2月25日新国立劇場小劇場で、ヘンリック・イプセン作「社会の柱」を見た(翻訳:アンネ・ランデ・ペータス、演出:宮田慶子)。
新国立劇場演劇研修所修了公演。
ノルウェーの小さな港町。有力な実業家で領事のカルステン・ベルニックは、妻のベッティー、13歳になる息子のオーラフとともに品行方正な生活を送り、``社会の柱‘‘
として人々から尊敬を集めていた。新たに町の商人たちと鉄道敷設事業計画を進めているさなか、ベッティーの弟ヨーハンとその異父姉のローナが帰国する。
二人は15年前のある事件で町を去り、アメリカに渡っていた。若き日の過ちが再びカルステンの前に立ちはだかり、歯車は段々と狂いだす。
カルステンの過去の過ちとは・・・。そして、鉄道事業に隠された秘密とは・・・(チラシより)。
1877年デンマークで初演され、各国で成功を収めた、イプセンの隠れた名作の由。
保守的な田舎町の人々の暮らしが丁寧に描かれ、興味深い。
人間の良心の問題を正面から扱った感動的なストーリーだ。
その点、古き良き時代のアメリカ映画「スミス都へ行く」(フランク・キャプラ監督)を思い出させる。
登場人物は多彩、さらに新たな恋が芽生えたりと飽きさせない。
主人公の領事カルステンは、15年前のスキャンダルを妻の弟ヨーハンが身代わりに負ってくれたおかげで、社会的成功を手にしたのだった。
そのことを知る元カノのローナが暴露するかと思いきや、長い葛藤の末、ついに彼自身が皆の前で告白する。
夫の告白を聴いた妻ベッティーは「こんなに嬉しいことを聞いた日はないわ」と喜ぶ。
15年前のこととはいえ夫の不倫を聞かされた妻の反応とは思えないが、それにはわけがある。
彼女は自分の弟の不品行のために、夫から長年、言わば言葉による虐待とも言える扱いを受けてきた。
家庭内で夫に対して肩身の狭い思いをしてきたのだが、夫が自ら弟の無実を公表してくれたために、そこから一気に解放され、反対に夫に対して優位に立てたのだ。
ただ、その時彼女が「あなたは今まで一度も私を愛していなかったことが今分かったわ」と晴れやかな顔と明るい声で言うのは、いささか腑に落ちない。
彼女の夫への愛はいささかも揺るがす、夫は自分の罪をすぐに許してくれたそんな妻を強く抱きしめる。
感動的な場面だが・・・。
そして元カノのローナは、そんな二人を笑いながら見ている。まるで姉のような、保護者のような温かい眼差しで。
うーん、どうなんでしょう。
ラスト、カルステンの告白以後がだるいのが残念。
シェイクスピアだってあちこち大きくカットしていいんだから、この作品も、後半を刈り込んだらどうだろうか。
現代の観客にはその方がずっと受けると思う。でないと、せっかくラスト直前までが面白いのに、もったいない。
カルステンはすべてを投げ打つ覚悟で町の人々の前に罪を告白したというのに、その後の舞台は締まりがない。
妻はむしろ解放されて喜び、ローナもよくやった、と彼を誉めるし、身内は誰も彼を咎めない。
カルステンは息子にも優しくなったので、息子との関係も修復できそうだ。
だが現実には、15年間騙され続けてきたという怒り、裏切られたという思い、恨みが町民たちの間に起こるのは当然だろう。
その結果、例えば「人民の敵」のラストのように、家の中に投石されて窓ガラスが割れたり、家を出て行けと大家に迫られたりするほどの激しい迫害が起こらないとも
限らない。まあ領事だから、それほど大きな被害は受けないだろうが、それにしても、そこが全く描かれないので、物足りない。
だがこの作品は、それまでの「ペール・ギュント」などの歴史劇から、後の「人形の家」「幽霊」「人民の敵」などの写実主義的現代劇への転換期に当たるものだそうだ。
それを考えると、なるほどと思える。
役者では、ローナ役の大久保真希、そして教師レールルン役の椎名一浩が、共に達者な演技で印象に残った。
アーサー・ミラー作「るつぼ」で、主人公の最後の決断に最も大きな影響を与えるのが自分の子供たちのこと。
自分の死後、子供たちが父親を誇りに思えるかどうか、それが処刑を前にした彼の一番の気がかりだった。
そのため彼は、偽証して命拾いするより、無実の罪で処刑される方を選んだのだった。
この日、そのことを思い出した。
カルステンも、一人息子オーラフが大きくなってから父親を誇りに思えるかどうかを一番気にしたのだった。
父にとっての息子の存在の大きさを感じ、胸打たれた。
日本ではめったに上演されないらしいが、こんなに優れた戯曲なので、今後はぜひもっと上演してほしい。
新国立劇場演劇研修所修了公演。
ノルウェーの小さな港町。有力な実業家で領事のカルステン・ベルニックは、妻のベッティー、13歳になる息子のオーラフとともに品行方正な生活を送り、``社会の柱‘‘
として人々から尊敬を集めていた。新たに町の商人たちと鉄道敷設事業計画を進めているさなか、ベッティーの弟ヨーハンとその異父姉のローナが帰国する。
二人は15年前のある事件で町を去り、アメリカに渡っていた。若き日の過ちが再びカルステンの前に立ちはだかり、歯車は段々と狂いだす。
カルステンの過去の過ちとは・・・。そして、鉄道事業に隠された秘密とは・・・(チラシより)。
1877年デンマークで初演され、各国で成功を収めた、イプセンの隠れた名作の由。
保守的な田舎町の人々の暮らしが丁寧に描かれ、興味深い。
人間の良心の問題を正面から扱った感動的なストーリーだ。
その点、古き良き時代のアメリカ映画「スミス都へ行く」(フランク・キャプラ監督)を思い出させる。
登場人物は多彩、さらに新たな恋が芽生えたりと飽きさせない。
主人公の領事カルステンは、15年前のスキャンダルを妻の弟ヨーハンが身代わりに負ってくれたおかげで、社会的成功を手にしたのだった。
そのことを知る元カノのローナが暴露するかと思いきや、長い葛藤の末、ついに彼自身が皆の前で告白する。
夫の告白を聴いた妻ベッティーは「こんなに嬉しいことを聞いた日はないわ」と喜ぶ。
15年前のこととはいえ夫の不倫を聞かされた妻の反応とは思えないが、それにはわけがある。
彼女は自分の弟の不品行のために、夫から長年、言わば言葉による虐待とも言える扱いを受けてきた。
家庭内で夫に対して肩身の狭い思いをしてきたのだが、夫が自ら弟の無実を公表してくれたために、そこから一気に解放され、反対に夫に対して優位に立てたのだ。
ただ、その時彼女が「あなたは今まで一度も私を愛していなかったことが今分かったわ」と晴れやかな顔と明るい声で言うのは、いささか腑に落ちない。
彼女の夫への愛はいささかも揺るがす、夫は自分の罪をすぐに許してくれたそんな妻を強く抱きしめる。
感動的な場面だが・・・。
そして元カノのローナは、そんな二人を笑いながら見ている。まるで姉のような、保護者のような温かい眼差しで。
うーん、どうなんでしょう。
ラスト、カルステンの告白以後がだるいのが残念。
シェイクスピアだってあちこち大きくカットしていいんだから、この作品も、後半を刈り込んだらどうだろうか。
現代の観客にはその方がずっと受けると思う。でないと、せっかくラスト直前までが面白いのに、もったいない。
カルステンはすべてを投げ打つ覚悟で町の人々の前に罪を告白したというのに、その後の舞台は締まりがない。
妻はむしろ解放されて喜び、ローナもよくやった、と彼を誉めるし、身内は誰も彼を咎めない。
カルステンは息子にも優しくなったので、息子との関係も修復できそうだ。
だが現実には、15年間騙され続けてきたという怒り、裏切られたという思い、恨みが町民たちの間に起こるのは当然だろう。
その結果、例えば「人民の敵」のラストのように、家の中に投石されて窓ガラスが割れたり、家を出て行けと大家に迫られたりするほどの激しい迫害が起こらないとも
限らない。まあ領事だから、それほど大きな被害は受けないだろうが、それにしても、そこが全く描かれないので、物足りない。
だがこの作品は、それまでの「ペール・ギュント」などの歴史劇から、後の「人形の家」「幽霊」「人民の敵」などの写実主義的現代劇への転換期に当たるものだそうだ。
それを考えると、なるほどと思える。
役者では、ローナ役の大久保真希、そして教師レールルン役の椎名一浩が、共に達者な演技で印象に残った。
アーサー・ミラー作「るつぼ」で、主人公の最後の決断に最も大きな影響を与えるのが自分の子供たちのこと。
自分の死後、子供たちが父親を誇りに思えるかどうか、それが処刑を前にした彼の一番の気がかりだった。
そのため彼は、偽証して命拾いするより、無実の罪で処刑される方を選んだのだった。
この日、そのことを思い出した。
カルステンも、一人息子オーラフが大きくなってから父親を誇りに思えるかどうかを一番気にしたのだった。
父にとっての息子の存在の大きさを感じ、胸打たれた。
日本ではめったに上演されないらしいが、こんなに優れた戯曲なので、今後はぜひもっと上演してほしい。
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