yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

タンロン通信-13  これからハノイへ戻りますの条

2008-03-11 12:14:52 | 歴史・考古情報《東アジア》-2 越南
無事葬儀を済ませ、今後の予定も決めてこれからハノイへ戻ります。
今回の件ではあちこちにご迷惑をお掛けいたしました。
ハノイに残された学生諸君は悪戦苦闘しているようです。本当に申し訳ありませんでした。

また山田博士をはじめ心温まるお言葉、お参りを頂き厚く御礼申し上げます。

年老いた母の死ですから、もっと淡々と済ませれば良かったのだと思います。しかし、母には本当に苦労をかけましたので、つい涙が出てしまい、絶句してしまいました。お恥ずかしい限りです。

少し気が抜けてしまいましたが、もう一度気力を振り絞って、残されたタンロンの発掘調査に全身全霊を傾けたく思います。また明日からの通信をお楽しみ下さい。

重ねて御礼申し上げます。

後一踏ん張りと思ったら応援下さい。

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3 コメント

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<合掌> (Shiozy)
2008-03-11 17:31:41
やあさん。気づくのが遅くなりました。
お母さんのご逝去、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
お母さんとは、学生時代山科の家でお会いしました。
その当時、いろいろご苦労があった時代だったのですね。
ブログで初めて知りました。
うちの母より2歳年上です。
大正・昭和・平成と三時代生きた人たちが、姿を消して生きます。
お疲れさまでした、と声をかけてあげたい心境です。<合掌>

やあさんもハノイで無理をしないようにね。
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喜んでるでしょう! (yaasan)
2008-03-12 20:44:13
山科の家では、特に父の死後たくさんの仲間が泊まっていってくれました。

母はとてもそれが嬉しかったようです。
時々ふと思い出したかのように、sennba-,onishi,hanako,nabe,usan,n-nishi等々がどうしてると聞いてくることがありました。そんな時に限って若々しい顔をしていました。

きっとあの時代の若者の行動に何か共感するものがあったのでしょうね(と言うか、そう思わざるを得なかったのかも知れませんが・・・)。

40年前の父の死の時も喪主の挨拶をしたのですが、不思議と涙も出ませんでした。でも今回は何故か涙が止まりませんでした。何歳になっても母は特別です。

shiozyも義理のお母さんのことがきっと心配でしょうね。
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ご冥福をお祈りします。 (こうのみよこ)
2008-03-13 19:22:01
山中さま
shiozyさんのブログを通じて、初めて知りました。お悔やみ申し上げます。私たちの親の時代は、戦争を生き抜いた世代。本当に苦労多かったことと思います。山中さまの追悼の記を読んで、涙が止まりませんでした。寂しくなられましたね。私にもすでに両親がいません。両親に死なれた後、やっと自立の時が来たのだろうなと思います。何があっても身方をしてくれた親の存在はやはりありがたい物でした。どうぞ、お仕事、お体にお気をつけてなさいますように。広島からお祈り申し上げます。河野美代子
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