最後の書き込みからちょうど一ヶ月経ちました。早いものですね。
ま、時々あることとはいえ、今回は相当疲れました。
いいことは一つもありません。それも自分の責任に負うものではないところが疲れるところです。
最後の一撃はもう再起不能かと思うくらいでしたが、何とか立ち直りつつあります。自分起源でないだけにブログに書くわけにも行かず、ストレスがたまるばかりです。だからでしょうか、三日前には突然の嘔吐に襲われ、夜中から昼まではき続けました。お腹の中が空っぽなのですが、水を飲んでも気持ちが悪いので、我慢していると火曜の朝のおしっこは真茶色でした。びっくりしました。あのチリの人達もこんなのだったかも知れませんね。でもその後の「事件」で寝ているわけにもいかず、大学に強行出勤して、悲しいくらい訳のわからない「仕事」をしたお蔭で、吐き気は止まりました。
何が何だかさっぱりわかりません。
そんなこんなでお約束の「嶋院考」も展開する暇がなくなりました。あんないいかげんな説を信じる奴がいるのかと思うと、いるんですね。天下の日本史研究会が西宮を考える講演会の後援をするとか。ま、保存のための方便と言えばそれまでかも知れませんが、どうして嶋院を西宮と言いくるめて一切これを検討せず、保存せよ、応援しろ!というのは国民を馬鹿にしてませんかね。
百歩退いて「嶋院や西宮という説があるとても大切な遺跡だから保存しなさい!」というのが科学者の集まる団体の掲げる看板だと思うのです。
私が久留倍遺跡が見付かったとき、朝明頓宮だと主張はしましたが、それ以外の説であった朝明郡衙説を否定などしませんでした。その両説を掲げて世論に訴え、結果、堂々と国の史跡指定を勝ち取りました。こんな所で自説の自慢をして他説の研究者を敵に回すことほど馬鹿らしいことはないからです。
「長岡宮嶋院考」はブログで詳しく書くより、きちんとした雑誌に論文を載せた方がいいですよ、というアドバイスもあったので、ここで述べることは止めますが、長岡京を正都と認めないなら別ですが、そうであるとするなら、西宮などと考える人の顔が見たい!!というのが私の変わらざる思いです。
日本史研究会の後援する会にも著名な先生がお出になるようですが、思いつきではなく、自分できちんと事実を確認して御話し頂くことだけを願うばかりです。
そんなことよりやっと終わりました!!年末から缶詰に缶詰を繰り返した原稿が。明日その成果の最終形のチェックに出かけます。この原稿、文字だけではないのです。今流行の3Dにもしなければならないのです。もちろんそれはプロがやってくれますが、そのための基礎情報はこちらが提供し、修正に修正を加え、完成に近づけるのです。それがやっと明日完成します。
もっとも最終完成版は年度末にできます。今回の第1段階完成品は元々科研の成果を利用したものなのです。だから大変なのです。二重の期限に追われてやっているもので。
実はこれからまた第2段階目の缶詰が始まります。科研の正報告書〔約200頁〕を年度末までに作らねばなりません。もちろん今学生達が一生懸命図面を作ってくれています。図面ができれば原稿です。鈴鹿関、中国武関、Tyre ヒッポロドーム、中国直線道・・・・頭の中はパニックです。
さらにさらに、もう一つ難題が。これも私が原因ではないのですが、『三重大史学』第11号の編集を担当しているのです。これもいろいろ「事件」が起こって、急遽膨大な編集作業が転がり込みました。時間があれば楽しいことなのですが、何せ時間に追われながらの作業です。これから徹夜でやります。何せ、火曜には業者に渡さねばならないからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌な話しはこれでおしまい!!!!!
〔楽しい話第1〕
本当はこのブログで直前にきちんとお知らせしなければならなかったのですが、2月12日に第20回壬申の乱ウオークをやりました。
バスで不破関→「美濃国府」跡→美濃国分尼寺跡→美濃国分寺跡・同資料館→昼飯大塚古墳を一日85人で巡ってきました。前日の大雪でどうなることかと思いました。中止も考えたのですが、その後の日程が合わず、決行しました。
実は第10回が大雪の大津京でした。今でも印象に残っているのが故大森俊輔君が壬申の乱ウオークの幟を持って雪の大津宮にたたずむ姿です。またあれか!と覚悟しました。ところが今回は神様が味方してくれました。暖かく、晴れ上がり、とても快適な一日でした。少し残念だったのは、僕の友人夫妻が来たいと言っていたのに、連絡できなかったことです。もっとも当日大阪はまだ雪だったみたいなので無理だったかも。そう慰めています。
次回第21回は牽牛子塚古墳や野口王墓古墳を回ります。5月14日(土)です。三重からはバスを使いますが、現地で合流できます。言うまでもなく牽牛子塚古墳は大海人皇子のお母さんの墓ではないかとの最近の説です。そして野口王墓古墳は天武・持統の合葬陵です。壬申の乱の原点を訪ねる旅になります。楽しみです。5月ですから飛鳥は人で一杯でしょうね。でもいい天気なら最高です。詳しくは直前にこのブログに掲載しますね。
〔嬉しい話第2〕
この間大学院の試験がありました。今年も難関中の難関でありました。文科省の地方国立大学つぶしの方策の一環で、旧帝大には大学院の定員枠が余りに余り、定員が満たないのに、地方国立大学の定員は一人たりともオーバーするな、という訳のわからない命令の下、昨年から人文学部文化学科の大学院である地域文化論専攻科はたったの6人しか進学できないのです。そのくせ留学生には配慮しろだの、これまた訳のわからない通達もあり、メチャクチャ。
その難関を突破して今年も考古学から一人進学したのであります。
おめでとう!!YSさん。
彼女の卒論もよかった!!今度急遽『三重大史学』第11号に載せることになった。(これの編集が今から始まるのです)
若狭の連中は未だに船岡式製塩土器を煎熬用だと信じて疑わない。イヤ全国の皆さんもかもね。こうなると新興宗教みたいなもので、この信心を覆すのは並大抵ではない。それに果敢に挑戦し、焼塩用であることを論証した。興味のある人は三重大史学を買ってね(いつもは1冊1000円なんだけど、今度は厚いからまだ値段は不明。)。
そんなパワフルな院生が誕生しました。本当はもう一人候補がいたのだがこれがうまいこと岐阜県中津川市の文化財担当職員に採用されたので、そちらへ行くことになった。これも三つ目の嬉しいことではあるが、もうこれは昨秋に判っていたことなので今回はパス。その上、この頃、この野郎、ちょっと浮かれているから厳しく締めないと、どうもたるんどる。
本当はもう一つあるのだけれど、一辺に書くとネタがなくなるからまた次回。
それにしても大学教師は今やかつての高校の教師以下!!おそらく中学の教師より下かも。特に留学生たらいう私達の手ではどうしようもない連中がとんでもないことをしでかす。早く来い来い定年日。後730日ちょっと。
久しぶりに書きすぎた。
もうランキングなんてどうでもいいのだけれど、戦争大好き人間が席巻しているのを見ると仕方がない、一応アップするか。
後730日頑張れよと思ったらこいつをポチッと押して下さいね→
ま、時々あることとはいえ、今回は相当疲れました。
いいことは一つもありません。それも自分の責任に負うものではないところが疲れるところです。
最後の一撃はもう再起不能かと思うくらいでしたが、何とか立ち直りつつあります。自分起源でないだけにブログに書くわけにも行かず、ストレスがたまるばかりです。だからでしょうか、三日前には突然の嘔吐に襲われ、夜中から昼まではき続けました。お腹の中が空っぽなのですが、水を飲んでも気持ちが悪いので、我慢していると火曜の朝のおしっこは真茶色でした。びっくりしました。あのチリの人達もこんなのだったかも知れませんね。でもその後の「事件」で寝ているわけにもいかず、大学に強行出勤して、悲しいくらい訳のわからない「仕事」をしたお蔭で、吐き気は止まりました。
何が何だかさっぱりわかりません。
そんなこんなでお約束の「嶋院考」も展開する暇がなくなりました。あんないいかげんな説を信じる奴がいるのかと思うと、いるんですね。天下の日本史研究会が西宮を考える講演会の後援をするとか。ま、保存のための方便と言えばそれまでかも知れませんが、どうして嶋院を西宮と言いくるめて一切これを検討せず、保存せよ、応援しろ!というのは国民を馬鹿にしてませんかね。
百歩退いて「嶋院や西宮という説があるとても大切な遺跡だから保存しなさい!」というのが科学者の集まる団体の掲げる看板だと思うのです。
私が久留倍遺跡が見付かったとき、朝明頓宮だと主張はしましたが、それ以外の説であった朝明郡衙説を否定などしませんでした。その両説を掲げて世論に訴え、結果、堂々と国の史跡指定を勝ち取りました。こんな所で自説の自慢をして他説の研究者を敵に回すことほど馬鹿らしいことはないからです。
「長岡宮嶋院考」はブログで詳しく書くより、きちんとした雑誌に論文を載せた方がいいですよ、というアドバイスもあったので、ここで述べることは止めますが、長岡京を正都と認めないなら別ですが、そうであるとするなら、西宮などと考える人の顔が見たい!!というのが私の変わらざる思いです。
日本史研究会の後援する会にも著名な先生がお出になるようですが、思いつきではなく、自分できちんと事実を確認して御話し頂くことだけを願うばかりです。
そんなことよりやっと終わりました!!年末から缶詰に缶詰を繰り返した原稿が。明日その成果の最終形のチェックに出かけます。この原稿、文字だけではないのです。今流行の3Dにもしなければならないのです。もちろんそれはプロがやってくれますが、そのための基礎情報はこちらが提供し、修正に修正を加え、完成に近づけるのです。それがやっと明日完成します。
もっとも最終完成版は年度末にできます。今回の第1段階完成品は元々科研の成果を利用したものなのです。だから大変なのです。二重の期限に追われてやっているもので。
実はこれからまた第2段階目の缶詰が始まります。科研の正報告書〔約200頁〕を年度末までに作らねばなりません。もちろん今学生達が一生懸命図面を作ってくれています。図面ができれば原稿です。鈴鹿関、中国武関、Tyre ヒッポロドーム、中国直線道・・・・頭の中はパニックです。
さらにさらに、もう一つ難題が。これも私が原因ではないのですが、『三重大史学』第11号の編集を担当しているのです。これもいろいろ「事件」が起こって、急遽膨大な編集作業が転がり込みました。時間があれば楽しいことなのですが、何せ時間に追われながらの作業です。これから徹夜でやります。何せ、火曜には業者に渡さねばならないからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌な話しはこれでおしまい!!!!!
〔楽しい話第1〕
本当はこのブログで直前にきちんとお知らせしなければならなかったのですが、2月12日に第20回壬申の乱ウオークをやりました。
バスで不破関→「美濃国府」跡→美濃国分尼寺跡→美濃国分寺跡・同資料館→昼飯大塚古墳を一日85人で巡ってきました。前日の大雪でどうなることかと思いました。中止も考えたのですが、その後の日程が合わず、決行しました。
実は第10回が大雪の大津京でした。今でも印象に残っているのが故大森俊輔君が壬申の乱ウオークの幟を持って雪の大津宮にたたずむ姿です。またあれか!と覚悟しました。ところが今回は神様が味方してくれました。暖かく、晴れ上がり、とても快適な一日でした。少し残念だったのは、僕の友人夫妻が来たいと言っていたのに、連絡できなかったことです。もっとも当日大阪はまだ雪だったみたいなので無理だったかも。そう慰めています。
次回第21回は牽牛子塚古墳や野口王墓古墳を回ります。5月14日(土)です。三重からはバスを使いますが、現地で合流できます。言うまでもなく牽牛子塚古墳は大海人皇子のお母さんの墓ではないかとの最近の説です。そして野口王墓古墳は天武・持統の合葬陵です。壬申の乱の原点を訪ねる旅になります。楽しみです。5月ですから飛鳥は人で一杯でしょうね。でもいい天気なら最高です。詳しくは直前にこのブログに掲載しますね。
〔嬉しい話第2〕
この間大学院の試験がありました。今年も難関中の難関でありました。文科省の地方国立大学つぶしの方策の一環で、旧帝大には大学院の定員枠が余りに余り、定員が満たないのに、地方国立大学の定員は一人たりともオーバーするな、という訳のわからない命令の下、昨年から人文学部文化学科の大学院である地域文化論専攻科はたったの6人しか進学できないのです。そのくせ留学生には配慮しろだの、これまた訳のわからない通達もあり、メチャクチャ。
その難関を突破して今年も考古学から一人進学したのであります。
おめでとう!!YSさん。
彼女の卒論もよかった!!今度急遽『三重大史学』第11号に載せることになった。(これの編集が今から始まるのです)
若狭の連中は未だに船岡式製塩土器を煎熬用だと信じて疑わない。イヤ全国の皆さんもかもね。こうなると新興宗教みたいなもので、この信心を覆すのは並大抵ではない。それに果敢に挑戦し、焼塩用であることを論証した。興味のある人は三重大史学を買ってね(いつもは1冊1000円なんだけど、今度は厚いからまだ値段は不明。)。
そんなパワフルな院生が誕生しました。本当はもう一人候補がいたのだがこれがうまいこと岐阜県中津川市の文化財担当職員に採用されたので、そちらへ行くことになった。これも三つ目の嬉しいことではあるが、もうこれは昨秋に判っていたことなので今回はパス。その上、この頃、この野郎、ちょっと浮かれているから厳しく締めないと、どうもたるんどる。
本当はもう一つあるのだけれど、一辺に書くとネタがなくなるからまた次回。
それにしても大学教師は今やかつての高校の教師以下!!おそらく中学の教師より下かも。特に留学生たらいう私達の手ではどうしようもない連中がとんでもないことをしでかす。早く来い来い定年日。後730日ちょっと。
久しぶりに書きすぎた。
もうランキングなんてどうでもいいのだけれど、戦争大好き人間が席巻しているのを見ると仕方がない、一応アップするか。
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毎回の「本音トーク!!」楽しみにしております。
「歴女」ならぬ「歴婆ぁ!」でありました。
誰のお蔭で就職できたと思うてんのかね。情けない。
そんな奴のことは放っておいて、今大竹にも来てもらって例の報告書を作っています。何も出なかった虫のことなど書いてくれないかな。連絡して。
ごくわずかに出たムシのことを報告させていただきます~。
中津川くんはボコボコにしときま~す☆☆