趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:平家物語ゆかりの地:その1

2012-06-13 17:26:22 | ブロガー:滋賀県の企画

 Kennyの滋賀から情報発信
                      平家物語
   祇王祇女と源義経のゆかりの地を訪ねて         
    
滋賀県教育委員会文化財保護課の企画、
 「ブロガーによる歴史探訪情報発信」に参加しました

       =探訪情報その1 =

    
(この日記の掲載期間:7月6日~12日)

はじめに:このブログは、
滋賀県教育委員会文化財保護課が募集されたブロガーの一人とし
て過日開催の
歴史探訪に参加させて頂きその感想を文書にするこ
とにより
滋賀のことをより多くの方に知って頂こうとKennyの
ブログからも発信させていただきます。これからも何度かこの機会
がありますがどうかよろしくお願いします。


滋賀県野洲市周辺にはこんな歴史が
それは義経元服の地王町に、そして平家終焉の地が野洲市
にあります。 国道8号線を走っていますと看板がありその存在は知
っていましたが真剣に調べる努力を怠っていました。過日の現地見
学会で得た新しい発見をリポートします。


                  義経元服の地 身を清めた池も

義経元服の地
JR野洲駅から車で10分(定期バスなら20分?)の国道8号線、
東山道(中山道)沿いにあります。真ん前が道の駅、鏡の里です。
どうしてまたこの地に?

奥州平泉に向かい鞍馬を後にして近江国鏡の宿に入ってまもなく、
平家が牛若丸(遮那王・しゃなおう)を追っていると聞き、鞍馬を立っ
た時の少年の姿では捕まれ易いと急遽髪型を変え烏帽子をつけて
元服しました。義経として成人になります。その場所には身を清めた
池、宿泊したとされる館の白木屋跡も残っています。さらには・・・、

   
          身を清めた時に使った盥の底板

すぐ傍の鏡神社には
同じ場所にある当神社には義経が使ったといわれる盥(たらい)の
底板
が保存されています。また枝に烏帽子を掛けたとする松も残
っていますが明治6年の台風でその松が倒れて今では株の部分が
保存されています。盥の底を見せていただくには前もって依頼をして
おいた方が確実です。
      

 
        鏡神社                烏帽子掛けの松
  
 


                 義経宿泊の館跡「白木屋」 鏡の宿

平家終焉の地、もう一つの大事件
壇ノ浦で敗れて生き残った(捕虜となった)平家の超重要人物平宗盛、
清宗父子
義経が斬らざるを得ず、ことに及んでは元服した場所は
避けて
少しでも遠いところをと選んだとされるのですが元服の地からた
った1km程南の国道8号線、そのすぐ近くの東山道(看板は中山道)
沿いです。


              宗盛・清宗父子の塚


宗盛父子は鎌倉へ送られた後京へ護送される途中偶然なのか義経
が元服したこの地でこの先生き延びていく事態になしと悟り
もはやこれ
まで「はやく斬れ」と云われたとかで止むなく事に及んだ(執行は橘右
馬允公長)ようです。

その場所は平宗盛胴塚として案内されています。胴塚ですから首は京
に運ぶ必要があったのです。せめてもの供養と義経は親子並べてこの
塚を作ったとの言い伝えです。周辺には首洗い池がありあまりの悲惨
さに池の蛙も鳴かなくなったと蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)とも称
されてい
ます。     


            平家終焉の地  父子の胴塚も      


         父子の胴塚  現在の国道8号線から50m奥

この宗盛は平清盛の三男で生き伸びた平家の最高位でもありここで平家
は終焉の時を迎えたと定義さてれ
います。




さて、ここまでのお話は諸説あるようですが特に場所については近江は
当時も武州(武蔵国)、奥州への交通の要所(東山道)、そのことから私
はこの地がそうなんだと固く信じておりますし、ネットで検索(例:ウキペ
デア)する限りこの鏡の宿や野洲と書かれていることが多いようです。

ウキペデアの記載引用
『平治物語』では近江国蒲生郡鏡の宿で元服したとする。『義経記』では
父義朝の最期の地でもある尾張国にて元服し、源氏ゆかりの通字である
「義」の字と、初代経基王の「経」の字を以って実名
義経としたという。
平家物語では「父子とも野洲で」、『源平盛衰記』では「6月22日に父子
とも勢多で斬られた」とも記されている。

書籍からの引用

  
         新選近江名所図会 清水新兵衛編 文泉堂 より引用
                  明治時代の発行

ここにも篠原村大字篠原(同じ場所です)とあります。この情報は
私の友人、HRI氏が提供くださいました。


          身丈2.8mの 阿弥陀如来坐像 (仏性寺)

仏性寺(天平文化)
阿弥陀如来坐像
がすごい! 寄木彫の漆箔で身丈が2.81mと大きく
天平17年(745)行基菩薩の御作とあります。これほど近くでこれほど
大きなそしてやや伏目の眼差しに引き締まった口元と案内書にあります
が素人の私にも分かるような気がしました。仏像の拝観は事前に連絡を
される方がいいと思います。場所はJR野洲駅から車で10分、定期バス
なら乙窪口下車が便利です。なお、仏性寺拝観には協力金(志納金)と
しておひとり100円納めます。

  


 
                      阿弥
陀如来坐像の解説板から   

先ずは上述の三題を取り上げました
今回は平家物語にあるゆかりの地が主な見学場所でした。従い
祇王
寺、祇王井川、土安神社、
その他も訪れましたが
スペースの関係で
次回のブログ、=その2= で書かせていただきます。

是非お訪ねください、一見の価値があります
灯台下暗しそのものでしたが今回の企画のお蔭で友を是非案内して
あげたい名所として勉強ができました。古代末期から中世の変遷の
舞台に実際に立ってみて歴史のロマンを感じる旅でした。

私がこの企画に参加させて頂いたのは、

滋賀県教育委員会文化財保護課はブロガーの参加を募り主催する
各歴史探訪に参加して得た興味や感想を個人が開設しているブログ
からも当地滋賀の情報として広く発信
してもらおうということです。

私も過去2年余り私の
ブログで拙いながらも当課主催の講座やその
他の行事に参加して得た目からウロコの情報を独り占めにせず発信
し私もまた情報を頂いてきました。今回の募集の内容を見て目的が
一致しました。躊躇
しましたが趣味を共有する友から勧められたこと
もあり参加しました。


今までと何も変わらない構成、私が書ける内容レベルですがこれから
も私流で伝えていきたい
と思います。

追記(7月8日):
社友、茲愉有人さん(ニックネーム)が貴重な情報を下さいました。
コメント欄を合わせてご一読頂ければ幸いです。

     次回は7月13日に 第二報 としてUP致します

     今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

コメント (2)
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Kennyの山歩き:取立山

2012-06-13 17:23:20 | 登山・ハイキング

水芭蕉と白山の展望はこの山で
   =取立山(1307
m)、福井県=
   
     (この日記の掲載期間:6月29日~7月5日)

水芭蕉は尾瀬か栂池まで行かんならんと
そう思っておりまして、しかし遠いのでまだその両方とも行った
こはなく水芭蕉も群生地では見たことがなかったのですが、

年友人の紹介で出かけました。 今年が二度目の訪問です。


                      水芭蕉、清楚に    

白山が真正面に
もう一つの楽しみは取立山山頂の真ん前に白山がどーんと鎮座、
雄姿を見せてくれることです。特に一度登った山は親近感があり、
思わずこんにちはと云いたくなる感じです。また反対側の美濃から
冬には(高鷲やダイナランドスキー場から)まさに真っ白の白山を
いつも見ており嬉しい限りです。


            取立山山頂から6月の白山

登山口(駐車場)から1時間半で山頂
登山口まで福井北ICから1時間強、そこはもう標高800mですか
らそれ程の体力を使わずに山頂に辿れます。水芭蕉の群生地ま
では山頂から20分程下ります。


       登山口から1時間半、すぐそこの山頂から白山が覗く

関西から手軽に
知らなかったらそのままで終わりと思い取り上げました。滅多に
同じ山には登らない私、Kennyにとってこの山は来年も水芭蕉
の時期にと思っています。

  
                  取立山、水芭蕉群生地

 
 美濃側(高鷲)から見た冬の白山           取立山山頂から下る登山者

        今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

コメント (6)
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Kennyの郷土史:観音寺城跡

2012-06-13 17:16:47 | 城址

観音寺城跡、中世五大山城

 =滋賀県のもう一つのすごい城=

       (この日記の掲載期間:6月22日~6月28日)


         大規模な石垣:滋賀県の研究員さんのご案内で

こんな城です
まずは日本五大山城の一つで滋賀県ではもう一つ小谷城が入
っています。険阻な山を利用して築かれた城としての分類です。
それと石垣を多用している事がこの城の最大の特徴なんです。
場所は安土城のすぐ隣、繖山(きぬがさやま:432m)一帯です。

 
        観音寺城跡のある繖山全景:麓の資料館から拝借

滋賀県教育委員会の講座から
表題から見てもとてもKennyの聞きかじりの知識でここに纏める
ことはできません。日頃ご厄介になっている当委員会文化財保護
課が編集されている冊子、そして過日「観音寺城の石垣
を探る」
と題しての講座で配布された資料の丸写しでノートを取るという一
昔前に帰っての緊張感です。

 
       冊子                最近の講座の様子

城と石垣:信長の安土城がその起源では?
観音寺城の特徴は石垣を多用している点、しかし安土城より古い
お城で石垣が多く使われているのは例外的でしかも戦国時代とし
てはほとんど唯一の城なんだそうです。そう云えば城郭での石垣
の本格的な導入は安土城以後
のことと過去の講座でも伺って
います。まだ土塁や堀切で防御をしていた時代これだけの規模の
石垣を使った(写真)お城があったのです。今もしっかりと残ってい
ます。石垣調査で見学路も整備されて今は歩きやすくなっています。


                本丸跡

最近の石垣基礎調査に基づき
平成20年から22年にかけての県の調査成果を講座として発表さ
れました。お話は多岐に亘っていますがそのうち分かりやすいお話
としては石垣の分布は城のある繖山の山塊中央に55%が集中
している。石垣の特徴は重ね積み(重箱積み:同じ大きさの石を縦
に積み重ねる)、城の構造は三国丸をピークにした尾根筋に展
開する馬蹄形縄張り
であると。なおこれらのお話は講座全体での
お話の極く一部です。

   
        石垣分布図:講座当日のスクリーンから

  
           馬蹄形縄張り:同スクリーンより

観音寺城
近江守護佐々木六角氏が戦国時代に居城とした城です。永禄11
年(1568)に信長の攻撃で六角承禎・義治親子は逃亡しその歴史
的役目を終えたようです。

ところがこの城は信長の破城には遭わず、信長が補助的な城と
して利用していたとの説もあります。石垣の保存状態がいいのは
この辺にもあるのかな?


         450年近くたってもこの保存状態

滋賀県には誰でも知っているお城が
最近では小谷城がNKHのドラマで出てきました。安土城彦根
とこれらは日本史でも必ず習う、出てくるお城ですが、郷土史
に興味のある方、特にお城に関心のある方にとって1300はある
と云われている城(跡)、滋賀県はまさに歴史の宝庫です。

この観音寺城の佐々木六角は惣領家を同じくする京極氏と近江の
南北をそれぞれに守護し信長の前に敗れ、また京極氏を継いだ浅
井氏も信長によって滅びます。その信長が安土に城を築くと続いて
行き
当時は滋賀県が時代の変遷の最大の舞台でした。そんな思い
を抱いて城(跡)を歩いています。


               井戸の跡

独り言:受講、感想日記
こんなことをしているのもまた楽しいひと時でもあります。受講しても
後日試験がある訳ではなく、次元が低くても間違っていても進級とか
の問題もこのレポートの提出期限もありません。 のんびりと・・・・。

この日記の掲載、冊子・資料からの引用などは当日の講師(研究員)
から承諾をいただいております。 現地の写真はKennyの撮影です。

      今日もご覧くださいましてありがとうございました


            *************      
        

                    お知らせ
 
                笑笑亭英語落語寄席の開催日が変わりました
 
先に掲載の日程が変更されています。新しい日時は下記の通りです。

 
    
 
          お問い合わせ: E-mail:rafurafutei@yahoo.co.jp

  ご鑑賞される方は念のため主催者にご確認ください(Kenny)

 


 

 

コメント (4)
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