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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:野洲市内の遺跡を訪ねて

2012-02-12 06:48:33 | 古墳

   発掘調査報告会に参加して
 =我が家はひょっとしたら遺跡の上にある?=           
              
(この日記の掲載期間:2月17日ー2月23日)

              今週も再度遺跡のお話です:滋賀県野洲市

発掘される遺跡のここがわからん?
市内を歩いていると地面を掘り返しているのをよく見かけます。時にはその
発掘で見つかった遺跡の歴史的価値が高くて記者発表ということもあります。
それらの発掘はどんな背景で行われているのか? なんで大抵の遺跡には
あれだけ沢山の穴があるのかなどこの際ちょっと勉強させて貰おうかと過日
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)で開催の標題の会に参加しました。

          
             住居跡が出てきた発掘調査の現場

この土地(上の写真)は埋め戻されて既に民家が完成し入居されて
いる。後方に見える住宅も地下は同様に住居跡が有ったのだろうか。

個人の家が遺跡の上にあっても不思議ではない
遺跡が出てくるのは全てが特別な事ではないんやそうです。つまりそこに
縄文時代や弥生時代、その後もと人が住んでいたことの証というわけです。
例えば私の家の場所にその時代の人が住んでいてその後建物がなくなり
長い年月で土砂が堆積して隠れていただけだった。その遺跡の住民と私は
たまたま同じ場所に住んだという偶然です。
そうやったんか! ちょっとでも遺跡が出たら全て
一大事かと思っていました。


             市立野洲図書館横の発掘現場

上半分が円形になっています。これは円墳の跡だと考えられています。
古地図にもその場所が古墳であったことが示されている(下の写真)。


      古地図:矢印の丸いところが古墳(この注釈はKennyの記載)
 
         
この地図にはほかにもお墓が二つありますね
      

住宅跡だけとは限らない
お墓、古墳の場合もあるとの事です。今、市立野洲図書館のJR線よりが
発掘されています。どうやらそこは古墳があったのではと最近分かったよう
です。その近くにはあと二つ古墳があります。また土器を作る粘土の採取
場であったりもします。さらには神社、お寺。それが都や国府跡(国司)と
なると大騒ぎになり記者発表となります。大津市の瀬田付近は今盛んに
発掘調査が進んでいます。国府跡が出てきました。
(過去に発表会に参加)

 
          お墓の跡                  棺の一部(杉材)

こんな時に発掘される場合が多い
大抵はその土地が造成される場合です。住宅団地、公共施設や工場など
です。工事開始前に必ず調査します。趣旨は文化財保護でしょうね。そして
前述の都跡や歴史上貴重な史跡で、これは最初から手がかりな内容物が
出て来ないか期待されての発掘です。

竪穴式住宅は室町時代でも
縄文、弥生、古墳時代そして室町時代に至っても竪穴式住宅が主だったそ
うです。土地に穴を掘って柱を立てると云うやり方です。今のように礎石の
上に柱を置くという建築方式はもっと後になってからの事だそうです。発掘
現場のたくさんの穴は、その場所で建物が何度も建て替えられた事による
ものだと今回知りました。

     
                  出土した埴輪

素人でも簡単に見つけることが出来る場合も
土器や遊具、瓦などは見れば分かるでしょが、あの穴や溝はどうして見つ
けるの? を聞きましたがその穴や溝の土の色が違うので素人にも簡単に
わかるのやそうです。でも熊手やこてなどの道具でしゃがんでの作業は腰
や足が痛いことでしょうね。どん百姓出の私にはよくよくわかるんです


     
                 出土のかめ

野洲市には遺跡が多い?
野洲市には古墳、銅鐸そしてこのような住宅跡が多く発掘されているよう
に思えますが銅鐸以外は特別な事ではないそうです。質問をしましたら隣
りの守山市も草津市も同じとの事でした。それは発掘の頻度、その時の
発掘の必要性の問題だそうですが、銅鐸がなぜ野洲にだけ出てきたかは
もう一つ分からないところがあるようです。ただ銅鐸は祭儀で使われるとい
う位置づけでポイ捨てが出来ず周辺の集落からも当の大岩山に埋めたの
ではないかとも考えられるようです。

野洲川や水量の多い川を挟んで遺跡が多い
これは理解がし易いですね。どんな国でも民族は農耕が主な仕事、生活
の糧です。必然的に川の傍に住むことになります。

     
             神社などのひさし屋根の柱礎石?

今、当館二階の資料スペースが面白い
今回は三か所の発掘調査成果報告でした。地名を上げても野洲市民以外
は興味がないでしょうから省略しますが、JR野洲駅北側の京セラ、オムロン
などの敷地もその発掘対象地でした。発掘された土器や琴の一部などが
資料室に展示されており、解説文書も用意されています。 一見に値する
と思います。国道8号線沿いにあり、8号線上に同館への標識があります。

お断りこのブログはKenny(野洲市在住)の私的な日記です。
         ここに記載の文言は当日三人の先生方がお話下さった内容を
     私の理解、言葉で書き綴りました。聞き違いによる間違いなども
     あると思いますが、素人の日記とご容赦ください。
     また掲載の写真は当日パワーポイントなどで用いられたもの

     私がその場で撮影して使わせて頂きました。

    今日もご覧くださいましてありがとうございました。

                   ****************************

                   郷土史関連の講座情報

                 縄文人の祈りと造形
              (講座)

       主 催: 滋賀県教育委員会文化財保護課
      ①
日  時: 2月18日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 東近江市埋蔵文化財センター

      ②日 時:2月25日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 米原市伊吹山文化資料館

            問合せ: 電話:077-528-4674 
               FAX:077-528-4956

                     野良田合戦と肥田城水攻め
                           (講演と現地見学)

         主 催:滋賀県教育委員会文化財保護課
               日 時:2月25日(土)13:00~16:00
       
                問合せ: 電話:0748-46-6144 
                          FAX:0748-46-6145
                    E-mail ma16@pref.shiga.lg.jp
 
 

                     大溝城と城下町をゆく
       
       日 時:3月10日(土)13:30-16:00
        集 合:JR近江高島駅東口 13時より受付
        申し込みが必要です

       主 催:
             
滋賀県教育委員会文化財保護課
         電 話:077-528-4644
                 E-mail ma07@pref.shiga.lg.jp
 
                 高島市教育委員会事務局文化財課

         お申込みは滋賀県の方へ(e-mailが好都合との事です)                                    

           *ご参加の場合は事前に必ず主催者にご確認ください

 

 

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4 コメント

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私もギターを横に置いてパコパコと (kenny)
2012-02-20 07:48:03
ポエムさん、おはようございます。面白いもんですね、幾つかが相乗してそのやっていることが継続しております。講座に出ていてもなんか真剣に聴いているのが可笑しいです。これが学生時代やったらちったー真面な人間になっていたのにと・・・(笑)滅多に居眠りすることがないんですなーー。コメント嬉しいです。記録として日記に残せる、そんな最近ですので目、耳に入ることをしっかりと見る、聞き漏らさないようにと、ちょっと疲れもしますが。でも疲れたら横にあるギターを。

18日は野洲も20cm程でしょうか、早朝早速三上山に。めったに見られない雪の山道、綺麗でした。ご指摘の通り元気だから気力もあるんですね、感謝の毎日です。またUPします。ありがとうございました。
返信する
色々な足跡 (ポエム)
2012-02-19 21:23:20
嘗て野洲住民の私もとても興味深く拝見しました。深い知識を追いかけ、色々な分野に意欲的に行動に移されるKennyさんの好奇心、これはまさに若さの秘訣だと思います。

守山に住む友人が発掘の仕事をしていたので、時々話を聞き「腰が痛いのと違う?」と心配しました。ヘラで丁寧に土を剥がしていう作業にびっくりしました。
野洲には古代を探る史の後が潜んでいますね。

昨日から降った雪、20センチはあったかと思います。まだ道に一杯残っています。という訳で家から出られなく、ギターの練習に頑張れました☆
返信する
ありがとうございます   (kenny)
2012-02-18 07:39:38
茲愉有人さん、いろいろと情報を頂きありがとうございます。実際野洲には古墳がたくさんあります。希望ヶ丘の(確か歩かましたね)北尾根縦走路にもいくつかあります(あんな尾根にも)。古代峠の大きな石も石棺らしいです。野洲は特に多いように思うのですが、当日の私の質問には明回はありませんでした。日記の古地図にある右端の濃い緑の古墳は保存されており見学も出来ます。野洲図書館のすぐ近くです。さて、今朝は野洲市も今シーズン初めての積雪です。5cm位dしょうか? Kenny
返信する
知れば面白く、楽しみに・・・・ (茲愉有人)
2012-02-17 14:46:39
興味深く読ませていただきました。
琵琶湖の畔や野洲川のような大きな川の近辺には、古くから人々が住みついていたのでしょうね。

森浩一氏の文を読むと、安土と能登川にまたがる「大中には湖南遺跡という名高い弥生時代の村があり」、当時の地形を復元すると、すぐ横が湖で舟の着く場所だったとか。「おそらく滋賀県と京都府全体では、一万に近い数の古墳があると思います」と書かれています。安土瓢箪山古墳や膳所茶臼山古墳は長さが100mを超える規模の古墳だったのですね。知らなかった。
また、吉田金彦氏によると、野洲の冨波遺跡大塚地区で、三世紀後半の西日本はじめての最古の前方後方周溝墓が昭和57年11月に発見されているのだとか。
野洲やその近辺には、いたるところに古墳や遺跡があるのでしょうね。

万葉集には野洲川を詠み込んだ歌があるというのを、吉田氏の文で知りました。

吾妹子にまたも近江の野洲の川安寐(やすい)もねずに戀ひわたるかも
  巻12、3157 (『新訓万葉集』下・岩波文庫)

野洲に近い蒲生野は、万葉集では特に有名ですね。額田王が作られた歌。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  巻1、20

野洲にも古代へのロマンがいっぱいありそう・・・・
郷土史にますます興味が湧いてくるのではないでしょうか。
また、ご紹介ください。

私は、いま、生まれ育った伏見と現在の生活圏宇治の歴史に関心を抱き始めています。
返信する

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