yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

【独り言】博物館の再生~博物館の博物館でいいのか~

2006-01-14 01:14:19 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 昨年4月から国立歴史民俗博物館の展示プロジェクト「桓武の野望と挫折」(仮題)の委員を務めている。関東で初めて本格的な古代の都に関する展示会である。2007年秋開催予定で、現在各分野から集まった委員の間で展示企画を立てている。先日も委員が持ち寄った企画案を検討したばかりである。
 実は通称「歴博」も参観者の減少に頭を悩ませている。展示会は多種多様なものを数多く開催するのだが、一向に人は足を運ばないのである。思い切った改革をしなければいずれ国民から忘れ去られてしまう。そこで、普通は「桓武(天皇)」などという個人をテーマにすることはないのだが、タイトルにまで個人名を入れて展示してもいいのではないかという意見でまとまりつつある。
 桓武こそが奈良時代から平安時代という時代の転換点を創り出したのだという主張である。

 先の日韓ワールドカップ開催時に現天皇は「祖先である桓武天皇は朝鮮人の血をひき、両国は強いつながりをもっている親しい関係にある民族同士だ」という歴史を認識の上で共催の意義を語ったと伝えられる。四大紙各紙は社会面辺りに小さく記事を載せただけで詳細は不明だが、私には強烈な印象を与えた。以来、講演会などでは必ずこの発言を紹介し、偏った民族主義を諫めることにしている。

 桓武こそ、現天皇にまで強い印象を残し、その明確な祖先として認識されている天皇なのである。桓武さんのお力で、果たして観客動員数の減少に歯止めがかかるか、私達に科せられた課題は極めて重い。

 ところで三重県内にはユニークな博物館、資料館が多数存在する。しかしいずれも「歴博」と同じ悩みを抱えている。特に県立博物館(津市)と斎宮歴史博物館(明和町)の抱える問題は深刻だ。
 先日久しぶりに学生を連れて県立博物館に行った。相変わらず参観者は少くなく、やはり先生に連れてこられたらしい数人の子供達が見学していただけだった。受付の職員に尋ねると、平日はいつもこんなもんだという。すっかり諦め気味である。

 驚いたのは展示内容が以前と少し変わり、自然系中心になっていたことである。入り口ロビーに伊勢型紙のコーナーはあったが、後の2室はいずれも自然関係であった。
 鳥羽で恐竜の化石が見つかり、「鳥羽竜」と命名され一時博物館の見学者を増やしたことは記憶に新しい。その最新成果を生かして、自然系にしたのであろう。全国でも人気の科学博物館を意識してのことであろうか。
 但し展示品のほとんどは、これまでも並んでいた動物の標本や鉱石、化石であった。もちろん、予算と人員に限りがある以上、常に大規模な展示ができないことは承知の上である。学芸員の方々の心境を思いやると忸怩たるものがある。しかしそれでもなお、少し寂しかったのは、折角の資料が、ただ置いてあるに等しい展示であった点である。

 例えば鉱物のコーナーには「水銀」と書いて、数個の原石が展示してあった。説明は何もない。もちろん岩石学の展示としてはこれで十分なのかも知れない。しかし、「三重県立」を名乗る以上どうしてこの岩石をこの空間に並べる必要があったのかくらいの説明があってもいいのではないかと思った。

 学生には素直な感想を求めたかったのだが(一応来週レポートが出ることになっている)、ついたまらず言ってしまった。
 「ちょっとこれではネ・・・、実はね、この水銀の標本を見て思い出したんだけれど、伊勢国は古代から水銀の特産地なんだよ。あの有名な東大寺の大仏を金色に光り輝かせたのは伊勢の水銀だったんだよ。・・・・」
 博物館の説明板にはそんなことはどこにも触れられていなかった。もし少しでも触れてあったら、訪れた人々の地域に対する関心は一挙に高まったはずだ。ひょっとして、口コミでこんな話が伝われば、「博物館が変わったんだ!もう一度行ってみよう!」と思う人が増えるかも知れない。こんなことを一人ごちながら展示を見て回った。化石のコーナーでも、動物のコーナーでも、いろんなアイデアが、次々と脳裏に浮かんだ。一番寂しかったのは「鳥居古墳」への案内であった。まるで「トイレこっち」の案内のように、矢印が廊下に貼ってあるだけなのだ。
 立派な家形石棺を持つ三重県下有数の横穴式石室を持つ後期古墳は裏庭の駐車場に寂しく鎮座するだけだった。
 
 ところで斎宮歴史博物館もリニューアルをした割には観客の足が伸びないらしい。聞くところによると三重大学の先生に委託して博物館活性化の対策を検討するらしい。専門化をあえてはずして検討するところに期待感はにじむのだが・・・・。

 世界に一つしかない斎王にテーマを絞った資料館である。どうして訪れる人が少ないのだろう。私の思いつきの不活性化原因の分析はこうだ。

 毎年行われる発掘調査の成果が余りに表現されていないのではないかと思うのである。例えば、昨秋、せっかく他府県では見ることのできない壮大な塀で囲われた施設(初代斎王・大来皇女の暮らした斎宮内院跡の可能性があることは既に本ブログでも述べたことがある。)を発見しても、地方版に小さく紹介されただけなのである。
 私なら直ぐに復原図を作り、日本のみならず世界中の皇帝の離宮の資料を集め、「世界最古の皇族女性の離宮か?!」と報道機関に発表する。
 もちろん、木簡などの文字資料がまとまって出ない限り断定はできない。しかしだからといって「アーかも知れないがこうかも知れない、アーでもないし、こうでもない」では何のための発掘調査かと言うことになりはしないだろうか。私は何もねつ造しろとは言っていない。発見された資料の可能性としていくつかのヒントを提示すればいいと言っているだけなのだ。

 情報をできるだけたくさん提供し、参観者と一緒に考えてもらう、そんな姿勢が必要なのではないだろうか。推理小説を読む読者が通勤電車の中で、次の頁に出てくる答えを読む前に必死で考える姿、こんな形が資料館や博物館にあってもいいのではないだろうか。

 資料館活性化の第一条件は、人々の関心を得ることである。それでなくとも情報の溢れかえる社会である。並の情報では人々は気付いてくれない。新鮮な情報こそが人々の目を奪い、興味を引き起こすのである。

 なぜ女子フィギアースケートの放映が高視聴率を得たのか、なぜ女子プロゴルフが人気を盛り返し、男子はだめになったのか。
 次々と登場する新しく、魅力的な選手達のプレー、そのきびきびした、刺激的な姿にスケートの採点方法を知らなくとも、引き込まれてしまう。まるでサイボーグのように正確に打ち込まれるショット、次々とカップに吸い込まれるボール、いろんなスタイルの、いろんな個性がぶつかり合うゲームほど楽しいものはない。次に彼女はどんなスパーショットを見せてくれるのか、ワクワクしながら見ていると時間の経つのも忘れてしまう。日本シリーズで見せてくれたロッテの選手達の意外性、これほど野球が新鮮に見えた年はなかった。

 こんなスポーツの姿を博物館活性化に参照できないだろうか。
 
 博物館が博物館の展示対象となってもいいというのは過去の話であろう。新しいプレーヤーは新しい遺跡や遺物、研究成果に対応する。きびきびしたスケート、意外性のあるプレーは学芸員の優れた解説や展示パネルに匹敵しよう。

 常に世界一新鮮な情報を世界のどの博物館にも負けないくらい積極的に発信する、この姿勢があれば、いずれ人々は博物館に足を運んでくれるのではないだろうか。スポーツのように世界選手権はないが、世界一の資料や展示の技は今ならブログやホームページを使っていくらでも提示することができる。少なくとも地下から発見される資料は世界に二つと無いものばかりである。調査員には当たり前で、見飽きたものであっても、一般市民にはどうして1200年も前のお茶碗が地面から出るのか、そもそもどうして1200年前と解るのか、疑問だらけなのである。
 
 老若男女を問わず、発掘調査体験をしてもらうと必ずと言っていいほど人々は無言になりスコップの先に集中する。この新鮮な情報こそ博物館は一番大切にしなければならないのである。

 博物館もまた、最新の「情報」でリニューアルし続けなければならないのではないだろうか。もちろん情報の用い方は様々であろう。古い展示品でも、新しい研究成果によって蘇る可能性はいくらでもある。イヤそれこそ学芸員の真骨頂ではないだろうか。常に最前線の情報、研究成果や調査資料に耳をすまし、目を凝らし、食いついて展示に活かしていく、こんな姿勢があれば、「活性化」の道は自ずと開けると思うのだが・・・。さて、我が先生方がどんな風に活性化してくれるか、楽しみである。

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