yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

東龍山漢墓報告-1 6年ぶり、感動の東龍山・武関の旅の条

2008-12-04 00:34:37 | 歴史・考古情報《東アジア》-1 中国
 感動の商洛東龍山漢墓の現状、これから毎日楽しみにして下さいね 

 11月30日から12月4日までの予定で現在中国陝西省西安に来ています。明日深夜に帰国します。
 2002年の3月から5月にかけて発掘調査した東龍山漢墓の報告書がいよいよ大詰めになって来ました。そこで、再度現地の補足調査をするため短期間ではありますが、関係者と西安経由で商洛へやってきたのです。現場を共にした懐かしい劉さん夫妻、王さん、直ぐ近くで発掘していた楊さん、そして現場の直ぐ横のうちのおばさん等々、たくさんの人達と会ってきました。

 漢墓は調査によって墳丘を失ってしまいましたが、その痕跡を現地に留めていました。麦畑と化したその地には墓室の痕跡を意味する地表面の陥没が認められるからです。

 かつて現地事務所となっていた施設もこざっぱりとし、直ぐ近くにあったいつも遊びに来ていた女の子の家は綺麗な2階建てに建て替わっていました。
 なんと言っても驚いたのはガタガタの地道だった遺跡前の道が綺麗に舗装され、ナナナント、市バスが運行されていたことです。
 さらに驚くべきことに西安から商洛までわずか1時間半で行けるようになったのです。見事な高速道路ができ、そのまま南京まで行っているそうです。お蔭で、もう一つの目的であった武関にもわずか1時間少しで行く事ができ、短時間の日程にもかかわらずとても有効に時間を使うことができました。

 泊まったホテルは華倫商務酒店というとても綺麗な10階建てのホテルでした。6年前には私たちが毎日ビールを買っていた店のあったところに建てられたホテルです。ちょっと寂しい気持ちにもなりました。

 武関については改めて写真付きで紹介しますが、以前あった城壁がさらにやせ細り、もうほとんど痕跡程度に小さくなっていました。さらに衝撃的なのは、武関の町が大きく変化し、清代あるいは明代かも知れないという古い民家がどんどん建て替えられていることでした。これも高速道路ができたことによる都市化の影響でしょうか。

 しかし新しい発見もありました。御案内いただいた楊さんのお話によると戦国時代の武関は丹鳳にあったとか。現在も古城村と呼ばれている一角に城壁が残り、その時代の「武関」ではないかということでした。御案内で漢代以降の武関の南からの景観も見ることができとても有意義な一日でした。

 そしてそして、最も期待していた東龍山漢墓の出土品と初めて対面することができたのです。

 大量の五朱銭、ミニチュアの鏡、ミニチュアの弩や匙、蝉の飾り金具等々、素晴らしいものばかりでした。その詳しい報告はいずれまた。

 そして来年には日本でこの調査のシンポジウムを開くことができそうな感じで、これからいろいろ細部を詰めていこうと思います。

 ネット環境が悪いのでこれくらいでアップしてみます。

 それでは皆さん帰国後の本格報告をお楽しみに!! 再見!! 

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