今日の夜中の2時ころに(毎夜のことですが)現実的な夢を見てから目覚め、(毎夜のことですが)小便をするために庭先に出て上空を見渡すと、闇夜だけに夜空一面に星が瞬いていました。
その広大な宇宙に唯一つの「青い惑星地球」があり、そこに我々人間が創造され生きていることが単なる偶然ではなくして…
天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みのからして誕生したからには…必ず何某の意味目的があるはずだと思いを巡らすことになるのですが…
その現実となると「不満と欲と矛盾」でもって間違い狂っている様が見とれ、もはやどうすることもできないとなりますが…
ちなみにこのブログは神の領域である完全真理を基にしているので信じるか否かの矛盾も偽善もない確かな真実事実を書き連ねています。
しかし書いている私には不満と欲と矛盾意識をしっかり持っています。
だから人間関係でもって調和することは絶対にありません。
それだけに身近な人間関係から離れて孤独の自由を味わうことになったのです。
ところで先日のことですが…牛舎のオーナーから頂いた玄米30キロをもって往復3時間ほどの夜道を走り半年ぶりに妻と娘夫婦家族が共に暮らす二世帯完全独立型の住居に帰っていきました。
そして先ずは二階の娘夫婦や孫たちがいるところに上がり半年ぶりだけに楽しく会話が出来ました。
その後階下の妻が住む部屋に挨拶がてら訪れ声を掛けましたが、孤独にしてテレビを見ていて(少し難聴になっているだけに)しばらく私に気付きませんでした。
そして私に気付いての言葉が危ない夜道を何しに帰ってきたの?でした。
また私が帰路につくことで妻や娘夫婦や孫たちも玄関先に出てきて見送ってくれることになったのですが、その際にも妻は夜道を帰る心配の一言でした。
ちなみに久しぶりに楽しい会話を味わい、また妻が夜道を心配してくれるのもいいのですが…
それよりも私としては世間一般的な会話をすることや心配してくれることではなくして…
精神世界絡みにして共に打ち解けた調和のある会話なのですが…
お互いが不調和なだけに無理があります。
だから世間一般的な出会いとその別れで幕を閉じます。
そこで先ほど書いた現実的な夢をみて目覚める話に戻りますが…
その前に私なりの勝手な思いかもしれませんが…ちょこっと書きます。
ちなみに喫煙は肺を曇らせますが、飲酒は脳を曇らせますからキチガイ水とも言われています。
だから飲酒をする人はあまり夢を見ないようです。
ところが私は飲酒をしないからか…寝て見る夢がヘンテコながらも現実的であり、人生ドラマ化できるような内容や新規事業のアイデアとかSFの世界が書けるような夢だけに…
寝て見ている夢の世界なのに味覚感覚やら雰囲気などの体感さえも実感できるときがあります。
そこで先日見た夢の話に戻りますが…
田舎の大勢が住む家族のところに私が居て、その家族を片隅で静かに見ている中に気になる一人の女性が居て、しかもその女性とやがて結ばれることになると実感しているから、ただその時が来るのを静かに待っていると言うような感じの夢ですが…
ところがついにその時が来たが如くの状況になり、その女性が私に近寄りすぐ近くに座り、素朴な雰囲気をかもし出しながら微笑みと言うよりも柔らかな表情にして(何一つ会話することなく)ただ私の傍で静かにいるだけなのですが…それだけで互いの思いが伝わりあう…十分納得し味わえる「至福の時」でした。
そして甘えん坊な私だけに・女性に甘えての膝枕でもって寝転がり・その女性の膝の体温を感じながらも、そこで夢が叶ったが如くになった時に目覚めました。
ゆえに変化刺激に満ちた時ではなくして、心静かに味わえる至福の時を夢の中で味わえたのです。
然るに現実的になると無理かもしれないが…私が死する時が来た時に…心静かな女性の膝枕にして・その至福の時を味わいながらポッコリと死に至ることです。
その為にも…何かと欲張らずにして…心静かにして生きていくその価値が十分にあると!確信しています。
ちなみに過去の投稿「ハウス・シチュウのCMで至福を見た」2009-04-01 投稿文を参考にすれば更に理解が進みます。
追伸~テレビを点けっぱなしにして部屋で雑多をしているとテレビの音量が原因で難聴になる人が多いのも事実です…参考のために書き足しました。
その広大な宇宙に唯一つの「青い惑星地球」があり、そこに我々人間が創造され生きていることが単なる偶然ではなくして…
天地創造の完全なる宇宙・神・愛の仕組みのからして誕生したからには…必ず何某の意味目的があるはずだと思いを巡らすことになるのですが…
その現実となると「不満と欲と矛盾」でもって間違い狂っている様が見とれ、もはやどうすることもできないとなりますが…
ちなみにこのブログは神の領域である完全真理を基にしているので信じるか否かの矛盾も偽善もない確かな真実事実を書き連ねています。
しかし書いている私には不満と欲と矛盾意識をしっかり持っています。
だから人間関係でもって調和することは絶対にありません。
それだけに身近な人間関係から離れて孤独の自由を味わうことになったのです。
ところで先日のことですが…牛舎のオーナーから頂いた玄米30キロをもって往復3時間ほどの夜道を走り半年ぶりに妻と娘夫婦家族が共に暮らす二世帯完全独立型の住居に帰っていきました。
そして先ずは二階の娘夫婦や孫たちがいるところに上がり半年ぶりだけに楽しく会話が出来ました。
その後階下の妻が住む部屋に挨拶がてら訪れ声を掛けましたが、孤独にしてテレビを見ていて(少し難聴になっているだけに)しばらく私に気付きませんでした。
そして私に気付いての言葉が危ない夜道を何しに帰ってきたの?でした。
また私が帰路につくことで妻や娘夫婦や孫たちも玄関先に出てきて見送ってくれることになったのですが、その際にも妻は夜道を帰る心配の一言でした。
ちなみに久しぶりに楽しい会話を味わい、また妻が夜道を心配してくれるのもいいのですが…
それよりも私としては世間一般的な会話をすることや心配してくれることではなくして…
精神世界絡みにして共に打ち解けた調和のある会話なのですが…
お互いが不調和なだけに無理があります。
だから世間一般的な出会いとその別れで幕を閉じます。
そこで先ほど書いた現実的な夢をみて目覚める話に戻りますが…
その前に私なりの勝手な思いかもしれませんが…ちょこっと書きます。
ちなみに喫煙は肺を曇らせますが、飲酒は脳を曇らせますからキチガイ水とも言われています。
だから飲酒をする人はあまり夢を見ないようです。
ところが私は飲酒をしないからか…寝て見る夢がヘンテコながらも現実的であり、人生ドラマ化できるような内容や新規事業のアイデアとかSFの世界が書けるような夢だけに…
寝て見ている夢の世界なのに味覚感覚やら雰囲気などの体感さえも実感できるときがあります。
そこで先日見た夢の話に戻りますが…
田舎の大勢が住む家族のところに私が居て、その家族を片隅で静かに見ている中に気になる一人の女性が居て、しかもその女性とやがて結ばれることになると実感しているから、ただその時が来るのを静かに待っていると言うような感じの夢ですが…
ところがついにその時が来たが如くの状況になり、その女性が私に近寄りすぐ近くに座り、素朴な雰囲気をかもし出しながら微笑みと言うよりも柔らかな表情にして(何一つ会話することなく)ただ私の傍で静かにいるだけなのですが…それだけで互いの思いが伝わりあう…十分納得し味わえる「至福の時」でした。
そして甘えん坊な私だけに・女性に甘えての膝枕でもって寝転がり・その女性の膝の体温を感じながらも、そこで夢が叶ったが如くになった時に目覚めました。
ゆえに変化刺激に満ちた時ではなくして、心静かに味わえる至福の時を夢の中で味わえたのです。
然るに現実的になると無理かもしれないが…私が死する時が来た時に…心静かな女性の膝枕にして・その至福の時を味わいながらポッコリと死に至ることです。
その為にも…何かと欲張らずにして…心静かにして生きていくその価値が十分にあると!確信しています。
ちなみに過去の投稿「ハウス・シチュウのCMで至福を見た」2009-04-01 投稿文を参考にすれば更に理解が進みます。
追伸~テレビを点けっぱなしにして部屋で雑多をしているとテレビの音量が原因で難聴になる人が多いのも事実です…参考のために書き足しました。