有機・無農薬菜園ブログ!団塊の世代が!!武蔵村山で野菜づくり

笠間KGで有機・無農薬菜園・陶芸等を4年。定年後に武蔵村山市の畑に移転、週末農業を中心に野菜づくりを楽しんでいます。

菅原文太氏のご逝去を悼む”語る「農」「日本の未来」”

2014年12月04日 07時00分00秒 | 歳時記・その他

菅原文太氏のご逝去を悼む”語る「農」「日本の未来」”

同氏が突然亡くなられた。日本の「農業」や憲法を守ることについて積極的に活動されていた事を少しだけ知っていたが残念である、ご冥福をお祈りしたい。今日、インターネットの同氏に関する記事を読んでいたら次のような記事を見つけた。一部だけ抜粋< >は前後の関係で私が加えました。

“月刊「財界さっぽろ」のインタビュー2013・12菅原文太が語る「農」「日本の未来」そして「いのち」”-危うい化学肥料漬けの日本の農地―

(菅原氏)…<有機・無農薬栽培も>確かに少しずつ増えてきているけど、…全国的には0・16%。欧州では少ない国でも10%、多い国では20~30%ある。…やはり農薬会社とか、それに付随した種苗会社とか。たとえばモンサントという巨大なバイオ化学メーカーがある。そういうところが農業界を支配していて有機をやらせない。有機をやらせたら農薬も肥料も売れなくなる。そういうことで増やさないように抑え込んでいるんだろうと思うよ。世界的な現象だね。それが極端に強いのが日本だということだよ

(菅原氏) <竜土おひさまの里農園での有機・無農薬栽培の土づくり>そういうところから始めて、ようやく今年、土がよくなったなあ、環境がよくなったなあと実感するよ。4年目に入ってやっと土から化学製品がなくなって、本来の土に戻り始めた。あと1、2年すれば本当にいい土になってくれるだろうと思う

<インタビューアー>―何か特別なことをしたんですか。
(菅原) 微生物が土をつくるわけだから、微生物を投入してやらないといけなかった。本来なら日本の土壌は何もしなくても何億という微生物がいて、太陽と水と酸素と、そういった自然の絶妙なバランスでいい土をつくっていた。
 だけど1963年、アメリカから農薬、化学肥料が入ってきて、農協が率先して使い始めた。農家に押しつけたんだな。みんな断るわけにはいかないから、唯々諾々と使ってきた。それが50年。完全に日本の土は、化学肥料で覆われてしまった。恐ろしいことなんだけどね。政府も何も言わずに、アメリカから送られてくる農薬や化学肥料を受け入れてきた。でもそれを使うのは農家。農家は団結して、もう少し抵抗してくれればよかった。でも、そういう習慣は農業にはなかった。農薬のない時代は農協も無農薬の野菜を買い取ってくれた。でもいったん農薬漬けの時代に入ったら、それを使わなきゃ儲からない。人間の宿業なのかな。金が儲かるということは、何にも代えがたいということなんじゃないの。

以上の記事より勝手に抜粋しました。

   ⇒ http://www.zaikaisapporo.co.jp/kigyou/intervew/165.shtml 

ちなみに菅原文太著「ほとんど人力」は読んでいません。また、同氏の農場、2009年山梨北杜市に「(株)竜土おひさまの里農園」についても知りません。

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