孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

気になることが多くて精神的に忙しい人ほど・・・火の用心マッチ一本火事の元・・・となります。

2016年10月09日 | Weblog
良い悪いで判断しながらにしてその矛盾と偽善の生きざまになっていることからして言えば、その生き様の形が違っていても内なる精神面となれば、巷のお偉い方々もお粗末な私も似たり寄ったりの同類で同じようなものです。

ちなみにいつもあれこれ思い考え悩んだり、いつも何かをしていなければ落ち着かない手持ちぶたさがあり、しかも常に何かを気にしていたりするものです。

然るに誰も皆が同じなのです。
ただそれが大きいことか小さなことかの違いがあるだけです。

然るにそれが大きなことであれば大きな喜怒哀楽を味わうことになり、それが生き甲斐にもなっているかもしれませんが、
それが小さなことであれば喜怒哀楽も小さく、それでは何やら物足りなく感じる人もいることでしょう。

そこで大きなことを成している人なら自分の体調の事さえも気にせずに忘れたが如くに頑張る事ができます。

ところが暇している私となると、たとえ胃腸が少し調子が悪いだけでも気になってなかなか頑張ることもできませんから、結果的には体調がよくなるまで静かにしていることにもなります。

然るに医者や薬剤の他力に頼らいで・・・生まれ持つ自然治癒力でもって回復します。

だから基本的には健康体で元気にしていられるのです。

とにかく生きているからには諸々のことが気になるのは誰も皆が同じで公平にできています。

だから仕事をしているときでも他ごとが頭をよぎりそれが気になって仕事が疎かになったりミスったりもします。

また気にしていることがある時間だけ余計に忙しく感じるのも事実です。

しかし私の場合は自分の体調が気になる時がときどきあるだけでして、生きていくための衣食住などが気になることは殆どありませんから、その生活ぶりもお粗末なものですし、それさえも気になりません。

だから気になることが無いだけにその分だけ余計に暇している事実があるだけです。

ところがそうなると尚更に何かを気にしていなければ暇します。
となると視界が狭い室内よりも視界が広い野外に出ることが多くなり目の前にある自然界に意識を使います。

しかし夜中となると限りがあります。
然るに街灯も人家の灯も見えないだけに月や星などの光り物に目が行きます。

また薄暗くなると風水画・水墨画如くの自然界になったり、夜霧に覆われる神秘的な自然界も見ごたえがありますし、月夜や闇夜の積雪風景も見事ですし、夜風のざわめきや様々な虫の音やフクロウの鳴き声や奇妙な鳥の鳴き声や時には身近に獣の気配足音が聞こえてくることもあります。

しかも一生に一度も見ることができないような(誰も見ていないような)稀なる自然現象の数々から異次元のUFOやUFOもどきやまた謎の発光体を8年間連続で見せてくれています。

と言うように…自然界も粋なもので…できる限り暇しないようにとあれこれ用意してくれている事実があります。

然るに田舎暮らしに憧れる人も多いのです。

と言うことからして…街中で人為人工的な変化刺激を味わう人もいれば…自然界の変化刺激を味わえる人もいるのですが、
私からすれば自然界の事実にしての変化刺激のほうがよほどの値打ち価値あるものとなっています。

だからこの世人間関係の矛盾偽善を味わうのをいい加減にやめにして、自然界と共に過ごす時間を多くする生きざまに変えてみてはいかがですか・・・となるのです。

とにかく暇している時間が多いか少ないかで人間人生が大きく変わることは間違いありません。

然るにそんなみみっちいことを根掘り葉掘り書いているのもこのブログの特徴ですが、
その些細なことが原因で物事が大きくもなっている事実を自覚認識していなければ油断大敵マッチ一本火事の元となって己が困ったことになるだけです。

だからもうすでに困った状態になっている人も多いはずです。

となると過去の実績や名誉やの足跡・自己満足なんかは(過去だけに)屁のツッパリにもなりません。事実です。

しかも日々なんだか気がせわしいだけで(思い考え悩む時間が多いだけで)実質的には焼け石に水で結果が出ていないはずです。

然るにそんな大ごとになるとは夢にも思っていないだけに・・・世間の大ごとに関心があれども・・・ありふれた身近なマッチ一本のことに意識を使わないのが大方の人です。

然るに・・・火の用心、マッチ一本火事の元・・・です。