孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間は意識でもって生きているところがありますから、この世は<己の意識>次第なのは真実・事実です。

2016年10月25日 | Weblog

人間は意識でもって生きているところがありますから、
然るにこの世は己の意識次第なのです。

だからこの世は<意識の世界>だと言われているのです。

ちなみに私が…地上の天国…を味わっているのも…私の中では事実なのです。

ところが多くの人は…己の中に…不平不満を持っているから…地上の天国に思ないだけなのです。

だから何度も繰り返しますが・・・
釈迦が此れではダメだ何とかしなければと不満とその欲を持っていたから…その対策を講じるための行動になったのですが…結果的にはどうしようもないことを成そうとして=成らないことを成そうとして=その無駄で余計なことをした中途半端なままに終わっているのです。

だから釈迦やイエスらが…此れではダメだと思わないで…そのままにしてほっとけばよかったことなのです。

そしてどんな環境であっても…人間として生きていることが地上の天国だと思えば…それが事実にして天国になるのが人間意識です。

しかしながらそれに納得できないでいる=そう思えないでいる=あなた方の意識に問題がある事だとして…その意識の持ち方次第だとして…その事実だけを説いていれば万事がOKだったのです。

然るに貧困差別に思うから→それが貧困差別に思えているだけだとして→その事実だけを説いていればよかったことなのです。
然るにそんなに難しいことではなかったのです。

然るに良い悪いで判断して…比較判断して→不満に思ったり満足に思えているその意識が原因の結果だとして→その事実だけを説いていればよかったことなのです。

例えば…孤独の自由を味わずにしてそれが孤独感になっている…その意識に問題があると説いているだけでよかったのです。

然るにこの世人間関係に馴染めずにして不登校や引きこもりになっていれば…その人の意識の中に今は孤独でいたいという思いからしてそれが形になっているだけだから、そのままにほっとけば何とかなっていくものだとして…周りの者が静かにして穏やかに見守っていればいいのです。

然るに何度も書いていますが…それが<愛>なのです。

ところが「それではダメだ何とかしなければ」と不満に思い・そして欲を出して・急ぎ慌て騒ぐことからして逆効果にもなるのです。

然るにお互いが怒っているときはどうしようもないが…どちらかが冷静になれば大ごとにはならないのです。

だから冷静になれるまで急ぎ慌てずにほっとけば…いつしか…怒りぱなっしだと心身が疲れますから…自ずとその怒りの熱・感情も次第に冷めて和らいでくるのが人間意識なのです。

ところが周りの者が加わってまで「けしかける」輩がいるから次第に大ごとになっていくのです。

然るにヒトラー一人だと大したことにならずに済んだのです。

だから怒っても…どうしようもない…と自覚悟ることができるようにお膳立てするのも精神世界なのです。

だから…怒りになる前の不満不足に思う…その意識の有り様に自らが気付くことが肝要であることの(事例を示して)根掘り葉掘り(熱心に)聞かせれば…いつしか納得できるようになるもの人間意識なのです。
だからこのブログを日々更新しているとも言えるのです。

然るに先に書いたように…此れではダメだ何とかしなければ…の不満と欲が出ないように…前もって自己縮小するのが手っ取り早いのは間違いありません。

更に孤独の自由を味わえるようになれば諸々の束縛制限から解放されるし周りの者から否定反発されることもなくなります。

また車を運転することもなく、結婚子育てすることもなく、己一人が何とか生きていくためならば一月一万円あれば何とかなります。

更にプライドを捨てて物乞いでもすれば…お金が無くても生きていけるのが現代ですから…働かなくても生きていける…まさに地上の天国を味わっているようなものです。

そして死ぬ時が来たら(守り闘わずにして)そのまま素直に死ねばいいだけのことです。

然るに己一人のことなら何とかなりながらも何とかして生きていけるのです。

そのために宇宙・神・愛意識の仕組みからして=私たちに=自分さえ良ければの個人意識が仕組まれているのです。

しかも=不満も欲も=なくなれば…諸悪の根源がなくなり…心身ともに穏やか健やかなままに(何の文句・不満もなく)(まるで縄文杉が如くに)ずーっと生きていけるのです。

…これ以上に何を望むのでしょう…

然るに…なんと幸せなことでしょう…

なのに「此れではダメだ、何とかしなければ」と不満と欲にかられるのですか! 

何はともあれ…ほかの人がどうであれ…私のように仕組まれ続けなくても…あなた一人が実践すればOKなのです。

古今東西の名立たる者や私たちも…自分に与えられた「お役・役割使命」を果たしているのです。

2016年10月25日 | Weblog

山田耕栄さんの完全真理=「良い悪いで判断しなければ」から始まる=このブログに不完全・矛盾・偽善があるでしょうか!

良い悪いで判断して比較競争差別することが無ければ=自由平等平和になる…云々に矛盾・偽善があるでしょうか!

過去のモーセがその当時の国家体制に盾つくことが無ければ=守り闘うことが無ければ…多くの人民を引き連れることもなかったし、追手の兵士を海割れ現象で溺れさすこともなく…また溺れ死んだ多くの兵士の家族が嘆き悲しむことにもなりません。

過去の釈迦が貧困差別を見て…此れではダメだ何とかしなければと…その不満と欲を持たないで…生きてさえいればいいじゃないの・成るようになるだけだとして…その不満と欲を持たなければ…その後の釈迦自身が一体どうなったことでしょうか!?

過去のイエスがサタンと思った相手と闘わなければ…そのイエスが正義の味方・神の使いが如くに思われることもなく…単なるイエスで人生が終わったはずです。

過去の聖徳太子が勢力拡大を試みずにいれば…他の部族と闘い滅ぼすこともなかったでしょう。

過去の奇跡の人サイババやオームの麻原彰晃や伊勢白山道なる者が…良い悪いで判断しない完全真理を説いていたなら一体どうなったことでしょうか?

とにかく古今東西の名立たる者が…良い悪いで判断することなく…また守り闘うことも無く、しかも己自身が素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践をしていたなら…世間に目立つことなく己一人して心静かに生きていくことでしょう。

そして自己縮小の実践をしていることに関心を示す人や必然ご縁でつながった人にたいして…このブログに書いているような内容を語ったり文書にして手渡ししていたかもしれません。

しかしそんな簡単なことではないのが…完全真理であり自己縮小の実践なのです。

だから…完全真理を説いていた山田耕栄さんが自己縮小の必要性を説くと同時に…その耕栄さんが自己縮小の実践をしていたならば…ファバラ製品を売ることを中止することになったはずです。

…然るに完全真理を言うのは容易いが…自己縮小の実践はそう簡単なことではないのです。

と言うことは…耕栄さんは…完全真理を説くための「お役・役割・使命」でこの世に出てきたのです。
だから自己縮小の実践が出来ずに…言って聞かせるためだけで今は終わっているのです。

すなわち…上記で示した古今東西の名立たる者たちも…宇宙・神・愛の仕組みにより…この世人間のために…自分に与えられた「お役・役割使命」を果たしたのです。

然るに私も仕組まれながらにして「お役」を果たしている最中なのです。

だから人それぞれが…この世で…己の心意識精神が原因でもってしてその「お役」を果たしている最中なのです。

だから誰も皆が…この先どうなるか…判らないのです。

何はともあれ宇宙進化の流れからして…新たに仕組まれし者・選ばれし者が(良くも悪くも)次々と現れ出ることでしょう。

だからこそ…世間で目立って・私は正しいとして…過去の事例のように守り闘うことにならないように…
そこで自己縮小の実践をしながらにして生きていくしか他に道が無いのです。

精神世界や哲学思想や神仏霊魂や信仰宗教やスピリチュアルを論じる必要もないのがこのブログです。

2016年10月24日 | Weblog
精神世界や哲学思想や神仏霊魂や信仰宗教やスピリチュアルを論じる必要もないのがこのブログです。
だから当然ながらコメントも殆どありません。

とにかく己の精神・意識・心に問いかけ自分で答えを出して…それを実践するだけのことなのです。

ちなみに今どきの人はグルメとかレシピとかファッションとか言って…より良いものを選択したがる傾向にあって…それが価値観・幸福感にもなっています。

だから私が孫たちにパチンコの景品を持ち帰っても…気に入らなければ無視されて片隅に追いやられています。
何たって親子でレシピ通りの豪勢なお菓子つくりをして食べていることが多いから普段のお菓子では気に入らないのです。
また外食するも親子してあれこれと選択を迷って中々注文が決まりません。

ところが私は戦後育ちからして選り好みするどころではありませんで…物があるだけで幸せにも思える時代がありました。
そして今は良い悪いで判断しないためにも自己縮小の実践をしている関係からして…今あるもので十分になっていますから…選り好み選択することもありません。
然るにファッション・グルメ・レシピに関係ないし、欲しければ100均ショップのお菓子で十分満足できるのです。

だから私は…地上の天国…を味わっていると書いているのです。

然るにあれこれ選択している人のほうが…私よりも不足不満に満ちた不幸な生き様になっているのです。
ただその事実に気付いていなだけのことです。

だから貧乏丸出しで生きている私の方が幸せで…
豪華絢爛や喜怒哀楽の波乱万丈に生きている人のほうが不満に満ちた不幸な人になるのですが、
しかし当人たちは特別な自己満足で自惚れ慢心しているし、見栄・世間体・プライドからしても自惚れ慢心しているし、
中には特別な権威権力でもって威張っていますから、そんな己が不幸だなんて真坂思ってもいないことでしょう。

然るに矛盾偽善に満ちた・自分さえ良ければの個人意識丸出しでもって生きているのが同じであっても…それが自己拡大なのか…自己縮小の実践なのか…その違いがあるだけです。

だから好き嫌いの判断・価値観で生きているのと…判断する必要もないほどの生き様にして…今を生きていることの価値を味わっている…その違いがあるだけです。

然るに精神世界や哲学思想や真理を論じる必要もないのです。

然るに何れの選択が正しいのか判断するようなことでもないのです。

然るに巷の神仏霊魂の世界や信仰宗教やスピリチュアルに関係ないところの…
己の精神・意識・心に問いかけ自分で答えを出して…それを実践するだけのことなのです。

自己縮小の実践が…宇宙進化の元・次元上昇の元・己の来世の基本となるようです。

2016年10月24日 | Weblog
個人の自由にして選択できる時代になったことが良いときもあるが悪いことにもなる矛盾の仕組みがあります。

例えば個人の自由にして、その自由恋愛ができる時代になりましたが、
しかし自由恋愛の根底に…良い悪いで判断した…好き嫌いの感情が伴っています。

そして好きになった感情の中には…己の欲となる…思惑期待や願望などの打算が入り混じっていることからして言えば・・・純愛ではなくして・・・矛盾偽善のある不純恋愛になるのです。

だから当然ながら裏切り合う関係にもなっているのです。

然るに恋愛結婚を人様に自慢できるほどのことではなくて…世間に己の精神の恥・偽善をさらけ出していることにもなるのです。

だから頑張らなくてもいい・欲張らなくてもいい・見栄張らなくてもいい・無駄になる事や余計なことになる無理をしなくてもいいと書いているのです。

何はともあれ…好き嫌いで物事を選ぶことからして…すべてが矛盾偽善になるのも当然のことなのです。

だから純愛とか純真・真心とかは…空言・戯言・妄想世界・想像世界・創作世界・夢世界のことなのです。

だから良い悪いで判断しない…善悪優劣損得…(好き嫌いで判断しない)完全真理が説かれているのです。

しかしながら生まれながらにして持つ欲からして…良いとこ取りしたがる欲からして…善悪優劣損得で判断することになっているのです。

ところがその矛盾偽善からしての喜怒哀楽感情からして心身が相当に疲れてストレスをため込んでいるのです。

だから良い悪いで判断したところの不平不満が原因からしてこの世が闇意識に覆われていると言われるのです。

だから善人でもないのに…無理して善人面・善人ぶることなく…
また欲からして特別を欲しがる事無く…あるがままの普通にして生きる…

そのためにも…自分さえ良ければの個人意識丸出しながらも…ストレスのない普通の生き方にするには…小さく生きる・静かにして生きる・素朴謙虚に生きる・自己縮小しかないと書いているのです。

それが己の心身のためでもあり、それが人様にも、また自然環境のためにもなるのです。

そしてそれが宇宙進化の元・次元上昇の元・己の来世の基本となるようです。

人間は天涯孤独です、世界がどうであれ、身近な周りがどうであれ・・・自分がどうなのか…だけです。

2016年10月23日 | Weblog
人間は生まれながらにして天涯孤独な身の上です。

だから宇宙・地球・自然界がどうなって動いていようが…肝心なのは己がどうなのか…だけです。

然るに天変地異が起きていようが、水没している国があろうが、大地震や津波で困っていようが、衣食住に困っているところがあろうが、今の自分がどうなのか…それだけです。

然るに世界大戦が起きていていようが、自国で維新革命や内戦や乱が起きていようが、大勢の兵隊や市民が死傷していようが、身の回りの誰かが巻き込まれていようが、それよりも肝心なのは…己がどうなっているのか…それだけです。

また国家政治経済が良かったり悪かったりしていても、会社や職場の業績がどうであれ、同じ職場の人の仕事ぶりがどうであれ、それよりも肝心なのは己のことだけです。

然るに家族である親や夫また妻や我が子や孫が喜んだり悲しんだり悩んだり苦労していて気になっていても…肝心なのは今の己がどうなのかだけです。

だから親の体調がどうであれ、我が子の体調を心配しても、また孫たちの体調が気になっていても…肝心なのは今の己の体調しだいです。

ちなみに己の体調が良かったり悪かったりしていることが気になったり、また痛いときがあったり、痒いところがあったりして落ち着いていられなかったり眠りずらかったりしている…その自分のことが肝心なのです。

然るに一人孤独にして暮らしている私にすれば…今日の一日がどうだったのかだけですし、その一日が終わる床についたときに…心穏やかに眠れるのか、それともおなかの調子が気になったり足腰が疲労していたり中々眠りにつけないでいる…その自分のことだけで一日が終わります。

だから私にすれば衣食住に不自由することなく、また心身に何事もなく穏やかに過ごしているときが…地上の天国となるのです。

ところがしかし自分の心を偽って、しかも私は正しいと思い込んでいる人なら…こんなブログを書いている私に対して否定的な感情が出てくるでしょう。

そして…これではダメだ、何とかしなければ…と不満と欲からして行動することにもなると思います。

然るに世界平和・国家政治経済安泰・家族円満・夫婦円満が理想目的であってそれが到底無理なことだと思わずに…為せば成ると思い込んでいるだけです。

だから皆さんの中にはそんなのは無理だと気付きながらも、世間では誰もそんなのは無理だという人がいません。

然るにそれが世間に対する己の見栄だったリ、個人意識を恥に思っていたリ、確かな自信や自力が無いから、黙っているほうが賢明だと思っているからでしょう…


しかも世間体がある事からして見せ掛けの家族円満・夫婦円満を装っている人ばかりだから…尚更にそんなのは無理だと言いずらくなる人もいるのです。

ちなみに釈迦やイエスであろうが皆さんや私も自分さ良ければの個人意識を持っているのは事実です。

だからそれを正直に表に出すのか、裏に隠して善人ぶるかの違いだけです。

そして善人ぶって悪と思える者を否定反発したり排除したがることからして人殺し戦争にもつながっていることを何度も書いてきました。

しかしそんなこの世人間関係だけはどうしようもないから…それならば自分だけでも正直に暮らす方がストレスにならなくて…己の心身のためにもなるのです。

然るにストレスまみれの…赤信号を皆して渡る…愚かなことから脱出できるのです。 

とにかく不平不満が諸悪の根源であり…ストレスが万病の元なのです。

だからこのブログに書いている自己縮小しかない…此れしか無いとまで…確信でもって書いているのです。

ストレスからして認知症や介護を受ける立場になることは確かな事実です。

2016年10月22日 | Weblog
人為人工的な形には必ず矛盾偽善がありますから・・・
        
然るにテレビラジオやマスコミも小説の類も巷の井戸端会議でも人を引き寄せたがり、少しでも目立つように脚色・変化・装飾美化したがるところがあります。

然るにブログの世界でも同じですから…書きたくて・書くからには…どうしても目立つ内容にしたがります。

しかも自分の都合が悪いことを横っちょに隠しておいて…自分の思いを主張するのに都合が良いことだけを強調したがります。

だから犬猫ペットのことから草花自然界のことや田舎暮らやしやかいなども…良いことも悪いことも合わせて…
とにかく自分の思いに合った都合が良いとこだけ紹介したがります。

然るに事実のようで事実ではないという矛盾交じりの不確かな内容になります。

私もその経験経緯があります。

ところで私も後期高齢者の仲間になったばかりですから・・・この先で認知症になったり五体不自由になって人様の介護を受けることになるかもしれないが・・・

しかしそれはそれとして先行きのことは成り行きに任しているだけに…余計な詮索したり不安心配になったりはしません。

ところがこのブログで認知症や介護のことを書いているだけに…その実情・情報をちょっと知りたくて・・・在宅介護で検索したところ…驚き木・桃ノ木・山椒の木が如くにあるではないですか…

然るにそれほどまでも関心が高いということですが…あまりにも多いと読むだけでも疲れますから…足早に離れました。

それで改めて…ストレスからして病気になるという…意識が原因からしてその結果が出るという…原理原則からして…そのストレスのない生き様の必要性・重要性を確信しました。

然るに死ぬ時が来たら素直に死ぬ…すなわち医術や薬剤・他力に頼らず…死とは闘わずにして…そのままに死ぬ・自然死が私には似合っていると再確認できました。

また医術や薬剤や他力に依存しない覚悟があるだけに・・・その意識が原因からして・・・重度の認知症になる前に・人様の厄介になる前に…あの世に旅立てるのではないかという…ちょっことした胸算よがあります。

然るに精神世界を含めて言えることですが・・・前もっての学識知識を溜め込むことをやめて・不安心配を持つのをやめて…行き当たりばったりの成り行きに任せて・自然体でもって生きていくことが…ストレスを持たない生き方になるのは確かなことです。

然るに・・・不満が諸悪の根源のように・・・ストレスが万病の原因なのです。

だから心身ともに穏やかな老後を思うなら…今からでも自己縮小の実践をしていなければ…これまでのストレス積み重ねからして間に合わなくなるかもしれません。

「此れではダメだ、何とかしなければ」の不満と欲から離れなければ…自由を見失い自縛することになる。

2016年10月22日 | Weblog
私たちは自分の都合からして好き嫌いになり、その感情でもって動いています。

だから優しさ思いやり親切・心づくし・心使いやその人情・愛情もその義理・恩義も…自分の都合でやっている事だから…それに反する自分に都合が悪い・嫌いな人となるとそこから離れ逃げたりします。

それでも時たまに嫌いな人にそれらを言葉にしたり行動する時がありますが、しかしそれは何らかの欲や打算があったり、また見栄・世間体・プライドからして仕方なくやっていることになります。

然るに恋愛関係や夫婦家族関係であっても…好きだからしていることであって嫌いならしません。

だから好きなうちはあばたもえくぼに見えますが、嫌いになればその逆になるのが人間感情です。

然るに好きな人に裏切られたり、また好きだった人が嫌いになれば裏切ることにもなっています。

だから人間感情の好き嫌いには矛盾偽善があるのですが、それも…どっちもどっちの…お互い様の関係なのです。
だから相手を責めることも自分を責めることもなく…そのままにしてほっとけばいいのです。

とは言っても…好き嫌いの感情でもって生きているのは事実ですから…お互いにごちゃごちゃした関係になっているのです。

然るに恋愛円満・夫婦円満・セックス円満・家族円満も偽善関係ですが、それも好きだから続くのですし、また好きでなくても自分の都合からして・仕方なくして続くのです。

ところが巷では…興行収入・売り上げを上げるために…刺激的に企画演出構成され誇張拡大美化された映画ドラマ小説のストリーで描かれる(ありもしない)純愛物語や熱烈恋愛やシンデレラストーリーを夢見たリ憧れたリしているうちに…それらがいつしか人間の生きる道が如くに錯覚することにもなり(洗脳され)それらが満たされることを思うがゆえにそれが不満の思いにも変わるのです。

然るに事実ではないと知りながらも…そのストーリーがあるからには…為せば成るとして…思い込み陶酔して…それを求めることにもなり…それがうまい具合にならなと不満にもなるのです。

また自然界を相手にしている職業やその生活さえも何かと変化刺激を付け加えたリ誇張装飾美化して描かれますから、
然るにその魅力関心が高まれども…よく考えれば自分には到底無理だとなり…尚更に遠のく逆効果・逆現象にもなっている事実があります。

しかも(その影響で)当たり前が如くに食って寝て糞をしているだけの生き様を卑下することにもなり(能無しの貧乏人の哀れ可哀想に思えるだけに)…自分はそうなりたくないと…思い込むことにもなっているのです。

然るに己が事実にして味わっていないのに何かと否定反発することにもなるのです。

とにかく好き嫌いで判断することが多い人ほど…自分を束縛制限する自縛にして(自由を放棄して)窮屈な生き方にもなるのです。
だから自由な孤独が味わえずにして…それが孤独感にも変わるのです。

ちなみに私は何でも知りたがり何でもやりたがる性格からして…人様の生き様にも関心がありましたから…若い時から己が物乞いルンペンになるも善し、放浪の旅に出るも善し、山小屋暮らしになるも善し、南海の孤島で暮らすも善しと…なんでもOKでした。

然るに世間の人とは少し異なる精神からして逆も真なりとなり…世間の人がさげすむようなことも私は平気でOKでしたから…その意識が原因からして現在の私にもなったと思います。

何はともあれ好き嫌いで判断することで己が己を自縛して(墓穴を掘って出られなくなり)不自由しているは事実なのです。

なのに好き嫌いの感情丸出しでもってその喜怒哀楽にして生きることが人間らしいとまで・当たり前になり、
しかも自らが苦労を買い込み背負い込んできた人や波乱万丈にして生きてきたから今の自分があるとしてテレビ・ラジオ・マスコミに出て自慢するような人まで多く現れてくるから、
然るに世間に目立つことなく心静かに生きている人を見下す風潮にもなるのです。

だから何度も書いているように…此れではダメだ何とかしなければの不満と欲から離れなければ…自らが自由を見失い自縛することにもなるのです。

なんて書いても…心無い人は…知ったことじゃないよと…馬に念仏・糠に釘ともなっていることでしょう・・・

選択したことで悪くなったり、成り行きで選択しなかった方が良くなったりする仕組みがあります。

2016年10月21日 | Weblog
今どきの子供や少年少女や青年たちは物質的に恵まれていることからして良い面はありますが、しかし精神的には悪い面があります。

ちなみに私の幼い頃や成長期は戦後の物不足の時代でしたから…食うことも着ることもままならない時代でしたから、食事ができることや着ることができるだけで精一杯でした。

だから現在のようにレシピだとかグルメとかファッションだと言って選択することもありませんでした。

ところが現在は選択することが当たり前の如きになっていますから…自分好みになります。

すなわち気に入らないものを食いたくない・着たくないとしての不満から始まっているのが問題なのです。

だから…今あるのもで満足し感謝になっていた当時と違い…不満が先で・また思い考え悩み思考錯誤し・思惑期待した、その後から自己満足になるから、その喜び感謝の心も少なく…苦と楽を味わう矛盾からして精神的な問題があります。

また選択できることからして更に上を欲しがることにもなる、その繰り返しになるのも大いに問題があるのです。
然るにそれが問題山積みの…現在なのです。

ちなみに昔ほど結婚も親が決めることが多かったのだけに本人の選択があまりなかったから、行き当たりばったりのくじ引きが如くで選択があまり無かっただけに・前もっての思惑期待もないままに結婚します。

だから結婚して何か良いことがあれば(予想外となり)嬉しいことにもなります。

ところが自由経済の発展からして恋愛結婚が流行りにもなりましたが、そうなると相手を自分好みに選択するだけに…その思惑理想期待願望が伴っていますから…その思惑道理になって当たり前の感があり…その喜び感謝も少ないはずです。

しかも思惑通りにいかなければそれが不平不満にもなります。

然るに恋愛結婚で相手を選択するよりも成り行きから結婚になった方が良かったことにもなります。

ちなみに私は成り行き任せの見合い結婚でしたが…不出来な私に上出来の妻が嫁にきたのでうれしい限りでした。

だから不平不満になるどころか…妻の満足顔を見るだけで…それが私の喜びにもなりましたから…自分なりに精一杯尽くしてきたのは事実です。

ところが妻の方が私を選択した中にあるのが…当時の食糧統制からしてお米が配給制度でしたから…米屋に嫁げば食いぱぐれがないという思惑があったようです。

しかも私が妻の言うなりになって従っていただけに味をしめたが如くに…あれもこれもと次から次と注文・文句が来て…その対応に明け暮れていたとも言えます。

とにかく思い思惑期待願望が無い方がその不平不満にならずに済むのです。

そして何か良いことがあれば(思惑期待が無かっただけに)それが喜び感謝にもなるのです。

ところで今の私は自己縮小して暇していますから…その暇つぶしに…面倒なことでも快く対応できるときがあります。
例えば先日役場の福祉課から高齢者向けの手続きに来るという電話があり(暇だから)一日中待っていましたが、しかし他の所で手間取り来られませんでした。

そこで普通なら文句の一つでも言いたくなるのが人情ですが…私ほうが暇しているからと…役場まで私が行ってその手続きを済ませてきました。

然るに担当者が喜んだのは当然ですが…宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれる…とまでいかなくても…役場の若い美人さんを目の前にしていた時間が何やら嬉しくも楽しかったのは事実です。

その他にも妻の複雑なミスからして私が郵便局の手続きなどで何度も行く羽目になりましたが…それが暇つぶしになるし…また不慣れな局員が手続きマニュアルを見ながらの対応からして待たされる時間が多かったから…私に申し訳ないとばかりに言いましたが…どうせ暇だから気にしなくていいよと…励ましを込めた返事が出来ました。

とにかく忙しくしていると言いたくもない文句も出るし、その文句が出るということは本人も嫌な気分になっているし…その文句を聞く方も仕事とはいえ面白くもないだけに苦になるはずです。

それが互いに微笑み合って手続きが進むなんてのはめったにないことではないでしょうか。

とにかく…暇することで…過去の自己拡大では味わえなかったような・気付くことができなかったようなことが味わえるのです。

このような大したことでもないことを…大は小から始まる原理原則からして…根掘り葉掘り書いているのがこのブログの特徴でもあります。

私たち誰も皆が公平にして自己縮小が仕組まれ、成り行きながらも「選ばれし者」となります。

2016年10月20日 | Weblog

私たちは意識が原因からして行動しています。
然るに自分が関心をもったことからしてその行動に移ります。

然るにあなたの意識が原因でもって…必然ご縁となり…このブログの完全真理とその自己縮小を学び知り実践するために…仕組まれたことになります。
ちなみに関心がない人が来るはずもありません。

そこで私の事例ですが…(聞きなれない言葉の)波動・宇宙エネルギー情報・掲示板に興味を持ったことがキッカケとなって現在があるのです。
然るに私の意識が原因からして必然ご縁が仕組まれたわけです。

しかし私以外の他の人も関心があって情報を読んだ人もいるでしょうが…その情報がインチキ・胡散臭いと思ったり、また関心興味が無ければ…その必然ご縁がなかったことになるだけです。

またこのブログに関係ないことになりますが…
フリーター・ニート・Bライフ・サイレントテロ・ホームレスなどの形になっている人も…成り行きながらも…己の意識が原因で仕組まれた必然ご縁の結果であり=それが(当人には聞きなれない・知るはずもない)自己縮小の形なのです。

ちなみに私も成り行きからして(遊び半分からして)いつの間にやら過疎地で住むようになっただけですが、それが後日(聞きなれない)自己縮小だったのです。

と言うことからして…例えば…
未だに結婚できずに・結婚せずに独身でいる人も、また結婚するも別居や離婚になっている人も、また不登校や引きこもりになっている人も、世間に馴染めずにひっそりと暮らしている人も…己の意識が原因の成り行きからして(本人が知るはずもない)自己縮小という形が必然ご縁で仕組まれたことにもなるのです。

そして…成り行きからして既に自己縮小の形になっている人は…宇宙・神・愛の仕組みからして「選ばれし者」となりますが…その選ばれし者と言う自覚・おごりがないから…自然体だから…それでいいのです。

何故に選ばれし者となるか・・・
それはこの世人間関係の矛盾偽善や…己の過去の自己拡大の苦楽・矛盾偽善に気付くことができる立場環境になっていることからして…
世間で表立ち目立っている人とは異なる意識・精神を持っているはずだからです。

そして(私のように)成り行きながらも自己縮小の形になったことに慣れ親しんでいるうちに…自己満足となる「此れではダメだ何とかしなければ」の不満と欲が次第に薄れてきて…やがて頑張ることも欲張ることも見栄張ることも次第に失せていくかもしれません。
だから成り行きながらも…選ばれし者…となるのです。

また世間一般の人も公平にして…選ばれし者…となります。
それが成り行きからして病気や事故や災害や倒産廃業や退職・休職・リストラやフリーター・ニート・Bライフ・サイレントテロやホームレスになったり、また老後や死に間際が自己縮小となるのです。

しかし…そんなのは嫌だ・此れではダメだ何とかしなければと不満に思い欲張り頑張り見栄張ることになれば…自己縮小にはならずにして自己拡大に戻ることになるだけのことです。

然るに宇宙・神・愛の仕組みからして…(慌てず騒がす・心静かにして)…己の精神の矛盾偽善に気付きなさいとばかりに仕組まれたのに…その必然ご縁が無かったことになるのです。

とにかく矛盾偽善のこの世に生まれたからには…その矛盾偽善に気付くことが肝心なのです。

また此れまでの自己拡大を活かすためにも(経験を無駄にしないためにも)自己縮小が必要になるのです。

愛情円満・セックス円満・夫婦円満・家族円満・仕事円満・娯楽余暇円満・ご近所円満とはなりません。

2016年10月19日 | Weblog
愛情円満・セックス円満・夫婦円満・家族円満・仕事円満・娯楽余暇円満・ご近所円満とななりません。

私たち人間は…不完全なこの世人間関係の矛盾と偽善からして不平不満と自己満足の苦と楽の喜怒哀楽の繰り返しで生きるしかありません。

然るに…幸せも地上の天国も味わえないままの不完全で中途半端な納得できない生き方になります。

然るにその苦楽の生き様から卒業するには・・・
古今東西の老若男女の誰も皆が公平にして実践できる自己縮小しかない…此れしか無いとして書いています。

しかも古今東西の老若男女の誰も皆が公平にして訪れる老後や死に様に至る経緯が好むと好まずとも自己縮小にあたるのです。

だったら今のうちに自らが先駆けて自己縮小の実践を始めるほうが賢い選択ではないでしょうか…としています。

ちなみに皆さんは苦楽の伴う生き様に納得できているはずはありません。
だから…「此れではダメだ何とかしなければ」と日々頑張っているはずです。
それとも…どうしようもないと諦めきって、その惰性で生きているだけの人もいることでしょう。

然るに人間人生は映画ドラマで見られるようなハッピーな夢世界や理想目的が完結する創作世界の如くには決してなりません。

然るにあなた方の身近なところにおられる…先輩諸氏…があなたの先行きの見本になります。

その中には…隣の芝生が綺麗に見えるように…羨み憧れている形があるかもしれませんが、しかし中身・実情を見ることはできません。

然るにあなた方が憧れているその世界にも醜い争い・比較競争がありその苦汁を味わうも…思うようには・うまい具合にはなりません。

然るに夫婦円満・家族円満・仕事円満・娯楽余暇円満・ご近所円満に過ごしている人は皆無です。

何たって裏もあれば表もある・不満があれば満足もある・苦もあれば楽もある・喜びもあれば悲しみもあるのが当たり前のこの世だけに 
また自分さえ良ければのご都合主義・好き嫌いの選択でもって生きているだけに…お互いが裏切ったり裏切られたりの関係にもなっています。

またそんな中にも映画ドラマが如き愛情円満セックス円満を夢見ている人も多いから…その期待外れからして…これまた映画ドラマが如くの浮気にも不倫にも離別別居離婚にもなります。

しかも先ほどに書いたように…避けては通れない老後と死が待っています。

しかも自分のウンチの後始末に人様の手を借りることになるかもしれません。

また日々を生きている感覚が薄れて…死んだも同然の生き方…認知症になるかもしれません。

そして死に間際にその死を恐れおののき苦しみもがき我慢し耐える羽目になったり、また未練後悔・恨み憎しみの執着を持ったまま死に行くかもしれません。

とにかく人間人生が一本調子に行かないのがこの世人間関係なのです。

だから…誰もが楽ちんになりたいのに…見栄や欲を出して…楽しく生きることに執着した…その結果が…あなた方の現在です。

だから遅かりし内蔵助にならないように…今からでも自己縮小の実践をしてみればと書き続けているのです。