よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

日光ツーデーウオーク (2016)1日目 ギネスブック 「日光杉並木コース」20km

2016-09-08 16:29:00 | オールジャパンウオーキングカップ

9月3日(土) 「第17回日光ツーデーウオーク」に参加しました。今年は、日光開山1250年記念として、1日目は、ギネスブックにも登録されている「日光杉並木コース」20kmにエントリーしました。

日光杉並木は、日光街道、日光例幣使街道、会津西街道のうち、旧日光神領内にあたる大沢 - 日光間16.52キロメートル、小倉 - 今市間13.17キロメートル、大桑 - 今市間5.72キロメートルの3区間の両側に

スギが植栽された並木道の総称である。総延長は35.41キロメートルに渡り、世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている。

徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えた松平正綱が、主君家康の没後、日光東照宮への参道にあたる3街道に約20年の歳月をかけてスギを植樹し、東照宮に寄進したことに始まり、

江戸時代には幕府の日光奉行の元で手厚く保護された。明治以降は幾度も伐採の危機に瀕するものの、官民双方の有識者の努力によって大規模な伐採は避けられてきた。

中でも、地元出身の林学者で「杉並木博士」と呼ばれた鈴木丙馬は、杉並木の研究と保護に生涯を捧げ、保護運動の中心となって活躍した。

周辺の開発によって旧態を失った箇所もあるものの、植樹から400年近く経った現在でも約12,500本のスギが生い茂り、寄進碑や一里塚も現存するなど、江戸時代の街道の景観をよく伝えており、

歴史的にも植物学的にも特に重要とされ、日光杉並木街道 附 並木寄進碑(にっこうすぎなみきかいどう つけたり なみききしんひ)として、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の

二重指定を受けている。また、日光杉並木街道は、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」のひとつとして選定を受けているほか、読売新聞社選定の

「新・日本街路樹100景」(1994年)にも選定されている。現在も生活道路として利用されているが、街道を通る自動車の排気ガスや沿線の開発による根の切断などによって樹勢の衰えが進行し、

毎年平均して100本以上のスギが倒木や枯死により姿を消している。保護が叫ばれて久しいものの、減少のペースに歯止めを掛けるには至っていない。このままでは100年後には消滅してしまうとも言われ、

これを打開すべく保護活動も盛んに行われている。(Wikipediaより)

 

会場は、JR日光駅からバスで約10分の日光総合会館。会場には、栃木・Kさん、埼玉・Iさん、福岡・Sさんなどの方がが参加されていました。

この大会参加者名簿が作られていませんでした。小栗日本ウオーキング協会名誉会長の挨拶の後、午前9時20kmコーススタート。

(日光仮面は、栃木県のゆるキャラです)

   

      

神橋(しんきょう)は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。

奈良時代の末に勝道上人が日光山を開くとき、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めた際、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて

橋になったという伝説を持つ神聖な橋。別名、山菅橋や山菅の蛇橋(じゃばし)とも呼ばれています。現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13(1636)年の東照宮の大造替のとき。

明治35(1902)年にそのときの橋は洪水で流されてしまいましたが明治37(1904)年に再建され、日本三大奇橋の1つに数えられています。(日光旅ナビより)

   

   

神橋を渡って左側には、「天海大僧正」の銅像が建っています。案内板を見てみると、

天海は、比叡山で天台宗の奥義を極めた後、徳川家に仕え、日光玉の貫主となった。当時の日光は、秀吉に寺領を没収され荒廃の極めにあった。

家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移し、東照宮創建に尽くした。日光山中興の恩人である。

天海は、寛永20年(1643)108歳で大往生した。この銅像は、日光出身の彫刻家「倉沢 実」の作品である。

その銅像の横には、日本の美味しい水「磐裂霊水」が」あります。ここも案内板には、

1200余年前、日光開山の祖「勝道上人」がこの地に清水を発見し、以来修道者が神仏に供えた霊水と伝えられる。この水は、男体山系湧水で日本で最も美味しい水として定評がある。

その迎え側には、国登録有形文化財である、日光金谷ホテル系列の「日光物産商会」があります。

 

スタートして2kmぐらいの地点が最初のチェックポイントです。

  

それから東武日光駅前信号から「日光杉並木」に入ります。七里大橋を渡った「日光だいや川公園」が2回目のチェックポイントです。

日光だいや川公園は、日光の自然と悠々・文化へのいざないを基本テーマに、広域レクリエーション活動の拠点として、オートキャンプ場やフィールドアスレチック、ニュースポーツ、緑の相談所等の

施設が充実している。大谷川のせせらぎ、湖畔の木々の木漏れ日、日光の大自然に囲まれた快適スポットです。

   

  

  

大谷だいや)橋の所から右折し、今市の町に入ります。東武日光線ガードの所が中間地点(10km)。時間は、11時丁度。いいペースで歩いています。

   

春日町の交差点を右折すると「二宮尊徳終焉の地」「今市宿」の看板があります。

二宮尊徳は、文政4年(1821)に下野国(現在の栃木県)に移り住みその後、半生を下野の復興に全精力を注ぎました。安政3年(1856)、今市報徳役所内で70歳の生涯を閉じました。

今市宿は、日光街道20番目の宿場町で、もと今村と呼ばれていましたが、宿駅となって住民が宿に集まって活況を呈し、定市が開かれるようになったことから今市宿になりました。

日光街道の他、壬生道、会津西街道、日光北街道などが集まる交通の要衝でした。今市宿は、天保14年(1843)の記録によれば、本陣1、脇本陣1、旅籠21、家数は、236、人口1122人の規模でした。

今市宿の碑のすぐ先が「今市宿緑の広場」です。ここが3回目のチェックポイント。

  

瀧尾神社を過ぎ、再び「日光杉並木」に入ります。杉並木の側道には、水路が流れています。これも尊徳が造ったのでしょうか?

   

 

  

ウオーキングコースは、杉並木から再び「だいや川公園」に入ります。

  

  

県道248号線に出ました。この道も来るときに通った道です。大谷(だいや)川の所に「二宮掘・五ヶ村の歴史」の石碑がありました。

二宮掘」は、二宮尊徳(金次郎)設計の二宮堀の一つで、大谷川から取水して 千本木地区まで流れる灌漑用水路です。

和泉村、平ヶ崎、千本木の三ヶ村の懇望によって開かれ、 後に七里、野口の両村が加わって五ヶ村用水となり嘉永七年に竣工しました。

  

コースは、大谷川沿いを通り、途中からJR日光線の跨線橋を通ります。

  

東武日光駅の所から霧降大橋に向かいます。それから神橋近くを通り、東照宮と向かいます。

 

 

輪王寺です。輪王寺の創建は天平2年(766)、勝道上人が現在の四本龍寺附近で祈祷していたところ、急に紫色の雲が発生し男体山の方へたなびくのを見た事から、

この地を四神守護(青龍、朱雀、白虎、玄武)の霊地と悟り開創したのが始まりと伝えられています。さらに現在の本宮神社附近に男体山の神を勧請し、天応2年(782)には山頂に登り

二荒山神社奥宮を建立し、延暦3年(784)には中禅寺湖畔に男体山の遥拝所として二荒山神社中宮祠と中禅寺湖を開いています。嘉祥元年(848)には慈覚大師円仁が中興したとされ

三仏堂、常行堂、法華堂などの堂宇の建立や境内の整備を行いました。中世は歴代領主や権力者によって崇敬、帰依され寺運が隆盛し「日光三所権現」として山岳信仰も盛んになりますが戦国時代末期になると

輪王寺が北条氏領で関係が深かった事から豊臣秀吉により寺領を没収され一時衰退します。江戸時代に入ると天海僧上が再興し元和3年(1617)には江戸幕府の初代将軍徳川家康を祭る

日光東照宮が創建され、承応2年(1653)には3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院が建立され、翌年の明暦元年(1655)には後水尾上皇から「輪王寺」の寺号を賜ります。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により古来から神仏混合だった日光山全体を日光東照宮、二荒山神社、輪王寺と「二社一寺」に分離され輪王寺も一時称号を没収され本坊が火災にあうなど憂いを

被りましたが明治15年(1883)に輪王寺の寺号が許され、堂宇も随時再建されました。現在でも古建築、寺宝など多くの文化財を所有し日光東照宮、二荒山神社と共に「日光山内」として国指定史跡に指定され、

「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。 (日光旅ナビより)

現在本堂が約50年ぶりの大修理が始まっています。工事用の仮囲いに本堂の写真がプリントされています。

「日光」の名前の由来ですが、「二荒(にこう)山」が「にっこう」となったそうです。

  

輪王寺護摩堂、輪王寺黒門の御朱印。

  

輪王寺の上を登って行くと、「日光東照宮」です。この鳥居は、我が福岡藩主黒田長政公の寄進によるものです。

今日は、土曜日のせいか、観光客の方がたくさん来られています。特に外人の方も多く見受けられます。

日光東照宮は、御存じのとおり徳川家康をお祀りしています。現在の社殿群は、そのほとんどが寛永13年3代将軍家光による「寛永の大造替」で建て替えられたもの。

境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並び、その豪華絢爛な美しさは圧巻です。全国各地から集められた名工により、建物には漆や極彩色がほどこされ、

柱などには数多くの彫刻が飾られています。現在陽明門と三猿の工事が始まっています。

  

拝観料を払い中に入ろうとしましたが、現在時間は、13:20。ウオーキングのゴールの制限時間が16:00 

今から見て廻ると2時間以上はかかるし・・・・・と迷い、チケットを見ると日付が入っていません。「このチケットで明日入場していいかどうか」係りの人に聞きましたら、チケットの有効期限は本日までです。

との返事。仕方なく明日でも行こうとチケットの払い戻しをしました。

  

今、気づいたのですが、会場の日光総合会館は、東照宮のすぐ近くなんですね。坂を下り、地下道を潜ったら「ゴール」のゲートが立っていました。

13:35無事ゴール。

  

今日は、台風前で蒸し暑かったのか、もう全身汗でびしょびしょです。早くホテルに帰り、ホテルの温泉に入りたいです。