470-1498)がいる。ルイ11世没後、シャルルは13才でシャルル8世となり、21才のときブルターニュ公領に目をつけてブルターニュ女公アンヌと結婚する。さらにイタリア戦争を開始し、ナポリ王となるが、跡継ぎのないまま、28才で事故死する。

 フランスの王位継承に関するサリカ法によって、オルレアン公ルイにフランス王位が回ってきて、ルイ12世となる。
 王位に就いたルイ12世は、さっそくジャンヌとの結婚は無効であるとして離婚裁判を起こす・・ブルターニュ女公との結婚をもくろんでいた・・。
 王と王妃の離婚であるから耳目を集め、法定となったトゥールのサン・ガチアン教会は超満員になった。
 そのなかに、ナントで弁護士を務める主人公フランソワもいた。いまや47才、かつてパリ大学で学んだとびきりの秀才だった。そのころ11才下のベリンダと同棲していて、結婚しようと考えていたが、フランソワの言動がルイ11世の逆鱗に触れ、ベリンダの弟で近衛兵のオーエンに襲われたうえ、ベリンダとは別れ別れになってしまう。

 それから20年経ったが、ルイ11世への怨念で、ジャンヌの離婚裁判を冷ややかに傍聴していた。外に出たとき、いまやソルボンヌの副学監となったパリ大学時代の旧友に会う。
 連れてきた学生の一人が活発で優れ者のフランソワであった・・最期の方でオーエンの息子と分かるが、さらに最後の最後でどんでん返しがある・・。
 別の日の傍聴を終えて教会を出たとき、近衛隊長となったオーエンにつかまり、暴力をふるわれたうえ、ベリンダが死んだことを告げられ、ジャンヌの宿舎であるサン・ドミ教会に連れて行かれる。
 そこで、ジャンヌから、ベリンダがジャンヌ仕えていて、フランソワのことをよく聞いていたので弁護を頼みたいと依頼される。

 ジャンヌの弁護を引き受けたフランソワは、なんと、ジャンヌの処女検査を認めたうえで、ルイ・ドルレアン=ルイ12世の男根検査を請求するという奇想天外の作戦を展開する。
 さらに、ジャンヌが住んでいたリニエール城にルイ・ドルレアンが来たときに結婚が成立したというジャンヌの証言を引き出し、それを証言できる医師を証人として召喚する。

 ところが身の危険を感じた医師は姿をくらましていた。パリに潜んでいると確信したフランソワは、オーエンとともにパリに向かい、学生フランソワらの応援でなんとか医師を見つけ出す。
 医師の証言で追いつめられたルイ12世はフランソワらに刺客を放つ。刺客に感づいたオーエンは自らの命をかけフランソワらを逃がすことに成功する。こうした息詰まる展開に引き込まれてしまった。

 ルイ12世とジャンヌの離婚という史実に基づきながら、弁護士フランソワを登場させて当時の教会裁判の展開を描き、そのおりおりにフランソワとベリンダの思い出を挿入ながら夫婦とは何かを問いかけてくる。読み応えがあった。(2016.4読)

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洗面台の蛇口が硬くなり、ギ~と音が出始めた、修理に挑戦、顛末記

2016年04月27日 | よしなしごと

 マンションに住み始めて12年目に入った。あちこち気になることはあっても何とか大過なく過ごしてきた。
 今年に入ってから、洗面台の蛇口が硬くなり始めた。蛇口を上げると水が出て、下げると水が止まり、左に回すと湯、右に回すと水が出るタイプだが、上げたり下げたり、右左に回すのに力が必要になった。
 さらに今月に入ってから、力を入れて動かすとギッ、ギ~ときしんだ音まで出るようになった。
 インターネットで「蛇口が硬い、音が出る」などをキーワードに検索したら、どうやらバルブカートリッジ?が原因らしい。一説には4~5年で交換とも書かれている。昔はパッキンの交換で簡単だったが、いまやバルブカートリッジの時代らしい。
 蛇口をていねいに見てもメーカーが分からない。洗面台下のキャビネットをのぞいても見つからない。
 入居時の説明書をひっくり返し、設備一覧を調べたら、蛇口はJ社ということが分かった。
 J社は始めて聞く名前だ。インターネットで調べると、水道設備用品がずらりと出てきた。蛇口を探したら、Y183に類似している。適合カートリッジはY101のようだ。
 J社に電話して聞いた。対応は親切ていねいだが、出張技術料7000円~、カートリッジは4千数百円だそうだ。
 年金暮らしにはきつい。素人でも交換はできなくはないというので、方法を聞いて、挑戦した。
1 湯水=赤青マークの小さなカバーを外す・・・すぐ外れた
2 奥のネジを六角レンチで外す・・こんな小さな六角レンチは持っていない、近くのホームセンターに行き、2mmと2.5mmを購入し、ネジにあわせると2.5mmだったので、2mmを返す・・、2.5mmレンチでネジは簡単に外れた
3 蛇口のレバーハンドルを上に引っ張ると簡単に外れ、バルブカートリッジの頭が見えた
4 ところが、蛇口下の椀型のカバーが外れない・・インターネットではイギリスレンチで回すと取れると書いてあるので、またもホームセンターへ行き、パイプレンチを購入・・、ぐいと回すと少し傷が付いたが、カバーが外れた
5 次に、バルブカートリッジを抑えている吐水キャップを外す・・これもしっかり閉まっているので、まずパイプレンチで回そうとしたが、引っかかりが少なく滑ってしまった・・、たまたま家にあったプライアーを使ったら、外れた
6 やっとバルブカートリッジを取り出した。カートリッジは、上から、前後に動くレバーの部品、ぞの動きを伝える部品、湯水を混合する部品、湯水の穴が開いた部品で構成されていた。いろいろ眺め回したが損傷は見られない。
7 水は元栓で止めているから水は使えないので、布で拭いて、元に戻していった
8 なかなか元通りにはまらず四苦八苦、できたと思って元栓を開けたら、水が噴き出し、挫折
9 気を取り直し、すべて外して、再度、元通りに挑戦
10 今度は水もしっかり止まり、しかも動きは滑らかに鳴り、音も消えた、完成!!と思ったら、なんと湯水混合のレバーが逆向きだったようで、蛇口レバーハンドルが異様に傾いている
11 再度全部外して、再々度組み立て直す、もう手慣れたので、順調に組み立て完了、水漏れもなし、動きは滑らか、完成する。

 「硬い+音が出た」の原因は不明だが、その後は快調に利用している。1万円以上の出費を抑えたことになり、修理も何とかこなしたから、「良し ◎」ということで、晩酌を美味しく頂いた。

   

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スペインを行く21 ラ・マンチャで、ドン・キホーテに登場する風車群と当時の風情を残す旅籠を見学

2016年04月26日 | 旅行

スペインを行く21 2015年ツアー5日目 コンスエグラ ドン・キホーテ 風車 ラ・マンチャ プエルト・ラピセ グアダルーペ パラドール /2016.4記

 スペインを代表する作家セルバンテスの「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」=ラ・マンチャの騎士キホーテ郷では、ドン・キホーテが30~40台の風車に突進する光景が描かれている。
 ラ・マンチャは夏は炎天、冬は極寒の地で、コンスエグラの丘陵地にいまも観光用に風車が保全されていて、ドン・キホーテの物語を想像することができる。
 風車は石積みの円筒形で、屋根は円錐形である。風向きにあわせて風車の向きを変えられるように、円錐の屋根だけを回転することができるできるそうだ。
 ふだんは風車に布を張って利用するが、風が強いと風車の回転が速くなるし、風圧で風車が壊されることもあるから、布を外すそうだ・・いまは観光がメインだから布は張っていない・・。

 風車を見学したあと、プエルト・ラピセの町のドン・キホーテ亭?と呼ばれる旅籠?兼食堂を見学した。
 かつてセルバンテスが何度も泊まったそうで、ドン・キホーテの物語に出てくる旅籠のモデルになった。
 中庭を囲んだ2階建てで、入口の右手で女性がサフランの花を摘んでいた。サフランsaffron(英語)=azafran(スペイン語)は香辛料で、スペインではオリーブ、ブドウに並び三大農産物の一つだそうだ。
 入口の左が土産物店になっていて、ここでサフランやオリーブオイルなどの地元名産を売っていた。
 奥がレストランで、オリーブオイル?の大きな瓶が並んでいたから、この旅籠は兼業農家といったところだろうか。
 2階は展示室として無料公開されていて、ドン・キホーテにかかわる資料などを見て回ることができる。
 オープンカフェで中庭を眺めながらコーヒーを飲む。
 セルバンテスはここに奇想天外のドン・キホーテを登場させた。ドン・キホーテの奇想天外さは読んでいてもあきれる。たぶん、セルバンテスも少々奇想天外だったのであろう。なにせ、レパントの海戦で負傷して片腕が動かなくなり、帰国の船が海賊に乗っ取られてイスラムの捕虜となったうえ何度も脱走を試みるがことごとく失敗、やっと身代金を払ってもらい帰国したが徴税のミスで牢屋に入れられ・・と、実に波瀾万丈だったから、少々奇想天外でないと生き抜けなかったと思う。

 次に、グアダルーペに向かい、国営ホテルであるパラドールに泊まった。
 パラドールはスペイン語の休息所、宿泊所を意味するが、いまは、景勝地に建つ古城や宮殿、由緒ある修道院などを改修したり、新たに建てたモダンな雰囲気の高級宿泊所を指す。
 グアダルーペ パラドールは15世紀の病院を改修したホテルで、快適だった。続く 

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2005年の子ども建築学校では、台形状の段ボール箱を積み上げアーチトンネルをつくった

2016年04月24日 | studywork

2005 子ども建築学校 ダンボールで連続アーチをつくる /2005.8記
 2001年夏からから参加した春日部市豊春公民館・子ども建築学校の支援も2005年夏をもって、公民館長の交替による新たな企画のため、終了となった。
 最期の子ども建築学校では、段ボール箱を石に見立て、台形状の段ボール箱を並べて・・もちろん接着剤やガムテープなどは使わず・・アーチをつくった。そのアーチを3列並べて、トンネルにした。
 子どもたちは、接着剤を使わないのに落ちてこないなどと感心しながら、トンネルをくぐって大はしゃぎだった。

段ボール箱をつくる=子どもの感想「今日はまずおなかがすきました。切るのもつかれたし、組み立てるのもつかれました。私は3年目なのですが、おととしはアーチ、昨年は家みたいなの、それから今年はトンネルと毎年作るものがちがっていて、とても毎年、楽しんでいます。今年は6年生で、最後なのですが、と~ても楽しかったです」

段ボール箱を積み上げる=子どもの感想「ダンボールでアーチを作るとき、上の部分がのるとは思わなかったけど、すぐくずれちゃうんじゃないかと思っていたけど、のせてみたらちゃんとのっていました。その時すごいと思いました」
「今日ダンボールでアーチを作りました。わたしはなんでボンドもつかっていないのに、おさえてもいないのに、くずれなくてとてもびっくりしてしまいした。さいしょにへやにおいて、つぎにろうかにおいて、あそんだり、写真をとりました。とても楽しい日だと思います」

完成=子どもの感想「アーチをくぐるとき5回以上もくぐり、いろんな写真をとってもらいました。それで、私はなぜあのようなアーチができるのか不思議でした。私はこの学習をして、やってみてよかったなと思いました」
「今日、私が一番楽しかったのはアーチをくぐったのです。もう楽しすぎて、6回ぐらい往復してしまいました。でも、館長さんが何で落ちないのか分かるかなと言われ、少しとまどってしまいました。だから調べたいです」

 子どもたちが住まいづくり、まちづくりの目を身につけてくれることを期待したい。

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2010年、韓国農村建築学会で「民+学+官による農のあるまちづくり」を講演

2016年04月22日 | studywork

熊本地震被災地にボランティアが支援に駆けつけている。頼もしいかぎり。復興と平安を祈る。

2010年 「民+学+官による農のあるまちづくり」を韓国農村建築学会で講演 /2010.12
骨子は、
1江戸・東京の発展にともなう新田開発
江戸の発展にともない水・食糧の確保が課題となり、関東各地で新田開発が進む
事例A 玉川上水掘削により武蔵野台地の開拓が進む/東京都小平 幅22m・長さ500mほどの短冊形敷地に屋敷・屋敷林・水路・農地・平地林
事例B 利根川・荒川流域の低湿地を干拓した新田開発が進む/群馬県明和 →生産性を上げるため道路・60m農地・水路・60m農地・道路を基準とする土地改良

2都市発展にともなう農地の宅地化
都市計画法改正=線引き=農業振興地域+都市計画区域
事例A 武蔵野台地開拓農家の宅地化
事例B 利根川流域干拓農地の宅地化

3農地・緑地の宅地化に伴う問題
事例C 宮代町における緑地・農地志向の変化
事例D 久喜市の宅地化と水環境変化

4民+官+学による農のあるまちづくり推進
事例E 宮代における宅地化による緑の激減
事例F1 宮代における地域別の緑地量
事例F2 緑地の違いが子どもに与える影響
事例G 核となる「新しい村」を設立
農のあるまちづくり&新しい村の成功の鍵は?
 1“町民の意向によく耳を傾け、宮代の資源=農のある町を見定め、専門家の支援+行政の実践力を活かして、町長のリーダーシップで推進する”
 2“まちづくり・むらづくりは終わりのない長期戦であり、即効薬はない、温故知新と同時に、若者の考え=未来への展望を取り入れる”

民+学+官のまちづくりは動き出すまで議論百出し時間がかかるが、議論百出のあいだにパートナーシップが生まれてきて、どこまで進めるか、これは次の展開にしよう、これは冒険的に試みてみよう、などの合意が生まれてくる。その結果、動き出すと確実に進んでいくし、次のリーダーも生まれてくる。

 

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