よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「第38回飯田やまびこマーチ2日目10km」(長野県飯田市)

2024-05-03 14:30:12 | ふくおかウォーキング協会

4/28(日)「第38回飯田やまびこマーチ2日目」

昨日の大平宿コースで古傷の膝痛が再発したが、宿に帰り湿布薬を貼り、幾分かはよくなりました。20kmコースにエントリーしていましたが、膝痛の影響もあり10kmコースに

変更しました。

30k、20kのスタートを見送り、7:30ふくおかW協会Nさんと3人で歩き始めます。

 

 

大宮神社の所が20k・30kと10kの分岐点。10kコースは右へ。

 

トンネルを通ります。

 

 

黒田諏訪神社へ

 

下黒田の人形舞台は、1840年に再建された総二階建の操り人形専用の舞台で重要文化財に指定されています。

亀甲梁という部材を用いて「テコ」の原理を利用して正面間口に柱がない構造です。

 

飯田は、京と江戸の真ん中に位置することから、西日本と東日本の両様の文化が流れ込む山間部交通の要衝だった。この地域に人形浄瑠璃が伝わったのは江戸時代初期の正保4年(1647年)で、名古屋から来た一座が興行を行い好評を博した(『熊谷家伝記』)。江戸時代中期になると京都や大坂を中心とする上方で隆盛を極めていた人形浄瑠璃は、野郎歌舞伎の台頭により勢いを失いつつあった。結果、浄瑠璃の人形遣い達は活躍の舞台を日本各地に求め、諸国に旅立った。

天明年間には人形芝居興行の免状を持つ、淡路出身の吉田重三郎が下黒田村(飯田市上郷)に来住し、人形芝居を教えた。文化5年(1808年)には同じく淡路出身の森川千賀蔵が河野村(下伊那郡豊丘村)の村人に『道薫坊伝記』を譲渡し、天保3年(1832年)には大坂出身の桐竹門三郎が下黒田村(飯田市上郷)に来住した。伊那谷での人形浄瑠璃は庶民から熱狂的に受け入れられ、村人は浄瑠璃の舞台や人形の為に田畑さえ売り払う者まで出現した。天保の改革では人形浄瑠璃の上演が禁止される一方で、一時的に江戸所払いとなった七代目市川團十郎が飯田出身の13代目後藤庄三郎の興行手配により天保10年(1839年)8月に川路村(飯田市川路)で10日間、歌舞伎の旅公演を行っている(『遊行やまざる』)。明治以降は集会条例等による思想警察の監視など、苦難の時代が続いたものの、300年のあいだ黒田人形、今田人形(飯田市)、早稲田人形(下伊那郡阿南町)、古田人形(上伊那郡箕輪町)の四座が伊那谷の人形芝居の歴史を

今に伝えている

そんな伝統人形浄瑠璃や伝統芸能の宝庫と呼ばれる飯田市で国際児童年の1979年、全国の人形劇人が集まって人形劇カーニバル飯田が始まった。以後1998年に20回を数えたが、20回目のカーニバルを持って飯田市主催での人形劇イベントは終了することとなった。この時、市民にこれまでのカーニバルの意義を再確認すると同時に、これからもこのような祭典を続けていきたいという動きが起こり、人形劇のまつり「いいだ人形劇フェスタ」の第1回が開催されるに至った。(wikipediaより)

 

人形浄瑠璃は、人形・太夫・三味線が一体となった総合芸術です。江戸時代庶民の娯楽として全国に広まりました。

私の町でも江戸時代から続くこの伝統芸能を保存し、年1回公演しています。

 

土曽川大橋を渡ります。その先には、「麻績(おみ)の里」という産直店がありました。看板には、博多ラーメン専門店という文字が・・・・

ラーメン屋さんはまだ開店前でしたが、産直店の店内をのぞいてみました。

 

五平餅がありましたので買って3人でいただきました。この五平餅のルーツは、昨日歩いた大平宿だそうです。

 

五平餅をいただき再スタートします。

民家には、大きな白藤があります。この藤「ダルマ藤(ヤマフジ)」というそうです。

 

遠くには、ちょっと霞んでいますが、3000mクラスの南アルプスの山々が見えます。この中に日本で2番目に高い山「北岳」や4番目に高い「間ノ岳」があります。

  

山道を下りてくると「元善光寺」です。

 

元善光寺は、長野市善行寺が創建される前にご本尊があったことから「元善光寺」と呼ばれています。

 

元善光寺の横から麻績(おみ)の里に向かいます。ここがチェックポイント。

 

「麻績(おみ)」とは、どういう意味か、調べました。

麻(を)を績(う)むこと、つまり麻を細かく裂いて撚りあわせて麻糸をつくること。麻を作ることができる豊かな土地のこと。

麻績神社の所には、「麻績の里舞台桜」があります。名前は隣接する旧座光寺麻績学校校舎にちなんだもので、平成17年に座光寺地域が公募して命名しました。

旧座光寺麻績学校校舎は、明治7年(1874)竣工の県内最古の木造校舎であり、県内最大の歌舞伎舞台を併設したもので、長野県宝に指定されています。

植えられた年代については諸説ありますが、『明治28年 座光寺尋常高等小学校日誌』に、「四月六日 土曜日 晴れ 夜 前ノ櫻満開 本日二八学年度入学(以下略)」

とあり、明治28年(1886)にはある程度の大きさになっていたことがわかります。

 

敷地内には、竹田扇之助記念国際糸操り人形館があります。

今日、飯田やまびこマーチ参加者は、入館料は無料です。中に入ってみました。

  

黒田の人形浄瑠璃・国際糸操り人形・それと川本喜八郎人形美術館など飯田は、「人形の町」ですね。

糸操り人形館を出て再スタートします。

 

 

三宜園の急坂、ここが最大で最後の難関の急坂です。何年か前も通りましたが、あの時は休憩なしで上れたのですが、やはり歳かな・・・・途中で休憩して上りました。

埼玉のSさんとお会いしましたが、彼女若いせいか、一気に上っていきました。

 

追手町小学校の横を通りゴールへ近づきます。

 

10:45 ゴールしました。

帰りのバス(12:34)までは、時間がありますのでお昼は、信州そばをいただきました。

次回は、どこに行くかまだ決めてませんが、協会の仕事が空いた時にまた参加したいと思います。

 

 

 

 


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