yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

転載  「おっかあ、ええところへ行けよ」の条

2006-05-08 10:45:09 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 これは僕の親友、shiozyがやっている「3kannet」というサイトの最新の記事です。もちろん私のホームページにもリンクしてありますから、お読みになった方もいらっしゃるでしょうが、人間の原点に立ち返るために読んでもらおうと、編集者の了解を得て転載します(転載自由です!!どうぞどんどん転載して下さい!!との御本人からのメールです)。

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 以前にも少し書きましたが、私は緑内障の手術を三回しており、もう後は視神経が耐えてくれるのをじっと待つだけです。最近は特に異常はないようですが、徐々に視野が欠損してきているのを実感しています。

 先日も半分開いていたドアーにぶつかってしまいました。特にこうなって感じるのは、人間も動物なんだな!ということです。よく剣豪の殺気とか、気配を感じるという話が時代劇に出てきますが、あれは結構正しいのではないかと思い始めています。

 最近は富みに、人間の気配を感じられないのです。だから、普通に廊下を歩いていて、ハッと気付いたら目の前に人間が立っているのです。視野が欠損するとこういう事態が進行します。

 もちろん私の目はまだ見えますし、仮に失明してもどうせ余命幾ばくもない年齢ですから、どうということはないのです。しかしこの本(さっき注文しました)に出てくる彼等は恐らく生まれながらにして光を失っているのでしょう。

 その上、目だけではない障害も抱えていて、・・・・きっと私なら耐えられないと思うのですが・・・。

 そんな彼の「おっかあ、ええとこへ行けよ」の叫び。願い。母への熱い思い。自分の未来への不安などみじんも感じさせない心からの叫び。

 人間が人間を次々と殺していく、それも我が子を、隣人を、幼児を・・・。そんな地獄絵の続く今日この頃。そして他人の手を借りて人殺しを正当化する軍隊の創出を目論む稚拙な政治家達。核兵器を開発することで自らを守ろうとする国々。町にも家庭にも人殺しを競うゲームが溢れ、最早人類に倫理観などどこにもないのでは、と思わせる昨今。要するに人類は滅亡への道をまっしぐらに進んでいるとしか思えないのだが・・。

 みんなこの子のように目が見えなくなったら、きっと殺すよりも慈しむ大切さに気付くに違いないのだが。誰も自らが盲目になるとは思ってもいない。己だけは生き延びられると信じようとしている。


3kannet第77号から転載させて頂きました(http://www.3kan.net/)。感想をShiozyさんまで届けてあげて下さい(info@3kan.net)。そしてこの本を買って読んでみて下さい。


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  『眼をください』  その2

  「おっかあ、ええところへ行けよ」

  私が経験した中で一番感銘した話があります。

  この話だけは是非聞いて欲しいので話をさせて下さい。

  この話は、中学三年生の男の子ですが、

  まことに不幸な話です。


  この子にはお母さん一人だけで、お父さんは亡くなり、
 
  兄弟、親戚もおられないのです。そして非常に頭が弱く、

  どもりで、ほとんどものが言えないのです。

  ですから私どもが「何々君これはどう思いますか。」

  と訊いても、 「あわあ・・・」 という言葉だけで

  いつも下を向いているのです。

  先生に何か訊かれるのが怖いので、

  下を向いて、椅子にはりつけになっているような、

  日常生活でございました。

  そして吃音がひどいので、友達がいないのです。


  そんな子供のお話ですが、

  ちょうど七月ごろでございました。

  もうしばらくすれば学校もお休みという時、

  私が授業をしていると、

  教室の戸を「どんどん」と叩くのです。

  どなたと思ったときに、私の前につっ立っていたのは

  少年の隣の人でした。

 「先生えらいことです。先生聞いて下さい。

  あのGさんのお母さんが死んでしまったのです。」

 「先生、あの子の親戚は全然いないのです。

  親戚の人が葬式をしなければならないのに、

  何もできないのです。

  そして近所の人とのつきあいがないのです。

  先生が葬式一切を見てくれませんか。

  火葬場までつれて行って、

  最後の別れをしてやって下さいな。」

  というのです。



 「一体どんなことをするんやろな、困ったなあ。」

 「そんなことをしたおぼえがないがなあ。」

  私はそう言いました。

 「先生ね、あなたがこの子を教えていなさるんやから、

  あなたしかいない。一つお願いします。」

 「そうかなあ、この子に一番身近いのは私しかいないのかなあ。

  おばあちゃん明日二時頃行ったらいいのやね。」

  
  こうして私は葬儀一切をすることになりました。

  あくる日二時前に私は彼の家を訊ねてまいりました。
 
  暫くすると金色の自動車、つまり葬儀の霊柩車がきました。

  霊柩車一台だけなのです。親族もいないのです。

  霊柩車の運転手はおりてきました。


  しばらくすると家からお母さんの柩を、

  四人の近所の人がかかえてまいりました。

  霊柩車の後の戸が開かれ、

  お母さんの遺体が入ったのでございます。

  その自動車の運転手が私に向かって言うのです。

  「お乗り下さい。」

  私は実はその自動車の運転手の横に

  座らせてくれると思っていたら、今遺体の入った

  自動車の中に入りなさいというのです。

  遺体のそばに私が入るのです。


  その遺体はお母さんであることは知っていますけれども、

  今まであの部屋の中に、何千ではないが、

  何百体も遺体が入ったということを想像すると、

  不気味でふるえがくるようになりました。


  どうぞここに乗って下さいというのですから、

  いやというわけにもいかないのです。

  私は彼をしっかり抱いて

  自動車の中へ入りこんだのであります。

  
  自動車は発車しました。

  見送る人は数人の近所の人でした。

  神戸というところは坂道が多い。

  その坂道をどんどんのぼって行きました。

  山中に火葬場がございます。

  約一時間ばかりまっくらな中で、

  持つところがないものだから、その棺桶のはしに

  爪をたててにぎっていたのでございます。


  彼はにぎるところがないものだからぐらぐらゆれる。

  私は今にも手がはなれそうになるけれども、

  今手を放したら、彼は転ぶにちがいない。

  彼を抱きかかえ、棺桶のはしをつかまえ、

  ゆられるにまかせて、早くつくことを

  祈っておったのでございます。


  やがて火葬場は間近になり、霊柩車は止まりました。

  後の扉が開かれ、その柩が運ばれ、

  最後の別れをしたのでございます。

  お母さんの口に水をたらして、

  これで一切は終わりました。

 「これから遺体を納めさせていただきます。」

  という係の人の言葉。


  この子は一体どうすればよいのであろうか。

  この子を明日からどうするんだろうか。

  お母さんのことよりも、この子を明日から

  一体だれがどうするかという思いで一ぱいでした。

  そのとき炉の中に、お母さんはおしこまれ、

  扉がしめられたのです。


  場内にこだまして、私の耳を打つものがありました。


 「おっかあ、おっかあ、ええところへ行きよ。

  おっかあ、ええところへ行けよ。」


  その言葉はだんだん大きくなった。

  戸をどんどん叩く音もだんだん大きくなった。

 「ええとこへ行けよ、ええとこへ。」

  ふと前を見たとき、そこにしっかり抱いていた子が、

  炉の口のところに立っているのです。

  戸をさかんに叩いて、「おっかあ、ええ所に行けよ。」

  と叫んでいるのです。



  「おっかあ、おっかあ、」という言葉はわかりましても、

  ええ所へ行けよ。ええところという意味は

  私にはわかりませんでした。


 「お母ちゃん、浄土に行って下さいよ。

  ほんとうに楽しい極楽に行きなさいよ。」

  という意味でした。


  何もしゃべらない下ばっかりを向いて、

  友達からのけものにされていたあの子が、

  どうしてこの言葉が言えたのでしょう。

  私は自分の耳をうたがうものでした。


 「お母さん、自分もお母さんに話ができるのですよ。

  私のこの声を聞いて下さいよ。お母さん幸せに。」という

  母に対する愛の思い、慕う思いが

  言葉になったのではないかと、

  私ははじめて

  愛の偉大さを思い知らされたのでございます。


  やがて誰も彼の身の回りを見ることもできず、

  彼は寄宿舎のある学校へかわっていきました。

  しかし、今なお彼はどうなったか分かっていません。

  私の心に深い傷をのこしているのでございます。




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  ●連絡先 電話・FAX093-681-5083

   ざ・ぼんぢわーく

   〒805-0004
   北九州市八幡東区日の出3-13-20


  ■先週号では、「さっそく購入しました」というメールをいただきました。
   また、ネット上ではここで購入できますよ、と教えてくださいました。
   ありがとうございました。

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