yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

連載・桓武考古-1  プロローグ

2005-08-02 11:19:52 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 

 (写真は長岡京跡出土墨書人面土器:専門の絵師が描いた祓えの土器か?)

 夏休みを通じて、本ブログに二つの連載を載せようと思っている。一つは現在進行中の『桓武朝の考古学』(歴史ライブラリー 吉川弘文館)のダイジェスト版、もう一つは、主に携帯から発信する『斎宮日記』である。後者は8月23日から始まる発掘調査に合わせて行う三重大学の授業日誌でもある。果たして酷暑の現場からどれだけ続くのか不安も一杯だが、今年の夏は海外へ行けそうにもないので、その分、国内研究に没頭しようと思っている。気づいたことがあればどしどしコメント下さいネ。

『桓武朝の考古学』(略して「桓武考古」)の第1回目(20回連載予定) プロローグ 

 「咲く花の匂うがごとき・・・」と唄われ、華やかな貴族社会が展開した奈良時代。その時代に大きな影を落としたのが聖武天皇後継問題であった。
孝謙-淳仁-称徳と異例の皇位継承が続いた王統は、称徳の死をもって新たな段階にはいった。
 歴代の皇位継承をみると、天皇からその子(親王・内親王)へと継承される場合の政情は安定している。ところが、兄弟、甥、従兄弟など、他の皇族に継承される場合には、必ずしも政情は安定していない。
称徳後継は、称徳の遺詔を装って異母姉妹・井上内親王の夫・白壁王とされた。光仁天皇-井上皇后-他戸皇太子体制の成立によって、皇位継承問題は無事決着したかに見えた。   
 井上皇后は若かりし頃には藤原氏との関係から、幼少にして伊勢斎王にト定され、宮中から排除されていた。しかし、皇統断絶の危機に瀕して、聖武天皇(と県犬養広刀自)の娘として急遽脚光を浴びることとなった。井上内親王は称徳の死によって初めて政治の表舞台に登場することができたのである。既に白壁王との間に他戸親王が生まれていた。誰もが皇位安泰と考えたはずである。
 ところが、これは世間の目を欺くダミーにすぎなかった。妖怪渦巻く政界には裏が準備されていたのである。その中心人物こそ、藤原四氏の中でも必ずしも厚遇されていなかった式家の藤原良継・百川であった。

 宝亀3(772)年3月2日、井上皇后が天皇を巫蠱(ふこ)しているという報告が内裏に届いた。ただちに皇后の身柄が確保され、2ヶ月後には他戸皇太子も連座して配された。さらに翌年難波内親王呪詛事件がでっち上げられ、親子共に大和国宇智郡の没官宅に幽閉され、宝亀6(775)年4月27日変死の報が届く。毒殺されたのであろう。但し天皇、皇太子了解済みの「事件」であったことは言うまでもない。
 ここに桓武朝の歴史ドラマの幕が切って落とされるのであった。本書は、かくもドラマチックなスタートを切りながら、必ずしもその実像については研究の進んでいなかった桓武朝を、考古資料を素材にして明らかにしようとする試みである。もちろん考古資料だけでは描ききることはできない。随所に文献史料、文字情報を織り込みながら、描いてみたい。


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〈授業版-3〉 いざ夏休み!でもまだこれからオープンキャンパスが・・・

2005-08-02 00:29:44 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都

ようやく大学も夏休みに入った。昔なら7月に入るとも夏休み気分だったが、最近はまるで義務教育のように五月蠅くて、やれ15コマきちんと授業しろだの、休講したら補講しろだのまるで子供の学校である。もちろん学生も小さくて、休講すると文句を言うだの、黒板に書かないと怒るだの、資料を全部使えだの、逆に資料が多すぎるだの、細かな注文ばかり出す。文句言う奴に限って、授業は遅刻、レポートは不出来、人の言うことは聞かない!挙げ句の果てに日本の地図すら満足に書けないくせに日本考古学の授業を取りに来るでたらめさ。

 高尾さんの「江戸時代研究の休み時間」最新版によると「学力崩壊」は大人にこそ言えることであり、大人は中学生の数学問題や理科問題ですら解けないに違いないという。なるほど言われてみればその通りだ。あれだけ必死に覚えた生物の系統樹も、「すいへいりーべばっくのふね・・・」も、a/sinA=b/sinB=c/sinCも、サ行変格活用も遙か記憶の彼方なのである。確かにそうなのだが、でも、韓国と北朝鮮と中国の地理的関係もよう知らんくせに、やたらサッカーになると「愛国心」丸出しで「日本!日本!」と叫ぶ学生に、東アジア比較史や日本史を講義するのもつらいものだ。
 ことある毎にフェアープレーだのスポーツマンシップだの言うくせに、どうして「北」相手だとあんなにいきり立つの?恥ずかしい!!どこぞのプロ野球が4番ばかり集めて崩壊し、野球人気凋落のお手伝いをしているのと同じで、そのうち金満日本サッカーもだめになるんじゃない?

 どこでこんなに歯車が狂ってしまったのだろうか。そんなとき決まって出るのが「昔は・・・」である。よくないに決まっている。昔より今の方が進んでいるに違いないのだ!もちろん私だってそう信じたい。でも、今の学生を見ていると、本当に彼らに地球の未来を託すことができるのだろうかと不安になってしまう。

 社会に出てまともな集団生活できるんだろうかと疑わざるを得ないことが余りに多い。個人が前面に出すぎて、人間が社会的存在だということを忘れすぎていると思う。
 先日もある学生と話していて驚いた。大学を卒業してからどうするの?と聞くと、「お父さんやお母さんと過ごす」という。できるだけ側にいてずっと一緒に暮らしたいという。だから本当は就職したくないけれど、生きていかないといけないから仕方なくするが、家から通えるところでないといや!なんだそうな。この子は一度谷底に突き落とさなければならないはずなのだが・・・、このまま生涯を両親と共に過ごして終わるとすると・・・・。心配になってしまう。

 もちろん日本の古い共同体社会がいいはずもない。だから共同体の因習を打ち破る新しい行動が起こされることはいいことだと思う。しかし現実を見ると、あらたに自分たちだけの、自分の論理で通じる共同体を作っているに過ぎないように思える。日本的な共同体論理とアメリカ的個人主義が合体した異様な共同体社会の出現。そのように見る私の目が曇っているのだろうか。

 アメリカの個人主義がいかに狂っているかは、己を守るための銃の放任に見ることができる。まさに自国、いや金持ちの己だけは最後まで生き抜くために、核兵器と核シェルターを持ち続ける論理と同じだ。彼らの論理でいけば地球が滅びる時はアメリカ合衆国が滅びる時で、その最期の最期まで地球上にアメリカ(ブルジョアジー)が君臨しさえすればいいのだ。そしてこれを個人に当てはめたのが今のアメリカかぶれした日本の小泉以下、現大学生そして同じ穴の狢である中国の若者。
 
 この超個人主義を克服し、健全な共同体を形成するにはどうすればいいのだろうか。それとも所詮そんなのは幻想に過ぎないのだろうか。

 夏休みなんだからそんなことは忘れて研究に没頭しようぜ!と脳味噌の奥で何かが叫んでいるのだが・・・。

 実は今の大学教師にはまだまだ仕事が残っている。今どこの大学のHPを覗いても最新情報はオープンキャンパス!!大学に高校生を誘って宣伝しようというやつ。いろんな工夫がなされ、物も配られるらしい。もちろん我が大学でも今週がオープンキャンパスウイーク(貧乏な大学だから何も出ない!但し我が研究室に来ればただで勾玉が作れる!!!!)。我が学部は8月5日(金)。いろいろ頑張ってますよ、真面目な先生は。

 我が研究室でも出し物を用意する。もう少し工夫したかったのだが、なんと言っても今年は所属学生が余りに少なく、戦力が楽天状態。余りフル活動すると学生がダウンしてしまうので、さすがにオープンキャンパスは抑え気味。例年通りの勾玉作りでお茶を濁す。ごめんね、受験生の皆さん。来年こそガラス玉作りを出店しますから、待っててね。

 もちろんなーんにもしないでしらんふりをする教員もたくさんいる。そんな教員に限って、日頃何をするにも文句ばっかり。夏休みはとっくの昔に大学から、日本からおさらば。羨ましいこの図太い神経が。
 そう言えば昔から大学教官ほど世間知らずはいないと言うが、全く異議無し!!
超個人主義のわがままだらけ。マ、こんなのに教えられた若者が無責任になるのもやむを得ないか!
 アー、やはり出るのは愚痴とため息ばかりなり。8月23日から始まる斎宮の発掘調査まで充電するぞ!

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