ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「メアリ・スチュアート」

2020-03-15 23:05:32 | 芝居
2月14日世田谷パブリックシアターで、フリードリヒ・シラー作「メアリ・スチュアート」を見た(上演台本:スティーブン・スペンダー、
翻訳:安西徹雄、演出:森新太郎)。
16世紀末、政変により国を追われ、遠縁にあたるイングランド女王エリザベスのもとに身を寄せたスコットランド女王メアリ。
だがエリザベスは、イングランドの正当な王位継承権を持つメアリの存在を恐れ、彼女を19年の長きにわたり幽閉し続けていた。その間、
二人の女王は決して顔を合わせることはなかった。そして時は今、エリザベスの暗殺計画にかかわったのではないかという嫌疑がメアリにかけられ、
裁判の結果、彼女には死刑判決が下されたのである。メアリとエリザベスの対立を縦軸に、メアリに恋心を抱く青年や策略をめぐらす男たちの
奔走を横軸に、権力を手にしたものと、手にしようとあがく者たちの、さまざまな駆け引きがドラマティックに繰り広げられていく。
刻一刻と迫る処刑の前で、身の潔白を訴えるメアリと、その処刑を決行するか否か心乱れるエリザベス。二人の女王の対面の日は来るのか!
(チラシより)

男で身を滅ぼしたと言われるメアリ。一生独身を貫くことを宣言し「ヴァージン・クイーン」と呼ばれたエリザベス。
対照的な二人は親戚ではあるが、共存共栄するのは難しい、まさに不俱戴天の敵だった。片やカトリック、片やプロテスタント。
それぞれの側につく家臣・側近たちが、やられる前にやらねば、と命がけで策略を巡らす。
エリザベスから見れば、メアリは若さ、美貌、正当な王位継承権という、自分にないものを三つも持っている、あまり愉快ではない敵だ。
メアリが生きている限り、いつカトリック側が彼女を女王にかつぎ上げて政権転覆を計るか分からない。そうなればたちまち立場は逆転し、
エリザベスの方が処刑される可能性大だ。しかもメアリは誇り高く、内心エリザベスを見下げているらしい、となれば、これはもう処刑するしか
道はなかった。

エリザベス(シルビア・グラブ)の顔が一貫して白塗りなのが、一人だけ異様な感じを与える。
実際、彼女は自分の容貌や衣装に相当気を使ったらしい。

フランスとイタリアを旅してきた青年モーティマー(三浦涼介)が、かの地で「感覚の喜びを捨てた退屈なピューリタン」から「まばゆい魅力の
カトリック」に改宗しました、と情熱を込めてメアリ(長谷川京子)に話すのが興味深い。
今日の我々から見れば、「退屈」とか「まばゆい」とかそんなの趣味の問題でしょ?それぞれ好きな方を選べばいいじゃん!と言いたくなるが。
今日ではエキュメニズム(教会一致運動、宗教間の相互理解推進運動)が進んでいるが、当時は、同じキリスト教徒同士で殺し合ったのだった。
この青年は女王エリザベスを憎み、カトリック教徒としてメアリを救出し女王にしようと密かに仲間を集めたりしているにもかかわらず、
思いがけず女王からも信頼され、密かにメアリを暗殺するよう命じられる。二重スパイのようなものであり、実に皮肉だ。
作者シラーの作劇の巧みさには舌を巻くしかない。

若いモーティマーと中年のレスター伯(吉田栄作)とが腹の探り合いをする場面も面白い。
どちらも表向きは女王エリザベスの忠実な臣下だが、実はモーティマーはメアリに惚れており、長年女王の寵愛を受けてきたレスターは、何と、
かつてメアリの愛人だった!そして彼の心は再び彼女の方に大きく揺れているのだった・・・。
この二人が核となって事態が動き出す。

昔、英国で見た連続テレビドラマ「エリザベス R」(グレンダ・ジャクソン主演)を懐かしく思い出した。 。
ちょうど日本の大河ドラマのようで、毎週楽しみに見ていた。
長い物語で多くの山場があったが、特に印象に残っているシーンがいくつかある。
メアリの処刑の場面で斧が振り下ろされた瞬間、栗色のかつらが取れ、真っ白い髪が現れた。
これには大勢の目撃者がおり、歴史的事実のようだ。
美人の誉れ高かった彼女にとって、長い獄中生活による容色の衰えは耐え難かったに違いない。

また、このドラマでは、処刑の命令書は家臣たちの策略により、他のどうでもいい書類の中に紛れ込ませてあり、エリザベスはそれと知らずに
サインしたのだった。後でそれを知って激怒し、後悔と恐れに苛まれるエリザベス。
だが今回の上演台本では違っていた。
女王は命令書を事務官に手渡し、「それをどうするかはお前が決めるように」と無茶なことを言う。結局、処刑を望む大臣バーリー卿(山崎一)が
力づくでそれを奪い取る。処刑が終わったと知ると女王は驚いたふりをし、「それを保管しておくように、と言ったではないか」と言う。
そして哀れ事務官はロンドン塔へ。
要するに女王は責任を負いたくないのだが、それは誰もが同じだった。
ただ、今回の脚本と演出では、この事務官らとのやり取りのシーンが長く、しかもいささかコミカル過ぎるように思われた。

ラスト、エリザベスの周囲から人が次々に去ってゆく。自らが追放した者、そばにいてほしいのに去って行った者・・。
女王は孤独の中に一人取り残される。タルボット(藤木孝)が予言した通り、メアリーは死んでからこそエリザベスを苦しめるのだった。

メアリにはジェイムズという息子がいるのだが、彼のことを一切語らないのが不思議だ(彼は当時スコットランド国王)。
高貴な身分ゆえ、生まれた時から乳母が育ててきただろうし、親子関係は希薄だっただろうとは想像できるが、それにしても死ぬ前に
何か一言あってもよさそうなものだ。親子関係が濃密な東洋人との違いを感じる。
ちなみにこのジェイムズが、エリザベス女王の死後、イングランドの国王となるのだから、何とも感慨深い。

2007年に新国立劇場小劇場で、この芝居を見たことがあった。脚本はピーター・オズワルド、演出は古城十忍。
まだこのブログを始める前だったので、詳細をメモしておらず、残念。
ただ、女王エリザベス役を務めた田島令子は印象に残っている。

今回、エリザベス役のシルビア・グラブとメアリ役の長谷川京子は、共に熱演。
言葉の洪水のような芝居を、緊張感を途切れさせることなく泳ぎ切った。
レスター伯役の吉田栄作も重要な役を期待通り好演。
タルボット役の藤木孝が久し振りに見られて嬉しい。
フランス大使役の星智也は背が高くて大使役にふさわしく、舞台映えする。何より声が素晴らしい。

メアリの二番目の夫ダーンリー卿は、ヘンリー7世のひ孫だから「強力な王位継承権」を持つとされるが、彼はヘンリーの娘の娘の息子であり、
バリバリの女系だ。
女系であることなど全く問題にされないお国柄に、彼我の違いを感じないわけにはいかない。




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