震災から3年…小笠原もっと伝えなきゃ
震災から3年が経過し、復興について語る鹿島MF小笠原
東日本大震災から3年。岩手出身の鹿島MF小笠原満男(34)は、被災地の現状を伝える活動にあらためて力を入れる。毎年オフは「東北人魂を持つJ選手の会」の仲間と被災3県でサッカー教室を開催しているが、今年1月は熊本で復興支援について講演。12年7月に広域大水害に襲われた場所で、気付いたという。
小笠原 正直、熊本の現状を知らなかった。東北は見てるから分かるけど、違う地域までは…。逆に言えば、東北の現状も全国に知られてない可能性がある。
1日の開幕戦で戦った甲府は雪害に遭った。小笠原は同僚から集めた見舞金を贈ったが、同時に思った。「正直、甲府の状況も詳しく分からない。全国どこでも自然災害が起こる今、発信できる人が伝えなければ伝わらない」。故郷を見て「変わらない、進まない」ともどかしく思うたびに発言してきたつもりだったが、もっと活動し、もっと発信する必要性を痛感した。
そのため、6~7月のW杯中断期間中も動く。「大船渡に造ったグラウンドでの大会、被災地でのスポーツ教室…。東北のためになることを考えていく」と言う。もちろん、その思いをピッチでも表現する。「試合で苦しい時に『もっと苦しんでる方がいる』と自分に言い聞かせて頑張ります」。決意新たに4年目の復興支援に入る。【木下淳】
[2014年3月11日7時52分 紙面から]
これからも「東北人魂」で…小笠原、被災地支え続ける
12年6月の復興支援試合後、場内を1周する小笠原(中央)
Photo By スポニチ
11年5月に東北出身および東北に縁のあるプロ選手によって設立された「東北人魂」の発起人の1人となり、復興支援活動を支えてきた鹿島のMF小笠原満男(34)が現在の思いを語った。
「なかなか思うように復興が進まずもどかしい。向こうに戻るたびに変わらない状況を目にする」。岩手県大船渡市で被害に遭った赤崎小学校跡地の一部を整備して管理。毎月のようにスポーツ教室などを開催してきたからこそ、復興が進まない現状を憂いた。
ただ、一筋の光が差し込んできたことも実感する。「子供たちが将来を見始めている。震災直後はサッカーをやっている時は楽しそうな顔をするけど、なかなか先を見据えることができなかった。最近は“Jリーガーになりたい”と言ってくれる。それが一番うれしかった」。活動を通して子供の表情が変わってきていることが励みだ。
今オフに熊本を訪れる機会があった。12年7月の豪雨による土砂崩れ災害の現在を知った。そこでは「今でも困っている人がいた」という。「地元でない人は知らないことの方が多いと気づかされた。だから発信できる人が発信していかないと…」とあらためて震災を風化させないメッセージを届けようと決意した。
「苦しい中でも頑張っている子供たちの姿を見ている。自分の方が力を頂いている。もっと苦しんでいる人たちがいるから、俺はもっと頑張れると心の中で言い聞かせている」。復興の道のりは遠い。だから、その日が来るまで東北が盛り上がるようなニュースを届けたい。そして、いつか「触れ合った子供たちの中からJリーガーが出てきて自分たちを超えてほしい」と願っている。
[ 2014年3月11日 06:33 ]
J1:「東北人魂」で子供たちに夢 鹿島の小笠原
毎日新聞 2014年03月11日 09時51分(最終更新 03月11日 09時54分)
被災地への思いなどについて語る小笠原=茨城県鹿嶋市内で2014年3月6日午後2時15分、村社拓信撮影
11日で発生から3年がたった東日本大震災。その被災地を思い、地道に支援活動を続けるのがサッカー・J1の鹿島MF小笠原満男だ。岩手・大船渡高出身の小笠原が中心の「東北人魂を持つJ選手の会」(略称・東北人魂)として、今月8日のJ1・鹿島-仙台戦には被災地の子供ら23人を招待。鹿島が2-0で勝った試合後、ほかの東北出身選手とともに対面すると、小笠原は「いい試合を見せたかった」と勝利にほっとした表情を見せ、記念撮影やサインに応じていた。
小笠原は「東北人魂」を通して精力的に活動してきた。被災地でサッカー教室を開いたり、グラウンドを整備したりしてきた。多くの子供たちとふれあう中で、「Jリーガーになれるように頑張ります、と言ってくれた子もいた。僕らが触れ合ってきた意味もあったのかな」と、活動が子供たちの「夢」につながったことを喜ぶ。
「今、どこで自然災害が起きるかわからない」と小笠原。今月1日の開幕戦では、大雪の影響で東京・国立競技場に変更せざるを得なかった甲府に、鹿島選手会として義援金を渡した。「困った時はお互いさま。僕らもいろいろな人たちに助けてもらった。今回は僕らが何か力になろうと思った。それがスポーツの良さ」と話した。
いまだに仮設住宅で暮らす被災者がいるなど、復興が進まない現状に「ずっともどかしかった。もう少し何とかならないのかと思う」と率直な気持ちを打ち明ける。「自分は地元を見ているから知っているが、見ていない人には、わからないかもしれない。発信できる人が発信しないと、伝わらない」と風化させないためにも、活動を続けていく。【村社拓信】
震災より三年が経ち、被災しておらぬ者は通常の生活を送っておる。
しかしながら、被災地に於いては復興は進んでおらぬ。
小笠原満男の尽力には頭が下がるばかり。
彼の行為を尊敬し、力を添えたい。
応援しておる。
震災から3年が経過し、復興について語る鹿島MF小笠原
東日本大震災から3年。岩手出身の鹿島MF小笠原満男(34)は、被災地の現状を伝える活動にあらためて力を入れる。毎年オフは「東北人魂を持つJ選手の会」の仲間と被災3県でサッカー教室を開催しているが、今年1月は熊本で復興支援について講演。12年7月に広域大水害に襲われた場所で、気付いたという。
小笠原 正直、熊本の現状を知らなかった。東北は見てるから分かるけど、違う地域までは…。逆に言えば、東北の現状も全国に知られてない可能性がある。
1日の開幕戦で戦った甲府は雪害に遭った。小笠原は同僚から集めた見舞金を贈ったが、同時に思った。「正直、甲府の状況も詳しく分からない。全国どこでも自然災害が起こる今、発信できる人が伝えなければ伝わらない」。故郷を見て「変わらない、進まない」ともどかしく思うたびに発言してきたつもりだったが、もっと活動し、もっと発信する必要性を痛感した。
そのため、6~7月のW杯中断期間中も動く。「大船渡に造ったグラウンドでの大会、被災地でのスポーツ教室…。東北のためになることを考えていく」と言う。もちろん、その思いをピッチでも表現する。「試合で苦しい時に『もっと苦しんでる方がいる』と自分に言い聞かせて頑張ります」。決意新たに4年目の復興支援に入る。【木下淳】
[2014年3月11日7時52分 紙面から]
これからも「東北人魂」で…小笠原、被災地支え続ける
12年6月の復興支援試合後、場内を1周する小笠原(中央)
Photo By スポニチ
11年5月に東北出身および東北に縁のあるプロ選手によって設立された「東北人魂」の発起人の1人となり、復興支援活動を支えてきた鹿島のMF小笠原満男(34)が現在の思いを語った。
「なかなか思うように復興が進まずもどかしい。向こうに戻るたびに変わらない状況を目にする」。岩手県大船渡市で被害に遭った赤崎小学校跡地の一部を整備して管理。毎月のようにスポーツ教室などを開催してきたからこそ、復興が進まない現状を憂いた。
ただ、一筋の光が差し込んできたことも実感する。「子供たちが将来を見始めている。震災直後はサッカーをやっている時は楽しそうな顔をするけど、なかなか先を見据えることができなかった。最近は“Jリーガーになりたい”と言ってくれる。それが一番うれしかった」。活動を通して子供の表情が変わってきていることが励みだ。
今オフに熊本を訪れる機会があった。12年7月の豪雨による土砂崩れ災害の現在を知った。そこでは「今でも困っている人がいた」という。「地元でない人は知らないことの方が多いと気づかされた。だから発信できる人が発信していかないと…」とあらためて震災を風化させないメッセージを届けようと決意した。
「苦しい中でも頑張っている子供たちの姿を見ている。自分の方が力を頂いている。もっと苦しんでいる人たちがいるから、俺はもっと頑張れると心の中で言い聞かせている」。復興の道のりは遠い。だから、その日が来るまで東北が盛り上がるようなニュースを届けたい。そして、いつか「触れ合った子供たちの中からJリーガーが出てきて自分たちを超えてほしい」と願っている。
[ 2014年3月11日 06:33 ]
J1:「東北人魂」で子供たちに夢 鹿島の小笠原
毎日新聞 2014年03月11日 09時51分(最終更新 03月11日 09時54分)
被災地への思いなどについて語る小笠原=茨城県鹿嶋市内で2014年3月6日午後2時15分、村社拓信撮影
11日で発生から3年がたった東日本大震災。その被災地を思い、地道に支援活動を続けるのがサッカー・J1の鹿島MF小笠原満男だ。岩手・大船渡高出身の小笠原が中心の「東北人魂を持つJ選手の会」(略称・東北人魂)として、今月8日のJ1・鹿島-仙台戦には被災地の子供ら23人を招待。鹿島が2-0で勝った試合後、ほかの東北出身選手とともに対面すると、小笠原は「いい試合を見せたかった」と勝利にほっとした表情を見せ、記念撮影やサインに応じていた。
小笠原は「東北人魂」を通して精力的に活動してきた。被災地でサッカー教室を開いたり、グラウンドを整備したりしてきた。多くの子供たちとふれあう中で、「Jリーガーになれるように頑張ります、と言ってくれた子もいた。僕らが触れ合ってきた意味もあったのかな」と、活動が子供たちの「夢」につながったことを喜ぶ。
「今、どこで自然災害が起きるかわからない」と小笠原。今月1日の開幕戦では、大雪の影響で東京・国立競技場に変更せざるを得なかった甲府に、鹿島選手会として義援金を渡した。「困った時はお互いさま。僕らもいろいろな人たちに助けてもらった。今回は僕らが何か力になろうと思った。それがスポーツの良さ」と話した。
いまだに仮設住宅で暮らす被災者がいるなど、復興が進まない現状に「ずっともどかしかった。もう少し何とかならないのかと思う」と率直な気持ちを打ち明ける。「自分は地元を見ているから知っているが、見ていない人には、わからないかもしれない。発信できる人が発信しないと、伝わらない」と風化させないためにも、活動を続けていく。【村社拓信】
震災より三年が経ち、被災しておらぬ者は通常の生活を送っておる。
しかしながら、被災地に於いては復興は進んでおらぬ。
小笠原満男の尽力には頭が下がるばかり。
彼の行為を尊敬し、力を添えたい。
応援しておる。
小笠原選手の言う通り発信し続ける人がいないと対岸の火事となってしまいそうで、いざ自分の身に降り襲った時恐ろしいなと感じます。
でも小笠原満男は政治家ではなく、サッカー選手です。あまりに大きな負担を背負わせてしまっている。国や行政、そして私たち一人一人が彼の負担を軽くしてあげないといけませんね。
W杯期間中もとありますが、W杯は出て欲しい。リーグ戦2試合を観ましたが、本当に素晴らしいし、同い年の遠藤選手もいるのだから、年齢的にも問題ない。
何よりこの数年で培ったリーダーシップは誰も真似できない。
ザッケローニや協会の偉い人、早くき気づいてください。