2015.12.31 日々雑感
私たちのかかりつけの歯医者は大のスター・ウォーズファンである。ポスターはすべて購入していて、待合室や診察室に貼ってある。
ミニチュアもかなり持っていて、50cmほどのミニチュアはガラスケースに入れて飾ってあるし、小さなミニチュアは待合室のテーブルの上に山のように置いてある。
以前、私が歯の治療に行ったとき、チュニジアの撮影場所の話をしたら、すぐにでも行ってみたいが、歯医者を休めないし、ととても残念がっていた。
今月に入ってカミさんが歯の治療に行ったところ、スター・ウォーズ フォースの覚醒が封切られるからぜひ見るようにと、治療に行くたびにすすめられたそうだ。
いい機会なので、日曜に、歩いて20分ほどのIシネマに出かけた。ここは65才以上が1100円なので、さほど負担ではない。
予想外に?空いていて、ゆったりした気分で鑑賞した。
物語は独立した展開なので、前作を見ていなくても理解できる。映画を見ながら、チュニジアの撮影場所を思いだした。
ハリソン・フォード扮するハン・ソロは息子のカイロ・レンに殺されてしまうが、ディジー・リドリー扮するレイがフォースに目覚めていく展開で、十分に見応えがあった。
帰り道にイタリアン・レストランがあったので、ワインとイタリア料理を楽しんだ。
昨日、フッと思い立ち、歩いて30分ほどにあるRボーリング場に出かけた。
数年前、伊豆のAホテルの泊まったとき、付属施設にボーリング場があったので、十数年ぶり?に3ゲーム挑戦した。
そのときは140前後で、かつての記録には及ばなかったが、大いに楽しんだ。念のため、温泉で筋肉をほぐしたが、翌日、ふだん使わない筋肉が悲鳴を上げていた。
今回も久しぶりだから筋肉痛が気になったので、3ゲームで切り上げた。
やはり140前後に留まったが、ゲームの途中、照明がブルーになり、「一斉に投げて下さい、男性はストライク、女性は9本以上で写真+フレーム進呈」のアナウンスがあり、私の番だったので投げたところ見事ストライク、レイを首から下げた写真を撮ってくれ、帰りにフレームに入れた写真を頂いた。やったね!。
中学生ぐらいのグループ、家族連れ、私たちのようなシルバーが多く、マイボールで一人黙々と投球している人もいた。
3ゲームセットで2000円ほどだった。運動不足解消、ストレス発散、ちょっと興奮、などなどを考えれば安いかな。
もっとも、またもや足や腰が悲鳴を上げていた・・翌日まで残った・・。
帰りは大宮の繁華街に出て、小料理店で手打ち蕎麦+海鮮丼を食した。ランチのせいか、美味の割に値段は手ごろだった。
今日は大晦日なので、床のぞうきんがけに挑戦した。力を入れしっかり磨いているうち、腰が伸びなくなった。何とか床は磨き上げたが、イテテイテテ・・、ぎっくり腰のような症状になった。昨日のボーリングの後遺症も一因かな。
以前、ぎっくり腰で処方してもらった腰用コルセットを探し出し、これをつけて過ごす羽目になった。
なんとか今年中に治って欲しいね。
楽あり苦あり、良いことあり悪いことありで今年も終える。1歩後退したら2歩前進する気持ちで新年を過ごしたいね。
皆さんも1歩後退2歩前進で良い年になりますように。
2015.12.29
今年もあと3日、定年の身だから、年末も年始も平日も休日もさほど変わりはないが、やはり生活を生き生きさせるには、ハレ・ケのようなけじめは必要だ。
今朝、声優熊倉一男氏の思い出を放送していて、ひょっこりひょうたん島の一シーンだろうか「どんなに強い嵐が来ようと、子どもの夢を壊すことはできない」といった意味のせりふが、熊倉氏特有の言い回しで流れた。
子どもだけではない、大人も年よりも、どんな強い嵐が来ても打ち壊せないような夢を抱かなければ、若々しさを失ってしまおう。生きている意味すら消えてしまう。
1年を振り返り、嬉しかったことを思い出し、来年はもっともっと嬉しいことを目指そうと思う気持ち、
1年を振り返り、悲しかったことを思い出し、来年は悲しさを繰り返さないようもっともっと人生に向き合おうとする気持ち、
1年を振り返り、先だった人を思い出し、その人の夢も追い求めようとする気持ち、
1年を振り返り、失敗の辛さを思い出し、失敗の原因を見つめ直して大きな成功へつなごうとする気持ち、
1年を見つめ直すことは、どんな強い嵐が来ても打ち壊せないような夢の実現に近づくと思う。
じっくり、1年を振り返るつもりである。
夢の実現には健全な心身が基本である。今年もいろいろな症状が出たが、何とか乗り越えてきた。いくつかはすでにブログで紹介した。
以下は大腸ポリープ切除の顛末。皆さんの健康の参考になれば幸いである。
60を越えてから、数年おきに大腸の内視鏡検査を受けている。今年は9月に検査を受けたところ、ポリープが見つかった。一昨年はなかったから、この2年のあいだにできたことになる。
小さなポリープが4つ、いずれも目視では良性だが、悪化する前に切りましょう、ということになった。悪化するとはがん化することだから、即座にお願いします!、となった。
すぐ手術かと思ったら、先生曰く、すぐに悪化することはないから、急ぐことはないですよ、というので、予定していたスペイン旅行を楽しんだあとの11月に予約を入れた。
大腸検査もポリープ手術も大腸を洗浄しなければならない。前日の朝食・昼食は消化の悪い野菜、肉を避ける。夕食は具のないおかゆにした。水分は取った方がいいが、アルコールは脱水症状を起こすので止めた。
夕食後、まず下剤を飲む。
検査、手術ともに5時間前ぐらいから、ニフレックと呼ばれる洗浄剤を飲む。2000ccを2時間以内に飲まなくてはならないので、これがなかなか辛い。
5時に起きて、20分おきぐらいごとにコップ2杯ずつ飲んだ。やがて用足しが始まる。トイレに行く、トイレから出たとたん、またトイレへ。これを6~7回繰り返し、一段落。病院へ向かう。
検査の場合は、20分ほどの検査で終了、帰宅となるが、今回の手術は、念のために経過を診るので1日入院となった。
検査台で横たわる。内視鏡を入れてポリープを確認していく。4つのうち、小さなポリープ2つは次回=来年にして、ちょっと大きいポリープ2つを切ることになった。
担当医も助手も私も、おなじディスプレイ画面を見ているし、担当医は助手への指示をしたり、私に話しかけるから、私も経過がよく分かる。
はい切りますよ、と言うと、細い管から輪っかが出てきた。向きを変えながら、ポリープの周りにかぶせ、輪っかを絞ると・・微少電流が流れて焼き切るそうだ・・、ポリープが切れて血がにじみ出す。そのときも大腸は痛みをまったく感じないと気づかされた。
次に、細い管からクリップのような物が出てきて、切ったあとをパチン・・大腸の中の音が聞こえるはずがないから、担当医が手元で押したスィッチの音かな?・・と止める。3ヶ所に止めていた。これで血が止まる。
同じことをもう一つのポリープで行い、手術は無事、成功裏に終了。
ありがとうございました、と言って立ち上がろうとしたら、65才以上はリスク該当者だからと、車椅子に乗せられた。
入院室に戻り、点滴と水だけで一晩過ごす。刺激物は一切禁止だから、茶やコーヒーは駄目、あめ玉やチョコも駄目、ひたすら水を飲み続ける。傷みはないがベッドから動けないので本とテレビで過ごした。
翌朝、経過良しということで、普通の朝食が出た。完食。支払いを済ませ、退院となった。
生活は普段通りでいいが、しばらく激しい運動は禁止・・腹部に力がかかると出血することがあるらしい・・、刺激物や酒は控える・・手術部位の出血を避けるため・・。
10日後ぐらいに、担当医を受診した。細胞診の結果は良好、手術後の経過もよしということで、日常に戻った。
健康に感謝し、日ごろの生活に気を配り、この経験を広く伝え、来年も次の夢に向かって一歩一歩である。
2015.12.26-12.27 2004年 福島県舘岩村の村づくり20年「環境美化条例と曲家保全」 /2004.7記
福島県旧舘岩村の村づくり支援を始めたのは1989年である・・もう26年になる、感慨深いね・・。
きっかけは、1986年度から開始された当時の国土庁(現在の国土交通省)主催のアメニティコンクールで舘岩村が1987年度の最優秀賞に選ばれたことである。受賞の理由の一つは、1985年に制定された、舘岩村環境美化条例である。
過疎化しつつある地方の山村が、観光立村を目指したことも先見性があったと感心するが、観光立村の展開するためには景観の美化が必須であり、そのために村民を説得し、環境美化条例を制定したのである。アメニティコンクールの審査委員は、村民と先導した村長+村議会の意欲に並々ならぬものを感じたのであろう。最優秀の栄誉となった。
舘岩村の自然景観も素晴らしいが、茅葺きの曲屋がよく保全されていて、知る人ぞ知る伝統景観の宝庫でもあった。
村長+村では、曲屋保全活用をすすめ、観光立村を推進したいと考えていて、アメニティコンクールの審査委員を介して、N大のI氏と私に依頼が来たた。
以来、年間を通し、泊まり込み+日帰りで舘岩村に出かけ、取材+調査、集落座談会、検討会、発表会を重ねた。
間もなくして村づくり研究会が発足し、それから20年、舘岩村に通い続けた。
2004年、全国で始まった市町村合併に呼応し、舘岩村も1町3村の合併に加わることになった。応じて、村づくりの体制も変わるので、これを潮時として村づくり研究会を辞任することにし、先進的な環境美化条例の効用を振り返ってみた。
詳しくはホームページを参照して頂ければと思うが、2004年現在、環境美化条例による助成制度で、前沢集落に12戸、水引集落に8戸の保全がなされ、茅葺き曲屋愛好家の目を楽しませている。前沢集落に移築された茅葺き曲屋の蕎麦店は好評と聞いている。
環境美化条例がなければ、アメニティコンクールでは最優秀賞に漏れ、村づくり研究会も発足せず、茅葺き曲屋の保全も難しかったかも知れない。
村づくり+茅葺き曲屋保全に多少なりとも力になれたことは、幸甚である。
2015.12.24 スペインを行く8 プラド美術館 「ヘロデ王の饗宴と洗礼者ヨハネの斬首」 ベラスケス「バッコスの勝利」「ブレダ開城」「王妃イサベル・デ・ボルボンの騎馬像」「ラス・メニーナス」「アラクネの寓話」 /2015.12記
2015年のプラド美術館はヘロニモ館が増築され、カフェが拡張されるなどの整備が進んだが、写真撮影は全面的に禁止になった。1994年に訪れたときは、増築前だったが、写真撮影ができた。セキュリティは大事だから若干の制限は致し方ないが、写真は行動・観察の記録も兼ねているから、撮影が禁止になると行動・観察の記憶があやふやになる。
メモを頼りにプラド美術館を思い出す。
ベラスケスは、プラド美術館の入口名になるほど、スペインを代表する画家である。生まれはセビーリャで、子どものころから画才が認められていたようだ。24才のころ、主席大臣の紹介でフェリペ4世の肖像画を描いたところ、フェリペ4世はたいへん気に入ったようで、フェリペ4世付き宮廷画家として召し抱えられた。
29才のとき、そのころはスペイン領であったネーデルラントからルーベンスが外交官として派遣されてきて、ベラスケスとの交流が始まる。このころに描かれたのが「バッコスの勝利」で、ルーベンスの影響が見られるそうだ。
30才のとき、ルーベンスの勧めで、美術品収集を兼ねてイタリアの旅に出る。このとき、あとで描かれた「ブレダ開城」のスピノラ将軍と同船する。イタリアからの帰国後に描かれたのが「キリストの磔刑」で、ティツィアーノ、ティントレットの影響がうかがえるそうだ。
話が前後するが、スピノラ将軍は独立を目指すネーデルラントと戦い、要塞ブレダ城を開城させ、勝利した。フェリペ4世の戦勝記念として、35才のころに「ブレダ開城」が描かれた。集団肖像画ともいえるこの絵は躍動感が感じられる。
さらに話が前後するが、ブレダ開城でネーデルラントはスペイン領となり、ルーベンスが外交官としてスペインに来て、ベラスケスと出会うといった順序になる。
36才のころに「王妃イサベル・デ・ボルボンの騎馬像」が描かれる。イサベルはフランス王アンリ4世の娘で、フランス語ブルボン朝はスペインではボルボンとなる。
残念ながら王妃はこの絵の10年後、42才で亡くなる。フェリペ4世は自分の妹とオーストリア・ハプスブルク家フェルデナント3世のあいだに生まれた・・つまり姪にあたる・・マリアナと再婚し、生まれた王女がマルガリータで、マルガリータを主人公とした絵が50代後半に描かれた「ラス・メニーナス」である。舞台設定は立体的で、登場人物がいまにも動き出しそうな臨場感にあふれている。
続いて、「アラクネの寓話」が描かれる。立体的な舞台構成もあるが、神話が隠されていて、絵を解くおもしろみもある。
ベラスケスは、王妃イサベル・デ・ボルボンの末娘とフランス王ルイ14世の婚礼の準備を終え、帰国後に61才で没す。多忙が命を縮めたのかも知れない。
2015.12.22 2010年「日本における住民参加のまちづくり・住民・行政・専門家のパートナーシップ」 韓国・忠州都市再生韓日シンポジウム /2010.1記
2010年、まだ松の内に息子夫婦と京都の寺巡りをしていた。高台寺を歩いていたら、携帯が鳴った。なんと、韓国のS君からである。元気な声で、「急な話だけど韓日シンポジウムを開くので講演をお願いしたい」、いつ?と聞くと、なんと来々週と言う。なんとか、S君の期待に応えようと、24日に羽田発・ソウルへ、25日韓国・忠州で基調講演+シンポジウム、26日早朝帰国のハードスケジュールをこなした。
そのころの韓国大統領はイ・ミョンバク氏で、イ氏がソウル市長だったときにどぶ川のようになっていたチョンゲ川の再生計画を実現させた。その結果、環境が回復され、市民が集まり、経済が高揚した。この成功例が大きな力になり大統領に当選したので、イ氏は河川改修による都市再生・活性化を政策として掲げた。
韓国・忠州市は忠州川に沿って発展し、川沿いにバスターミナルがあり、市が開かれていたが、バスターミナルの移転とともに市民の足が遠のき始めた。店は次々と閉店し、市の一部が取り壊され、ついに川の上に駐車場がつくられてしまった。
忠州市では、河川改修による都市再生・活性化をもくろんだが、韓国では住民参加によるまちづくりの実績が少ない。
そこで、日本の住民参加による事業計画の経験を学び、市場再生+忠州川整備計画を住民参加で構想するシンポジウムが企画され、私に基調講演の依頼がきたのである。
シンポジウムの正式名称は「旧都心活性化・都市再生住民参加シンポジウム」で、25日午後2時に開会が宣言され、忠州大学総長、忠州市長、国土海洋部(日本の国土交通省に相当する)都市再生事業団長が挨拶された。
私の講演は2時半からで、演題は「日本における住民参加のまちづくり・住民・行政・専門家のパートナーシップ」とした。
まず、まちづくりにおける市長・行政・住民・専門家の役割を説明し、埼玉県上尾市の総合計画と都市計画マスタープラン、埼玉県宮代町の公衆トイレと新庁舎を事例に、住民参加による計画づくりの進め方を紹介したあと、住民・行政・専門家の役割とパートナーシップの効用を、埼玉県JR上尾駅整備、島根県の築地松保全などを事例に解説した。
その後、同じく日本・K大のU講師が講演し、続いて韓国の3教授が事業計画である「住民参加による忠州龍山洞・緑・水公園計画」を紹介したあと、パネリストによるシンポジウムとなった。
その後、整備事業が着手されたが、住民参加の計画づくりは時間がかかるため、成果を急ぐ今回の事業では住民参加は敬遠されたらしい。住民参加の仕組み作りも時間がかかる。今後を期待したい。