yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

大森俊輔君追悼文集の条

2009-03-21 02:18:57 | yaasan随想

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 山田博士は卒業式で美女に囲まれて鼻の下をナガークしているのだが、私は連日の本当に虚しい会議に疲れ切っているのである!!大学解体!やはり日本の大学は根本からガラガラポンしないと駄目なんじゃないかしら・・・・ 

 (山田博士のデレー写真はここ)
 自分で選んだ道です。今更愚痴を言っても己の馬鹿さ加減をさらけ出すに過ぎないのは判っているつもりなのです。要するに己に能力がないからこんな事態を招いたのです。泥船の船長だけではなく大半の乗客も乗っている舟が泥船だとは誰も疑っていないのです。きっと沈んだとしてもそれが泥船だったとは絶対に認めないでしょう。

 そんな大学を出ない方がよかったのかも知れませんが、しかし、彼には彼のやりたいことがあったのです。そしてたった20年の人生を閉じてしまいました。実は今日から三重大学三翠ホール(講堂)ロビーで「生命のメッセージ展」をやっているそうです。いろいろな死を事故や犯罪によって迎えた人々の生前の姿を紹介し、命の尊さを訴える企画だそうです。

 全国を巡回している企画だそうです。その三重大学での展示だそうです。そのこと自体はとても意味あることだと思います。


 ただ、少し残念なのは、もっと身近に私たち自身の周囲に、悲しい死があることを実行委員会の皆さんがどれだけ知っているのだろうか、と言うことです。

 借り物の展示ではなく、自分達で手作りの企画、展示ができなかったのだろうか、そこが少しだけ残念です。

 私たちは昨年6月に突然訪れた考古学研究室ゼミ生・大森俊輔の死を受け入れざるを得ませんでした。その悲しみをどう伝えればいいのか、彼の無念をどう後輩に伝えることができるのか(伝える必要があるのか?),自問してきました。

 分布調査のこと、GPS測量のこと、ベトナムでのDVのこと、度々差し入れてくれた手作りのケーキのこと、就職先の津和野三松堂さんのこと、そして私たちが全く知らない大学入学以前のこと、ご家族との20年、・・・・

 それを小さな冊子にまとめることにしました。

 その取材や情報収集の過程で様々な人間の出会いを見ることもできました。

 俗に言う「世間は狭い」を実感しました。イヤ、大森俊輔が導いてくれました。

 1ヶ月前、レバノンにいる頃、日本から不思議なメールが届きました。差出人は我が同僚山田雄司先生です。

 「卒業生の○○さんが大森君の従兄弟さんと結婚したよ」と。

 驚きました。彼女は卒業論文は中世史でしたが、一年生の頃から歴史の授業を一杯取っていて、私の考古学の授業にも出ていました。イヤ、ある頃までは考古学にも随分興味を持っていたように思います。しかし山田先生の魅力にかっさらわれて行きました(笑)。そんな学生ですからとってもよく覚えています。

 その子が大森の従兄弟と結婚した!? なんじゃこれ?と一瞬意味がよく理解できませんでした。


 1ヶ月ほどして日本に帰り、山田先生と再会し、再びその話題に。

 ナナナント、その従兄弟さんは「大森」といい、私を取材したことがあるというのです。

 「????」
 「誰?」
 「判らん?」

急いで名刺を探しました。直ぐにそれは出てきました。なんと会ったのはつい最近のことでした。11月1日に行われた四日市市市制111周年記念事業の一環として私たちが行った久留倍まつりの衣装取材の時でした。

 もちろん彼は大森俊輔の葬儀の時も私を見たそうです。でも話しかけはしなかったと。そして11月の取材の時も。

 でも私の方からお便りしました。

 「大森俊輔追悼文集を出すから書いてもらえませんか」と。

 叱られるかと思いましたが、直ぐに暖かい文章を頂くことができました。さすがは文章を仕事とする方だ!と感心するくらい心のこもった素晴らしいものでした。

 本当に思います

 「世間は狭い!!」と。そして人間の絆というのがこんな小さな試みから大きく、太くなるんだと。人間らしく、一人一人の学生の人生を尊ぶために、子供をレールに乗せて淡々と出していくのではなく、心を込めて、人間として育てていくためには、自分達の利害だけを主張し、自分達が楽をするためだけを考えてまるで政治家のような策を弄して組織を動かしていたのでは、学生に信頼される教育も、研究指導もできないのではないかと,しみじみと思うのです。

 気に食わない奴が「頑張っている」と評価されるのは悔しいから、「頑張っていないように見せかける」「頑張れないように落とす」これはとても「HUMAN」を教える人のやることではないと思います。

 そんな大学の卒業証書をもらわなかった大森は、ひょっとしたら幸せだったかも知れません。その代わりになるように『追悼文集』編集の追い込みをしています。

 大森を知る人がいらっしゃったら,ご一報下さい。

 レバノンから帰ってきて大学の後輩達と飲みました。会社が倒産して失業したんだそうです。驚きました。でも彼女の顔は活き活きとしていました。何故だろう? 志を共にした人間同士の飲む酒がうまかったからだと思っています。 

 


 





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