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Kennyの滋賀から情報発信:葛籠尾崎湖底遺跡と菅浦

2013-09-24 11:13:29 | 菅浦文書

 隠れ里と湖底遺跡、湖北の旅
   = 菅浦(西浅井町、滋賀県)と
            葛籠尾崎(湖北町、同) 

        Kennyの滋賀から情報発信

 今回も滋賀県教育委員会文化財保護課の歴史講座で
 是非訪ねて 学んでみたい、のチャンスに
恵まれました。
             (この日記の掲載期間:9月26日~10月2日)


               菅浦への船から四足門が見えてきました

菅浦: 私、地元生まれやがこれは・・?
そこは琵琶湖北端の半島、葛籠尾崎の先端に位置し、かつて
独自の自治組織を持った珍しい集落(惣)でした。私は集落は
異なりますが同じ西浅井町で18歳まで過ごしましたが菅浦の、
今では興味深いこの歴史のことは、無知に等しい状態でした。


            集落の裏にまで山が迫る菅浦

葛籠尾崎の湖底遺跡
この遺跡の事はごく最近の同じ滋賀県の歴史講座である程度
の知識は得ていましたが、今回その湖底遺跡の40m上に船
で行ってきました。見えはしませんが、そうか、ここだったのか
と感慨無量の体験でした。でもこんな所にねー、どうして・・・?

 
            湖底で発見された土器

湖底遺跡は琵琶湖やその内湖に約90箇所あります。その殆ど
は水深1m~5mに位置しています。それは琵琶湖の水位が縄
文から平安時代の頃にべて現在よりも低かったことから今は水
没していると考えられています。ところがこの湖底遺跡は水深
10m~70mの湖底にあります。また土器は上向き、完全な形
(完形品)で湖底に座っています(その成因は後述)


      菅浦港から葛籠尾崎湖底遺跡の湖上を経由して尾上港へ

菅浦から尾上港への帰路、船上からの撮影です。竹生島が真近に見えます。
琵琶湖、流石は日本最大、もう大海原の感覚です。葛籠尾崎を経て直ぐ前方
に伊吹山が見えてきます。晴天で気持ちのいい25分でした。菅浦にはこの水
上タクシーの利用が近道です。

 
           湖底遺跡の湖上を航行   背後に薄く伊吹山が見えます

               
                          竹生島は直ぐ目の前です

菅浦文書
鎌倉時代から明治時代初めにかけて営まれた村落や生活を記
した文書が残っており菅浦文書と呼ばれています。国の重要文
化財です。滋賀大学に寄託保存されています。
特に「惣」を中心
とする中世社会の人々の生活、規模を具体的に伝えた文書とし
て貴重な資料とその価値が評価されています。今、このように現
代に語り伝えることが出来るのもこの菅浦文書にあります。

    
  菅浦与大浦下荘境絵図(すがうら と おおうらしものしょう さかいず)

境界を巡り隣の大浦庄との間で相論も勃発。朱線を引いて明確
にしたようです。
                   
               菅浦文書の一例 (クリックで拡大します)
                  長浜城歴史博物館編集・発行の冊子より引用
                              (義姉が冊子を保有)


            菅浦の散策です
集落の背後にまで山が迫り狭い土地を生活スペースに利用して
しています。それ故 陸 の孤島でもあり、この菅浦も「隠れ里」と
呼ばれています。 集落への出入りは
山を越えるか、舟の利用し
かありませんでしたが、私が小学生の頃だったか、湖岸沿いに
大浦という集落から道路が出来ました。 
 

 
    石垣で囲んだ集落            現在の湖岸はコンクリートで

菅浦: 歴女、歴男好みの興味深いお話
菅浦の地には、奈良時代恵美押勝えみのおしかつ)の乱道鏡
孝謙上皇に負け、廃位になった淳仁(じゅんにん)天皇が住
んでいたという伝説が残っている。淳仁天皇は、幽閉地で憤死し
たといわれ、須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っ
ています。


                         須賀神社

             
                                  須賀神社資料館

資料館では菅浦文書(全てコピーだったと思います)、菅浦与大浦
下荘境絵図(複製)他数々の展示物で菅浦の歴史を辿れます。

四足門:これが菅浦の歴史の象徴
菅浦の村に入る東西の道には、四足門と呼ばれる萱葺きの門が
残っている。かつては、ここで村に入ってくる外来者の監視にあた
ったと言われている。 中世惣村を今に伝える遺跡です。村の
東と
西の入口にあります。
門は4脚で、中世から明治維新まで集落の
四方の入り口にあったことから四足門と呼ばれています。



今は東西の二門が残っています。
集落の入り口にあることから、
村の出入りの検札が行われていたと推測されます。ま
た、掟を破
った村民は門の外に追い遣やられることもあったそうで
す。門は
簡単に倒せる構造になっており、外敵の侵入を断つ役目も果たし
ました。 この門、どこか変でしょう! 屋根の梁を見てください、
アンバランスです。柱の根本の岩石を取れば倒せる工夫です。

   
                       岩石で門を支えています

        葛籠尾崎湖底遺跡の事をもう少し
この遺跡とは?
大正13 年(1924 年)の暮れ、尾上(おのえ)の漁師が奥琵琶湖
でイサザ網漁をしていたところ、数個の土器を引き上げました。
これが葛籠尾湖底遺跡(つづらおざきこていいせき)の発見です。そ
の後、次々と引き上げられた土器等は、縄文時代から平安時代
の長期におよび、しかもほぼ完形品のまま葛籠尾崎の東沖の
深10 ~ 70 m付近の湖底に沈んでいることが判明しました。


                この湖底の40m下が遺跡です
     講座参加者の水上タクシー船を止めて講義です 背後は竹生島


世界的に見ても他に類を見ない深さにある水中遺跡であり、遺跡
の成因にはいまだ定説がありません。神秘のベールにつつまれた
まさに湖底遺跡の代表とも呼ぶべき存在です。

 

なぜそんな所に、湖底に?
①湖岸遺跡から遺物は災害などで流出した ②祭祀に使用され
た土器を沈めた ③船舶の沈没説 ④葛籠尾崎の地すべりによ
る沈下説、と諸説があります。現物は尾上にある資料館に展示
されています。
 


菅浦、湖底遺跡の湖上、遺跡資料館へのアクセスは、
菅浦
JR湖西線「永原駅」下車 バス 15 分 「菅浦」下車
北陸自動車道「木之本IC」から車で25分

尾上(港)、遺跡資料館
JR北陸線「河毛駅」下車 バス20分
北陸自動車道「木之本IC」から車で20分
北陸自動車道「長浜IC」から車で25分

水上タクシー
尾上港には水上タクシーがあります。仲間、家族揃ってであれば
湖上遊覧を兼ねて菅浦(近道です)、湖底遺跡の体験も可能です。
なお定期便でないので、人数や時間など
事前の予約が必要です。
また船ですので天候の具合で欠航などもあります。下記に連絡先
を記載しましたのでお問い合わせください。
(湖上タクシー研究会の了解を得て記載してあります)

湖上タクシー研究会 TEL:090-6901-0049

葛籠尾崎湖底遺跡資料館(尾上公民館内)
              TEL:0749 79 0407
開館時間、休館日など、事前にお問い合わせの上、お出かかけ
け下さいね。


                              尾上港

またバス、電車も人口の少ない土地柄、本数は非常に少ないで
す。 車以外でのお出かけは、くれぐれもお心置きくださいませ。

いい思い出の旅になることと思います!! 


             尾上(港)、湖底遺跡、菅浦の位置関係
             (湖底遺跡など一部私が書き込みました)


                              菅浦の地図

                            
           クリックで少し拡大できます

まだまだ、菅浦の史話は語り尽せません
菅浦供御人(くごにん)のこと、そして隣りの集落の大浦庄との相論
もあったようです。そのほかにも江北を押さえる浅井氏、京都山門、
竹生島との関係、阿弥陀寺等々と 私自身はまだこれから資料をじ
っくりと読まなければ頭に入らない深い、深い歴史です。いづれ機
会があればここに取り上げたいと思います。


     浅井長政由緒寺と刻まれた石柱  お寺は「山湖観」


            五輪塔と淳任天皇記念碑   菅浦山 長福寺跡
                        
お断りとお願い
ここに記載した内容は、滋賀県のHPからの引用を主に、義姉所有の
資料、ネット情報を参考にして部分的に 私の言葉、そして理解で書い
ております。中には思い違いによる間違いがあるかもしれませんが、
どうか素人故、お許しください。また地図などは地元で頂いたパンフレ
ットから拝借しました。

    今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

 

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