11/09 朝、仙台は快晴です。起きると気温が5度。やはり東北の朝は寒いです。
7時半にホテルを出て会場の榴岡(つつじがおか)公園に向かいます。
もともと仙台のウオーキング大会は東松島ツーデー大会でしたが2011.3.11のあの震災で被害を被りその年の大会が中止になりました。
あれから2年9か月・・・・・・・
今回、「杜の都せんだいツーデーマーチ」と名称を変え再スタートです。
出発式ではこの震災で亡くなられた方の冥福をお祈りし5分間の黙とうをしました。
午前8時35kmのスタートです。
約10km地点が台原森林公園です。周りは木々で囲まれ本当に気持ちのいい場所です。
木々には黄葉や紅葉しているのもありました。
11時15分チェックポイントの「水の森公園」にやってきました。18.8km(コースの約半分)。
ここは仙台市民の憩いの場、バーベキューコーナー、多目的広場などがあります。
さすが「杜の都」といわれるだけに仙台の公園には木々が生い茂り森林浴が楽しめ素晴らしいウオーキングです。
マップにはここで昼食と書いてますので私たちもここで休憩します。
時間も12時を過ぎ暖かくなってきました。ただじっとしていると少し寒いです。コンビニで買ったサンドウイッチを食べ再びウオーキング開始。
歩き始めた途端急な上り坂です。上って下ったかと思うとまた上り・・・・・・・
コースは泉区から青葉区に入ってきました。
歩いていると右側に三重塔が見えてきました。
ここが「輪王寺」(りんおうじ)です。
輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、十一世持宗が、太菴梵守和尚を開山として、福島県梁川に創建されました。
政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜りました。
輪王寺は1441年、福島県に創建されたお寺です。その後、伊達家の居城の移り変わりとともに、輪王寺も米沢や岩出山と変わって仙台市に移ってきたのが伊達政宗が拠点を仙台に移した1602年でした。輪王寺の場所が計6回変わったので「輪王寺の六遷」というそうです。(寺院HPより)
輪王寺をバックに更に進みます。柏木1丁目の交差点が20kとの合流点です。ここを左折。
右側は東北大学薬学部、左手が東北大学病院です。少し進んだ交差点の所に初めて見る「信号」が・・・・・・
この信号一台で全方向を指図するんですね。慣れるまで大変かと思いますが効率のいい信号だと思います。福岡では見たことがありません。
26km地点が「大八幡宮」です。
平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。
大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。
この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬しておりました成島八幡宮と共に祀られました。
社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えております。
藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称しておりましたが、御遷座四百年を間近に控えその歴史的経緯を考慮し、平成九年六月、社名を大崎八幡宮に復し、現在に至っております。
尚、当社殿は安土桃山時代の我が国唯一の遺構として国宝建造物に指定されております (神社HPより)
境内では七五三を迎える子供さんがお祓いを受けていました。
コースは仙台の市街地に入ってきます。大橋の手前の階段を下り河川に出てきます。
ここが「広瀬川」です。 広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず 早瀬躍る光に揺れていた君の瞳~
河川敷には何組もの方が集まっておられ、バーベキューでもされているのかな?と思っていましたら大きなお鍋がありました。
「芋煮会」をされているのですね。やはり使われているのは「仙台味噌」でしょうか?
櫻岡大神宮を通り仙台青葉通りを通って仙台駅へ。仙台駅の自由通路を通り仙台駅東口に行きました。
もうゴールまであとわずかです。
14:17 35km無事ゴールしました。
仙台は震災後初めてのJWAの大会でしたが、よく整備された公園などを歩き大変気持ちがよかったです。
今日(9日)35kmを歩いたGPSです。
今日の夕ご飯は、ブログ友達Kさんのご紹介の仙台の料理屋さんでいただきました。