10/18(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、コスモスシリーズ第2弾として「唐津街道今宿宿~(周船寺コスモス広場)~前原宿」でした。
周船寺コスモス広場は、地元のJAが平成13年から始めており、今年が20年目。今後、宅地開発などが予定されているので今年が最後のコスモス広場です。
集合場所は、JR今宿駅。参加者は、30名。
9:30今宿駅スタート。旧道の角には、桜井神社への道標があります。
桜井神社と福岡藩・・・・慶長15年(1610年)、6月1日から2日にかけて大雷雨が起こり、突如雷がピカッと光ったかと思うと、岩戸神窟が開けて、ご神霊が現れました。
次々と霊験あらたか(人々の祈りに応えて神様が姿を現すこと、ご利益を与えること)な事が起こったため、洞窟には多くの民衆が集まりました。
そのあまりの騒ぎの大きさを耳にした福岡藩2代目藩主:黒田忠之公は2度現地に遣いを送りました。
その際、寸分も違わず御験(みしるし/神仏の不思議で測り知れない力のあらわれ)があったので、ご神威に感謝され、寛永9年(1632年)に現在のご社殿を創建されたといわれています。
唐津街道の宿場町今宿は、姪浜宿と前原宿の中継ぎの宿場として作られました。今宿の「今」は新しいという意味であり、この街道沿いには種々の史跡があります。
その名残が、門際(搆口)にある「馬つなぎ石」。ここには人馬の継立を行う「問屋場」があったとされています。
横町の信号から左折。このあたりは、国道から離れているため旧家が残っています。
今宿宿:旧糸島郡は、大まかにいうと、現在の国道202号線を境に山側が怡土郡と海側が志摩郡に分かれていました。のちに合併して「糸島郡」になりました。
今宿には、志摩郡の郡役所が置かれていました。昭和16年(1941)福岡市に合併。今宿は瓦の産地としても有名でした。大正時代の女性活動家「伊藤野枝」は、今宿で生まれ、
父親は、瓦職人でした。今年9月伊藤野枝は没後100年を迎えました。
筑肥線の高架を渡るとこのあたりの景色が一変します。福岡市が平成9年(1997)から23年間かけて「伊都土地区画整備事業」が行われ、従来の田んぼがマンション等に建ち替わりました。
さいとぴあ(西区西部出張所)で休憩。
さいとぴあの隣は、「イオン伊都ショッピングセンター」です。
イオンから旧道へ。ここにある「湯溜池」は、人口増加により中学校が不足したので半分を埋立て新設の中学校が建設されます。
このあたりは、「周船寺(すせんじ)」です。旧怡土(いと)郡に属し、昭和36年(1961)福岡市に合併しました。
地名は、太宰府の船修理を担当する役所「主船司」があり、その主船司が地名の由来です。
丸隈山古墳は、伊覩縣主尊が祀られているといわれています。福岡市内最大の前方後円墳。
伊覩(いと)神社・・・・この神社の「覩(と)」は、視線を一点に集めて見るという意味です。
伊覩神社は、伊覩縣主尊、ニギニギノ尊、木花開邪姫が祀られています。毎月18日がお祭りで今日がこの日、幟が立てられていました。
周船寺駅横からコスモス広場に向かいます。下見の時は、まだ2分咲きでしたが、今日は、満開です。
ホント、見事なコスモスです。21,22日はこの会場でコスモス祭りが行われるそうです。
このコスモス広場、農地の休耕田に約30万本のコスモスが植えられています。秋の風物詩になっていましたが、このコスモスも宅地開発が行われるそうで今年が最後だそうです。
記念にみんなで写真を撮りました。
マックスバリューでトイレ休憩後再スタート。このマックスバリューあたりが福岡市と糸島市の境界になります。
国道202号(唐津街道)を西へ進みます。糸島高校前駅のサニーで最後のトイレ休憩。
前原宿・・・戦国時代の前原村は、現在の前原駅の南側付近で、ほんの10軒ほどの村だったそうです。前原の地名の由来が、村の前が原っぱだったので「前原」としたそうです。
その後、1638年の島原の乱後、治安維持のため関番所が設けられ、更に1685年頃、御茶屋・人馬継所ができ、前原村の人たちを強制的に移し、宿場としての形が整いました。
唐津藩主や福岡藩主が宿泊する御茶屋は、法林寺周辺にあったといわれています。町民などが宿泊する町茶屋は、辰美商店にありました。
辰美商店の店の前にあるタヌキの置物は、戦時中、酔っ払いがタヌキと相撲を取って腕が取れてしまったそうです。
前原駅の先の美咲が丘から西は、旧中津領、旧対馬領と分かれています。
12:20 筑前前原駅にゴールしました。
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