yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2020.2 今年のe-TAXも送信エラーHJSO426Eやe-TAX Edge用APでドタバタしながら電子送信完了

2020年02月29日 | よしなしごと

順調にe-TAX作業を終え送信! ところが送信エラーHJSO426E ??四苦八苦する

 例年通り、国税庁からメイルで確定申告の案内が来た。
 e-TAX=国税申告・納税システムを始めてから10年に近い。始めのうちは用語や進め方など不慣れでずいぶん手間取った。その後も1年に一回だから記憶が薄れ、初心者に戻ってしまい、作成途中でつまづいたり、保存ファイルが見つからなかったり、送信がうまくいかなかったり、トラブルが少なくなかった。
 署名用電子証明書に有効期限があり、急ぎ区役所に出かけ再発行を申請したこともあった。マイナンバーカードに伴って旧ICカードリーダーライターが使えなくなり、大慌てでインターネット販売Aから新型を購入したこともあった。
 それでもなんとか毎年e-TAXを使い、確定申告を電子送信してきた。

 話は変わる。パソコンが普及し始めたのは30年以上前になる。勤め先では、最初のうちは文書作成、表計算が主だった。ほどなくインターネットを利用した検索やEmail通信を始め、やがてパワーポイント、ホームページやブログ作成へと進んだ。
 自宅にもパソコンを設置し、電話回線・・ほどなく光回線・・を使い、plalaをプロバイダーにしインターネットに接続した。初期のウィンドーズでブラウザはインターネットエクスプローラであり、ログインID ・パスワードはYに設定した。
 plalaのメイルアドレスとは別にマイクロソフトの無料mailサービスであるhotmail.comにもアドレスをつくった。hotmailはどこの国でも利用できる利点があり、その後はほとんどがhotmailでの通信になった。
 その後自宅のデスクトップパソコンをモバイルパソコンに更新した。ウィンドーズも進化していて、ブラウザはマイクロソフトエッジになり、メイルはoutlook.comに変わった。ログインID ・パスワードはIに設定した。
 しかし、慣れているインターネットエクスプローラ+hotmail.comが使いやすいので、インターネットエクスプローラのブラウザも常駐させ、通常はインターネットエクスプローラ+hotmail.comで検索や通信、ホームページ+ブログを活用してきた。

 話はe-TAXに戻る。e-TAXはインターネットエクスプローラ画面からしかアクセスできなかった。これまでは、マイクロソフトエッジ画面(ログインID ・パスワードI)を立ち上げ、インターネットエクスプローラ画面に移り、e-TAXにアクセスして、確定申告作業を進めてきた。

 今年も例年通りのつもりで、インターネットエクスプローラ画面(ログインID ・パスワードY・・ここにミスがあったのをあとで気づく)を立ち上げ、e-TAX画面にアクセスし、
①利用者識別番号+暗証番号でe-TAX画面のメッセージボックスを開き、
②ICカードリーダライタ+マイナンバーカード+利用者電子証明書で事前準備セットアップし、
③いったんインターネットエクスプローラ画面を閉じ、確定申告用の源泉徴収票や保険料控除証明書などを整理し、医療費の領収書を集計して準備を終える。医療費の集計が手間取るが、それでも30分ほどで準備は終わる。
④再びインターネットエクスプローラ画面からe-TAX画面を開き、
⑤個人で電子申告クリック、
⑥作成開始クリック、
⑦e-TAXで提出・マイナンバー方式クリック、
⑧マイナンバーカード読み取り(ICカードリーダー+マイナンバー+署名用電子証明書)、
⑨令和元年分所得申告書式画面が現れるので、書式に従って、年金、雑所得、社会保険料控除、生命保険料控除、配偶者控除、医療費控除を順次記入していくと自動的に税額が計算され、終了になる。ここまで1時間もかからない。
⑨所得申告データを印刷して内容を確認し、ハードディスクに保存する、
⑩「進め」で送信に移り、マイナンバーを乗せたICカードリーダーを接続したままなので、再度、署名用電子証明書を記入、送信をクリック!、終了のはずだった。

 ところが、送信エラーHJSO426Eが表示され、電子送信ができない。
 「戻る」で最初に戻り、改めて「次へ」を進め、再度送信するが、同じく送信エラーHJSO426Eになった。
 e-TAX画面に戻り、よくある質問でHJSO426Eを調べる。
 解決法は、1.スタートボタンクリック、2.公的個人認証サービスクリック、3.JPKIクリック、4.自分の証明書クリック、5.有効性の確認クリック、である。その通りに試したら有効だった。
 再度「次へ」を進めて申告データを送信するが、やはり送信エラーHJSO426Eになった。

 国税庁電話相談に電話する。混み合っていて結構待たされ、ようやくつながる。HJSO426Eの解決法を試したがうまくいかないと伝えたら、シャットダウンして、再度起動し、作業し直すようにとの回答だった。
 指示通り、パソコンをシャットダウンし、10分ほど経ってから電源を入れ、e-TAX 画面を開き、保存した所得申告データを呼び出し、「次へ」を進め、ICカードリーダを接続、マイナンバーを乗せ、署名用電子証明書を記入し、送信する。やはり送信エラーHJSO426Eになった。
 国税庁にもう一度電話し状況を説明すると、ていねいにさまざまな対処を指示してくれた。30分以上、電話をつないだまま指示通りの対処を実行したが解決しない。
 所得申告データをプリントし、必要な書類を添付して税務署に郵送すれば確定申告を済ませることができる。電子送信はあきらめることにして、電話を切った。
 このやりとりで1時間以上かかった。解決できなかったので意気消沈である。
 
 気を取り直し、コーヒーを飲みながら送信エラーHJSO426Eをキーワードにwebのブログを検索し眺めていて、「管理者」に気づいた。
 私のモバイルパソコンは、購入時、マイクロソフトエッジ+outlook.comで、ログインID ・パスワードはIに設定した。パソコンを立ち上げ、ログインID ・パスワードIを入れるとマイクロソフトエッジ画面になる。マイクロソフトエッジ画面からインターネットエクスプローラに移り、e-TAXにアクセスし、確定申告を電子送信してきた。
 今年は直接使い慣れたインターネットエクスプローラからe-TAXにアクセスし作業を進めていたから、ログインID ・パスワードはYである。モバイルパソコンの管理者のログインID ・パスワードはIだから、管理者権限がなく送信エラーになったのではないかと気づいた。

 さっそくマイクロソフトエッジ+outlook+ログインID ・パスワードIに移り、e-TAXにアクセスしようとしたら、e-TAX Edge用APダウンロードを要求され、フリーズしてしまった。
 e-TAX Edge用APとはなんだ?。フリーズしたパソコンを強制的再起動し、マイクロソフトエッジ画面でe-TAX Edge用APをキーワードに検索する。いくつか目を通した。e-TAX Edge用APダウンロードは解決できなかったが、microsoftedgeのupgradeが必要らしいことが分かった。
 マイクロソフトエッジ画面からe-TAXに直接アクセスできるようにアップグレードをしたらしい。
 Microsoftedge upgradeを探し、実行する。
 アップグレードしたマイクロソフトエッジ画面(ログインID ・パスワードI)でe-tax画面を開く。マイクロソフトエッジ画面から直接e-TAXにアクセスできるようになって、①個人で電子申告クリック、
②保存データ利用をクリック、
③令和元年分所得申告書式を呼び出し、「次へ」を進め、
④ICカードリーダーを接続、マイナンバーを乗せ、署名用電子証明書を記入して「送信」!、無事電子送信が完了した。

 今年も四苦八苦したが、電子送信を終えることができた。
教訓1 e-TAXを利用するときは管理者権限のサイトから送信する
教訓2 ウィーンドーズ、インターネットエクスプローラ、マイクロソフトエッジなどはつねに最新の環境にアップグレードしておく
 こうしたミスがなければe-TAXによる確定申告+電子送信は1時間もかからず終えることができるはずである。
 e-TAXで苦慮している方に私の苦い経験をお伝えするとともに、私自身が来年、戸惑わないためにブログにアップする。 (2020.2)

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高田氏の「QED鬼の城伝説」は釜鳴り殺人事件を軸に古代史の新たな解釈を証明する物語

2020年02月25日 | 斜読

book508 QED鬼の城伝説 高田崇史 講談社文庫 2008  斜読 日本の作家一覧
 備中松山城はしばしばテレビでも取り上げられている。備中松山城の攻防も描かれている「戦国の勇者17」(book477)もだいぶ前に読んだ。岡山城と備中松山城の旅を計画し、webで岡山県の名城を調べ、鬼ノ城キノジョウも日本百名城に選ばれているのを知った。吉備津彦神社、吉備津神社も近い。行程を練る参考の本を探し、鬼ノ城、吉備津彦神社、吉備津神社が登場する「QED鬼の城伝説」を見つけた。

 高田崇史(1958-)氏の本は初めてであるが、QEDシリーズは21巻も出版されている。人気作家のようだ。高田氏は薬学部卒で薬剤師の免許を持っている。「鬼の城伝説」で最初に登場する棚橋奈々は薬学部卒の薬局に勤める薬剤師、事件を解き明かす桑原崇=通称タタルは奈々と同じ薬学部の先輩で薬局に勤める薬剤師の設定であり、本のなかでも薬学の知識が披露されている。
 ただし、主題は薬学、薬剤ではない。高田氏は古文、古代史に詳しく、子どものころに身につけてしまい当たり前と思い込んでいた言い伝え、伝承、伝説について、古文、古代史に隠された解釈をひもとき、新たな説を提示することを目指しているようだ。

 タイトルのQ.E.D.はラテン語 Quod erat demonstrandumクォド・エラト・デーモンストランドゥムの略で、数学などの証明が終わったあと「これが示したいことであった」などの意味で書き加えられるそうだが、高田氏は、新たな説を論証したあと、この本ではP437にQ.E.D.=証明終わり、として使っている。

 タイトルの鬼は鬼ノ城を居城とし、この地域を支配していた温羅ウラのことである。温羅を滅ぼすのが大和朝廷・孝霊天皇皇子の吉備津彦命で、温羅の首は吉備津神社の地中深く埋められたとされ、吉備津彦命が桃太郎のモデルといわれている。この本の終盤で、桑原崇=タタルによって桃太郎伝説の新たな解釈が論証され、Q.E.D.=証明終わりとなる展開である。この本の主題は桃太郎伝説の新たな解釈といっていい。

 吉備津神社に埋められた温羅の首の怨念で釜が鳴ると伝えられ、吉備津神社では現在も「鳴釜神事」によって願いが叶うか占う神事が行われている・・本文でも奈々が体験する場面がある。
 この本では事件の舞台になる鬼野辺家にも釜が伝えられている設定で、釜が鳴ってしばらくして先々代の源造が不審死、同じく先代の康一郎も事故死した。そして、現当主健爾が首を切り落とされ、殺される。健爾の惨殺が事件の発端になる。

 高田氏の物語では、場面ごとに主役が入れ替わる。ときには同じ場面でも主役より脇役がだいじな役割を担うこともあれば、ちょい役の主役も登場する。そのためか連続して殺人が起きるのだが息詰まるスリリングさ、ダイナミックな盛り上がり、事件解明の達成感は感じにくい。高田氏が古文、古代史を引用し、伝承、伝説の新たな解釈に力点を置こうとしたためのようだ。

プロローグ 東京の薬局に勤める棚橋奈々の仕事が紹介され、薬局長外嶋が薬用植物の知識とともに、DNA、記憶についての知見を披露する・・DNA、記憶についての考えは伏線であり、終盤の事件解明の手がかりになる。

ANTICIPATION  岡山市観光課の妙見明日香に話が変わり、備中一の宮の吉備津神社、備前一宮の吉備津彦神社や、温羅と孝霊天皇皇子・吉備津彦命、後鳥羽上皇の「真金吹く 吉備の山風 うちとけて 細谷川も 岩そそぐなり」が簡単に紹介される。いずれも主題にかかわるキーワードになる。
 明日香の婚約者が鬼野辺健爾で、健爾の母笙子の誕生会に兄巧実と招かれた明日香は健爾が土蔵で首を切られて殺されているのを見つける。土蔵は閂がかかっていて、密室だった。
 岡山県警忍田警部に話が移る。忍田は健爾の母笙子、弟圭祐、妹風見子、使用人久蔵、明日香、兄巧実に聞き取りをする。誰もアリバイに確証がない。土蔵周辺には足跡が見つからない。裏木戸の先の廃寺の鐘楼、六地蔵あたりにも手がかりはない。
 健爾は好青年で、恨みを買うような人ではない。謎めいたまま話が飛ぶ。

TRANSFORMATION のぞみに乗って岡山に向かう奈々、妹沙織、奈々と同級で社会学科卒、ジャーナリストの松崎良平に話が変わる。明日香の高校の同級生桃田優子、猫村吉子から健爾殺害の事件が小松崎宛てに投書され、桑原崇=タタルが反応して奈々、沙織、小松崎と岡山に行くことになったが、タタルは急用で遅れることになった。
 のぞみの中で、沙織から温羅、鬼ノ城、吉備津彦命や岡山出身の犬養毅などのうんちくが語られる・・犬はこの先キーワードになる。

CALCULATION 圭祐と風見子の会話に話が移り、久蔵の母八田トキ、造り酒屋の丸部が話題になる・・あとでこれも伏線と分かる。圭祐は釜鳴りの秘密を知っていると風見子に話す。
 話は岡山に着いた奈々、沙織、小松崎と出迎えの桃田、猫田に変わり、吉備津彦神社、吉備津神社に関するていねいな紹介が語られる。奈々は吉備津神社の鳴釜神事で願いを占う。
 明日香と巧実に話が飛ぶ。巧実が密室の謎に気づいたらしい。
 奈々たちに話が戻り、鯉喰神社、楽楽ササ森彦命、猿田彦命、鬼門の丑寅、裏鬼門の戍亥、矢喰宮などが語られる・・これらはタタルによる解明のキーワードである。
 遠童勇気に話が変わり、勇気は六地蔵の頭の血を見つける。
 奈々、沙織に話が飛んで、二人の鬼ノ城登りが語られ、朝鮮式山城の仮説も披露される。そこに携帯で、巧実が死体で見つかったと連絡が入る。
  
GENERALIZATION 遠童勇気の見つけた地蔵の頭の血の急報で駆けつけた忍田は、鐘楼の地下道で殺されている巧実を見つける。その地下道は鬼野辺家の土蔵に通じていた。
 忍田は巧実の捜査で八田トキに話を聞きに行く。そこに造り酒屋の丸部隆三が顔を出す、・・これで事件の関係者がすべて登場する。
 奈々は、鬼ノ城あたりが「和名抄」にかつて「賀夜郡」と呼ばれていて、朝鮮半島の「伽耶」に通じると思いつく。
 桑原崇=タタルがようやく登場し、備前一宮の祭神が素戔嗚尊、美作一宮の祭神が鏡作神と語り始め、古事記、日本書紀に隠された朝廷の策謀について蘊蓄を傾ける。高田氏の本領発揮といったところだが、古文、古代史に疎いと理解が追いつかない。要は、吉備津彦命による温羅成敗、その残党である吉備の反乱軍を吉備津彦命率いる朝廷軍が制圧した歴史が隠されているそうだ。
 小松崎が圭祐の自殺を報せる。

UNQUESTIONED 圭祐は土蔵で死んでいた。現場に駆けつけたタタルは鐘楼と土蔵をつなぐ地下道の仕掛けを見破る。
 全員の顔がそろったところでタタルは古文、古代史を引用しながら桃太郎伝説の新たな解釈を披露したうえで、事件の真相を明らかにする。
エピローグ

 阿頼耶識アラヤシキに刷り込まれた無意識が殺人の動機になっているといった筋立てだが、高田氏の論点は、P437・・QED証明終わりとあるように、古文、古代史に隠された朝廷の策謀を明らかにするのが狙いのようだ。高田論を参考に鬼ノ城、吉備津神社、吉備津彦神社を歩き、古代をイメージしたい。    (2020.2)

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2016.11 足立美術館は「庭園もまた一幅の絵」をコンセプトにした日本庭園が素晴らしい 

2020年02月17日 | 旅行

2016.11 島根を行く ⑤足立美術館    日本の旅・島根の旅

道の駅・掛合の里で蕎麦定食
 三瓶山東の原駐車場でナビに足立美術館を入れる。高速道路を利用すると1時間47分、一般道は1時間53分、さほど時間は変わらない。12時過ぎだったので、途中で休憩を兼ねてランチを取ることにし、一般道を選ぶ。
 初めての道である。山あい、林、農地、緑地、家並みなどを抜け、国道45号線に出る。雲南市に入り、車が増えてほどなく道の駅・掛合の里が見えた。食事の看板もある。掛合はカケヤと読むそうで、故竹下登旧総理大臣は旧掛合町の出身だそうだ。
 食事処の窓際の席に座る。龍頭が滝定食がおすすめらしい。龍頭が滝は日本の滝百選にも選ばれていて、高さ40mの雄滝、30mの雌滝が激しい流れを見せ、観光名所になっているらしい。名所にちなんだ定食も気になるが会席風である。夕食に会席を予約してあるので、ランチは蕎麦定食にした。割子そばではなく、ザルにのった蕎麦だがしっかりした味だった。島根はどこで食べても蕎麦はおいしそうである。
 龍頭が滝は国道45号線から県道を経て山道の奥およそ5kmほどのようだが、寄り道せず先を急ぐことにした。

足立美術館 
 14:15ごろ、足立美術館駐車場に車を止める。大型バスが何台も止まっている。旅行社企画のツアーにも組みこまれているようだ。
 足立美術館は足立全康氏が渾身を込めてつくり上げた美術館で、横山大観を始めとする収蔵品のレベルも高いが、足立氏のコンセプトである日本画との調和を目指した日本庭園の見事さも高い評価を得ている。
 足立全康氏(1899-1990)は農家に生まれたが農家の限界を感じ、商いの道を選ぶ。商才があったようで、やがて繊維問屋を営み、不動産も手がけ、財をなした。小さいころから日本画が好きで、横山大観(1868-1958)の名作を始め、竹内栖鳳、川合玉堂、上村松園、北大路魯山人、河井寛次郎、林義雄らの作品、130点を収集した。足立氏は広く社会に還元しようと、1970年、足立美術館を開館する。足立氏は庭造りにも関心が高く、横山大観の日本画にふさわしい日本庭園をデザインするなど、自らも造園を手がけた。

 webには、アメリカの日本庭園専門雑誌・ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニングが行っている日本庭園ランキングで、「庭そのものの質の高さ」「建物との調和」「利用者への対応」などが総合的に判断され、2003年から16年連続日本一に選出されている、と紹介されている。フランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」でも日本庭園が最高評価の三つ星を獲得しているそうだ。


 広い駐車場の隣に2階建ての新館が建っている。新館にも展示室とミュージアムショップがあるらしいが、新館横を抜けて庭園のある本館に向かう。入館料は2,300円で美術館としては高いが、さっそく正面玄関左には「歓迎の庭」と名付けられた造園が目を楽しませてくれる(写真)。四季折々の彩りで来館者を迎える趣向のようだ。緑に紅葉が混じり秋の深さを感じさせていて、本館庭園も料金相応の見応えを期待させる。

 入口ロビーはかなりの混み合いだった。外国人も少なくないが、ツアーの団体が多い。来館者は年間に60万人を超える。単純計算で1日に1600人以上の来館者があり、1時間あたりで230人を越えてしまう。人気の観光地になっているようだ。

 ロビー右の陶芸館を後回しにして、折れ曲がった通路を進む。通路には大きなガラス張りの開口が設けてあり「苔庭」が見える(写真)。白砂が緑の苔に縁取られ、ゆるやかな曲線を描きながら奥に伸びている。樹木で奥が隠されているため、深遠な奥行きをイメージさせる。苔のあいだの飛び石の先に石橋が架けられている。白砂を水面と見立てているようだ。こうしたつくりは京の庭園を連想させる。
 庭園マップを見ると、右上、本館北東に「亀鶴の滝」、北の中ほどに「「枯山水庭」、左上、北西に「白砂青松庭」、左下、南西に「池庭」、そして本館にはさまれた北側の「苔庭」が配置されている(図、web転載)。本館北側の庭園は日当たりがいい。手入れは大変だろうが、生命力にあふれた庭園が楽しめることになる。
 「苔庭」を眺め、右に折れると正面の「枯山水庭」が目を奪う(写真)。遠くの山並みを借景した、庭の先の木立、岡に屹立する立石、刈り込まれた植え込み、なだらかな起伏の芝、手前の白砂の構図は、立石から流れ落ちる滝が谷を削り、うねりながら野を流れ、白砂の大河に注ぎ込む雄大なイメージであろう。
 この「枯山水庭」を始めそれぞれの庭は、足立氏の信念である「一幅の絵」として形を変えないようにつねに手入れされているそうだ。
 「枯山水庭」を眺める窓に面して喫茶室が設けられていて、一幅の絵を眺めながらくつろぐこもとできるが、かなり混み合っている。

 喫茶室を過ぎた壁面に額縁のように横長の開口が設けられている。足立氏の信念である「庭園もまた一幅の絵」の演出で、庭園を一幅の絵として鑑賞する「生の額絵」である(写真、web転載)。手前に樹木が伸び、中景に刈り込まれた植え込みが色鮮やかに配置され、遠景の樹林が視界を止めて空間密度を高めている。琳派の技法だそうだ。大勢が「生の額絵」にカメラを構えていて、写真を撮ることができないほどだった。
 「生の額絵」の隣のガラス窓から右奥に「亀鶴の滝」が見える(写真)。小高い丘に高さ15mの人工の滝がつくられていて、勢いよく渓流が注いでいるらしいが、肉眼では判然としない。もちろん、瀑布の音は聞こえない。横山大観の「那智乃瀧」をモチーフとしているそうだ。目をこらし、想像力をたくましくして、大河に流れ落ちる滝をイメージする。

 順路は中庭を回って南西の「池庭」に向かう。広々とした池には鯉が泳ぎ回っていた。この庭の緑は北面を見せている。足立氏は、本館北側の南面を見せた躍動的な庭園と、北面を見せた静的な「池庭」を対比的に鑑賞する趣向だったのかも知れない。が、庭園の造形に関心が向いていて南面・動、北面・静の差は読み取れなかった。

 「池庭」の先の和室の床の壁面には縦長の掛け軸をイメージした開口があり、この開口から「生の掛軸」を鑑賞する仕掛けになっている(写真、web転載)。確かに一幅の掛軸を見ている気分になる。これこそが、足立氏の信念である「すぐれた技法の日本庭園は一幅の絵」であり、名画を鑑賞するように庭園を鑑賞すればいいと主張しているようだ。

 中庭を回り、本館北西に配置された「白砂青松庭」を眺める(写真)。パンフレットには、横山大観の「白沙青松」をイメージしてつくられたと紹介している。横山大観は教科書で習うし、展覧会でも鑑賞する。個人的には、大観の絵は壮大、豪放、磊落といったイメージである。「白沙青松」が記憶にないので「白砂青松庭」とイメージが重ならないが、「白沙青松」の主題を抽象化して「白砂青松庭」に再編成したのであろう。パンフレットには、右の黒松と左の赤松の対照的な調和美に言及している。黒松の黒い木肌、男性的な枝振りに対し、赤松の赤みの木肌、女性的な枝振りの対照をとらえるのは、肉眼では難しい。大空、山並みを借景にした磊落な「一幅の絵」を感じるにとどまった。

 「白砂青松庭」の鑑賞後、2階に上がり、展示室の作品を見る。横山大観は特別展示室が設けられていて、大作、名作が展示されている。足立氏の日本画、横山大観への思い入れが想像できる。
 順路に従い、1階に降り童画展示を眺める。一息しながら庭園を鑑賞しようと思っても、喫茶室は列ができるほど混んでいた。「枯山水庭」をもう一度目に焼き付け、陶芸館で河井寛次郎、北大路魯山人の展示を鑑賞する。
 地下通路を抜けると新館に出る。1階と2階の展示室を一回りした。庭園の印象が強かったため、新館展示室では気が入らなかった。駐車場に戻ったときは16:00を過ぎていた。見学は2時間近かったようだ。茶室まわりの庭園も見どころらしいので、すべてをじっくり鑑賞するには3時間ほどかかりそうである。

 今日の宿はしんじ湖温泉・ホテル一畑である。足立美術館から県道を経由し、国道9号線を西に走る。雲が広がり出した。宍道湖の夕日は難しくなった。ときおりフロントガラスに雨滴がつく。
 17:00近くにホテルにチェックインする。宍道湖側の部屋を予約しておいたが、宍道湖は煙っている。部屋に案内してくれたスタッフが嫁ケ島の夕日は夕日百選に選ばれているのですが、と申し訳なさそうに教えてくれた。あとでwebを検索したら、見事な夕日の風景が見つかった(写真)。百選にふさわしい素晴らしい夕日である。
 6階の展望温泉に向かう。対岸は松江の町のようだ。煙った宍道湖の先に灯りが揺らめいている。「一幅の絵に仕立てられた日本庭園」を思い起こしながら、身体を癒やす。  続く   (2020.2)

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シチリア人カミッレーリ著「おやつ泥棒」はシチリアを舞台にモンタルバーノ警部が鋭い勘で事件解明

2020年02月11日 | 斜読

book506 おやつ泥棒 アンドレア・カミッレーリ ハルキ文庫 2000      <斜読・海外の作家一覧
 シチリアツアーの予習でアンドレア・カミッレーリ(1925-2019)の「モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン」(book503参照」)を読んだ。
 シチリア・アグリジェント在住の日本人ガイドに聞いたら、モンタルバーノ警部シリーズはお茶の間の人気テレビドラマだそうで、著者カミッレーリの突然の訃報を嘆いていた。
 シャーロック・ホームズのような理詰めで犯行を解き明かすタイプではないが、食には目がなく、話し方はがさつだが親しまれる性格であり、勘が鋭く気になることがあれば時間を気にせず行動を起こし、根気よく犯罪を明らかにしていく性格がシチリア人に好まれたようだ。
 「悲しきバイオリン」はモンタルバーノ警部シリーズ第4作だが先に邦訳された。シチリアツアー後、あとで邦訳出版された第2作の「おやつ泥棒」を読んだ。

 犯行の核心は国際的で、大掛かりなのだが、著者はあえておやつ泥棒Il ladro di merendineといったタイトルをつけている。お茶の間に見あう馴染みやすさを狙ったのではないだろうか。本の中でも、おやつ泥棒にいつまでもとらわれず犯人探し専念しろという批判も書いている。
 読者にもそう思わせながら、実はおやつ泥棒が捜査の手がかりになるし、モンタルバーノの婚約者リヴィアの人生に大きくかかわりそうな設定になっている。ドタバタのように見せかけたどんでん返しもシチリア人好みなのであろう。

 モンタルバーノは食にうるさい。書き出しの1行目に早くもアンチョビーを1キロ半も食べている。続いて署長から土曜にイカ墨スパゲッティを誘われて大喜びし、捜査が一段落したその日の午後にはビンナガマグロ甘酢味とメルルーサのアンチョビソースに神の思し召しのような調理、と形容している。
 その後も物語のあいまに料理が再三登場する。極め付きは、不眠不休で事件を解明したあと骨休みに5日間雲隠れし、タニーノのレストランで哲学学者と同席しながら料理を楽しむためおしゃべりをせず、蟹のパスタには最高のバレリーナの優雅さが楽しめ、サフランのソースを詰めたスズキに息が止まるほど驚くなど、食を楽しんでいる。
 著者を始めシチリア人は食事に至福を感じるようだ。

 冒頭で2つの事件が発生する。一つは、マザーラの漁船が国際水域で漁をしていたところチュニジアの哨戒艇から機関銃掃射を受け、乗組員のチュニジア人が撃たれ、ヴィガータの港に着いたときには死んでいた事件である。
 モンタルバーノ警部がヴィガータ分署に着く前に、部下で友人のアウジェッロ警部補が捜査に出ていた。のちに、この事件はモンタルバーノの元同僚で気のあうマザーラ署のヴァレンテ副所長と協同して事件解明に当たることになる。
 もう一つは、7階建てアパートのエレベータ内で5階に住むラペコーラが胸を料理包丁で刺され、殺された事件である。発見者は7階に住むガードマンのコセンティーノで、現場をそのまま保全してくれていたが、遺留品などは見つからない。
 ラペコーラ夫人は妹の見舞いで朝早くバスで出かけていたので、モンタルバーノは先に各階の住民に話を聞くが手がかりはなかった。

 ラペコーラ夫人の帰宅を待って、室内の捜査と夫人からの聞き取りを始める。ラペコーラは輸出入業を営んでいて、月・水・金に事務所に出かけていることと、カリーマというチュニジア女性の愛人がいたことが分かる。モンタルバーノはラペコーラの書斎で強烈な匂いに気づく。
 モンタルバーノはラペコーラの事務所を捜査し、周辺の聞き取りを進め、カリーマが美人であること、強烈な匂いの香水を使っていること、灰色のBMWを乗り回す甥っ子がときどき事務所に来ていたことが分かる。
 さらに、事務所の真裏に住んでいる車いすのクレメンティーナ夫人から重要な証言を得ることができる・・クレメンティーナ夫人は4作目の「悲しきバイオリンで」でモンタルバーノの信頼できる協力者として登場しているから、モンタルバーノ警部シリーズは連関しながら進化しているようだ。そうしたこともテレビドラマの人気につながっているのであろう。
 
 カリーマの家が見つかる。町外れのぼろ屋で、1階にアラブ語を話す老婆が住み、2階がカリーマの部屋だった。
 モンタルバーノは、カリーマの部屋から同じ匂いの香水を見つけ、カリーマがラペコーラの事務所、ラペコーラの家に出入りしていたことを確信する。

 部屋に残された写真には機関銃を持った兄が写っていた。
 老婆の話からカリーマはフランソワという名の子どもと住んでいたこと、ときどき灰色の車に乗った男が訪ねてきていたこと、身の危険を感じてカリーマとフランソワが飛び出していったことなどが分かる。
 モンタルバーノが老婆と片言のフランス語で話す場面もある。チュニジアはフランス領だったから老婆もフランス語が分かるようだ。老婆はモンタルバーノを信頼し、カリーマから預かった5億リラの通帳を見せる。

 話を飛ばして、カリーマはラペコーラと月・水・金に相手をし、フィノッキアーノとは火曜、マンドリーノとは土曜、パドルフォとは木曜に相手をしていて、年間に4,420万リラ、4年間で1億7,680万リラ稼いでいた。カリーマの通帳は5億リラだから、3億2,380万リラはどうしたのか、モンタルバーノは壁にぶつかる。

 話を少し戻し、子どもが食べ物を取られる事件が起きる。モンタルバーノは、犯人はフランソワと目星をつけ、部下を総動員してフランソワを見つける。モンタルバーノを訪ねていた恋人のリヴィアはフランソワの面倒を見ているうち仲良くなり、養子の話へと進む。
 フランソワの話から、船で射殺されたチュニジア人がフランソワの叔父であることが分かる。
 カリーマ、フランソワ、叔父、甥が結びつき、モンタルバーノはマザーラ署のヴァレンテ副署長と連携し、・・悲しい結果が明らかになるが・・事件を解明する。

 一方、モンタルバーノはラペコーラ殺害の動機はカリーマと推論し、バスのトリックから犯人を割り出す。
 細かなところは読んでのお楽しみに。
 モンタルバーノは鋭い勘でふたつの事件を解明するほど有能そうだが、リヴィアとの仲はなかなか進展しない。加えて養子の話も浮上し、頭を抱える。その一方、食には目がない。部下たちにはぞんざいである。そうした人物描写がシチリア人に好まれるのであろう。
 残念ながら邦訳は2作目「おやつ泥棒」と4作目「悲しきバイオリン」だけである。テレビドラマの日本での放映とほかの作品の邦訳を期待したい。 (2020.1)

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2020.1 手帳は東武スカイツリーライン~半蔵門線~田園都市線を旅した

2020年02月07日 | よしなしごと

2020.1 消えた手帳はなんと東武スカイツリーラインから地下鉄半蔵門線を経て東急田園都市線を旅した?・・・・親切な婦人に感謝

 国際交流・宮あじ会は埼玉県宮代町のコミュニティセンター進修館で毎月1回開催される(HP 国際交流 宮あじ会参照)。
 2020年1月の定例会では、財布を出して会費を払い、次回の予定を手帳に記入し、財布と手帳を手提げにしまって手提げのチャックを閉めた。
 閉会後、近くの居酒屋・織りちゃんで2次会になった。帰りの電車を確認するため手提げから手帳を出し、確認後に手帳をしまい、財布を出して支払いをし、財布をしまって手提げのチャックを閉め、店を出た。

 急ぎ足で東武動物公園駅に向かう。帰り方は、東武動物公園駅から東武スカイツリーライン=伊勢崎線の下りで久喜駅に出てJR宇都宮線に乗り換えるか、東武スカイツリーラインの上りで春日部駅に出て東武アーバンパークライン=野田線に乗り換えるかの二通りがある。
 駅で待ち時間を比べ、春日部駅経由で帰ることにした・・そこまで判断したのだから、決して深酔いではないと思う。

 電車は空いていたので、手提げを膝に乗せ座る。習慣で、座るときは必ず手提げは膝の上に置く。近くには誰もいなかったし、電車の中で手提げのチャックを開けた覚えもない。わずか5分だからウトウトする間もなく春日部駅に着いた。
 1番線から6番線に移動し、少し待って東武アーバンパークラインに乗る。東武アーバンパークラインも空いていたので座り、手提げを膝に乗せ、ウトウトしているうち下車駅に着いた。家に帰ってから、チャックを開けて手提げから財布や文庫本などを一まとめにしてテーブルに置き、歯磨きを終え、入浴し、寝た。

 翌朝、予定を見ようと手帳を探したが、無い。財布、文庫本、メモ類は一まとめになってテーブルに置いてあるが、手帳だけがない。手提げをひっくりかえすが見つからない。ジャケットのポケットにも無い。玄関先?、パソコンあたり?、どこにも見当たらない。
 どこかで置き忘れたか?。織りちゃんで手帳を出したのはおぼえているから電話する。念のため進修館にも電話する。が、どちらにも見当たらない。

 手帳を使い始めて日が浅いから書き込んだメモは少ない。名前と電話番号、Eメイルアドレスのほかは、大事なことは書き込んでいないから実害はない。しかし、どこでなくしたか記憶が無いのですっかり落ち込んでしまった。
 夕方、婦人から電話がかかってきた。私の名前を確認してから、手帳を拾ったので送りたいという。お礼をしたい、郵送料はこちらで負担するなどと伝えたが、自分のことは知られたくないので差出人無しで、余分にある切手を使い郵送するという。よくよくお礼を言い、好意に甘えることにした。

 婦人の話では、手帳は田園都市線の鷺沼近くを走っているとき、網棚に置き忘れてあったのを見つけたという。
 駅員に届けると紛失物扱いでそのままお蔵入りになるかも知れないから、手帳に記載の電話番号に連絡してくれたそうだ。婦人がそのまま放置すれば遺失物となり、私が田園都市線に連絡しない限りいずれ処分されてしまう。

 東武スカイツリーライン+東武アーバンパークラインで帰宅した私は田園都市線を思い浮かべることはあり得ない。婦人の的確な判断には頭が下がる。
 学生のころ大井町線を利用して通学した。卒業してから大井町線は田園都市線に乗り入れ、鷺沼行きも走っていたから、鷺沼駅のおよその地理は想像できる。婦人に感謝を伝えながら、手帳はずいぶんと長旅をしたようです、などと無駄話もした。
 翌々日、速達で手帳が届いた。感謝感激である。

 東武スカイツリーラインは東武動物公園駅(埼玉県)を出てから押上駅(東京都)で地下鉄半蔵門線に乗り入れ、渋谷駅(東京都)から東急田園都市線に乗り入れていて、鷺沼駅(神奈川県)を通る。
 東武動物公園駅から鷺沼駅までは、埼玉県~東京都~神奈川県を走り、1時間40~50分もかかるようだ。手帳を紛失してから親切な婦人が見つけるまで、ほぼ丸一日経っている。手帳は電車の網棚に乗って長い旅をしたことになる。

 東武動物公園駅から乗り換えの春日部駅まで5分ほどである。手提げのチャックに少しすき間があって、座るときか立ち上がるときに手提げから手帳だけが飛び出し、その手帳を誰かが網棚に載せ、そのまま丸一日が過ぎた、とも考えられる。
 ウトウトしていた私に狙いをつけ、気づかれないように隣に座り、チャックをさっと開け、黒の手帳を財布と勘違いして抜き取り、私が降りたあと財布ではなく手帳だったことに気づいて網棚に放置した、とも推理できるが、わずか5分しかない電車でそんなことができるとは考えにくい。

 真実は闇の中だが、財布といっしょにしまった手帳だけが紛失したのはやはり奇々怪々である。もし手帳ではなく財布であれば、名前も電話番号も書いていないし、現金とキャッシュカードが入っているから実害が発生しやすい。財布ではなく手帳の紛失は不幸中の幸いである。

 婦人の親切心で手帳が戻ったことは事実である。この恩義を忘れず機会あるごとに親切を返していきたい。
 くれぐれも手提げのチャックはしつこいほど確かめる、電車ではウトウトしない、注意力が散漫になるほど飲み過ぎないことをお勧めしたい。 (2020.2)

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