1/11(木)ふくおかウォーキング協会優しいウォークは、「姪浜界隈お寺巡り散策」でした。
姪浜の歴史は古く、小戸は神代の昔、伊邪那大神が小戸の憶ヶ原で禊祓の神業を行なわれ、天照皇大神、月読命、須佐之命、志賀三神、住吉三神、警固三神の御降誕された所として、
全国の神社の祓え詞として奏上されています。
また東北側の海岸線を「あこめが浜」といい、神功皇后が三韓遠征の際、この浜より出発され凱旋帰国された所で、濡れた女性の衣を干された浜で、それが転化して姪浜と呼ばれるように
なったとの言伝えがあります。
長崎・平戸方面からの唐津街道として福岡に入る要路にあたり「宿駅」が置かれ繁栄をしました。鎌倉時代に入り「元」からの侵攻に備え「探題職」を当地に置いたこともあり、愛宕山をはじめクローズアップされるようになりました。その名残が「元寇防塁跡」でマリノアシティ前や小戸ヨットハーバー横の松林にその記念碑があります。
江戸時代には、黒田藩が福岡城(舞鶴城)をつくり入府すると、唐津街道からの福岡入り口の宿場駅としてさらに栄えました。ただ明治維新後は、一時衰退をたどったとの記録があります
明治22年に自治制が敷かれ「早良郡姪浜村」でスタートして、明治26年に姪浜町になり、大正3年(1914年)には「姪浜・福岡炭鉱株式会社(早良炭鉱)」が起業し、炭鉱町としても隆盛していきました。昭和8年(1933年)4月に早良郡姪浜町から福岡市に編入合併され現在に至っています。(姪友会HPより引用)
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福岡市西区姪浜地区には、11軒ものお寺が存在しています。昨年福岡城近くの唐人町のお寺巡りをしましたが、唐人町のお寺の数と変わりません。
福岡城の西の防衛施設としてまず唐人町界隈、続いて姪浜界隈に防衛拠点を設けたのではないかと思われます。
そこで今回の優しいウォークは、その姪浜のお寺巡りです。
集合場所は、JR姪浜駅南口。南口には、波と兎のモニュメントがあります。これは、姪浜のお寺と関係します。
その昔、宋(中国)の国で学問を修めた大応国師(南浦紹明)という僧が帰国の途中、雪深い山の中で狼に追われていたうさぎを助けて船に乗りました。玄界灘で船が暴風雨に遭い、
いまにも難破しそつしなったとき、そのうさきが荒れる海に身を躍らせました。すると荒波がピタリとおさまって、大応国師(南浦紹明)の一行は無事姪浜の港に帰ることができました。
ほっとして空を見上げるとろさぎがきらきらと金色に光り輝いて、空高く舞い上がったかと思うと、やがて龍王の姿となって天に消えていったのでした。
この大応国師(南浦紹明)が文永7年(1270)招かれて興福寺の開祖となりました。
参加者は、31人。今日は初参加者が多いです。
9:30姪浜駅をスタート。今日は優しいウォークですので距離が約7kmです。
姪浜駅から小戸公園へ。
小戸公園へ。
マリナタウンで休憩。
最初のお寺は、 浄土真宗本願寺派「万正寺(まんしょうじ)」
開山は、享禄元年(1528)。万正寺の裏手には、探題塚があります。※福岡市 探題塚 (fukuoka.lg.jp)
浄土真宗大谷派「称讃寺(しょうさんじ)」慶長2年(1597)筑前国志摩郡北原(現西区周船寺)に開基、その後元和2年(1616)この地に移転。
旧唐津街道を通り、臨済宗大徳寺派「白毫寺(びゃくごうじ)」。開基を白毫峯翁一円福雲庭禅和尚、歴史も古く元徳2年(1330)の創建。
白毫とは、仏(如来)の眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛のことです。仏像の額にあるホクロのようなものは、実は毛であるとのこと。
一旦、市道千代今宿線(旧国道202号)に出ます。この道路は、1979年(昭和54)に廃止されるまで西鉄電車福岡市内線の「姪の浜」電停があった所です。
私が小学生の頃、叔母が馬出に住んでおり、夏休みや春休みによくこの電車に乗って遊びに行ってました。その頃は往復切符で25円だったかな・・・・
電停の近くには、映画館が2軒ありました。また、電停の近くには、日の出食堂があり、うどんが美味しかったという記憶があります。
西鉄ストア(レガネット)でトイレ休憩。
休憩後再スタート。細い路地を進みます。
浄土宗「天然寺(てんねんじ)」天文年間(1532~1555)の創建。
時宗「光福寺(こうふくじ)」
お寺には、ソテツの木がよく植えられています。この寺のソテツも大きくて立派です。ソテツは釘を打つと元気になるといわれており、針供養なんかに使われることもありますが、
ある方のブログを見ていたら、はっきりはわかりませんが、ソテツの花が仏教に関連しているのでは?と書かれていました。雄の花がお寺の相殿に似てる、雌花が擬宝珠に似ているからだと
いうことです。一度お寺に聞いてみたいですね。
お寺には、菩提樹として銀杏の木などが多く植えられていますが、これは、銀杏の木が燃えにくいからだそうです。
旦過だるま堂・・・・・北九州小倉に火事で焼けましたが、旦過市場というのがあります。この「旦過」という意味は、旅の修行僧を宿泊してもてなした場所だそうです。
北九州の旦過市場ももともとは、修行僧の為のものだったのではないでしょうか?
旦過だるま堂もこれから行きます「興徳寺」旦過寮があった所です。境内には、室町時代の五重石塔があります。
真言宗大覚寺派「法蔵院」九州八十八か所霊場84番。昭和(1926~1989)初期建立
浄土真宗本願寺派「順光寺(じゅんこうじ)」昔は、怡土郡上原村(現西区今宿上の原)にあり、慶長7年(1602)上原村より移転。
臨済宗大徳寺派「照林寺(しょうりんじ)」昔は、興徳寺の子院でした。当寺の前身は。室町時代中頃の草創、当時檀林寺と東照寺の2ヶ寺がありましたが、無住の時代が長く、
大正6年(1917)両寺が合併し、両寺の名をとり照林寺が生まれました。
姪浜お寺巡り最後は、臨済宗大徳寺派「興福寺(こうふくじ)」・・・文応元年(1260)鎮西探題北条時定が建立。開山は、南浦紹明(大応国師)。
場所は、旧唐津街道姪浜宿の西搆口のそば。寺の敷地は広く市道千代今宿線には、「興徳寺橋」があります。
境内には、いろんな珍しい植物が植えられています。
11:43姪浜駅にゴール!
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