12/9早朝ホテルを出発し花蓮駅へ。
約2時間余りで端芳駅に着きました。
この旅行中、雨にはあまり会いませんでしたが、今日は朝から雨が降っています。
今から行く九份(きゅうふん)は、一年の内200日雨が降ると
言われています。やはりここでは雨とは切っても切れないですね。
九份は9世帯しか家がなかった。当時は交通も発達してなく人々はいつも9世帯の物資をまとめて
調達していたそうです。こうして九份(9つ分)と名付けられたそうです。
ところが19世紀末金鉱が発見されたことで町が発展し、人口も3万から4万人増えました。
ですが、金鉱はだんだん枯渇。1971年にはとうとう閉山し町はもとの静けさに戻りました。
80年代この九份を扱った台湾映画「悲情城市」がベネチュア映画祭で金賞をとると、風光明媚な
この町を見ようと人々が集まるようになり、また再び町が脚光をあびるようになりました。
日本では宮崎監督の「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所でもあります。
九份の中を歩いて見ますと狭い通路に食べ物屋さん、お土産屋さんがたくさんならんでいます。
中には日本語で書かれた店もあります。
何か、映画のセットのような感じです。
雨が降ってなければ見て廻りたいところもありましたが、濡れたのか少し寒くなってきました。
「九戸茶語」で昼食の後1時間ほど散策し、バスで台北に移動しました。(続く)
約2時間余りで端芳駅に着きました。
この旅行中、雨にはあまり会いませんでしたが、今日は朝から雨が降っています。
今から行く九份(きゅうふん)は、一年の内200日雨が降ると
言われています。やはりここでは雨とは切っても切れないですね。
九份は9世帯しか家がなかった。当時は交通も発達してなく人々はいつも9世帯の物資をまとめて
調達していたそうです。こうして九份(9つ分)と名付けられたそうです。
ところが19世紀末金鉱が発見されたことで町が発展し、人口も3万から4万人増えました。
ですが、金鉱はだんだん枯渇。1971年にはとうとう閉山し町はもとの静けさに戻りました。
80年代この九份を扱った台湾映画「悲情城市」がベネチュア映画祭で金賞をとると、風光明媚な
この町を見ようと人々が集まるようになり、また再び町が脚光をあびるようになりました。
日本では宮崎監督の「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所でもあります。
九份の中を歩いて見ますと狭い通路に食べ物屋さん、お土産屋さんがたくさんならんでいます。
中には日本語で書かれた店もあります。
何か、映画のセットのような感じです。
雨が降ってなければ見て廻りたいところもありましたが、濡れたのか少し寒くなってきました。
「九戸茶語」で昼食の後1時間ほど散策し、バスで台北に移動しました。(続く)
アップされる度に「そうなんだぁ」「すごいなぁ」などという声になります。
旅行プランはオリジナルですよね。
どれくらいの手間をかけて作られたのでしょう・・
良い旅をしていらっしゃる~~♪
おはようございます。
雨になったですね。
商店街、アーケードがあるみたいなのに、みんな傘を差しているのが不思議です。
石段の商店街、通路の狭い商店街、日本の観光地にも似たようなところがあるみたい。
これはこれで、楽しそうですね。
店の前で立ち止まって中をうかがうことが出来ないので、つい興味あると入るか、流されるかだな~と思いました。
赤い提灯が目立ちますね。
コメント有難うございます。
台湾旅行は初めてですので旅行会社の
プランです。
何せ台湾は右も左もわかりませんので・・・・
次回行くときは自分でプランしていきたいと
思います。
ぶたころしゃん
コメント有難うございます。
台湾旅行中初めての雨でした。
いろいろ覗いてみたい店もありましたが
雨で寒くなってきましたので休憩場所に急ぎました。
ぶたころしゃんもこの光景をみたら何か
画材として湧いてくるのではないでしょうか?