とうとう東京には春一番が吹いて、ますます春の気配が濃厚になってきました。この週末は花粉の第一ピークという予想でしたが、そのとおり。今日の午後から鼻水がでています。以前よりは大分軽くなったのですが、やはり今年の花粉の量は尋常ではなさそうです。せいぜい乳酸菌と春ウコンをせっせと摂取して、あとは良質のお白湯を頂くとします。
ところで先日の本の内容について、要点をまとめてみました。東村山における古代史を考察するうちに、中央史の謎に挑むことになった、という展開で書かれています。大変な労作でありながら、難解な言い回しを避け平易な文章で淡々と語られているのも好感が持てます。この本は「東村山市研究第三号」とあります通り、『武蔵悲田処に関する研究』『多摩郡衙・瓦塔・郡寺の研究』に続く研究です。そのため、本書を読んでいますとあちこちで、前二冊からの引用があります。自分も武蔵野で育ちましたし、興味深く思いました。残念ながら古くから武蔵野に住まわれている方々とのご縁はあまりありませんでしたので、この地の古い伝承などもよく知らずにいました。
『白山神社と太陽信仰の研究ー白山と伊勢神宮の関係を中心としてー東村山市研究第三号』(東原那美(東村山郷土史料編纂員)著 東村山市教育委員会 発行)
第一章 東村山の太陽信仰の図形にそって
第二章 白山神社と伊勢神宮の関係
第三章 日本列島デルタで結ぶ点と線
第四章 「心の御柱」考
第五章 緯度がつなぐ白山と都祈野
第六章 日置部の分布とその後裔
第七章 地名語源の考察
どの章もはっきりとしたメッセージがあるのですが、わたしにとっては第二章、第四章がとくに興味深く思われました。いわゆるこの分野の専門家のあいだでの「常識」=定説がどのようなものかもよく知りませんので、このかたの議論がどの程度新しいものなのかはわかりません。しかし、論説を読ませて頂く限り、論理的にはすっきりと飛躍もなく理解できるように思います。
「はじめに」の部分には全体を通しての要約が述べられています。著者による要約が一番よろしいのではないかとおもいますので、一部を抜粋させていただこうと思います。
「白山神社は古代国家の重要施設のかたわらに祭られている例が多い。これをなぞるように当東村山が、古代の七街道の一つ「東山道」が通じる武蔵野の原の要衝・狭山丘陵の裾に位置して、安閑534年大和朝廷東国征覇の拠点となった「多摩屯倉(みやけ)」の設営地であり、ついで大宝二年(702)「多摩郡衙」、天長10年(733)『続日本後紀』に記載のある「武蔵悲田処」が設けられ、降っては鎌倉時代には「久米川宿」が設けられた。
白山神社はこれらの施設が群居する地の村の「本村(ほんむら)」に祀られている神社である。
全書の二書『東村山市史研究』第一号・第二号では、これらを掘り下げ、究明して、白山神社は古代朝廷直轄支配地・国衙寮の神であることを明らかにした。
そしてこの度の『市研3号』では、これらの古代国家の重要施設の存在を裏付けるかのように、多摩郡衙の起点となったと思われる久米川白山神社の位置を拠点として、東村山の上に出現した正確な方程式をもって描かれた大三角形正三角形の上に、白山神社七社が嵌めこまれている図1の折込図形からみて、国家が祀るところの古儀信仰・太陽信仰の図形であると判断したものである。
東村山の上に出現した図形1に組み込まれているのが、七社とも白山神社であることから推察して、容易ならざる神社であることを確信し、上古時代、国衙領の神として白山神であったのは、いずれの神か、原神さがしを始めた。その過程で探し当てたのが『古事記』の冒頭に、創世神として、最高神の位置付けをもって登場している「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」であった。この神は『古事記』の冒頭に記されてあるものの、その後、いずれにも姿をみせない、その行方の知れない神である。
アメノミナカヌシが白山神社の原神であったなどといっても、現在、この神を祭神とする白山神社はない。しかしこのことは、天武天皇紀(673~)皇室が中国の古代哲学、天文学・道教を密やかにそして堂々と伊勢神宮の祭儀のなかに導入し、神宮の社屋まで道教観をもって配置した。そのことに素因があるようである。
(中略)
白山の主峰御前峰に「高天原」があり、「天柱石」を称する磐座が存在し、ここ東経136度46分を垂直に降下すると、伊勢の海からそそり立つような伊勢神宮・内宮の東方に位置する「朝熊山(あさまやま)」につける。この線が宇宙の中心軸、「天の御柱」である。
ここに朝熊山を「大日本国の束根所(たばねどころ)」と位置づけ、「奥宮」と呼び、内外宮を「里宮」と呼ぶ習が生まれた。この由縁こそ朝熊山頂に「皇太神の御母」であり、「天地開闢のすべての母」として崇められていた太陽神・白山妙理大権現に由来するものである。
この伝えは弘法大師の手になるという伝説をもつ『朝熊山儀軌』の『神鏡広博』に明白である。ここに共に「白鏡」を祭神とする、内宮摂社の筆頭に座す「朝熊神社」が生まれてきたゆえんであろう。これらを基に生まれたのが図19・27の折込図形である。
ここに白山の山岳を太陽信仰の中枢の山として、日本神話が構成されていたことが判ったものである。
(中略、さらにアメノヒボコの出身地、朝鮮半島新羅国にふれ、白山と「太白山」との関係にも触れている)
これらを基本に据えて論をすすめ、皇室の宗教は7世紀、中国の天文学・道教へと変化したことから、最高神であり、世の中のすべてを二元構成で支配するというアメノミナカヌシの性格であったが、皇室に対しては「援助する」「従属する」という本来の性格に変化が起き、名実共に宇宙の中央に座す絶対の力をもつ「北極星」の性格に変わった。
日本の天皇は、自ら北極星の異称、天皇・大帝を名乗っていられる以上、日本という宇宙の中心、北極星の位置に当る白山の山岳にアメノミナカヌシをそのまま祀っておくことはできなかった。ここに伊勢神宮「外宮」の創建となり、北極星に対する北斗七星の性格に等しいアメノミナカヌシを「心の御柱」として、外宮に祀ったものとした。
(中略)
白山神社の歴史はまさに歴史の謎であった。そもそも山名を「白山」としたことが謎であり、山岳の山名をそのまま冠する神社が、堂々たる社屋をもって、全国に分布しているのは白山神社だけである。古代を代表する二大仏教、天台・真言が競って白山神社との関わり合いを求め、地方の古代の官寺的要素をもつ寺院と一対の歴史をもつ白山神社が各地に見え、また古代国家の重要施設のかたわらにいわれあり気に祀られながら、その歴史がようとして分からずなぞにつつまれたままであった。
これらの不透明さの理由が、7世紀、皇室の宗教が秘密裡に変化したことにあるようである。白山の歴史は『古事記』にも『日本書紀』にも一字たりとも記されていない。このことは『記・紀』の二書が皇室の宗教の変化後に編さんされたものであり、8世紀の政治事情を天下にあまねくしろしめすために書かれたものだからである。」(以上抜粋終わり)
わたくしの感想はまた明日にでも。。。
最近はネットにて図書館の蔵書を検索できます。お住まいの近くの図書館が所蔵していなくとも、取り寄せて借りることも可能です。ぜひトライして頂ければと思います。
白山に関しては、文献が多いようで少ないのです。
検索してみますね
ありがとう。
イザナミが祀られています。
イザナミはもとは別名で祀られていた神様という話を古老から聞きました。イザナギも別名があったそうです。
どちらにお住まいでしょうか?言い伝えはときに過去の真実を伝えますから大切にしたいですね。
神社も祭神を次々にかえ、もともとお祭りしていた神さまが分らなくなっているところも多いようです。是非古老の方の言い伝えを残して頂きたいです。
この本 昨日入手しました。今読んでいるところです。
東村山市研究第一と二号は入手しやすいです。
またー東村山市研究第三部作をコンパクトにまとめたあまから民族史だと入手しやすいです。東村山市研究第三号はないと思います。
本当に労作ですね。私は吉野裕子さんの本も読んでいますが吉野さんの本は難解です。
私の住んでいるところの白山神社は近くにかつてもありました。
読んだらまた書き込みいたします。
祭祀にかかわる研究は興味深いものが多いですが、思い込みから来る、論の飛躍などもみられがちです。その点、東原さんのこの論説は実に手堅いもので、大変好感を持ちました。
復刻されたらいいのですが。。。