GK櫛引政敏を強くした3人のライバル
鹿島での新たな挑戦、そしてリオ五輪へ
安藤隆人2016年2月9日(火) 11:00
高校入学と同時に立ちはだかった先輩GK・笹森
AFC U-23選手権で守護神として優勝に貢献した櫛引政敏。新シーズンは鹿島で新たな挑戦に身を投じる【Getty Images】
ライバルとの競争が櫛引政敏を強くした。
地元・青森でサッカーを始めた櫛引は青森山田高校時代にブレークし、清水エスパルスに入ると、3シーズン目には若くして正GKの座をつかんだ。2016年1月に行われたAFC U-23選手権では、チームの守護神として優勝に貢献。リオデジャネイロ五輪の出場権獲得の立役者となった。そして迎える新シーズン、櫛引はJリーグの強豪・鹿島アントラーズで新たな挑戦に身を投じる。
こうした履歴だけを見ると、あまりにも順風満帆なサッカー人生に見える。だが、GKとは一つしかないポジション。その生存競争はすさまじいものがある。その中で櫛引が今日まで歩んで来られたのは、もがき苦しみながらもライバルとの競争の中で着実にステップアップしてきたからだ。
櫛引にとって最初の本格的な競争は、青森山田高に入ってからだった。青森山田中から進学した08年、その身長は170センチ台で、瞬発力と反応の良さで勝負をする選手だった。全国中学サッカー大会の準優勝GKとして高校に上がって来た櫛引の前に、1学年上の笹森一成が大きな壁となって立ちはだかった。努力家の笹森がインターハイ、高校サッカー選手権予選などでゴールマウスに立ち、櫛引は控えに回った。
しかし、この年の選手権で立場は逆転する。黒田剛監督は重要なこの大会で、1年生守護神を大抜てきしたのだった。
「マサ(櫛引)の身長がこの1年でグッと伸びた。180センチ台になり、GKとしての資質も十分にあった。本格的にプロを目指せる素材だと思ったからこそ、彼の可能性に懸けるために起用した」(黒田監督)
大迫に翻弄された初めての選手権
初めての選手権、櫛引は鹿児島城西の大迫(9)との駆け引きに翻弄(ほんろう)された【写真は共同】
だが、青森山田は準優勝した大迫勇也(現・ケルン)率いる鹿児島城西を相手に4失点を喫し、3-4で初戦敗退となる。端から見たら、黒田監督の賭けは失敗したかに見えた。しかし、この経験が櫛引と周りの状況を一気に変化させたのだった。
「初めて高校で全国に出てみて、力の差を感じた。特に大迫選手のシュートの技術、うまさには驚いた。自分の動きや位置を見て、嫌なコースばかり狙ってきた。上にいくためには、こういうストライカーのシュートを抑えないといけないとはっきり理解できた」(櫛引)
初の選手権で大迫との駆け引きに翻弄(ほんろう)され、規格外のストライカーから喫した2失点は、櫛引の中の経験値のアベレージを大きく引き上げた。この試合以降、常に彼の頭の中には大迫というストライカーの残像が残り、得意だったシュートストップにさらなる磨きがかかった。
さらに高2になる時、新たな転機が訪れる。黒田監督から「マサをプロにしてほしい」という依頼を受けて、湯田哲生コーチが青森にやって来た。細かいステップだけでなく、ポジショニング、駆け引き、重心の置き方、そして前への飛び出しのタイミング、判断など、GKに必要な細かい技術を徹底的に教え込まれ、さらなるステップアップを果たした。それは笹森も一緒だった。自分より1学年下の櫛引に選手権という重要な舞台でレギュラーポジションを奪われたことで、より気迫と意識の高さを持ってトレーニングに取り組むようになった。
もともと櫛引は、黒田監督が「あっけらかんとしているというか、良い意味でポジティブだけれど、悪い意味ではちゃらんぽらんな部分もある」と語る性格だっただけに、笹森のメンタリティーと姿勢は、結果として櫛引にプラスの刺激を与え、意欲的な姿勢を引き出すこととなった。
日々繰り広げられるハイレベルなポジション争い。09年の春先は笹森も成長を見せ、黒田監督もどちらを起用すべきか頭を悩ませた。櫛引が正GKであることに変わりはなかったが、笹森が出番をつかむ試合もあった。この切磋琢磨(せっさたくま)が櫛引をより磨き上げ、夏を過ぎると櫛引はもう笹森にポジションを渡すことはなくなった。
「笹森の練習に打ち込む姿勢、後輩をリードする姿勢は素晴らしかった。でも、明らかに能力面ではマサが上だった。笹森がマサを引き上げてくれて、徐々にマサが周りの信頼を勝ち得ていったと思います」(湯田コーチ)
2度目の選手権で注目され、6月に清水加入を発表
2度目の選手権では、準決勝でPK3本を止める活躍を見せた櫛引(12)【写真は共同】
絶対的な守護神として迎えた第88回高校選手権。櫛引は持ち前の高い能力をフルに発揮し、青森山田のゴールマウスを守り続けた。準決勝の関西大学第一(大阪)戦では、鋭い反応と巧みなセービング技術を駆使し、幾度となくピンチを防ぐと、迎えたPK戦では3人のシュートをストップ。「キッカーの助走の角度を見てから飛んだ」と語る落ち着きぶりで、チームを初の選手権決勝に導いた。
決勝こそ、山梨学院大附属の碓井鉄平(現・長野パルセイロ)に鮮やかなミドルシュートを決められ、0-1の敗戦を喫したが、選手権準優勝チームの正GKとして一気に注目度が高まった。周囲の環境は劇的に変化し、多くのJクラブから練習参加の問い合わせが舞い込むようになる。それぞれのチームで練習参加をする中、櫛引の考え方も大きく変化した。
「一気に注目されるようになったと実感しています。自分のパフォーマンスをしっかり出せる、波のない選手になりたい。そして、プロで活躍できる選手になりたい」
あまり大きなことを口にしない櫛引が、はっきりと目標を掲げた。「決断が早ければ早いほど、プロにいくチームでの自分の目標が明確にできるので、早めに決めたい」と、高3の6月には清水加入を発表。それが成長の加速を早めた。
「個人的にはキャッチが未熟なので、しっかりさせたい。あと、キックをもっと成長させたい。GKは攻撃の第一歩なので、近くでビルドアップをするだけでなく、相手陣内のスペースに走り込めるような、長いボールを一発で送れるようにしたい」(櫛引)
次々と櫛引の口から出てくる自身の課題についての言葉。あっけらかんとした性格の彼の心に、大きな火がともった証拠だった。
大きなベースとなった高校の3年間
昨シーズンはシーズン途中で守護神の座を明け渡した。だが、櫛引がその歩みを止めることはなかった【写真は共同】
櫛引の変化を湯田コーチも感じ取り、さらなる刺激を与えた。
「飛翔ならもっとキックが飛ぶぞ!」
「こんなことをしていたら、簡単に追い抜かれるぞ!」
湯田コーチは同時期、関東第一高のGKコーチも兼任しており、櫛引の1学年下である渋谷飛翔(現・横浜FC)も指導していた。渋谷もまた188センチの高さを誇り、年代別代表にも名を連ねる存在で、湯田コーチは卒業した笹森の代わりに、渋谷を櫛引の競争相手に仕立てたのだった。
「あの2人に共通しているのが、『能力がある』こと。能力がない選手は理論だけで育てられない。彼らは能力があったからこそ、それをいかにスムーズに発揮できるかが指導の一番のポイントだった」
湯田コーチからの“激励”を受け、櫛引はおごることなく、2年の時と変わらぬ姿勢でトレーニングに打ち込んだ。最後の選手権こそ、優勝をした滝川第二に3回戦で敗れたが、青森山田で過ごした3年間は、櫛引の中で大きなベースとなった。
清水加入後の櫛引は、プロの厳しい世界で浮き沈みを経験した。特に昨シーズンは守護神の座を奪われ、チームは出だしのつまずきから立ち直れないまま、J2降格となった。だが、GK杉山力裕とのポジション争いと、これまで培ってきた経験により、櫛引がその歩みを止めることはなかった。
リオ五輪で羽ばたくために
AFC U-23選手権は通過点。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
運もあるかもしれない。だが、常に自分の前に立ちはだかるライバルと抜きつ抜かれつの競争をしてきたからこそ、櫛引は強くなった。決してライバルの後塵を拝し続けるわけではなく、常にリードしているわけでもない。明日にはどう転ぶか分からない状況下でも、櫛引は高校3年間の経験をベースに、どんなときも着実に前進してきた。だからこそ、清水でも、U-23日本代表でもチャンスが巡ってきたし、それをがっちりとつかみ取ることができたのだ。
前進を止めない教え子に対し、高校時代の恩師である黒田監督、湯田コーチはそれぞれこうエールを送る。
「まだまだ足りない。運良く鹿島に行ったことと、代表に呼んでもらったこと。清水で試合に出場できない中、『今ここでやらなきゃサッカー人生終わる』と思って臨んだのが、AFC U-23選手権だった。間違いなく、危機感が彼を大きくした。今回の優勝と鹿島移籍で、彼もさらに視野が広がったと思う。もっと上を目指して挑戦してほしい」(黒田監督)
「曽ヶ端(準)選手の後釜になるだけの能力はある。でも、曽ヶ端選手が何年間も正GKの座を明け渡していないので、奪い取る作業は生半可なことではない。曽ヶ端選手が年を重ねたことでポジションを奪えたのではなく、今年の早い段階で実力によってポジションを奪い、それを受けて曽ヶ端選手がまたポジションを奪い返しにいくみたいな、『本当の力勝負』をしてほしい」(湯田コーチ)
AFC U-23選手権の活躍で、すべてが視界良好となったわけではない。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために。櫛引はこれまで通り、激しい競争の中に身を投じ続けるだろう。
チンチロリン
櫛引について記すスポーツナヴィの安藤氏である。
櫛引の成長の軌跡が伝わってくる。
鹿島に加入し、日本屈指のGKである曽ケ端とポジション争いをすることで、更に成長することであろう。
この競争意識が櫛引の根底にある。
楽しみな選手が入団した。
今季の鹿島に注目である。
チンチロリン
鹿島での新たな挑戦、そしてリオ五輪へ
安藤隆人2016年2月9日(火) 11:00
高校入学と同時に立ちはだかった先輩GK・笹森
AFC U-23選手権で守護神として優勝に貢献した櫛引政敏。新シーズンは鹿島で新たな挑戦に身を投じる【Getty Images】
ライバルとの競争が櫛引政敏を強くした。
地元・青森でサッカーを始めた櫛引は青森山田高校時代にブレークし、清水エスパルスに入ると、3シーズン目には若くして正GKの座をつかんだ。2016年1月に行われたAFC U-23選手権では、チームの守護神として優勝に貢献。リオデジャネイロ五輪の出場権獲得の立役者となった。そして迎える新シーズン、櫛引はJリーグの強豪・鹿島アントラーズで新たな挑戦に身を投じる。
こうした履歴だけを見ると、あまりにも順風満帆なサッカー人生に見える。だが、GKとは一つしかないポジション。その生存競争はすさまじいものがある。その中で櫛引が今日まで歩んで来られたのは、もがき苦しみながらもライバルとの競争の中で着実にステップアップしてきたからだ。
櫛引にとって最初の本格的な競争は、青森山田高に入ってからだった。青森山田中から進学した08年、その身長は170センチ台で、瞬発力と反応の良さで勝負をする選手だった。全国中学サッカー大会の準優勝GKとして高校に上がって来た櫛引の前に、1学年上の笹森一成が大きな壁となって立ちはだかった。努力家の笹森がインターハイ、高校サッカー選手権予選などでゴールマウスに立ち、櫛引は控えに回った。
しかし、この年の選手権で立場は逆転する。黒田剛監督は重要なこの大会で、1年生守護神を大抜てきしたのだった。
「マサ(櫛引)の身長がこの1年でグッと伸びた。180センチ台になり、GKとしての資質も十分にあった。本格的にプロを目指せる素材だと思ったからこそ、彼の可能性に懸けるために起用した」(黒田監督)
大迫に翻弄された初めての選手権
初めての選手権、櫛引は鹿児島城西の大迫(9)との駆け引きに翻弄(ほんろう)された【写真は共同】
だが、青森山田は準優勝した大迫勇也(現・ケルン)率いる鹿児島城西を相手に4失点を喫し、3-4で初戦敗退となる。端から見たら、黒田監督の賭けは失敗したかに見えた。しかし、この経験が櫛引と周りの状況を一気に変化させたのだった。
「初めて高校で全国に出てみて、力の差を感じた。特に大迫選手のシュートの技術、うまさには驚いた。自分の動きや位置を見て、嫌なコースばかり狙ってきた。上にいくためには、こういうストライカーのシュートを抑えないといけないとはっきり理解できた」(櫛引)
初の選手権で大迫との駆け引きに翻弄(ほんろう)され、規格外のストライカーから喫した2失点は、櫛引の中の経験値のアベレージを大きく引き上げた。この試合以降、常に彼の頭の中には大迫というストライカーの残像が残り、得意だったシュートストップにさらなる磨きがかかった。
さらに高2になる時、新たな転機が訪れる。黒田監督から「マサをプロにしてほしい」という依頼を受けて、湯田哲生コーチが青森にやって来た。細かいステップだけでなく、ポジショニング、駆け引き、重心の置き方、そして前への飛び出しのタイミング、判断など、GKに必要な細かい技術を徹底的に教え込まれ、さらなるステップアップを果たした。それは笹森も一緒だった。自分より1学年下の櫛引に選手権という重要な舞台でレギュラーポジションを奪われたことで、より気迫と意識の高さを持ってトレーニングに取り組むようになった。
もともと櫛引は、黒田監督が「あっけらかんとしているというか、良い意味でポジティブだけれど、悪い意味ではちゃらんぽらんな部分もある」と語る性格だっただけに、笹森のメンタリティーと姿勢は、結果として櫛引にプラスの刺激を与え、意欲的な姿勢を引き出すこととなった。
日々繰り広げられるハイレベルなポジション争い。09年の春先は笹森も成長を見せ、黒田監督もどちらを起用すべきか頭を悩ませた。櫛引が正GKであることに変わりはなかったが、笹森が出番をつかむ試合もあった。この切磋琢磨(せっさたくま)が櫛引をより磨き上げ、夏を過ぎると櫛引はもう笹森にポジションを渡すことはなくなった。
「笹森の練習に打ち込む姿勢、後輩をリードする姿勢は素晴らしかった。でも、明らかに能力面ではマサが上だった。笹森がマサを引き上げてくれて、徐々にマサが周りの信頼を勝ち得ていったと思います」(湯田コーチ)
2度目の選手権で注目され、6月に清水加入を発表
2度目の選手権では、準決勝でPK3本を止める活躍を見せた櫛引(12)【写真は共同】
絶対的な守護神として迎えた第88回高校選手権。櫛引は持ち前の高い能力をフルに発揮し、青森山田のゴールマウスを守り続けた。準決勝の関西大学第一(大阪)戦では、鋭い反応と巧みなセービング技術を駆使し、幾度となくピンチを防ぐと、迎えたPK戦では3人のシュートをストップ。「キッカーの助走の角度を見てから飛んだ」と語る落ち着きぶりで、チームを初の選手権決勝に導いた。
決勝こそ、山梨学院大附属の碓井鉄平(現・長野パルセイロ)に鮮やかなミドルシュートを決められ、0-1の敗戦を喫したが、選手権準優勝チームの正GKとして一気に注目度が高まった。周囲の環境は劇的に変化し、多くのJクラブから練習参加の問い合わせが舞い込むようになる。それぞれのチームで練習参加をする中、櫛引の考え方も大きく変化した。
「一気に注目されるようになったと実感しています。自分のパフォーマンスをしっかり出せる、波のない選手になりたい。そして、プロで活躍できる選手になりたい」
あまり大きなことを口にしない櫛引が、はっきりと目標を掲げた。「決断が早ければ早いほど、プロにいくチームでの自分の目標が明確にできるので、早めに決めたい」と、高3の6月には清水加入を発表。それが成長の加速を早めた。
「個人的にはキャッチが未熟なので、しっかりさせたい。あと、キックをもっと成長させたい。GKは攻撃の第一歩なので、近くでビルドアップをするだけでなく、相手陣内のスペースに走り込めるような、長いボールを一発で送れるようにしたい」(櫛引)
次々と櫛引の口から出てくる自身の課題についての言葉。あっけらかんとした性格の彼の心に、大きな火がともった証拠だった。
大きなベースとなった高校の3年間
昨シーズンはシーズン途中で守護神の座を明け渡した。だが、櫛引がその歩みを止めることはなかった【写真は共同】
櫛引の変化を湯田コーチも感じ取り、さらなる刺激を与えた。
「飛翔ならもっとキックが飛ぶぞ!」
「こんなことをしていたら、簡単に追い抜かれるぞ!」
湯田コーチは同時期、関東第一高のGKコーチも兼任しており、櫛引の1学年下である渋谷飛翔(現・横浜FC)も指導していた。渋谷もまた188センチの高さを誇り、年代別代表にも名を連ねる存在で、湯田コーチは卒業した笹森の代わりに、渋谷を櫛引の競争相手に仕立てたのだった。
「あの2人に共通しているのが、『能力がある』こと。能力がない選手は理論だけで育てられない。彼らは能力があったからこそ、それをいかにスムーズに発揮できるかが指導の一番のポイントだった」
湯田コーチからの“激励”を受け、櫛引はおごることなく、2年の時と変わらぬ姿勢でトレーニングに打ち込んだ。最後の選手権こそ、優勝をした滝川第二に3回戦で敗れたが、青森山田で過ごした3年間は、櫛引の中で大きなベースとなった。
清水加入後の櫛引は、プロの厳しい世界で浮き沈みを経験した。特に昨シーズンは守護神の座を奪われ、チームは出だしのつまずきから立ち直れないまま、J2降格となった。だが、GK杉山力裕とのポジション争いと、これまで培ってきた経験により、櫛引がその歩みを止めることはなかった。
リオ五輪で羽ばたくために
AFC U-23選手権は通過点。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
運もあるかもしれない。だが、常に自分の前に立ちはだかるライバルと抜きつ抜かれつの競争をしてきたからこそ、櫛引は強くなった。決してライバルの後塵を拝し続けるわけではなく、常にリードしているわけでもない。明日にはどう転ぶか分からない状況下でも、櫛引は高校3年間の経験をベースに、どんなときも着実に前進してきた。だからこそ、清水でも、U-23日本代表でもチャンスが巡ってきたし、それをがっちりとつかみ取ることができたのだ。
前進を止めない教え子に対し、高校時代の恩師である黒田監督、湯田コーチはそれぞれこうエールを送る。
「まだまだ足りない。運良く鹿島に行ったことと、代表に呼んでもらったこと。清水で試合に出場できない中、『今ここでやらなきゃサッカー人生終わる』と思って臨んだのが、AFC U-23選手権だった。間違いなく、危機感が彼を大きくした。今回の優勝と鹿島移籍で、彼もさらに視野が広がったと思う。もっと上を目指して挑戦してほしい」(黒田監督)
「曽ヶ端(準)選手の後釜になるだけの能力はある。でも、曽ヶ端選手が何年間も正GKの座を明け渡していないので、奪い取る作業は生半可なことではない。曽ヶ端選手が年を重ねたことでポジションを奪えたのではなく、今年の早い段階で実力によってポジションを奪い、それを受けて曽ヶ端選手がまたポジションを奪い返しにいくみたいな、『本当の力勝負』をしてほしい」(湯田コーチ)
AFC U-23選手権の活躍で、すべてが視界良好となったわけではない。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために。櫛引はこれまで通り、激しい競争の中に身を投じ続けるだろう。
チンチロリン
櫛引について記すスポーツナヴィの安藤氏である。
櫛引の成長の軌跡が伝わってくる。
鹿島に加入し、日本屈指のGKである曽ケ端とポジション争いをすることで、更に成長することであろう。
この競争意識が櫛引の根底にある。
楽しみな選手が入団した。
今季の鹿島に注目である。
チンチロリン
ただようやくと言ったら失礼ですが、今の櫛引でやっとソガの本当のライバルというか、勝負出来るGKが現れたのかなと。
30前になっても中々、奪えない選手が多かった中20代前半だから、完全移籍してくれれば期待出来るし、だからといってソガを簡単に越えることも、譲ってもらう事もないのでGK陣も競争力高めて、皆更にレベルアップしてくれたら嬉しいです。
リオ五輪での躍動、そしてソガとのレギュラー争いの躍動。 痺れるくらいのパフォーマンス期待しています。
ほんと、櫛引の脱皮と覚醒、楽しみにしています。
鹿島に遅れてきたプラチナ世代。
かつての遅れてきた黄金世代、新井場みたくなれたら。
成長できればセカンドGKでいい、なんて思っているわけないのでポジション争いが楽しみです。
後輩にポジションを奪われてすぐに心が折れるような選手は鹿島にはいません。
だから遠慮なくスタメンを狙ってほしい。