yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

近況報告

2006-01-13 13:15:00 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
新年の挨拶をしてから早くも二週間が経とうとしています。ブログを書こう、書こうと思いながらなかなか時間がとれず、ずるずる今日に至ってしまいました。

山田博士のブログでおわかりの通り、あちこちに出没しており、死んだわけではないのですが、死にそうなくらい忙しい上に、年末にひいた風邪がなかなか完治せず、「余裕」のほとんど無い毎日を過ごしています。

正月早々山田博士のご自宅を襲ったのは5・6日に山口であった研究会の報告「日本古代宮都と陵墓・葬地」のためであることは既に申しましたが、その直後に千葉の歴博での展示プロジェクト会議「桓武の野望と挫折」(仮題)に出席し(これも博士の記載通り)、そのまま津に戻りました。ここまではほぼ予定通りで、その会議の中味などをブログにアップしようと張り切っていたのですが。大学に戻ってみると大変な二日間が待っていました。

三重大学人文学部の卒業論文締め切りは今年は土日の関係で例年より遅く、1月23日です。これが悪かった!!

正月を過ぎてもまだ「はじめに」を書いてうろちょろしている学生がいるのです。もちろんそんな学生が全てだめなわけではなく、資料もきちんと調べているし、11月頃から大学に籠城して頑張っているし、文句の付け用はないのです。

ところが天は二物を与えず。これがなかなかうまく言葉にならないのです。「はじめに」で行ったり来たり、第1章に進んでははじめに戻り、2章を書き始めてははじめに戻り、これを繰り返す内に正月は過ぎ、残り1週間に迫ったわけです。

もう緊張のあまり顔は引きつり、言葉もままならず、このままほっておくとどうなることやら、仕方なく助け船を出したのが運の尽き。ほぼ二日間この学生のために缶詰状態。やっと解放されたと思ったら、一日おいてまた別の学生の指導・・・。家にも帰れず、風呂にも入れず、そりゃ風邪もひきますわね。ひいてた風邪が良くなるはずがない!!

そんなこんなで今日まで来た。昨夜は本当にこのまま死ぬかと思うほど苦しくて、ソファーの上でのたうち回っていた。ところがどうしたことか。朝起きてみるとえらくすっきり!やはり神は私に死ぬ直前まで働け!とご命令のようで、朝から再び卒論指導!やっと先ほど何とか納得のいきそうな雰囲気まで持てこれて、学生もようやく退散。ところがその最中に留学生の研究生が大変な難題を持ち込んで再び混乱。

結局これはどうしようもないと判明、気の毒だが本人の致命的なミスだから諦めてもらって終了。やっとやっと一息ついたところ。もちろん実はもう一つ絶対に17日までにやり終えないといけない難題の仕事が残っている。もちろんそのことは解っていたので以前から準備は進めているのだが、いよいよお尻に火がついてきた。恐らく今日明日は徹夜!!また風邪がぶり返すこと間違いなし。

きっとこのままではブログを忘れ去られるに違いない。本当はこんな愚痴を書くつもりはないのですが、実情を訴えて、決してyaaがブログから撤退したと思われないためにほんの少しの、昼飯を食べる時間を割いて書き込んだ次第。

忘れないで下さいねー。まだ生きてますから・・・。

なお、今年から毎日必ず論文を読む!と決めているのです(本当は山田博士の前で3本は読む!と宣言したのですが、早くもそれは挫折)。何とか昨日読んだのが塚田孝「都市における社会=文化構造史のために」(『都市文化研究』1号 2003年)。研究会の報告なので大変読みやすい内容なので、本当はもう1論文読まないといけないのだが、風邪でダウン!

吉田伸之氏が提唱する社会=空間構造の分節的把握とは何かを学ぶ。私の研究する古代宮都、彼らの言うところの伝統都市を分節構造論で研究するにはいかにあるべきなのかを考える。もちろん既にそのような方法論に触れて、『新体系日本史6都市社会史』(山川出版2001)で不十分な理解で試みたことはあるのだが、改めて必要に迫られて読んだ次第。

古代宮都の資料の不十分な中で(それゆえ仁藤氏の批判もある)どれだけそれが可能かは分からないものの、現在進めている古代宮都の町毎のデーターを収集し、各町の社会=空間構造を比較する作業は、そのような概念を使ってはいないが、同様の主旨であると確信した。

『藤原京』(場合によっては『飛鳥京』)以来の京の基礎単位である町の社会=空間構造を明確にしていくことは少しづつ可能になりつつあるし、そのような視点を持たないと日本古代宮都を都市としてその前後(周辺地域)の都市と比較研究することが困難だというのは現在の私の研究方向としても間違っていないのではないかと思った。むしろ一刻も早くそのデーターを世に出し、研究の基盤を創るべく努力すべきと再認識した次第(風邪の頭には少々こたえたが成果あり)。

そろそろ生協のランチが無くなるのでこれから昼食。ではまた後で・・・。

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6 コメント

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お疲れさまです (Hiro.E)
2006-01-13 19:24:06
山中先生、けなげに生きて下さいね。ところで、「それ故仁藤氏の批判も・・・」切り方を間違えると変な意味になりますよ。一瞬びっくりしました。

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何のことかと・・・なるほど! (yaa)
2006-01-14 00:01:11
でも私がこれだけ苦しんだのは実はHiro.Eさんのせいなんですよ!?

だってその卒論のタイトルが「古代王権と伊勢斎宮~文武・聖武・桓武天皇を通して~」というんですもの・・・。何回E様のお名前を読まされたことか!!そのたびにお声とご尊顔が私の目の前に浮かんできて、アー済みません、こんなことを書いていて・・・、と恐れおののいていたんです。その度に熱が上がって・・・。



結論的にはとても新しい論を立てるには至っていないのですが、Eさんのご高説をまとめて勉強させて頂いたり、山中智恵子さんの御高論を改めて確認したり、はたまた西さんのご高説を思い出したり、大変いい勉強になりました。



論証はまだまだなのですが、意外だったのは結局のところ、斎宮制度というのが、天武から桓武の間に重要視された極めて政治的な制度だったということです。



ごめんなさい!Eさんを差し措いて生意気なことを申しました。戯言です!



マ、とにかく死にそうになった責任の半分はEさんにあるということだけご理解頂ければ、きっと今度お会いした時には優しいお言葉の一言もかけて頂けるのではと期待するばかりです。



ところで、先日私達が千葉に行っている隙に「上野国の住人」さんが四日市市博を襲撃したのをご存じですか?1週間ずらせてくれれば一緒に美味しいお酒が飲めたのにね!どうもこの頃行動が怪しい!残念!!

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行けませんでした (上野国住人)
2006-01-14 19:59:33
山中博士は最近山田博士と和解されたばかり

かと思いましたら、E博士ともご昵懇なご様子

で何よりです。でもE博士にまで「優しい言葉」

をお強請りなさるとは、いささか虫が良すぎは

しませんかね。

ところで、先日、三重県に行こうとは思っていま

したが、急用出来、行くことができませんでし

た。残念でありました。

と、言うわけで、まだ四日市市博には行ってお

りません。

そのうちに参りますが、山中博士が、ばらしてしまわはるから、黙って行けのうなってしまった

やないけ!。

山中博士ばかりでのうて、こりゃ斎宮のE博士のところにもご機嫌伺いに参らねばなりますま

い。



って、行動全然怪しくはないです。

いろんな校正に追われていて、なかなか1泊

できずに日帰り日程でのお出かけが続いてい

るだけであります。





『論集都市史研究』最新号、一昨秋の東大で

の前近代都市史シンポの特集が出ましたね。
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なーんだまだだったのですか。 (yaa)
2006-01-14 21:43:57
四日市の展示いつまででしたっけ?



今ちょっと調べたところ3月5日まででしたね。OK!



実は2月11日(土)第4回久留倍遺跡シンポジウムと12日(日)第2回壬申の乱ウオーク&午後から三重大久留倍遺跡第2次発掘調査現場説明会(但しまだ始まったばかりのはずなので見る価値があるかどうかは不明。その時にならんと解らない。)をやるんです。



シンポは八賀晋先生と山口大学の中国秦漢史専門で、近年禁苑や離宮を研究している私の友人の馬彪(マー・ピヤオ)さんです(これは見逃せないよ!!)。馬さんには久留倍遺跡の行宮の可能性を指摘してもらおうという算段です。



私も少し喋りますが・・・(付録!!)



なお、前日または当日馬さんと伊勢エビ食べに行く予定!!どっか安くて美味しいとこないですかね?Eさん。



これで上野国住人が合流したら大変なことになるやろな==ワクワク。
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久留倍遺跡シンポ (上野国住人)
2006-01-16 07:57:23
久留倍遺跡シンポのご案内お葉書拝受いたし

ました。

最近はどうも「聖武の野望」というのも有るみた

いでございまして....。

東京のT山博士によりますと「文武」も相当なキ

ーパーソンなのだとか。

「武王の野望」シリーズが作れそうです(淡海三

船、やはり只者じゃない)。



>これで上野国住人が合流したら大変なこと

>になるやろな==ワクワク。

これは「来い!」との博士のご内意でございま

しょうが、誠に恐縮ながら当日は先約があり

伺うことができません。誠に申し訳ございませ

ん。どうぞお許しを。



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いえいえそんな・・・ (yaa)
2006-01-16 10:27:13
そうですか、はがきが行きましたか。久留倍遺跡を考える会の皆さんは大変熱心なもので、こちらからメーリングリストを送ると直ぐに進めて頂けます。有り難いことです。保存運動もこうならないといけないなと実感しています。壬申の乱ウオークは50回はするつもりですので、いつかまたご参加下さい。



命令などできる立場ではありませんので・・・

ではまたいつかどこかで・・・

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