鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

ブエノの成長に期待

2016年02月09日 | Weblog
午前練習


ミーティングをした後、10時に練習をスタートしました。青空の下、パスや対人トレーニングなどを実施しています



チンチロリン


対人トレーニングを行うメンバーである。
西と対峙するのは新加入のブエノ。
若く荒削りであるが、鹿島に加入し、宮崎キャンプでCBとしてメキメキと上達していった。
そのブエノは、日本屈指の右SBである西の攻撃を受け止めることで、更なる成長が見込まれよう。
ファン・ソッコが負傷にて離脱している今、CBのポジションを担うのは誰になるのか注目が集まっておる。
ブエノが抜擢される可能性も高まる。
層の厚いCBにて熾烈なポジション争いが演じられておる。
その戦いの勝者がピッチに立つのだ。
讃岐戦のCBコンビが楽しみである。


チンチロリン

岡山・豊川、一番は成長できるクラブだと感じた

2016年02月09日 | Weblog
U23豊川、岡山で始動 五輪へ「サッカー人生を左右する1年」
 J2岡山に所属するU―23代表FW豊川雄太(21)と同MF矢島慎也(22)が9日、始動した。豊川は鹿島から期限付き移籍で加入。練習後に合同記者会見が行われた。以下、一問一答。

 ≪豊川選手と一問一答≫

 ――まずは意気込みを

 必ずJ1へ行きたい。その力になれるように頑張る。サッカー人生を左右する1年。良い方向に持って行けるかどうかは自分次第と思っている。覚悟を持って、ここに来た。練習から厳しく激しくやっていきたい。

 ――岡山の印象は

 今日初めて監督やスタッフの方にお会いしたけど良い雰囲気のチーム。(岩政)大樹さんとシンヤくんは知っているし、上手く入れたと思う。2桁ゴールは取りたい。ハードワークしてゴールという形で貢献したい。

 ――岡山の町の印象は

 昨日来たので何とも言えないけど…失礼になるのですが、思っていた以上に都会で住みやすそう。

 ――アジア最終予選で成長した部分と課題は

 成長したのはメンタル的なところ。課題はいっぱいある。もっとシュートを打って決めること。そこを磨いていきたい。

 ――岡山を選択した理由は

 一番は成長できるクラブだと感じた。あとは岩政さんの影響は大きい。プロ1年目の鹿島で凄く指導してもらった。それがプロ2年目のリーグ戦開幕スタメンに繋がった。そんな中、自分がもう一つ成長するためにはここで大樹さんとプレーする必要があった。

 ――最後に

 J1昇格というところは何が何でも取りたい。岡山全体を盛り上げたい。
[ 2016年2月9日 14:45 ]



チンチロリン


合同記者会見に応じた岡山の豊川である。
今季の抱負を述べる。
「2桁ゴールは取りたい」と宣言しておる。
岡山をJ1に上げる原動力となるのだ。
豊川の活躍を楽しみにしておる。


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神戸・伊野波、全身全霊でチームのため、神戸のために、全てをかけてプレーしたいと思います

2016年02月09日 | Weblog
DF伊野波雅彦選手 加入決定のお知らせ
このたび、ヴィッセル神戸にDF伊野波雅彦選手(30)が加入する事が決まりましたので、お知らせいたします。

■生年月日:1985年8月28日(30歳)

■身長/体重:179cm/75kg

■ポジション:DF

■出身地:宮崎県宮崎市

■背番号:39

■チーム歴:宮崎東サッカースポーツ少年団→生目台中学校(1998〜2000/宮崎)→鹿児島実業高校(2001〜2003)→阪南大学(2004〜2005)→FC東京(2006〜2007)→鹿島アントラーズ(2008〜2011.6)→ハイデュク・スプリト(2011.7〜2012.1/クロアチア)→ヴィッセル神戸(2012)→ジュビロ磐田(2013〜2015)

■出場歴:
J1リーグ通算/リーグ戦191試合出場4得点、リーグカップ戦19試合0得点、天皇杯13試合出場0得点
J2リーグ通算/リーグ戦57試合出場2得点、天皇杯1試合出場0得点
クロアチアリーグ通算/リーグ戦15試合出場1得点、リーグカップ戦3試合出場0得点
※2015シーズン出場歴/J2リーグ戦32試合出場1得点、天皇杯出場なし

■その他公式戦出場記録:
アジアチャンピオンズリーグ/16試合出場0得点(2008〜2011/鹿島)
ゼロックススーパーカップ/1試合出場0得点(2011/鹿島)
ヨーロッパリーグ/1試合出場0得点(2011/ハイデュク・スプリト)

■代表歴:
U-20日本代表(2005 ※FIFAワールドユース選手権)
U-22日本代表(2007)
U-23日本代表(2008)
日本代表(2006、2007、2011、2012、2013、2014 ※FIFAワールドカップ)
※国際Aマッチ21試合出場1得点

■伊野波選手コメント:
「この度、再びヴィッセル神戸でお世話になることになりました。
昨年、シーズン終了と同時にジュビロ磐田から戦力外通告を受け、国内外の様々チームと移籍の交渉を進めてきました。この間、考える期間が長かったため、このままサッカーを辞めることを考えたこともありました。色々な思いを巡らす中で、常に頭の中に神戸でやり残してきた思いがありました。2012年のシーズン終了後、チームがJ2降格となったタイミングで移籍し、神戸では何も成し遂げられなかったと思っていました。
今回、色々な方の尽力により、再びヴィッセル神戸でプレー出来るチャンスをいただき、J1の舞台で戦う環境をいただきました。本当に感謝しております。同時に、神戸でやり残してきた思いを成し遂げるチャンスをいただけたと思っています。
ファン・サポーターの皆様に、今の自分の思いを理解していただくためには、自分のプレーと結果で表現するしかないと思っています。2016シーズン、全身全霊でチームのため、神戸のために、全てをかけてプレーしたいと思います。どうか見ていてください。よろしくお願いします」



チンチロリン


神戸への加入が決定した伊野波である。
これは良い報。
伊野波のコメントからは、ジュビロからは戦力外を言い渡されたことが伝わる。
報道では条件面で折り合わなかったとあったが、これは一方的な戦力外を隠すための情報操作であった様子。
伊野波としては、かなり悔しい思いをしたことであろう。
サッカーを辞めることまで考えたとのこと。
しかし伊野波は、神戸でのチャンスを得ることとなり、あらたなるモチベーションを持ったのではなかろうか。
この伊野波との最初の対戦は、3月27日のナビスコ杯となろう。
こちらも強い気持ちでぶつかり、この伊野波の守備網を破ってゴールを奪おうではないか。
楽しみである。


チンチロリン

石井監督、攻撃の部分をやっていきたい

2016年02月09日 | Weblog
J1鹿島 再始動 新練習着で気分一新
J1鹿島は8日、宮崎キャンプ打ち上げから2日間のオフを挟み、クラブハウスグラウンドで全体練習を再開した。選手らはデザインが変わった青色の練習着に身を包んで、約1時間半体を動かした。

練習着はこれまでチームカラーの深紅を基調としてきたが、8日の練習から「ブルーサファイア」に一新された。ブルーサファイアは今季、クラブが創立25周年を迎えるに当たり、メモリアルカラーとした色。前身の住金蹴球団ユニホームの青を受け継いだ色で、セカンドユニホーム(アウェー用)の袖口などにも使用されている。

住金蹴球団でプレーしていた石井監督は「違う雰囲気になり悪くない」と、新しい練習着を気に入った様子。ジュニアユースから深紅の練習着を着用してきたGK小泉は「違和感がある」と苦笑いしたが、「キーパーのハーフパンツが長くなり、機能的になった」と集中して練習に打ち込んでいた。

全体練習はミニゲームなどを行い、チーム戦術の基盤となる攻守の切り替えの動きを確認した。これからの練習について石井監督は「攻撃の部分をやっていきたい」と、キャンプで出た課題の克服に着手していく考えだ。



チンチロリン


クラブ創立25周年のメモリアルカラー「ブルーサファイア」の練習着に身を包むチームメンバーである。
この「ブルーサファイア」は、住金蹴球団のユニフォームを受け継いでおるとのこと。
GKのハーフパンツが長くなり機能的なったと好意的に受け取っておる小泉は、色については違和感があると言う。
中学生から赤いジャージに身を包んだ者としては致し方のないことであろう。
これも慣れてくるものとも言える。
この練習着での最初の練習はミニゲーム。
攻守の切り替えの確認を行った。
守備に関してはキャンプにて手応えを感じたので、攻撃の熟成が課題といったところ。
連携を深め、流れる攻撃を期待したい。
開幕が楽しみである。


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櫛引はこれまで通り、激しい競争の中に身を投じ続けるだろう

2016年02月09日 | Weblog
GK櫛引政敏を強くした3人のライバル
鹿島での新たな挑戦、そしてリオ五輪へ

安藤隆人2016年2月9日(火) 11:00

高校入学と同時に立ちはだかった先輩GK・笹森


AFC U-23選手権で守護神として優勝に貢献した櫛引政敏。新シーズンは鹿島で新たな挑戦に身を投じる【Getty Images】

 ライバルとの競争が櫛引政敏を強くした。

 地元・青森でサッカーを始めた櫛引は青森山田高校時代にブレークし、清水エスパルスに入ると、3シーズン目には若くして正GKの座をつかんだ。2016年1月に行われたAFC U-23選手権では、チームの守護神として優勝に貢献。リオデジャネイロ五輪の出場権獲得の立役者となった。そして迎える新シーズン、櫛引はJリーグの強豪・鹿島アントラーズで新たな挑戦に身を投じる。

 こうした履歴だけを見ると、あまりにも順風満帆なサッカー人生に見える。だが、GKとは一つしかないポジション。その生存競争はすさまじいものがある。その中で櫛引が今日まで歩んで来られたのは、もがき苦しみながらもライバルとの競争の中で着実にステップアップしてきたからだ。

 櫛引にとって最初の本格的な競争は、青森山田高に入ってからだった。青森山田中から進学した08年、その身長は170センチ台で、瞬発力と反応の良さで勝負をする選手だった。全国中学サッカー大会の準優勝GKとして高校に上がって来た櫛引の前に、1学年上の笹森一成が大きな壁となって立ちはだかった。努力家の笹森がインターハイ、高校サッカー選手権予選などでゴールマウスに立ち、櫛引は控えに回った。

 しかし、この年の選手権で立場は逆転する。黒田剛監督は重要なこの大会で、1年生守護神を大抜てきしたのだった。

「マサ(櫛引)の身長がこの1年でグッと伸びた。180センチ台になり、GKとしての資質も十分にあった。本格的にプロを目指せる素材だと思ったからこそ、彼の可能性に懸けるために起用した」(黒田監督)

大迫に翻弄された初めての選手権


初めての選手権、櫛引は鹿児島城西の大迫(9)との駆け引きに翻弄(ほんろう)された【写真は共同】

 だが、青森山田は準優勝した大迫勇也(現・ケルン)率いる鹿児島城西を相手に4失点を喫し、3-4で初戦敗退となる。端から見たら、黒田監督の賭けは失敗したかに見えた。しかし、この経験が櫛引と周りの状況を一気に変化させたのだった。

「初めて高校で全国に出てみて、力の差を感じた。特に大迫選手のシュートの技術、うまさには驚いた。自分の動きや位置を見て、嫌なコースばかり狙ってきた。上にいくためには、こういうストライカーのシュートを抑えないといけないとはっきり理解できた」(櫛引)

 初の選手権で大迫との駆け引きに翻弄(ほんろう)され、規格外のストライカーから喫した2失点は、櫛引の中の経験値のアベレージを大きく引き上げた。この試合以降、常に彼の頭の中には大迫というストライカーの残像が残り、得意だったシュートストップにさらなる磨きがかかった。

 さらに高2になる時、新たな転機が訪れる。黒田監督から「マサをプロにしてほしい」という依頼を受けて、湯田哲生コーチが青森にやって来た。細かいステップだけでなく、ポジショニング、駆け引き、重心の置き方、そして前への飛び出しのタイミング、判断など、GKに必要な細かい技術を徹底的に教え込まれ、さらなるステップアップを果たした。それは笹森も一緒だった。自分より1学年下の櫛引に選手権という重要な舞台でレギュラーポジションを奪われたことで、より気迫と意識の高さを持ってトレーニングに取り組むようになった。

 もともと櫛引は、黒田監督が「あっけらかんとしているというか、良い意味でポジティブだけれど、悪い意味ではちゃらんぽらんな部分もある」と語る性格だっただけに、笹森のメンタリティーと姿勢は、結果として櫛引にプラスの刺激を与え、意欲的な姿勢を引き出すこととなった。

 日々繰り広げられるハイレベルなポジション争い。09年の春先は笹森も成長を見せ、黒田監督もどちらを起用すべきか頭を悩ませた。櫛引が正GKであることに変わりはなかったが、笹森が出番をつかむ試合もあった。この切磋琢磨(せっさたくま)が櫛引をより磨き上げ、夏を過ぎると櫛引はもう笹森にポジションを渡すことはなくなった。

「笹森の練習に打ち込む姿勢、後輩をリードする姿勢は素晴らしかった。でも、明らかに能力面ではマサが上だった。笹森がマサを引き上げてくれて、徐々にマサが周りの信頼を勝ち得ていったと思います」(湯田コーチ)

2度目の選手権で注目され、6月に清水加入を発表


2度目の選手権では、準決勝でPK3本を止める活躍を見せた櫛引(12)【写真は共同】

 絶対的な守護神として迎えた第88回高校選手権。櫛引は持ち前の高い能力をフルに発揮し、青森山田のゴールマウスを守り続けた。準決勝の関西大学第一(大阪)戦では、鋭い反応と巧みなセービング技術を駆使し、幾度となくピンチを防ぐと、迎えたPK戦では3人のシュートをストップ。「キッカーの助走の角度を見てから飛んだ」と語る落ち着きぶりで、チームを初の選手権決勝に導いた。

 決勝こそ、山梨学院大附属の碓井鉄平(現・長野パルセイロ)に鮮やかなミドルシュートを決められ、0-1の敗戦を喫したが、選手権準優勝チームの正GKとして一気に注目度が高まった。周囲の環境は劇的に変化し、多くのJクラブから練習参加の問い合わせが舞い込むようになる。それぞれのチームで練習参加をする中、櫛引の考え方も大きく変化した。

「一気に注目されるようになったと実感しています。自分のパフォーマンスをしっかり出せる、波のない選手になりたい。そして、プロで活躍できる選手になりたい」

 あまり大きなことを口にしない櫛引が、はっきりと目標を掲げた。「決断が早ければ早いほど、プロにいくチームでの自分の目標が明確にできるので、早めに決めたい」と、高3の6月には清水加入を発表。それが成長の加速を早めた。

「個人的にはキャッチが未熟なので、しっかりさせたい。あと、キックをもっと成長させたい。GKは攻撃の第一歩なので、近くでビルドアップをするだけでなく、相手陣内のスペースに走り込めるような、長いボールを一発で送れるようにしたい」(櫛引)

 次々と櫛引の口から出てくる自身の課題についての言葉。あっけらかんとした性格の彼の心に、大きな火がともった証拠だった。

大きなベースとなった高校の3年間


昨シーズンはシーズン途中で守護神の座を明け渡した。だが、櫛引がその歩みを止めることはなかった【写真は共同】

 櫛引の変化を湯田コーチも感じ取り、さらなる刺激を与えた。

「飛翔ならもっとキックが飛ぶぞ!」
「こんなことをしていたら、簡単に追い抜かれるぞ!」

 湯田コーチは同時期、関東第一高のGKコーチも兼任しており、櫛引の1学年下である渋谷飛翔(現・横浜FC)も指導していた。渋谷もまた188センチの高さを誇り、年代別代表にも名を連ねる存在で、湯田コーチは卒業した笹森の代わりに、渋谷を櫛引の競争相手に仕立てたのだった。

「あの2人に共通しているのが、『能力がある』こと。能力がない選手は理論だけで育てられない。彼らは能力があったからこそ、それをいかにスムーズに発揮できるかが指導の一番のポイントだった」

 湯田コーチからの“激励”を受け、櫛引はおごることなく、2年の時と変わらぬ姿勢でトレーニングに打ち込んだ。最後の選手権こそ、優勝をした滝川第二に3回戦で敗れたが、青森山田で過ごした3年間は、櫛引の中で大きなベースとなった。

 清水加入後の櫛引は、プロの厳しい世界で浮き沈みを経験した。特に昨シーズンは守護神の座を奪われ、チームは出だしのつまずきから立ち直れないまま、J2降格となった。だが、GK杉山力裕とのポジション争いと、これまで培ってきた経験により、櫛引がその歩みを止めることはなかった。

リオ五輪で羽ばたくために


AFC U-23選手権は通過点。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 運もあるかもしれない。だが、常に自分の前に立ちはだかるライバルと抜きつ抜かれつの競争をしてきたからこそ、櫛引は強くなった。決してライバルの後塵を拝し続けるわけではなく、常にリードしているわけでもない。明日にはどう転ぶか分からない状況下でも、櫛引は高校3年間の経験をベースに、どんなときも着実に前進してきた。だからこそ、清水でも、U-23日本代表でもチャンスが巡ってきたし、それをがっちりとつかみ取ることができたのだ。

 前進を止めない教え子に対し、高校時代の恩師である黒田監督、湯田コーチはそれぞれこうエールを送る。

「まだまだ足りない。運良く鹿島に行ったことと、代表に呼んでもらったこと。清水で試合に出場できない中、『今ここでやらなきゃサッカー人生終わる』と思って臨んだのが、AFC U-23選手権だった。間違いなく、危機感が彼を大きくした。今回の優勝と鹿島移籍で、彼もさらに視野が広がったと思う。もっと上を目指して挑戦してほしい」(黒田監督)

「曽ヶ端(準)選手の後釜になるだけの能力はある。でも、曽ヶ端選手が何年間も正GKの座を明け渡していないので、奪い取る作業は生半可なことではない。曽ヶ端選手が年を重ねたことでポジションを奪えたのではなく、今年の早い段階で実力によってポジションを奪い、それを受けて曽ヶ端選手がまたポジションを奪い返しにいくみたいな、『本当の力勝負』をしてほしい」(湯田コーチ)

 AFC U-23選手権の活躍で、すべてが視界良好となったわけではない。さらに成長し、リオ五輪で羽ばたくために。櫛引はこれまで通り、激しい競争の中に身を投じ続けるだろう。



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櫛引について記すスポーツナヴィの安藤氏である。
櫛引の成長の軌跡が伝わってくる。
鹿島に加入し、日本屈指のGKである曽ケ端とポジション争いをすることで、更に成長することであろう。
この競争意識が櫛引の根底にある。
楽しみな選手が入団した。
今季の鹿島に注目である。


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