英雄伝説:継体天皇と織田信長の足跡
周辺を訪ねて-高島市-
=信長編=
伝 信長の隠れ岩
京に辿りついた時のあの信長の憔悴しきった顔(肖像画)
を思い浮かべます。
鯖街道に車を止めて2,3分山裾を登ります
「信長の隠れ岩」と呼ばれる大岩です。信長が越前の
朝倉氏を攻めた際、浅井長政の裏切りで、京へ逃げ戻
る途中にを身を隠したところです。地元の朽木元綱が出
迎えますが、敵意がないことを確める間、信長が身を潜
めたんですって。お市さんが両端を縛った袋に入れた
小豆でしたか、を信長に送り裏切りを知らせました。信長
も人の子、単独では弱いもんです。
逃げ帰ったルート
恐怖で憔悴しきって京に帰り着いた時の自身の姿
を絵師に描かせた肖像画が有名ですね。朽木市場
の通称三ツ石地先、国道367号(鯖街道)の東側
斜面の上にあります。
ここから200m程歩いて登ります
朽木三ツ石 (隠れ岩から撮影)
川の中に大きな石が三つ転がっています(三ツ石)。アク
セスはこの石が目印で、下の道路は国道367号線です。
この三叉路を右に取れば今津・保坂方面です。
興聖寺
興聖寺(曹洞宗)も同境内の旧秀隣寺庭園も当地の領主
朽木氏にゆかりの深い寺院です。
興聖寺
旧秀隣寺庭園
この庭園は足利12代将軍義晴が戦乱を避けるために3
年間この地に滞在。ここに京都銀閣寺の庭園を模して造
園されたそうです。 共に鯖街道の岩瀬集落にあります。
鶴塚(つるづか)
鎌倉時代の石造宝塔です。お武家様が一羽の雄鶴を射
たところ、頭がなかった。翌年同所で今度は雌鶴を射た
ところ翼の下に雄の頭を抱いているのを見て供養にと塚
を築いたとのことです。
白鬚神社
一段上がった内宮より境内
本殿は国の重要文化財です。豊臣秀吉の遺命を受けて
豊臣秀頼の寄進により慶長8年(1603年)の建立です。
檜皮葺、入母屋造りで桃山時代特有の建築だそうです。
琵琶湖中の大鳥居
琵琶湖との間の僅かな隙間に国道161号線が走ってお
り、国道をを渡って鳥居を見るには細心の注意を必要と
します。社記にも琵琶湖の中の鳥居は明記されており、
この鳥居は確か2代目と記憶しています。
鵜川四十八体石仏
花崗岩の阿弥陀如来像
近江国半国の守護職佐々木六角義賢が亡き母(呉服御前
・くれはごぜん)の菩提を弔うために阿弥陀の四十八願に因ん
で建立。なお、その内 13体は大津市坂本の慈眼大師廟に
移され、また2体は盗難にあってしまいました。盗むとはなー、
罰あたりが、ほんまに#
花崗岩でもありかなり摩耗していますね。
この鵜川四十八体石仏は白髭神社から少し北(JR高島駅
方向)に走ったところにあり、道路標識もあります。
朽木資料館
朽木陣屋跡近くにあります。陣屋のほか、地元の歴史や
文化を紹介しています。
長谷川氏が信長から拝領したたちつけ(皮袴):複製品
本物は同じ滋賀県の県立安土考古博物館で保管されて
います。背後の黄色のたちつけが本物の写真です。信長
の越前撤退時、この地で朽木氏の警護を受けており、そ
の折にお茶を献上した長谷川惣兵衛茂元が拝領したもの
とされています。
大溝城 古図 JR高島駅近く
それぞれ何処に? どうやって行くの?
最寄の駅はJR湖西線 高島駅 または安曇川駅ですが、
そのー1、-2、-3の多くを見学するには、やはり車です。
または高島市が用意した4Km、6Km、10Kmのコースも
あり、運動を兼ねての探索もいいですね。
所在地など情報はJRの各駅か高島市歴史民族資料館
(0740) 36 1553 で案内パンフレット(地図など)を
頂けます。
観光マップの一例 (当館で頂けます:無料)
信長の隠れ岩 案内図(主催者の資料) 拡大します