2月2日(日)は、福岡県ウォーキング協会の「元気・スマイルウォーク」です。当番が我が「ふくおかウォーキング協会」です。
1/15(水)の楽しいウォーキングでは、元気・スマイルウォークの下見でした。集合場所は、西鉄五条駅(当日は、大宰府天満宮大駐車場)。約50人の参加です。
9:30から出発式。五条駅の横の紅梅はもう花が咲いているのもあります。
都府楼跡を過ぎ、水城跡へ。今日は、朝から気温が2度ぐらいでおまけに細かい雨も降っています。寒いです。
「水城跡」は、大宰府のある北部九州は日本中で一番中国や朝鮮に近く、原始時代から盛んな交流があり、進んだ文化はまずこの地方にはいってきた。こういう大切なところなので、大和朝廷は早くからこの地方を治め、外国との交際をした。しかし663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。
敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられている。
このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所であった。(太宰府市観光協会より)
水城跡から、筑前国分寺跡を過ぎ、太宰府市ふれあい文化館へ。ここで少し休憩します。
10分間の休憩後再びスタート。
坂本八幡宮です。ここは、昨年菅官房長官が「令和」と発表された時からもう5回目の訪問です。
戒壇院は観世音寺が完成してから15年後天平宝字5年(761年)日本三戒壇のひとつとして観世音寺の区域内に建立された。三戒壇とは奈良東大寺、下野薬師寺、それに観世音寺の戒壇院をいう。
戒壇とは中央部に石で築いてある壇のことで、出家する者に対して、僧侶として守るべき戒律を授けるための儀式が行われる場所である。
我が国の戒律は聖武天皇の招請によって唐から来た鑑真和上によって伝えられたが、鑑真和上が奈良に到着した天平勝宝6年(754年)東大寺に戒壇が設けられ、天皇はじめ多くの人に
授戒したという。江戸時代に観世音寺から独立して現在では博多聖福寺の末寺となっている。(太宰府観光協会より)
造りも奈良東大寺の戒壇院に似ていますね。
観世音寺を過ぎたところには、日吉神社があります。
御笠川の橋を渡り、川沿いに歩きます。11時45分太宰府天満宮へゴール!
これから入試シーズン。今日は、平日でしたが、土日には、合格祈願の方でにぎわうでしょうね。
今日のコースです。
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