会計スキル・USCPA

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映画ハンナ・アーレント

2014-01-19 23:43:36 | 生活
大学院に通い始めて、学生証を手渡されたとき、こきゃラッキー、学生割引が使えるわいと思ったのも束の間、問題発生。

使っている時間がない。

あれほど好きだった映画にもゆけず、結局割引なんぞ使うことはほとんどなし。

しかし、この年明け早々に修士論文を無事提出完了して、怒濤の原稿書きから開放されたんで、久々に映画館へ。
全く、何をやっているかさえ知らない。以前は映画で予告編を見せられるんで、観たい映画に困るなんてことはなかったんですがね。

さて、ハンナ・アーレント。

むむむ、こんなんが映画になっているのを発見。
観るべきか、観ざるべきか。
思想家を映画にしたって面白いわけがない。
しかし、どう料理したんじゃろか。
とかいう興味が勝って、映画館へ。学割もちゃんとききました。

ハンナ・アーレントの名前は、左系の思想雑誌なんかに時々特集みたいなのがでたり、引用されてたりしてますかね。
でも、実際に著書を読んだことはありません。
ただ、書いたものが物議をかもした、程度のことは読みかじったことがあったんですな。


ナチの幹部だったアイヒマンが、裁判にかけられているのをハンナが傍聴して、ニューヨーカーに寄稿する。
その記事が、アイヒマン寄りだ、と激しいバッシングをハンナが受ける、というのがストーリーの骨格です。

映画はアイヒマンがつかまるとこから始まって、ハンナが,私傍聴しにいってくるわ、みたいな風に、順番どおり始まって、ほぼ想像どおりに展開していきます。夫やら、友人、恩師のハイデガーなんかとの人間関係を織りまぜながら、というのも定番ですね。

ハンナの思想をサブストーリーに持ってくるという、面倒だけど思想家が主人公なんでやらざるを得ない所業にも、しっかりと取り組んでます。

凡庸の悪。考えることを止め人間であることを止めて、凡庸さが巨悪を働く。

アイヒマンは何百万人ものユダヤ人の虐殺に手を貸したけれども、その正体はただの小役人にすぎなかった、ということを裁判を傍聴して知ったハンナは、ショックを受けるんですな。倫理と義務の間で葛藤はあったが、それ以上考えるのを止めて、命令に従い虐殺に手を貸した。

そして、考えをやめて悪をなしたのは、アイヒマンだけでなく、ナチの虐殺に協力したユダヤ人指導者、ナチを支持した恩師のハイデガー、ハンナの記事に対する感情的な批判者達にも、同じ影をみる、という形です。ここを読み取れないで、観た方は、エピソードがバラバラに散りばめられているだけのように見えたかも知れませんが、この辺は丁寧に作ってあるんですね。

まあ,稀代の思想家が、そんな単純な図式でものを考えていたかどうかは別としてですが。

なんら奇をてらッたところのない、オーソドックスな、定番だけで作った映画、って感じなんですが、
それでも、最後まで退屈しないんですな。

作りと演出、それにさりげない演技が実にしまってて、完成度の高さが、みてて飽きさせないってことですかね。
演技と演出だけでも、ぐっとくるんですな。

最後のシーンで、ハンナが大講義室で、批判に応える演説をするんですが、
この大講義室が、傾斜になっていて、聴衆がハンナを見下ろすようにできている。
講義が終わって友人と挨拶を交わすのも、ハンナが下から追う形で、友人は上から見下ろしててて、絶交を言い渡したりします。

こういう講義室の使い方なんかも、ハンナの感じている圧迫感を表現する効果を、計算に入れているはずです。
その直前のシーンで、私の講義は学生でいっぱいです、まで言わせて、いきなりでかい教室を使う不自然さを消しているんですね。

ストーリーからカメラの動きまで、つながりが、自然で、練り込まれた感じがとってもする映画なんですな。

ただ、どこまでも地味ーなんで、純粋に娯楽として映画を楽しみたい場合にはちょっとつらいかも。

あくまで、ハンナアーレントへの関心があるか、映画そのものが好きなひと向けですね。

ハンナ・アーレント 予告編


















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