鹿島小笠原が復興支援「思い出してほしい」
[2015年3月10日18時58分]
鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男(35)=岩手県出身=が10日、茨城県鹿嶋市で震災発生から4年の思いを語り「こういう機会に、まだ大変な思いをしている人がいることを思い出してほしい」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動で、東北の被災地の子どもと交流を続けてきた。今も仮設住宅が並ぶ校庭を使えず、駐車場の一角で3年間競技を続けた中学生の体験に心を痛め「早く何とかして」と環境改善を願った。
1月には岩手県に関東の高校生を招いて大会を新たに実施。遠征費を捻出できない子も多いため地元開催とし、関東の選手には被災地の現実を見てほしいと考えたという。小笠原は「好評だったので続けようと思う。復興とともに東北のサッカーも強化できれば。僕らに続く東北出身のJリーガーを育てたい」と夢を描いた。
鹿島小笠原、復興支援&現役ピッチ 継続の意義
[2015年3月11日6時58分 紙面から]
気持ちがある限り、支援を続ける。岩手県出身で、「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人でもある鹿島MF小笠原満男(35)は10日、復興支援への思いを明かした。今年1月には、岩手県釜石市で「小笠原満男CUP」を開催。遠征費を捻出できない被災地の子どもたちがいることから、茨城、千葉、埼玉の高校3チームを呼び、遠征チームは大船渡市に宿泊し、被災地を見学した。「被災地をテレビで見ていた関東の子たちが、実際に自分の目で見て学ぶ有意義な機会だった。タイミングや規模はこれから話し合うけど、これからも続けていきたい」。
支援を続けていく上で、金銭面の苦労もある。その中でも、イベントに参加した子どもの母親から感謝の手紙を受け取ると、「やってきてよかった。喜んでくれる以上、続けていきたい」と、継続の意義をかみしめた。
リーグ開幕戦のアウェー清水戦(1●3)では、メンバー外だった。「力になれなくて悔しく、複雑な気持ちだった。何歳でも、連戦でも、ピッチに立てるようにしたい」。鹿島のレジェンド、ジーコ氏は40歳で迎えた93年のJリーグ開幕戦で、ハットトリックを達成した。「自分としては追いつき、追い越せるようにやっていきたい。さすがにカズさん(横浜FCのFW三浦)は別格です(笑い)」。被災地への思いを背負いながら、ピッチに立ち続ける。【保坂恭子】
鹿島・小笠原「思い出してほしい」復興支援へ夢語る

復興への思いを語るJ1鹿島・小笠原=茨城県鹿嶋市内
J1鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男選手(35)=岩手県出身=が10日、茨城県鹿嶋市で震災発生から4年の思いを語り「こういう機会に、まだ大変な思いをしている人がいることを思い出してほしい」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動で、東北の被災地の子どもと交流を続けてきた。今も仮設住宅が並ぶ校庭を使えず、駐車場の一角で3年間競技を続けた中学生の体験に心を痛め「早く何とかして」と環境改善を願った。
1月には岩手県に関東の高校生を招いて大会を新たに実施。遠征費を捻出できない子も多いため地元開催とし、関東の選手には被災地の現実を見てほしいと考えたという。小笠原選手は「好評だったので続けようと思う。復興とともに東北のサッカーも強化できれば。僕らに続く東北出身のJリーガーを育てたい」と夢を描いた。(共同)
復興活動を続ける小笠原の新たな夢/サッカーコラム

復興への思いを語るJ1鹿島の小笠原満男選手
【No Ball,No Life(15)】
2011年3月11日に発生した東日本大震災から4年。Jリーガーの先頭に立って復興活動に力を注いできた鹿島のMF小笠原満男が、今の思いを語った。
「復興はまだまだ。仮説住宅にもまだ何万人もの人が住んでいる。これからも伝えていかないといけない」。被災した岩手・盛岡市出身。高校時代を過ごした大船渡市は津波で大きな被害を受けた。鹿島の本拠地も被災し、カシマスタジアムは3カ月ほど使用できなくなった。
いてもたってもいられず、小笠原は車で東北に物資を届ける活動を開始。現地の店が営業できるまでになると、サッカー教室などで子供たちと触れ合う機会を増やした。東北にゆかりのあるJリーガーとともに「東北人魂を持つJ選手の会」(東北人魂)を発足させ、東北地方のサッカーの復興を目指す活動の体制も整えた。
このオフには、岩手に関東の高校生を招待してサッカーフェスティバルを開催。当初は関東で行われる予定だったが、遠征費の負担などを考えて開催地を変更した。「東北の高校生には強化にもつながるし、関東の子どもたちには被災地を見てもらうこともできた。意義のあることだったと思う」と振り返った。新たな取り組みへの手応えは上々のようだ。将来的には参加チーム数を増やして活動を継続させていきたいと、小笠原は語る。
被災地の学校には依然として仮設住宅が立ち並び、子供たちが運動できる場所が少ない現状がある。「自分にも子供がいるのでわかりますけど、4年間も運動ができないというのは大変なことだと思う」。体を動かせなければ健康な体と心の育成に大きく影響してくる。被災地を訪れると、運動不足でぽっちゃりした体形の子供が目につき、小学校の教員からは、授業中に奇声をあげてしまう子供の存在も聞かされた。
アスファルトの駐車場で中学のサッカー部の練習を3年間続けた子供もいたという。それでも「サッカーをしているときは、子供たちは本当に楽しそうにしている」。被災地に行くたびに、サッカーが子供たちの力になるという思いを強くしている。「岩手グラウンドプロジェクト」では、資金を集めて大船渡市の小学校の跡地にグラウンドを建設。現在はサッカーだけにとどまらず、野球や陸上など多岐にわたって利用されているという。こうした取り組みも、まだまだ必要だと感じている。
活動を続けていると、子供たちがすごく成長しているのを感じることができてうれしいと話す。「4年間って子供にとってはすごく大きい。早く走れるようになったり、ボールの扱いがうまくなったり」。顔付きが変わって誰かわからなかったのに、プレーを見て気付くこともあるという。「あの時、10番を付けていた子だよな?」と声をかけると、うれしそうにうなずく子供もいた。
新たな夢もできた。「中にはすごくうまい子もいて、『Jリーガーになりたい』という話も聞く。これからは東北地方のサッカーの復興だけじゃなくて、強化もやっていきたい。東北出身のJリーガーが出てきてほしい」。自分も、東北のいち高校生からプロへ巣立ったという思いがある。今は子供たちに未来を見てほしい。小笠原はそう願っている。(伊藤昇)
小笠原 40歳現役宣言!「東北人魂」胸に支援のため走り続ける

復興支援について熱く語る鹿島MF小笠原
Photo By スポニチ
東北に縁のあるプロ選手によって設立した「東北人魂」の発起人でもある鹿島のMF小笠原満男(35)は10日、新たな東日本大震災の復興支援活動の形として、被災地での「サッカーフェスティバル」開催を進めていく計画を明かした。ホーム開幕戦となる14日の湘南戦では宮城、福島のサッカー少年らとの交流も予定。支援を継続していくため、40歳になっても一線でプレーすることを誓った。
復興支援に力を注ぐ小笠原は新たなプロジェクトを温めていた。全国からサッカー少年らを招き、被災地でフェスティバルを開催するというものだ。きっかけは1月、岩手県内で行ったイベントだ。被災地の大船渡、釜石から2クラブずつ、そこに関東から招いた3クラブを合わせフェスティバルを実施した。反響は予想以上だったという。
「まだ仮設(住宅)で生活している人も多く、被災地の子を(関東などに)招待しても遠征費が負担になったりする」。逆に関東などから招けばホテル、弁当店など被災地の経済も潤う。さらに「関東の子たちも被災地を実際の目で見ることで震災を知る。双方にメリットがあった」という。近い将来、自身の活動などから巣立っていくJリーガーの誕生も夢に描く。フェスティバル開催への意欲を強くした。
そのためにも施設の充実、環境整備が急務だ。被災地には路上でしかサッカーができない子も多く、決して簡単ではない。だが、ある母親から届いた手紙で勇気づけられた。「サッカー用具も買ってあげられず口数が減っていた子が、イベントの後、凄く話してくれた。母親にできないことをしてくれてありがとう」。小笠原は「喜んでくれる以上は続けないと」と胸が熱くなった。
今後も支援活動を発信していくためには自身の活躍も不可欠だ。14日の湘南戦には福島、宮城の少年らが観戦に訪れ交流会も行う。「あれだけのことがあったのに頑張ってる人がいる。自分も頑張らないと。ジーコも40歳でハットトリック、セレーゾ監督は37歳の時(93年、サンパウロ)トヨタ杯でMVPを獲り、現役も40すぎまでやった。追いつき追い越せるように頑張りたい」。現在35歳だが、5年後もプレーしていることを思い描く。復興支援の灯を照らし続けるためにも、小笠原はピッチを走り続ける。
[ 2015年3月11日 05:30 ]
【鹿島】小笠原「復興まだまだ」被災地の子供のため積極的に行動…3・11から4年
2015年3月11日6時0分 スポーツ報知

復興への思いを語る鹿島・小笠原
東北サッカー界の復興を支援する「東北人魂を持つJ選手の会」(東北人魂)の発起人を務めるMF小笠原満男(35)=鹿島=が10日、鹿島のクラブハウスで取材に応じた。11日で東日本大震災から4年を迎えるが、復興は「まだまだ」と断言。今後は被災地の子供のため、グラウンドの整備、技術向上の支援、心のケアなどを積極的に行っていく考えを示した。
故郷への思いは今も変わっていない。岩手・大船渡で高校時代を過ごした小笠原は、プロ生活を送る傍ら、復興を願い続けてきた。大震災直後に物資から始めた支援は、グラウンドの整備、サッカー少年の試合招待、交流会実施など状況や必要に応じて形を変え、今も続けている。
「何万もの人が、まだ仮設住宅で暮らしている。仮設住宅は校庭に建てられているし、スポーツもできない。震災の時に6年生だった子が高校に進学すると聞いた。中学の3年間は部活をする場所がなくて、アスファルトの上でサッカーを続けてきたそうです。(復興は)まだまだ…」
4年前のショックで授業中に大きな声を発する児童がいることも知り、心を痛めている。「先生も怒るに怒れないで困っている」。仮設住宅では夜9時以降、テレビの音、子供の泣き声などを気にしながら生活しなければならない。家をプレゼントすることは難しいが、サッカー少年が少しでも先を見られるような支援をしていく考えだ。
「新たな試みとして、1月に関東から3チームに(大船渡に)行ってもらって、現地(東北)のチームと試合をやりました。ホテルや弁当店にもお金を落とすことができる。東北のサッカー強化にもなる。関東の子にとっても良い経験にもなると思うんです。僕も東北で育って、Jリーガーになれた。今の子供にも、その目標をあきらめてほしくないんです」
震災4年、小笠原「思い出してほしい」
2015年3月11日

復興への思いを語る鹿島・小笠原
J1鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男(35)=岩手県出身=が10日、茨城県鹿嶋市で震災発生から4年の思いを語り「こういう機会に、まだ大変な思いをしている人がいることを思い出してほしい」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動で、東北の被災地の子どもと交流を続けてきた。今も仮設住宅が並ぶ校庭を使えず、駐車場の一角で3年間競技を続けた中学生の体験に心を痛め「早く何とかして」と環境改善を願った。
1月には岩手県に関東の高校生を招いて大会を新たに実施。「好評だったので続けようと思う。復興とともに東北のサッカーも強化できれば。僕らに続く東北出身のJリーガーを育てたい」と夢を描いた。
震災復興について口を開く小笠原満男である。
東日本大震災から4年が経ち、多くの人々の記憶から薄れつつあるやも知れぬ。
しかしながら、依然として復興は済んでおらぬ。
ここは、満男を中心にサッカー界からの支援を続けて行くところ。
また、満男自身はジーコやトニーニョ・セレーゾのように40歳まで現役を続けたいとの意向を示す。
是非とも続けて欲しい。
満男の背中を見て、若き選手、そして多くの民が力を得るのだ。
素晴らしい選手である。
[2015年3月10日18時58分]
鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男(35)=岩手県出身=が10日、茨城県鹿嶋市で震災発生から4年の思いを語り「こういう機会に、まだ大変な思いをしている人がいることを思い出してほしい」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動で、東北の被災地の子どもと交流を続けてきた。今も仮設住宅が並ぶ校庭を使えず、駐車場の一角で3年間競技を続けた中学生の体験に心を痛め「早く何とかして」と環境改善を願った。
1月には岩手県に関東の高校生を招いて大会を新たに実施。遠征費を捻出できない子も多いため地元開催とし、関東の選手には被災地の現実を見てほしいと考えたという。小笠原は「好評だったので続けようと思う。復興とともに東北のサッカーも強化できれば。僕らに続く東北出身のJリーガーを育てたい」と夢を描いた。
鹿島小笠原、復興支援&現役ピッチ 継続の意義
[2015年3月11日6時58分 紙面から]
気持ちがある限り、支援を続ける。岩手県出身で、「東北人魂を持つJ選手の会」の発起人でもある鹿島MF小笠原満男(35)は10日、復興支援への思いを明かした。今年1月には、岩手県釜石市で「小笠原満男CUP」を開催。遠征費を捻出できない被災地の子どもたちがいることから、茨城、千葉、埼玉の高校3チームを呼び、遠征チームは大船渡市に宿泊し、被災地を見学した。「被災地をテレビで見ていた関東の子たちが、実際に自分の目で見て学ぶ有意義な機会だった。タイミングや規模はこれから話し合うけど、これからも続けていきたい」。
支援を続けていく上で、金銭面の苦労もある。その中でも、イベントに参加した子どもの母親から感謝の手紙を受け取ると、「やってきてよかった。喜んでくれる以上、続けていきたい」と、継続の意義をかみしめた。
リーグ開幕戦のアウェー清水戦(1●3)では、メンバー外だった。「力になれなくて悔しく、複雑な気持ちだった。何歳でも、連戦でも、ピッチに立てるようにしたい」。鹿島のレジェンド、ジーコ氏は40歳で迎えた93年のJリーグ開幕戦で、ハットトリックを達成した。「自分としては追いつき、追い越せるようにやっていきたい。さすがにカズさん(横浜FCのFW三浦)は別格です(笑い)」。被災地への思いを背負いながら、ピッチに立ち続ける。【保坂恭子】
鹿島・小笠原「思い出してほしい」復興支援へ夢語る

復興への思いを語るJ1鹿島・小笠原=茨城県鹿嶋市内
J1鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男選手(35)=岩手県出身=が10日、茨城県鹿嶋市で震災発生から4年の思いを語り「こういう機会に、まだ大変な思いをしている人がいることを思い出してほしい」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動で、東北の被災地の子どもと交流を続けてきた。今も仮設住宅が並ぶ校庭を使えず、駐車場の一角で3年間競技を続けた中学生の体験に心を痛め「早く何とかして」と環境改善を願った。
1月には岩手県に関東の高校生を招いて大会を新たに実施。遠征費を捻出できない子も多いため地元開催とし、関東の選手には被災地の現実を見てほしいと考えたという。小笠原選手は「好評だったので続けようと思う。復興とともに東北のサッカーも強化できれば。僕らに続く東北出身のJリーガーを育てたい」と夢を描いた。(共同)
復興活動を続ける小笠原の新たな夢/サッカーコラム

復興への思いを語るJ1鹿島の小笠原満男選手
【No Ball,No Life(15)】
2011年3月11日に発生した東日本大震災から4年。Jリーガーの先頭に立って復興活動に力を注いできた鹿島のMF小笠原満男が、今の思いを語った。
「復興はまだまだ。仮説住宅にもまだ何万人もの人が住んでいる。これからも伝えていかないといけない」。被災した岩手・盛岡市出身。高校時代を過ごした大船渡市は津波で大きな被害を受けた。鹿島の本拠地も被災し、カシマスタジアムは3カ月ほど使用できなくなった。
いてもたってもいられず、小笠原は車で東北に物資を届ける活動を開始。現地の店が営業できるまでになると、サッカー教室などで子供たちと触れ合う機会を増やした。東北にゆかりのあるJリーガーとともに「東北人魂を持つJ選手の会」(東北人魂)を発足させ、東北地方のサッカーの復興を目指す活動の体制も整えた。
このオフには、岩手に関東の高校生を招待してサッカーフェスティバルを開催。当初は関東で行われる予定だったが、遠征費の負担などを考えて開催地を変更した。「東北の高校生には強化にもつながるし、関東の子どもたちには被災地を見てもらうこともできた。意義のあることだったと思う」と振り返った。新たな取り組みへの手応えは上々のようだ。将来的には参加チーム数を増やして活動を継続させていきたいと、小笠原は語る。
被災地の学校には依然として仮設住宅が立ち並び、子供たちが運動できる場所が少ない現状がある。「自分にも子供がいるのでわかりますけど、4年間も運動ができないというのは大変なことだと思う」。体を動かせなければ健康な体と心の育成に大きく影響してくる。被災地を訪れると、運動不足でぽっちゃりした体形の子供が目につき、小学校の教員からは、授業中に奇声をあげてしまう子供の存在も聞かされた。
アスファルトの駐車場で中学のサッカー部の練習を3年間続けた子供もいたという。それでも「サッカーをしているときは、子供たちは本当に楽しそうにしている」。被災地に行くたびに、サッカーが子供たちの力になるという思いを強くしている。「岩手グラウンドプロジェクト」では、資金を集めて大船渡市の小学校の跡地にグラウンドを建設。現在はサッカーだけにとどまらず、野球や陸上など多岐にわたって利用されているという。こうした取り組みも、まだまだ必要だと感じている。
活動を続けていると、子供たちがすごく成長しているのを感じることができてうれしいと話す。「4年間って子供にとってはすごく大きい。早く走れるようになったり、ボールの扱いがうまくなったり」。顔付きが変わって誰かわからなかったのに、プレーを見て気付くこともあるという。「あの時、10番を付けていた子だよな?」と声をかけると、うれしそうにうなずく子供もいた。
新たな夢もできた。「中にはすごくうまい子もいて、『Jリーガーになりたい』という話も聞く。これからは東北地方のサッカーの復興だけじゃなくて、強化もやっていきたい。東北出身のJリーガーが出てきてほしい」。自分も、東北のいち高校生からプロへ巣立ったという思いがある。今は子供たちに未来を見てほしい。小笠原はそう願っている。(伊藤昇)
小笠原 40歳現役宣言!「東北人魂」胸に支援のため走り続ける

復興支援について熱く語る鹿島MF小笠原
Photo By スポニチ
東北に縁のあるプロ選手によって設立した「東北人魂」の発起人でもある鹿島のMF小笠原満男(35)は10日、新たな東日本大震災の復興支援活動の形として、被災地での「サッカーフェスティバル」開催を進めていく計画を明かした。ホーム開幕戦となる14日の湘南戦では宮城、福島のサッカー少年らとの交流も予定。支援を継続していくため、40歳になっても一線でプレーすることを誓った。
復興支援に力を注ぐ小笠原は新たなプロジェクトを温めていた。全国からサッカー少年らを招き、被災地でフェスティバルを開催するというものだ。きっかけは1月、岩手県内で行ったイベントだ。被災地の大船渡、釜石から2クラブずつ、そこに関東から招いた3クラブを合わせフェスティバルを実施した。反響は予想以上だったという。
「まだ仮設(住宅)で生活している人も多く、被災地の子を(関東などに)招待しても遠征費が負担になったりする」。逆に関東などから招けばホテル、弁当店など被災地の経済も潤う。さらに「関東の子たちも被災地を実際の目で見ることで震災を知る。双方にメリットがあった」という。近い将来、自身の活動などから巣立っていくJリーガーの誕生も夢に描く。フェスティバル開催への意欲を強くした。
そのためにも施設の充実、環境整備が急務だ。被災地には路上でしかサッカーができない子も多く、決して簡単ではない。だが、ある母親から届いた手紙で勇気づけられた。「サッカー用具も買ってあげられず口数が減っていた子が、イベントの後、凄く話してくれた。母親にできないことをしてくれてありがとう」。小笠原は「喜んでくれる以上は続けないと」と胸が熱くなった。
今後も支援活動を発信していくためには自身の活躍も不可欠だ。14日の湘南戦には福島、宮城の少年らが観戦に訪れ交流会も行う。「あれだけのことがあったのに頑張ってる人がいる。自分も頑張らないと。ジーコも40歳でハットトリック、セレーゾ監督は37歳の時(93年、サンパウロ)トヨタ杯でMVPを獲り、現役も40すぎまでやった。追いつき追い越せるように頑張りたい」。現在35歳だが、5年後もプレーしていることを思い描く。復興支援の灯を照らし続けるためにも、小笠原はピッチを走り続ける。
[ 2015年3月11日 05:30 ]
【鹿島】小笠原「復興まだまだ」被災地の子供のため積極的に行動…3・11から4年
2015年3月11日6時0分 スポーツ報知

復興への思いを語る鹿島・小笠原
東北サッカー界の復興を支援する「東北人魂を持つJ選手の会」(東北人魂)の発起人を務めるMF小笠原満男(35)=鹿島=が10日、鹿島のクラブハウスで取材に応じた。11日で東日本大震災から4年を迎えるが、復興は「まだまだ」と断言。今後は被災地の子供のため、グラウンドの整備、技術向上の支援、心のケアなどを積極的に行っていく考えを示した。
故郷への思いは今も変わっていない。岩手・大船渡で高校時代を過ごした小笠原は、プロ生活を送る傍ら、復興を願い続けてきた。大震災直後に物資から始めた支援は、グラウンドの整備、サッカー少年の試合招待、交流会実施など状況や必要に応じて形を変え、今も続けている。
「何万もの人が、まだ仮設住宅で暮らしている。仮設住宅は校庭に建てられているし、スポーツもできない。震災の時に6年生だった子が高校に進学すると聞いた。中学の3年間は部活をする場所がなくて、アスファルトの上でサッカーを続けてきたそうです。(復興は)まだまだ…」
4年前のショックで授業中に大きな声を発する児童がいることも知り、心を痛めている。「先生も怒るに怒れないで困っている」。仮設住宅では夜9時以降、テレビの音、子供の泣き声などを気にしながら生活しなければならない。家をプレゼントすることは難しいが、サッカー少年が少しでも先を見られるような支援をしていく考えだ。
「新たな試みとして、1月に関東から3チームに(大船渡に)行ってもらって、現地(東北)のチームと試合をやりました。ホテルや弁当店にもお金を落とすことができる。東北のサッカー強化にもなる。関東の子にとっても良い経験にもなると思うんです。僕も東北で育って、Jリーガーになれた。今の子供にも、その目標をあきらめてほしくないんです」
震災4年、小笠原「思い出してほしい」
2015年3月11日

復興への思いを語る鹿島・小笠原
J1鹿島の元日本代表MFで、サッカーを通じて東日本大震災の復興支援活動に取り組む小笠原満男(35)=岩手県出身=が10日、茨城県鹿嶋市で震災発生から4年の思いを語り「こういう機会に、まだ大変な思いをしている人がいることを思い出してほしい」と訴えた。
サッカー教室や新たなグラウンドを整備する活動で、東北の被災地の子どもと交流を続けてきた。今も仮設住宅が並ぶ校庭を使えず、駐車場の一角で3年間競技を続けた中学生の体験に心を痛め「早く何とかして」と環境改善を願った。
1月には岩手県に関東の高校生を招いて大会を新たに実施。「好評だったので続けようと思う。復興とともに東北のサッカーも強化できれば。僕らに続く東北出身のJリーガーを育てたい」と夢を描いた。
震災復興について口を開く小笠原満男である。
東日本大震災から4年が経ち、多くの人々の記憶から薄れつつあるやも知れぬ。
しかしながら、依然として復興は済んでおらぬ。
ここは、満男を中心にサッカー界からの支援を続けて行くところ。
また、満男自身はジーコやトニーニョ・セレーゾのように40歳まで現役を続けたいとの意向を示す。
是非とも続けて欲しい。
満男の背中を見て、若き選手、そして多くの民が力を得るのだ。
素晴らしい選手である。
シャイな性格なのに、その正確に鞭打って活動している姿は全てのスポーツ選手が見習ってほしいと思います。
出身地だからとかそういう事ではなく、自分の知名度は復興の役に立つのですから。