古代の人々は神まつりにおける神霊について、祖霊もまたその範疇に入るものとしておまつりしていたのではないか、と考える研究があるようです。古い神社の裏手、近傍、或は敷地のなかには古墳のあるケースがしばしばみられることなども知られています。これはその名残ではないかと考えられます。他界した先祖の方々に見守られつつ今を生かされていく、と考えますとなにか心強いものがあり、一人であって一人でないという共生感を感じることができます。
人はどこから来てどこへ行くのか、という問いがありますが、それはまさしく生命と言うエネルギー体の循環を問うているのではないでしょうか。それはつまり大自然の磁場からうまれ、またその大いなる大磁場へと帰っていくのだと思います。ただ人は魂をもちます。たんなる物質の循環では終わらないことを肝に銘じなくてはと思います。
結婚してから、ご先祖さまのご供養のことを度々主人に尋ねてましたね…
神様のお祭りも我良し。てんりさん、仏壇なし。
伊勢白山道は私には直球です(笑)
祖霊を大切にし神道へと帰してくれました。
祖霊信仰に寄せて(^w^)
この世でこうしていろいろな経験をし、魂を練ることができる機会が与えられたこと。そのことを心の深いところで「知る」ことが今の世の中の私たちには新鮮に感じられます。
古代の方々はよく認識していたはずなのですが、いつのまにか忘れてしまったのですね。理由はいろいろあったのでしょうが、それはさておき、もう一度そのことを「思い出し」て生きていきたいですね。
うちの主人の方も浄土真宗です。あまり宗教的な方々ではないのですが、先祖代々のお墓を大事にしています。ご供養の気持ちをもっている義母なのですよ。ありがたいことです。