人間は意識でもって生きているところがありますから、
然るにこの世は己の意識次第なのです。
だからこの世は<意識の世界>だと言われているのです。
ちなみに私が…地上の天国…を味わっているのも…私の中では事実なのです。
ところが多くの人は…己の中に…不平不満を持っているから…地上の天国に思ないだけなのです。
だから何度も繰り返しますが・・・
釈迦が此れではダメだ何とかしなければと不満とその欲を持っていたから…その対策を講じるための行動になったのですが…結果的にはどうしようもないことを成そうとして=成らないことを成そうとして=その無駄で余計なことをした中途半端なままに終わっているのです。
だから釈迦やイエスらが…此れではダメだと思わないで…そのままにしてほっとけばよかったことなのです。
そしてどんな環境であっても…人間として生きていることが地上の天国だと思えば…それが事実にして天国になるのが人間意識です。
しかしながらそれに納得できないでいる=そう思えないでいる=あなた方の意識に問題がある事だとして…その意識の持ち方次第だとして…その事実だけを説いていれば万事がOKだったのです。
然るに貧困差別に思うから→それが貧困差別に思えているだけだとして→その事実だけを説いていればよかったことなのです。
然るにそんなに難しいことではなかったのです。
然るに良い悪いで判断して…比較判断して→不満に思ったり満足に思えているその意識が原因の結果だとして→その事実だけを説いていればよかったことなのです。
例えば…孤独の自由を味わずにしてそれが孤独感になっている…その意識に問題があると説いているだけでよかったのです。
然るにこの世人間関係に馴染めずにして不登校や引きこもりになっていれば…その人の意識の中に今は孤独でいたいという思いからしてそれが形になっているだけだから、そのままにほっとけば何とかなっていくものだとして…周りの者が静かにして穏やかに見守っていればいいのです。
然るに何度も書いていますが…それが<愛>なのです。
ところが「それではダメだ何とかしなければ」と不満に思い・そして欲を出して・急ぎ慌て騒ぐことからして逆効果にもなるのです。
然るにお互いが怒っているときはどうしようもないが…どちらかが冷静になれば大ごとにはならないのです。
だから冷静になれるまで急ぎ慌てずにほっとけば…いつしか…怒りぱなっしだと心身が疲れますから…自ずとその怒りの熱・感情も次第に冷めて和らいでくるのが人間意識なのです。
ところが周りの者が加わってまで「けしかける」輩がいるから次第に大ごとになっていくのです。
然るにヒトラー一人だと大したことにならずに済んだのです。
だから怒っても…どうしようもない…と自覚悟ることができるようにお膳立てするのも精神世界なのです。
だから…怒りになる前の不満不足に思う…その意識の有り様に自らが気付くことが肝要であることの(事例を示して)根掘り葉掘り(熱心に)聞かせれば…いつしか納得できるようになるもの人間意識なのです。
だからこのブログを日々更新しているとも言えるのです。
然るに先に書いたように…此れではダメだ何とかしなければ…の不満と欲が出ないように…前もって自己縮小するのが手っ取り早いのは間違いありません。
更に孤独の自由を味わえるようになれば諸々の束縛制限から解放されるし周りの者から否定反発されることもなくなります。
また車を運転することもなく、結婚子育てすることもなく、己一人が何とか生きていくためならば一月一万円あれば何とかなります。
更にプライドを捨てて物乞いでもすれば…お金が無くても生きていけるのが現代ですから…働かなくても生きていける…まさに地上の天国を味わっているようなものです。
そして死ぬ時が来たら(守り闘わずにして)そのまま素直に死ねばいいだけのことです。
然るに己一人のことなら何とかなりながらも何とかして生きていけるのです。
そのために宇宙・神・愛意識の仕組みからして=私たちに=自分さえ良ければの個人意識が仕組まれているのです。
しかも=不満も欲も=なくなれば…諸悪の根源がなくなり…心身ともに穏やか健やかなままに(何の文句・不満もなく)(まるで縄文杉が如くに)ずーっと生きていけるのです。
…これ以上に何を望むのでしょう…
然るに…なんと幸せなことでしょう…
なのに「此れではダメだ、何とかしなければ」と不満と欲にかられるのですか!
何はともあれ…ほかの人がどうであれ…私のように仕組まれ続けなくても…あなた一人が実践すればOKなのです。