Kennyの滋賀から情報発信
平家物語
祇王祇女と源義経のゆかりの地を訪ねて
滋賀県教育委員会文化財保護課の企画、
「ブロガーによる歴史探訪情報発信」に参加しました
=探訪情報その1 =
(この日記の掲載期間:7月6日~12日)
はじめに:このブログは、
滋賀県教育委員会文化財保護課が募集されたブロガーの一人とし
て過日開催の歴史探訪に参加させて頂きその感想を文書にするこ
とにより滋賀のことをより多くの方に知って頂こうとKennyの
ブログからも発信させていただきます。これからも何度かこの機会
がありますがどうかよろしくお願いします。
滋賀県野洲市周辺にはこんな歴史が
それは義経元服の地が竜王町に、そして平家終焉の地が野洲市
にあります。 国道8号線を走っていますと看板がありその存在は知
っていましたが真剣に調べる努力を怠っていました。過日の現地見
学会で得た新しい発見をリポートします。
義経元服の地 身を清めた池も
義経元服の地
JR野洲駅から車で10分(定期バスなら20分?)の国道8号線、
東山道(中山道)沿いにあります。真ん前が道の駅、鏡の里です。
どうしてまたこの地に?
奥州平泉に向かい鞍馬を後にして近江国鏡の宿に入ってまもなく、
平家が牛若丸(遮那王・しゃなおう)を追っていると聞き、鞍馬を立っ
た時の少年の姿では捕まれ易いと急遽髪型を変え烏帽子をつけて
元服しました。義経として成人になります。その場所には身を清めた
池、宿泊したとされる館の白木屋跡も残っています。さらには・・・、
身を清めた時に使った盥の底板
すぐ傍の鏡神社には
同じ場所にある当神社には義経が使ったといわれる盥(たらい)の
底板が保存されています。また枝に烏帽子を掛けたとする松も残
っていますが明治6年の台風でその松が倒れて今では株の部分が
保存されています。盥の底を見せていただくには前もって依頼をして
おいた方が確実です。
鏡神社 烏帽子掛けの松
義経宿泊の館跡「白木屋」 鏡の宿
平家終焉の地、もう一つの大事件
壇ノ浦で敗れて生き残った(捕虜となった)平家の超重要人物平宗盛、
清宗父子を義経が斬らざるを得ず、ことに及んでは元服した場所は
避けて少しでも遠いところをと選んだとされるのですが元服の地からた
った1km程南の国道8号線、そのすぐ近くの東山道(看板は中山道)
沿いです。
宗盛・清宗父子の塚
宗盛父子は鎌倉へ送られた後京へ護送される途中偶然なのか義経
が元服したこの地でこの先生き延びていく事態になしと悟りもはやこれ
まで「はやく斬れ」と云われたとかで止むなく事に及んだ(執行は橘右
馬允公長)ようです。
その場所は平宗盛胴塚として案内されています。胴塚ですから首は京
に運ぶ必要があったのです。せめてもの供養と義経は親子並べてこの
塚を作ったとの言い伝えです。周辺には首洗い池がありあまりの悲惨
さに池の蛙も鳴かなくなったと蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)とも称
されています。
平家終焉の地 父子の胴塚も
父子の胴塚 現在の国道8号線から50m奥
この宗盛は平清盛の三男で生き伸びた平家の最高位でもありここで平家
は終焉の時を迎えたと定義さてれいます。
さて、ここまでのお話は諸説あるようですが特に場所については近江は
当時も武州(武蔵国)、奥州への交通の要所(東山道)、そのことから私
はこの地がそうなんだと固く信じておりますし、ネットで検索(例:ウキペ
デア)する限りこの鏡の宿や野洲と書かれていることが多いようです。
ウキペデアの記載引用
『平治物語』では近江国蒲生郡鏡の宿で元服したとする。『義経記』では
父義朝の最期の地でもある尾張国にて元服し、源氏ゆかりの通字である
「義」の字と、初代経基王の「経」の字を以って実名を義経としたという。
『平家物語』では「父子とも野洲で」、『源平盛衰記』では「6月22日に父子
とも勢多で斬られた」とも記されている。
書籍からの引用
新選近江名所図会 清水新兵衛編 文泉堂 より引用
明治時代の発行
ここにも篠原村大字篠原(同じ場所です)とあります。この情報は
私の友人、HRI氏が提供くださいました。
身丈2.8mの 阿弥陀如来坐像 (仏性寺)
仏性寺(天平文化)
阿弥陀如来坐像がすごい! 寄木彫の漆箔で身丈が2.81mと大きく
天平17年(745)行基菩薩の御作とあります。これほど近くでこれほど
大きなそしてやや伏目の眼差しに引き締まった口元と案内書にあります
が素人の私にも分かるような気がしました。仏像の拝観は事前に連絡を
される方がいいと思います。場所はJR野洲駅から車で10分、定期バス
なら乙窪口下車が便利です。なお、仏性寺拝観には協力金(志納金)と
しておひとり100円納めます。
阿弥陀如来坐像の解説板から
先ずは上述の三題を取り上げました
今回は平家物語にあるゆかりの地が主な見学場所でした。従い祇王
寺、祇王井川、土安神社、その他も訪れましたがスペースの関係で
次回のブログ、=その2= で書かせていただきます。
是非お訪ねください、一見の価値があります
灯台下暗しそのものでしたが今回の企画のお蔭で友を是非案内して
あげたい名所として勉強ができました。古代末期から中世の変遷の
舞台に実際に立ってみて歴史のロマンを感じる旅でした。
私がこの企画に参加させて頂いたのは、
滋賀県教育委員会文化財保護課はブロガーの参加を募り主催する
各歴史探訪に参加して得た興味や感想を個人が開設しているブログ
からも当地滋賀の情報として広く発信してもらおうということです。
私も過去2年余り私のブログで拙いながらも当課主催の講座やその
他の行事に参加して得た目からウロコの情報を独り占めにせず発信
し私もまた情報を頂いてきました。今回の募集の内容を見て目的が
一致しました。躊躇しましたが趣味を共有する友から勧められたこと
もあり参加しました。
今までと何も変わらない構成、私が書ける内容レベルですがこれから
も私流で伝えていきたいと思います。
追記(7月8日):
社友、茲愉有人さん(ニックネーム)が貴重な情報を下さいました。
コメント欄を合わせてご一読頂ければ幸いです。
次回は7月13日に 第二報 としてUP致します
今日もご覧くださいましてありがとうございました