yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

阿波国報告-1 観音寺遺跡と阿波国府の条

2009-05-20 13:45:54 | 歴史・考古情報《日本》-2 西日本
 連休中様々な行動の報告を少しずつやっていきます。まずは徳島県埋蔵文化財センターでのシンポの様子をアップ! 

 5月1日、京都駅を8時10分発の高速バスに乗ると徳島駅に11時に着きます。何と便利な!!


(京都駅の乗り場探しで少し焦りましたが、後は順調!ただしそれは往きしだけ!実はこの後とんでもないことに・・・・)

 徳島県埋蔵文化財センター設立20周年記念シンポジウムでの報告のために前日に徳島へ向かうことに。

 実は恥ずかしながら、阿波国へは行ったことがなかったのです。讃岐へは何度も、土佐へも数度行ったことがあるので、何となく行ったつもりだったのです。ところが、よくよく調べてみる(記憶をたどってみると)、どう考えても行ってないのです。
 一昨年北海道に初めて行って、これで47都道府県全制覇!!と思っていたら大間違いでした。日本国秘境の地!いえいえとんでもない!京都からわずか二時間半で来られるところに来てい無かったとは、実に恥ずかしい。

 まずはテーマである観音寺遺跡を見ておかなければ、と前日に遺跡へ!!
 何と最寄り駅がこれ!「府中」と書いて「こう」と読む。



 府中駅を降りて何となく観音寺を探すが、途中で不安に。地元のおばさんに尋ねてまずは一宮-大御和神社を目指す。観音寺はその直ぐ隣だと聞く。
 


(春祭りのための縁が立っていた。さらにラッキーなことに、本殿前では神楽が演じられていた。神主の娘だろうか?面をかぶって鈴を鳴らしながら氏子の周りをそろりそろりと歩いて行く。少々ぎこちないところが素朴でとてもよかった!!)



(本殿の裏はこんな感じ。「おおみわ」という名称も意味深だが、なかなか古風でいい神社である。)



 大御和神社の前が旧伊予街道。江戸時代はこの道が伊予へ向かう官道だったとか。これを西にとると直ぐに16番札所観音寺へ。『観音寺遺跡1』という県が刊行した報告書はとてもよくまとまっている内容でにわか勉強にはもってこいだった。その報告書(執筆者は今回私を誘って下さった県埋文の藤川智之さん)によれば江戸時代の地積図によってかなり正確に当地周辺の小字や地割が復原できるという。それによればこの伊予街道は東西に神社の前を通り、なぜか、観音寺の前で南へ少し膨らんで再び西へ向かっている。藤川さんの研究ではどうも国府は従来の推定地であった大御和神社周辺ではなく、この観音寺一帯らしいので、この膨らみも意味がありそうである。



 そんな妄想を抱きながら観音寺へ。

 

(何と、若いカップルが二人より沿って、真剣に経を読んでいる。「ウーン・・・もちろんTDLにいくよりはいいのだが・・・」ちょっと考えさせられた。怨霊に興味を抱く学生が多いのと共通するようにも見えた。少し複雑な感じ!!?)



(観音寺遺跡周辺の航空写真。『観音寺遺跡Ⅰ』より)

 とりあえずをご覧あれ!!

観音寺遺跡周辺のミニスライドショー


 とにかく、阿波国、とても気に入りました!!間もなく近くで見付かった川港?の遺跡の現説もあるとか、是非もう一度行ってみようと思っています。 

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