湖南アルプス
金勝山(こんぜやま)コース
奇岩、滝、磨崖仏、絶景の登山コースを縦走
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:9月30日から10月6日)
三上山山頂から湖南アルプス
三上山山頂の展望図 湖南アルプスの部分
湖南アルプス
栗東市の南部にそびえる金勝山(阿星山、龍王山、鶏冠山)などを
はじめ、大津市に位置する堂山、太神山、矢筈ヶ岳、笹間ヶ岳の山
々を湖南アルプスと呼ぶようです。 と、私は今までそう思っていたの
ですが・・ (後述)。
金勝山ハイキングコース
その中の金勝山に整備されているコースを金勝山ハイキングコース
といい、耳岩や天狗岩など自然にできた珍しい形の岩や奈良時代
作といわれる狛坂磨崖仏などを見ることができます。
ところが・・・
この日記を書くにあたりネットで検索すると、金勝山を金勝アルプス
と呼び、堂山、太神山、矢筈ヶ岳、笹間ヶ岳などの山々を湖南アル
プスとして分類している記事もあって、ちょっとややこしいですね。
今日はその金勝山コースを歩いてきました。まだ歩いていないコース
で感動の登山でした。
湖南アルプスは
奇岩、かなりの部分樹木がなく地肌が見える花崗岩質の山
持統天皇の藤原京、さらに続く元明天皇による平城京の南都7大寺
などの建築の伐採で禿げ山になってしまったといわれています。(逆
さ観音の解説板から引用。 及び末尾に関連資料)
今日の縦走ルート 道順は赤い矢印
拡大図:図をクリックしてください
スタート、ゴールは、地図左上の、上桐生バス停です。 落ヶ滝、
耳岩、天狗岩、白石峰、狛坂磨崖仏、出合、逆さ観音、オランダ
堰堤と回って、ゴール地点の上桐生バス停に戻ってきました。
コースタイム、約5時間の縦走を社友仲間と楽しんできました。
上桐生バス停 社友のウォーキング会仲間と
(後述)
出発です 8時45分
ところどころ沢を渡ります
先ずは落ヶ滝到着 9時15分 (出発からここまで30分、以下同じ)
落ヶ滝 (落差18m) 道中、標識は完璧です
いよいよ急坂、UP・DOWNの始まりです
標高を上げるに従い、下界が開けてきました
毎日を過ごす滋賀県南部を見下ろす景色もいいですね。 琵琶湖も
見えます、今日は少し靄がかかっていますが。
こんな岩場をすりぬけ、乗り越えて
どこにでもあるんだな~ これも・・・、重ね岩
耳岩到着 10時25分 (ここまで2時間40分)
耳岩 (好日山荘HPより拝借)
当日、見逃して、撮れませんでして・・・
あっ、本当だ!! (10月2日追記)
いつも私のブログに訪問下さるCさんから、こんな情報が!
耳岩の右中段にモンキーのボスが、腕組みをしてしゃがんだポー
ズで、下界を眺めているのが見えるんです。
皆さまも、上の写真をどうぞご覧ください。写真右端1/3、中段部分
です。お猿さんがいますよ。 Cさんありがとうございます。
天狗岩が目前に それにしてもこの奇岩
またまたこの岩場、奇岩
天狗岩到着 10時45分 (ここまで2時間)
天狗のお鼻ですか
こんな隙間をすりぬけてよじ登り お鼻のてっぺんに、恐る恐る立つ
白石峰到着 11時20分 (ここまで2時間35分)
白石峰
ここで昼食タイム、スズメバチが!!!
ロッククライミングもなさる登山家の社友、Kさんが ”払ったり
脅すようなことをしないで、じっとして。まず刺したりはしないか
ら” と。 私の顔の周りにも・・・。 我慢、が・ま・ん、すること何
秒か(長く感じたな・・・ぁ)。その後蜂は地面に落ちた葉っぱと
戯れて何処へか。そうか、よく言われている追い払うな、か。
白石峰から先は下りのみ
ふるさと創生一億円事業 で 石段を
1988年ー1989年にかけて交付された1億円で栗東市はこの石段
と日向山の石段を設置。 湖南アルプスも花崗岩の地質で、登山道
はざらざらでとっても滑りやすく、また土が流れて道にしっかりした足
場がない登山道が沢山あります。 これは助かりました!!
狛坂磨崖仏到着 12時15分 (ここまで3時間30分)
ついにお目にかかれました。 聞いてはいましたが
奈良時代後期の製作とか
逆さ観音到着 13時10分 (ここまで4時間25分)
山のこの斜面までずり落ちて逆さで止まりました
この後行くオランダ堰堤の石材採取でバランスを失い
オランダ堰堤 (えんてい) 到着 13時25分
堰堤を指導したオランダ人技術者、デレーケ
オランダ堰堤とは
この上をクリックしてください
バス停帰着 13時35分
約5時間のコースタイムでした。 この後バスでJR草津駅に戻りました。
結構歩き甲斐があり、珍しいものが多く、歴史も学びの充実の登山で
終えました。
Mさんにお礼と歓送会
今日もまた充実の登山、それは・・・、
常任の世話役さん(現役さん)が計画、下見の労をとってくださるお陰
です。そのお一人が関東に職場が変わります。 Mさん、長くお世話
になりました。 またどこかで関西のみんなと一緒に歩けますね、楽し
みにしています。
そこで、登山終了後、お礼、歓送会となりました。 またGさん、新しく
役目を引き受けてくださったTさん、これからもよろしくお願いします。
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(参考・ブログ管理者 Kennyの備忘録)
その原因: 古代から乱伐され、禿山となった田上山
田上山系は、飛鳥奈良時代以前は檜・杉・樫・椎などが鬱蒼と茂る美林であったと
いわれる。しかし古来より持統天皇の藤原宮(694)元明天皇による平城京(710)
や聖武天皇による紫香楽宮(742)東大寺建立(743)といった都の建設、比叡山
延暦寺や三井寺等の巨大寺院の造営のための木材供給、さらに人々は、製鉄用
薪炭材の伐採や農地の肥料として木を伐り落葉落枝や下草を奪う。石材の産出等
が行われ、森林の伐採が絶えず、そこへ戦火で山火事も発生した。緑を失うと雨で
土砂が流失する。花崗岩という再生力の弱い地質も手伝って、草の生える余裕もな
くなって、田上山一帯は江戸時代の後期にはすでに禿山と化していた。
(上述の解説: ウオーターステーション琵琶のHPより)
今日もご覧下さいましてありがとうございました