近江国・六角氏の湖南、京極・浅井氏の湖北
=境目の城、鎌刃城を長谷川博美先生のご案内で=
近江の国にあった勢力争いの境目、米原市付近の訪問日記です
今日(6月5日)、末尾に日記を追記しました
=鎌刃城まつりが開催されました=
(この日記の掲載期間:6月3日ー6月9日)
今もしっかりと残る虎口(こぐち:門)で熱心に解説される長谷川博美先生
鎌刃城址(かまはじょう)の場所
滋賀県米原市番場の384mの山頂にあります。 東山道(中山道)の
番場の宿、また長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公、番場の忠太
郎が生まれたところとも言われています。アクセスは中山道の
東・西番場の中間点から名神側に登山道を歩んで行きますが山頂
まで約3km。急登攀での3kmは結構きつい場所にその主郭が
あります。
中山道番場宿の標識 名神高速(手前)の背後の山頂に城が
鎌刃城は「境目の城」
戦国時代、近江は南半分が佐々木六角、北が京極氏や浅井氏が支配
するという守護大名による分国の時代でした。鎌刃城のある一帯は
その境目にあり国境警備を目的として多くの城が築かれました。
磯山城、横山城などもその目的で築城されたそうです。すなわち
一武将が籠る城では無く、ころころと変る戦国大名に指定されて
城番を集団で努めるという城です。従って城主は土居氏、堀氏、
今井氏などで最後は信長による浅井家滅亡と共に廃城となります。
これだけ深い掘切 V字形の縄張り
この城の他とは違う(と言っていい?)ところ
防衛体制が他の城にも増して強固だとういうことです。特に城の
西側が強固で、六角の攻撃を意識している。その城の西側は大石垣、
竪堀、畝(うね)状空堀、8本もの掘切り、犬ばしり、切岸と
これら全部が完備されています。畝状空堀(下の写真)は初めて耳
にしましたが、山の斜面に縦に、丁度手を広げて斜面に指を下に向
けて沿わすような感じです。それとこのお城は南北の尾根を利用し
てV字形の縄張り(配置)になっています。これも防御のためだ
そうです。 (犬ばしり:斜面に設けられた細長い通路や平地部分)
畝状空堀、このように急斜面に何本も並ぶ(赤マーク状にうねる)
大石垣、前を行く人と比べてその大きさが
籠城する在番衆の閑期の娯楽
5年の発掘調査で、釘が大量に出土しており、都会風の殿舎があ
ったと想像され、また碁石、すずりなども出ているところから、
荒々しい合戦の合間に武士達が碁を打ち合っていた様子を彷彿と
させると案内くださった長谷川博美先生のお話でした。
鎌刃城の主郭 主郭部に残る石垣
この日記は
先生の当日のお話、先生から頂いたレジュメ。更には米原市教育
委員会発行のパンフレット「鎌刃城址」を参考に、見学会の記録
として書きました。記載内容に聞き違い、間違いが多々あるとは
思いますが、個人の日記とどうかご容赦ください。
なお、城址は4月初に訪ねました。
長谷川博美先生のHP:http://h-hasegawa.jimdo.com/
今日もご覧下さいましてありがとうございました
日記の追加です:6月5日
今日、6月5日、鎌刃城のある米原市番場で、鎌刃城まつり が開催
されました。主な内容は以下の通りです。
1.午前:長谷川博美先生による現地見学会
2.午後:森岡榮一先生の講演
3.自治会館での展示: * 鎌刃城発掘調査記録
* 出土品の展示
* 関連資料の配布
詳細は省略させていただきますが、大勢の歴史フアンが集まっておられ
会場には、鎌刃城の発掘調査の様子、出土品の展示。また3Dで映像化
したパネルなどが展示されていました。この3Dパネルは長谷川先生と
泉さん(城歩会、会長)が開発されました。
出土品
講演
3Dパネル
デジカメを使い始めた初期の頃です。写真のフォルダをチェックすると、記録がありました!
2004/3/27に、ウォーキングの同好会企画に参加して、訪れていました。
久々にその時の写真記録を眺める機会になりました。今見ると、参加メンバーのお顔も皆さん、若い!
佐和山城に登った後、擂鉢峠から旧中山道を通り、番場に入っています。立派な鎌刃城跡案内板に地図と詳しい説明が付してあるのに感心していたことを思い出しました。
5年をかけて発掘調査されていたのですか。
枡形虎口が立派だったのと、結構急斜面の箇所のあったことが印象に残っています。
もう少し、じっくりと現地観察しておくべきだったなあ・・・そのころの私は、まだ今ほど城跡に関心が深まっていなかったんですよね。(2006年末に、手許にある本を入手したので。)
お陰様で、鎌刃城を再認識できました。