よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「香椎浜とアイランドシティ散策」(福岡市東区)

2024-01-21 10:54:36 | ふくおかウォーキング協会

1/17(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「香椎浜とアイランドシティ散策」でした。

集合場所は、JR千早駅。参加者39名。

9:30ウォーキング開始。

 

千早駅周辺はもともと旧国鉄の『香椎操車場』だった場所。その操車場跡地を再開発する「香椎副都心土地区画整理事業」の着工が2000年頃から始まりました。2003年にJR千早駅が開業し、

翌年に西鉄千早駅も開業。千早駅周辺の区画整理が進行し、操車場跡地にはNTTドコモ九州香椎ビルを筆頭に高層マンションが続々と建ち、「香椎副都心公共施設(通称:なみきスクエア)」というシンボリックな施設も登場しました。現在も千早駅周辺では整備事業が行われています。

 

国道3号線から多々良川河口に向かいます。

 

名島神社・・・・神功皇后の三韓御遠征の折、香椎の西にある黒津の岬より、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、その場所が「名嶋」と名付けられたと伝えられます。そしてこの地より宗像三女神を拝し、遠征の無事を祈られました。

御凱旋の後、神功皇后は再びこの地に上らせ給い、宗像三女神を勧請して御奉斎された事が名島神社の起源と伝えられています。
中世には七福神の信仰が盛んになり、三女神の市杵島姫命が弁財天と同一視された事から、名島神社は「名島弁財天社」と称され、足利尊氏や豊臣秀吉などの時の権力者の参詣も受けて

来ました。そして明治時代の神仏分離を経て、弁財天は宗栄寺へと移され、宗像三女神をお祀りする名島神社としてこの地に鎮座しております。(神社HPより)

 

名島帆柱石・・・3世紀ごろ神功皇后が三韓出兵に使用した船の帆柱が化石になったという言い伝えがあります。

 

 

このあたり福岡空港への航路になっているのか、飛行機が頻繁に飛来しています。

昭和初期(昭和6年)、名島には、名島水上飛行場がありました。あの「翼よあれが巴里の灯だ」で有名なリンドバークが世界親善訪問旅行の途中、名島飛行場に飛来しました。

名島飛行場は、水上機専門の為、使い勝手が悪く、雁ノ巣飛行場(戦後米軍に接収)→→席田(むしろだ)飛行場(板付→現在の福岡空港)に移りました。

 

 

名島神社の近くには、旧名島城址があります。

戦国時代天文年間(1532~1555)に立花城主立花鑑載が支城として築造したといわれ、のちの天正16年(1586)から慶長5年(1600)の黒田入城まで、秀吉から筑前国を与えられた

小早川隆景・秀秋がここを改修し居城とした。東をのぞく三方を海に囲まれた戦国時代の城郭で、北に本丸、その南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御する。東西840m、南北280~400mの規模をもつ。関ヶ原の戦い以降、初代福岡藩主黒田長政も初めここを居城にしたが、城下町の発展に不便な地として、慶長6年(1601)から福崎の地に

福岡城の築城を始めた。慶長12年(1607)福岡城の完成、移転とともに廃城となった。この時石垣や門などを新城に輸送したといい、遺構として名島門(市指定建造物)が福岡城に、

唐門(県指定建造物)が崇福寺に残る。
現在、宅地化が進み当時の面影をとどめないが、平成2年の本丸天守台東側の発掘調査では石垣の根石や建造物の跡が確認された。また平成16年度から本丸の確認調査が行われており、

石垣の一部が確認されている。(福岡市の文化財より)

 

名島神社よりみなと百年公園へ向かいます。

  

みなと百年公園は、博多港築港百周年を記念して造られた公園です。桜並木もあり、桜の季節には人が多く集まります。

 

 

 

みなと百年公園からアイランドシティへ(人工島)。

 

 

アイランドシティから博多湾沿いに歩きます。

 

 

 

あいたか橋から片男佐橋に向かっていると、後方の方から私を呼ぶ声が・・・・・「何だろう?」と思ってそちらに向かうと、高齢者の方(私たちも高齢者ですが)がうずくまっています。

見ると、手から血が・・・・・会員の方が持っていた救急バンを貼りますが、それでも止まりません。事情を聴くとイオンの近くの施設の入居者です。

その施設に電話しますが、なかなかつながらず、転送電話になっていました。やっとつながりましたので事情を話し迎えに来てもらうようにしました。

その高齢者の方は、御歳が98歳、生家がこの近くでそこを見に来るために電動自転車で来たそうです。自転車の前カゴにも血がついていました。

ウォーキングは、ここで仮ゴールにし、何人かの方に残ってもらい、救急車を呼ぼうかとも思いましたが、頭を打っていなかったのでまた、最近の施設は、病院と提携している所も

ありますので施設の方を待つことにしました。40分ぐらい待ったでしょうか、やっと施設の方が来られました。事情を話し、私の名刺を渡し、あとは、施設の方にお任せしました。

ゴールに向かっている途中、救急車のサイレンの音がしましたので運ばれたかな?

翌日、東京に住んでおられる息子さんから私にお礼の電話があり、手を二針縫ったそうで他は異常なしということでした。大事に至らなくてよかったです。

約1時間ぐらい遅れ、JR香椎駅にゴールしました。

このあと、秋口に予定している「ねんりんウォーク」の会場候補の「雁ノ巣レクレーションセンター」に行き、事務所の方と打ち合わせしました。