20100807 86ヒロシマから最終便で帰ってきて、翌朝四日市へ8時集合という強行軍で第18回壬申の乱ウオークが始まりました。
壬申の乱ウオーク-18
今回は壬申の乱とはあまり関係はないのですが、『日本書紀』672年7月3・4日の段の「乃楽山」との関係と言うことで1300年展の行われている平城宮跡散策です。事前には130人近い申し込みがあったのですが、この暑さ故キャンセルが相次ぎ、バス二台でやってきました。
本日のコース
天武元年七月三・四日条―乃楽山(なら山・平城山)を歩く①-
~平城宮跡を歩く~
案内 馬場基氏(奈良文化財研究所) 山中 章(三重大学)
富田駅前・近鉄四日市駅前 8:00発 伊賀文化村9:00経由 平城宮跡到着 11:00 昼食・着替 13:30 ウオーク出発 朱雀門 → 14:00 大極殿・平城宮跡(馬場班・山中班) → 16:00 平城宮跡 → 帰路 →20:00 富田・四日市
『日本書紀』天武天応元年条
天武天皇元年(六七二)七月壬辰(3日) 将軍吹負屯于乃楽山上。時荒田尾直赤麻呂啓将軍曰。古京是本営処也。宜固守。将軍従之。則遣赤麻呂。忌部首子人。令戍古京。於是。赤麻呂等詣古京、而解取道路橋板。作楯、堅於京辺衢以守之。
天武天皇元年(六七二)七月癸巳(4日) 将軍吹負与近江将大野君果安戦于乃楽山。為果安所敗。軍卒悉走。将軍吹負僅得脱身。於是。果安追至八口、〓而視京。毎街竪楯。疑有伏兵。乃稍引還之。
参考資料として以下のものから図などを抜き出して資料を作りました。
馬場基『平城京に暮らす 天平人の泣き笑い』(吉川弘文館2010年)
木簡学会編『木簡から古代がみえる』(岩波新書1256)
町田章『平城京』(ニューサイエンス社 1986年):
主催 久留倍遺跡を考える会
三重大学人文学部考古学研究室
伊勢湾・熊野地域研究センター
後援 奈良文化財研究所
Ⅰ 聖武・桓武略系図
和 乙継
|――高野新笠 |―-早良親王× |―嵯峨天皇14
土師真妹 | | |
|―――――桓武天皇12――――平城天皇13
|―――志貴皇子―――――光仁天皇11 | |――――④布勢内親王
| | | 中臣朝臣豊子
|―天智天皇1―大友皇子× |―――②酒人内親王―③朝原内親王
| 中臣鎌足―藤原不比等―藤原宮子 |―――他戸親王×
|―天武天皇2 |―聖武天皇7―①井上内親王×
| |――――草壁皇子 |―日高内親王(元正天皇)6
| 持統天皇3 |―――文武天皇4
| 阿閉内親王(元明天皇)5
|――――――高市皇子
宗像氏娘 |―――――長屋王×
御名部皇女(天智娘)
こんな資料を参考に朱雀門から中央区大極殿へと古代衣装を身につけた衣装隊を先頭に優雅な??行列をした後、奈文研の馬場さんのご案内でとてもとてもマニアックな平城宮北側の諸施設を回りながら馬場節に堪能して頂きました。
たまたまこの日は曇り空の上に風が強く、気温はそれなりだったのでしょうが、歩くと風が心地よく、最高齢90歳の参加者を含め、日頃鍛えていない我が学生諸君も誰一人倒れることなく一日を古代平城宮に思いを馳せるロマンチックな旅で満喫しました。
これはその折の参加者全員の集合写真です。まず朱雀門でパシャリ。我が会の前川さんの力作です。
続いて大極殿前でもう一枚。
ちょっと暑いが是非もう一度?はじめて行ってみようと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→
お盆休みは原稿に集中します。ではまた盆明けにね。
炎熱を 吹き飛ばすほど 衣装隊
伊勢人が 歩む宮道 蝉の声
薄物を 解いて歩む 伊勢の児ら
壬申の乱ウオーク-18
今回は壬申の乱とはあまり関係はないのですが、『日本書紀』672年7月3・4日の段の「乃楽山」との関係と言うことで1300年展の行われている平城宮跡散策です。事前には130人近い申し込みがあったのですが、この暑さ故キャンセルが相次ぎ、バス二台でやってきました。
本日のコース
天武元年七月三・四日条―乃楽山(なら山・平城山)を歩く①-
~平城宮跡を歩く~
案内 馬場基氏(奈良文化財研究所) 山中 章(三重大学)
富田駅前・近鉄四日市駅前 8:00発 伊賀文化村9:00経由 平城宮跡到着 11:00 昼食・着替 13:30 ウオーク出発 朱雀門 → 14:00 大極殿・平城宮跡(馬場班・山中班) → 16:00 平城宮跡 → 帰路 →20:00 富田・四日市
『日本書紀』天武天応元年条
天武天皇元年(六七二)七月壬辰(3日) 将軍吹負屯于乃楽山上。時荒田尾直赤麻呂啓将軍曰。古京是本営処也。宜固守。将軍従之。則遣赤麻呂。忌部首子人。令戍古京。於是。赤麻呂等詣古京、而解取道路橋板。作楯、堅於京辺衢以守之。
天武天皇元年(六七二)七月癸巳(4日) 将軍吹負与近江将大野君果安戦于乃楽山。為果安所敗。軍卒悉走。将軍吹負僅得脱身。於是。果安追至八口、〓而視京。毎街竪楯。疑有伏兵。乃稍引還之。
参考資料として以下のものから図などを抜き出して資料を作りました。
馬場基『平城京に暮らす 天平人の泣き笑い』(吉川弘文館2010年)
木簡学会編『木簡から古代がみえる』(岩波新書1256)
町田章『平城京』(ニューサイエンス社 1986年):
主催 久留倍遺跡を考える会
三重大学人文学部考古学研究室
伊勢湾・熊野地域研究センター
後援 奈良文化財研究所
Ⅰ 聖武・桓武略系図
和 乙継
|――高野新笠 |―-早良親王× |―嵯峨天皇14
土師真妹 | | |
|―――――桓武天皇12――――平城天皇13
|―――志貴皇子―――――光仁天皇11 | |――――④布勢内親王
| | | 中臣朝臣豊子
|―天智天皇1―大友皇子× |―――②酒人内親王―③朝原内親王
| 中臣鎌足―藤原不比等―藤原宮子 |―――他戸親王×
|―天武天皇2 |―聖武天皇7―①井上内親王×
| |――――草壁皇子 |―日高内親王(元正天皇)6
| 持統天皇3 |―――文武天皇4
| 阿閉内親王(元明天皇)5
|――――――高市皇子
宗像氏娘 |―――――長屋王×
御名部皇女(天智娘)
こんな資料を参考に朱雀門から中央区大極殿へと古代衣装を身につけた衣装隊を先頭に優雅な??行列をした後、奈文研の馬場さんのご案内でとてもとてもマニアックな平城宮北側の諸施設を回りながら馬場節に堪能して頂きました。
たまたまこの日は曇り空の上に風が強く、気温はそれなりだったのでしょうが、歩くと風が心地よく、最高齢90歳の参加者を含め、日頃鍛えていない我が学生諸君も誰一人倒れることなく一日を古代平城宮に思いを馳せるロマンチックな旅で満喫しました。
これはその折の参加者全員の集合写真です。まず朱雀門でパシャリ。我が会の前川さんの力作です。
続いて大極殿前でもう一枚。
ちょっと暑いが是非もう一度?はじめて行ってみようと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→
お盆休みは原稿に集中します。ではまた盆明けにね。
炎熱を 吹き飛ばすほど 衣装隊
伊勢人が 歩む宮道 蝉の声
薄物を 解いて歩む 伊勢の児ら
連絡があり、「これはあくまでも推測ですが、植えた当時も恐らく園芸店からムラサキシキブとして購入したため、プレートもムラサキシキブと表記したものと
考えられます」。発注はムラサキシキブでしたが、園芸店が間違えてコムラサキを植えてしまった。ということのようです。プレートは今後検討すると回答を戴いた次第です。ムラサキシキブをめぐる小ネタで恐縮です。▼バスの中での2000年前の中国での人体がそのまま出てきた話は大変面白かったです。
こめぞう