かつての代表の宝庫鹿島勢の選出ゼロ
鹿島から、ついに代表選手の系譜が消えた。アジア杯の代表メンバーに選出なし。93年J開幕以降、各連盟が主催する公式大会で16大会連続で代表選手を輩出してきた唯一のJクラブだったが、17大会目で途絶えた。現代表で招集歴もあり、今季公式戦12戦で10アシストのMF野沢、DFトップタイの4試合連続得点中の岩政ら代表級の選手はいる。17位千葉から最多5選手が選出される中、チームも4位と好調な鹿島からは選出ゼロだった。 鈴木満取締役強化部長は「23人なら無理だが、30人だったら1人ぐらいはと思った。今は選手が実力をつけて、誰からも認められるようになってから呼ばれたらいい」と苦笑いしながらも現実を受け止めていた。それでも協会関係者からはアジア杯以降の招集の可能性を示唆されている。トルシエ、ジーコ政権では代表常連組だった鹿島が、静かに復活の時を待つ。 [2007年6月19日9時49分 紙面から]
鹿島、初の代表ゼロ
鹿島の代表招集記録が途絶えた。93年のJリーグ開幕以降、日本代表が参加した公式国際大会には、全16大会で代表に送り出してきたが、今回のアジア杯で初めて招集なしに終わった。93年アジアアフリカ選手権でFW黒崎久志、DF大野俊三が選出され、その後はW杯、コンフェデ杯、アジア杯、インターコンチネンタル選手権、アジア大会、南米選手権、アジアオセアニア選手権、東アジア選手権と計16大会連続で派遣。チームは現在リーグ4位と好調で、MF野沢らの招集も考えられたが、鈴木満取締役強化部長は「今は力をつけて、誰からも認められるようになってから、呼んでもらえればいい」と話した。(2007年6月19日06時03分 スポーツ報知)
記録は途切れるもの。
ここまで16大会連続で選出され続けたことだけで十分な栄誉であると言えよう。
だが、返す返すもPSMによる野沢の負傷が口惜しい。
前半の全てと言っても過言ではない。
しかしながら、それも運命なのである。
それがあってナビスコ杯準々決勝にはフル代表を抜かれずに済んだ。
右SBの篤人こそU-20ワールドカップで不在であるが致し方なし。
新たな戦力の場と前向きに捉えたい。
大方の予想では右SBは新井場となり左は前節同様石神が務めることとなろう。
前節広島戦では狙われており、駒野と柏木の二人を充てられマークに迷いが生じておった。
ナビスコ杯準々決勝では準備期間があるので策を献じて押さえ込むことは容易であろう。
またやもすると、右の當間に出番があるやも知れぬ。
であれば、非常に楽しみである。
若手の成長は我等とて嬉しいもの。
が、慢心となっては逆効果である。
勘助の策を得ずに攻略を進め成功したことによって成長したかに見えるが、それは単に慢心である。
目を細め殺戮を好むようでは駿河へ追放した父信虎と何ら変わりはせぬ。
血は色濃く伝わっておるのである。